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Sightsong

自縄自縛日記

ケニー・バレル『A Night At The Vanguard』、『Concierto De Aranjuez』

2011-04-06 07:00:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

最近よく寝る前や起きぬけに聴くのが、ケニー・バレルのライヴ盤『A Night At The Vanguard』(Argo、1959年)である。バレルのギターはサックスやピアノとの相性も良いが、このようなギタートリオは素直に音を愉しむことができる。ベースは重厚なリチャード・デイヴィス、ドラムスは乾いた音が弾けるロイ・ヘインズ。バレルのギターについては、「洗練」であるとか「都会的」であるとか評されてきたが、それだけでは物足りない、バランスが絶妙でブルージー、本当に魅力がある。

どの曲も悪くないが、エラ・フィッツジェラルドやサッチモの歌声がすぐに想い出される「Cheek To Cheek」など、なぜLP時代にお蔵入りだったのかという演奏だ。若い日のバレルの記録、ライヴでこその緊張感と張りつめた愉しさがある。久しぶりに、パット・メセニーがデイヴ・ホランド、ロイ・ヘインズという(ドラムスの同じ)ギタートリオで演奏した『Question & Answer』と聴きくらべたくなっているが、もうそれは棚にない。「All The Things You Are」の演奏などかなりのものだったと記憶しているがどうか。

一度だけ、青山だか赤坂だかでバレルを観たことがある(1997年)。余裕たっぷりにギターを弾くバレル、フレージングが一聴して独特であることがわかるトム・ピアソンのピアノ(客席からは「Stop the piano!」なんてヘンな声も聞こえたが)、良い演奏だった。

その頃の録音、スタンリー・ギルバート(ベース)との共演盤『Concierto De Aranjuez』(Meldac、1995年)を改めて聴いてみたが、これがつまらない。相も変わらず連発された人気曲だらけの商売盤だからか、スタジオ盤だからか、年齢か、おそらく少なくとも最初の理由は当たっているだろう。こんな心地いいぬるま湯空間に漬かって、はまったような緊張感のない演奏をして、これじゃダメだろうと思う。バレルは最近でも新譜を出しているが、さてどうだろう。

●参照
エルヴィン・ジョーンズ+リチャード・デイヴィス『Heavy Sounds』


斎藤貴男『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』

2011-04-06 01:07:08 | 関東

斎藤貴男『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫、原著2003年)を読む。

佐々木信夫『都知事 権力と都政』が(石原都知事の問題を認めつつも)、力のある大都市・東京が日本経済を牽引し、地方へのトリクルダウンが可能になるような新自由主義的な夢想を繰り広げていることとは、全く異なるタイプの書である。口が滑ったのではなく本性から出たとしか思えない数々の差別発言は、それにとどまらず、まさにその差別対象を抑圧する政策の反映であったことがわかる。

尖閣諸島、台湾、中国、朝鮮、女性、離島、社会的弱者への蔑視。自衛隊の称揚。原子力や築地移転に代表される特定経済の温存。

「あらゆる社会的弱者に対して、石原慎太郎という人は徹底して酷薄だ。」
「都の福祉改革は弱者切り捨て以外の何者でもなかった。」
「問題は、自分以外の人間の感情とか心、尊厳といったものなどが、これっぽっちも彼の視野に入っていないことだ。仮にも行政の長が、このような感性、発想で政治を動かしている現実をどう捉えたらよいのか、ということなのだ。」

尖閣問題によって狭隘なナショナリズムが拡がること、震災時に自衛隊が英雄となることと相まって、いま、マッチョ的な存在に再び票が流れることを、私は危惧している。必要なものは似非マッチョ・似非インテリの看板などではない。小さな声を汲み上げ、形にするリーダーシップである。自ら進んで騙される気持ちよさに酔ってはならない。

「・・・この島国に住むすべての人間に刷り込んだのは、”ナタのような”自衛隊の絶対的な実力だけではなかったか。末端の努力や工夫は、スペクタクルの前に、どうしても影が薄くなる。」
「ファシズムの時代には、政府の強権以上に、大衆の同調圧力が恐ろしい。そうはさせないためのチェック機能であるべきジャーナリズムも、また。」
「・・・このような存在を支持し、培養しているのは、まぎれもなく都民なのだ。」

江藤淳はかつて、次のように評していたという。慧眼というべきである。

「このような言動はすべて「実際家」石原氏のものであって、「肉体の無思想性」を信じる彼は、思想やイデオロギイにほとんど一顧の価値をもみとめていないのである。
 この点で、もし彼が明晰な自覚者であれば、彼はほとんど一個のファシストだといってよかろう。彼の内部にあるのはニヒリズムであり、彼の志向するのは権力である。」
「かつてのインテリゲンツィアは「思想」に対する信仰から実行におもむいた。石原氏は、「思想」に対する蔑視から政治におもむこうとしている。」

都知事選の前に、佐々木信夫『都知事』とあわせて一読を。

●参照
佐々木信夫『都知事』