藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社、2018年)を読む。

戦後、生きていくために、沖縄において多くの人たちが売春をせざるを得なかったことはよく知られた史実である。その名残が、那覇市の辻や栄町社交街、宜野湾市の真栄原新町、コザ市(沖縄市)に見られたこともよく知られている。しかし、それが現在までどのように変貌してきたかを知る者は極めて少ないに違いない(特に、「本土」の者にとっては)。本書は、その実態をとらえようとしたものである。
沖縄の施政権返還を直前にした1969年、売春人口の比率は約3%にものぼったという。復帰後に売春禁止法が施行されてからも、その「機能」は存続した。一方では米兵によるレイプも多発し続けた。そのため、「特飲街」を市民の安全確保のために必要な機能(「性の防波堤」)と考える者も少なからずいた(その言説を外部に居ながら使う醜悪さについては言うまでもない)。
だが、2010年頃から、「浄化」の名のもとに、「特飲街」を潰す市民運動と自治体の動きが激しくなり、まずは真栄原新町が壊滅し、業者らはコザの吉原などに流れていった。その吉原でも同じような展開があった。街はゴーストタウンと化した。実際のところ、そのような場では、「本土」から借金に困り流れてくる女性たちが少なからずいた。そしてその仲介役はやくざが担ったと推察されるが、沖縄では、組織的な活動ではなく個人が「勝手にやった」のだとされているようだ。
「浄化」という言葉や、売春を行う者の生活態度などについては、多くの見方があるだろう。しかし著者は、敢えてどちらの立場を取ることもなく、共同体から排除された女性たちを、ひとりひとり異なる個人として接し、調査している。女性の側も、自分たちが生きてきた場の実態を誰かに知ってもらいたいがために、調査に応じている。この声の積み重ねには圧倒される。著者はこのように書いている。「個別の問題を切り捨てて、既成の価値観でひと色に決めつけてしまっては、それこそ「浄化運動」と同じ次元になってしまうだろう」と。
本書では沖縄やくざの歴史についても追っている。中島貞夫『沖縄やくざ戦争』や松尾昭典『沖縄10年戦争』でも描かれながら、それらがあまりにも現実に沿っているため、沖縄で上映できなかったということを考えると、このルポは外部者の著者だからこそできたのではないかと思えてくる。
そしてまた、『モトシンカカランヌー』を撮ったNDUと撮られたアケミ、売春の現場をルポし続けた佐木隆三、二重の差別構造・格差構造に晒された奄美人たち。さまざまな人たちが登場する。とても興味深い。