大木茂『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶』(新宿書房、2011年)という写真集が素晴らしい。「汽罐」とはボイラー、何ともプリミティブで、変なお化粧をまとっていない人間的な奴。そんな汽罐車のかつての姿が収められている。なお、写真家は市民運動家・大木晴子さん(>> リンク)のお連れ合いの方である。
人間臭さも相まっての詩情というのか、抒情というのか、自分の血中鉄分濃度は高くないのだが、それでも、頁をめくるたびに眼が悦ぶ。
短いコメントが詩情をかきたてる。たとえば、「鳥の鳴く声もなく、光は暖かそうに見えるのだが、ひたすら寒い」とある。雪景色の中で彼らの姿が映えるのは、たまたまではなく、寒いと吐き出す煙の水蒸気が真っ白になるからだった。とは言っても煙、おおらかな時代だったんだな。雪の中だけではなく、田園地帯、工場、住宅、港、海辺川辺、さまざまなところに彼らは現れる。山口線や大井川鉄道の「復刻もの」しか見たことのない自分にも愛おしく感じられる。
海辺を撮った写真の一部
直接取り寄せると、画像データを収めたCDが付いてくる。これを拡大してモニターで凝視すると、モノクロフィルムの粒子感がよくわかる。プリントは「明るい暗室」ではあっても、やはりフィルムは好きだ。最初はネオパンSS、のちに長巻のトライXが使われている。1960年代末、36枚撮りのネオパンSSは190円、トライXは500円とずいぶん値段差があって、それでも、トライXの長巻であれば19本分撮れて3900円だったという。
『翼の王国』2006年4月号(ANA)に中国のSL特集が組まれていたことを思いだして、棚から引っ張りだしてきた。中国においては、汽車・列車のことを「火車」と称するらしい。5年前の時点で、2008年の北京五輪までに鉄道の完全無煙化をめざし、蒸気機関車は限られた地方鉄道や産業用路線で活躍するだけだと書かれている。確かに、中国ではこの数年間で高速鉄道が急速に普及し、仕事で行くには格段に楽になった。
ここには成都や瀋陽の蒸気機関車の姿が収められている。極寒の場所で捉えられた姿は、やはり、『汽罐車』にある日本での姿とは佇まいが異なって大陸的だ。彼らはいまどうしているのだろう。
小竹直人『けむりの旅路』(『翼の王国』2006年4月号所収)より