崎山多美『月や、あらん』(なんよう文庫、2012年)を読む。
本書に収められている小説は、「月や、あらん」と、「水上揺籃」の2編。
「月や、あらん」では、沖縄の3人だけの出版社を牽引してきた女友達の編集者が、忽然とどこかへ去ってしまい、主人公はその謎の遺産をもとに苦悶、迷宮から逃れられなくなってしまう。その遺産とは、沖縄の地から、そして朝鮮出身の元従軍慰安婦から発せられる肉声であった。しかし、元従軍慰安婦の老婆は、狂人であった。
怨念のような老婆の声、女友達がテープに残した声は、虚実がないまぜとなり、ほとんど理解不可能。そのカオスの中で、主人公は、どうやら声なき声がうずまく彼岸とつながってしまったのだった。
この肉体性と感覚とを、過激に何か大きな塊へと練りこんでいく手腕。はじめて笙野頼子を読んだときの衝撃を思い出した。
「水上揺籃」は、かつて演劇の場に身を置いた女性が、そのときの恋人に呼び寄せられ、あるシマへと赴く物語。ここでも、声がキーとして扱われている。聞こえるはずが聞こえない声、得体が知れず聞こえる声。どこまでが白昼夢でどこまでが現実か、どこまでがリアルな感覚でどこまでがヴァーチャルな感覚か、やはり、カオスが訪れる。見事。