Sightsong

自縄自縛日記

エリック・プラクス『Sun and Shadow』

2018-05-13 19:48:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

エリック・プラクス『Sun and Shadow』(2016年)を聴く。

Eric Plaks (p)
John Murchison (b)
Leonid Galaganov (ds)

昨年、ブルックリンのBushwicksで観て印象に残っていたピアニストだ。

そのときに面白く思った点は、鍵盤の左右を随分広く使うことだった。その都度、サウンドの構造を創り出すようでもあり、一方では工夫先走りな感もあった。しかし本盤を聴くと、よりハード・ダイナミックに、コード内を左右に広く拡張しまくっており、かなり個性的な人に思える。硬質な翼を拡げて力強く飛翔するようなピアノである。

Bushwickの常連のようでもあり、今後目立ってくるといいなあ。

●エリック・プラクス
Bushwick improvised Music series @ Bushwick Public House(2017年)


ヤスミン・アザイエズ『The 'Jazz' Album』

2018-05-13 10:42:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヤスミン・アザイエズ『The 'Jazz' Album』(-2014年)を聴く。

Yasmine Azaiez (vln, vo)

ヤスミン・アザイエズは、チュニジア生まれのヴァイオリニスト・ヴォーカリスト。いちどNYでジョー・モリスとのデュオを観たのだが、不思議な存在だった。彼女の表現をもっと聴いてみたいと思っていたのだが、こんな音源を発表していたとは。

ここで展開しているのは、たとえば、エヴァン・パーカーに捧げた演奏(循環呼吸のようだ)、そのジョー・モリスに捧げた演奏(モリスらしい単音のポコポコしたインプロ)、優しいヴォイスを入れた「Epistrophy」、混沌的な世界にアプローチするようなセシル・テイラーに捧げた演奏。それから彼女のアイデンティティ。

本人は「Enjoy my nonsense.」と解説を締めくくっているが、なるほど魅力的だ。

●ヤスミン・アザイエズ
アグスティ・フェルナンデス+ヤスミン・アザイエズ『Revelation』(2016年)
ジョー・モリス+ヤスミン・アザイエズ@Arts for Art(2015年) 


ミック・ジャクソン『否定と肯定』

2018-05-13 09:17:03 | ヨーロッパ

病院から抜け出してギンレイホールに行き、ミック・ジャクソン『否定と肯定』(2016年)を観る。

この映画は、1996年に起きた「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件」を基にしている。すなわち、ホロコーストは無かったとする歴史修正主義者のデイヴィッド・アーヴィングが、アメリカ人の歴史学者デボラ・リップシュタットとその著作を出していたペンギンブックスを名誉棄損だとして訴えた事件であり、日本でもマルコ・ポーロ事件が起きたばかりの頃であった。

なぜアーヴィングが英国法に準拠して訴訟を起こしたのか、それは、原告側ではなく被告側がその訴えの不当性を証明しなければならないからであったという(知らなかった)。世間へのアピールと両論併記化のため、歴史学の積み重ねを無視して、些細な穴だけの切り崩しによって全体の否定を狙い、著者と出版社をターゲットにするという点では、のちの大江・岩波沖縄戦裁判(2005-11年)にも似ているところがある。もちろんアーヴィングは敗訴するのだが、大江・岩波沖縄戦裁判がそうであったのと同様に、訴えを起こしたことで目的の半分は果たしたようなものであっただろう。

映画は、リップシュタットが良い弁護団を組成してもらい、はらはらしながらもアーヴィングの論理の穴を突いていくという展開であり、言ってみれば単純な勧善懲悪モノである。それでも、日本を含めた多くの歴史修正主義的な事例との共通点を含め、見どころはたくさんあった。

たとえば、体験者・受苦者に証言をさせるのかという点。かれらは記憶を忘却の彼方に追いやりたいという気持を持ち、またその記憶は自分の周辺に限られている。一方で、その記憶をウソだとして滅却しようとする動きに抗したいという強い気持ちもまた持っている。弁護団は、アーヴィングに攻撃する機会(要は格好の餌)を与えるべきではないとして、証言をさせない方針。結局はそれが奏功する。ただ、声なき声というサバルタン的・オーラルヒストリー的なものも重要な筈であって、そこに焦点を当てた画期的なものが、たとえば、クロード・ランズマン『ショアー』(1985年)や、クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』(2001年)、『人生の引き渡し』(1999年)であった。

事件から20年が経ってこのような映画が作られるのだから、これから、大江・岩波沖縄戦裁判についての劇映画があってもよさそうなものだ。

●参照
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャック・ゴールド『脱走戦線』ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
クリスチャン・ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」@東京都庭園美術館
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」


グザヴィエ・シャルル+ミシェル・F・コテ+フランツ・ハウツィンガー+フィリップ・ラウジャー+エリック・ノーマンド『Torche!』

2018-05-13 07:32:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

グザヴィエ・シャルル+ミシェル・F・コテ+フランツ・ハウツィンガー+フィリップ・ラウジャー+エリック・ノーマンド『Torche!』(Tour de Bras、-2017年)を聴く。

Xavier Charles (cl)
Michel F Côté (ds)
Franz Hautzinger (tp)
Philippe Lauzier (bcl)
Éric Normand (b)

グザヴィエ・シャルルは有名なフランスのクラリネット奏者だが他の面々は初耳。ハウツィンガーがオーストリア、あとの3人はカナダ・ケベック州(フランス系)。かれらがそのケベック東部の街で行った演奏の記録のようである。

やはり耳はシャルルを探してしまうのだが、面白さはそれだけではない。各々が楽器との接触において直接的に出てくる音を増幅させてゆき、独自の色のラインを創り出し、それらがより合って集団即興を成している。聴く側の身体とも直結するような感覚。

●グザヴィエ・シャルル
プラットフォーム『Flux Reflux』(-2017年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2014-16年)