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Sightsong

自縄自縛日記

久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』

2009-05-02 08:24:17 | 沖縄

ベーシストの齋藤徹さんから、琉球神話開闢の地・久高島が最近の興味の中心だと聞かされて、そういえばよく聴く『パナリ』(JABARA、1996年)も沖縄でライヴ録音されたものだと思い出した。

『パナリ』では、八重山民謡の1曲(メドレー)ではうた三線と共演しているが、ほかは全て西表島の月が浜という海岸で録音されている。ベースソロだから音量を上げたほうが楽器全体の存在感を際立たせて聴くことができる。そうすると、波の音も聞こえてくる。地味ながら奥が深く、好きなCDである。

昨日の金曜日、所用で福岡まで移動したのだが、偶然にも千葉ロッテマリーンズのメンバーたちと同じ飛行機だった。羽田空港のゲートで待っているとき、妙に体格が良く、黒目のスーツを着て、ブランド物の鞄を持って、サングラスをかけた人たちが集まってきたので、何の会社だろうと怪訝に感じたのだった。たぶんバレンタイン監督など一部を除き、レギュラーでもエコノミークラスだった。席に座っていると、福浦、今江などがぞろぞろ通路を歩いてきた。その中に八重山商工の星・大嶺投手もいたので、ちょっとした偶然を楽しく思った。

福岡との往復で読んだのは、池澤夏樹『骨は珊瑚、眼は真珠』(文春文庫、原本1995年)。冒頭の短編「眠る女」が、久高島の有名な祭祀イザイホーを題材にしている。妻が夫を仕事に送り出した後、突然、猛烈な眠気に襲われる。夢の中では、自分がイザイホーに参加している。12年に1回行われていたイザイホーは、島の女が、神に仕える神女になるためのプロセスだった。妻はこのことを夫に内緒にする。そして3日間のイザイホーにあわせ、昼間、夢の中に吸い込まれることを続ける。

古本屋のワゴンでたまたま発見し、面白いかなと入手しておいたのだが、これが実は全く面白くないどころか不愉快になる。祭祀の細かな様子を描いただけであり、これならば比嘉康雄はじめイザイホーの記録を読むべきだ。というより、祭祀そのものが孕む非日常性や不可思議さをそのまま利用しているのである。以前、沖縄のある人が、沖縄にしばらく移り住んで去ったこの作家について、「沖縄を利用するだけしていった人」と評していた。そのときには、なぜそこまで酷評するのだろう、よそ者は排除されるのかな、と漠然と感じていたのだが、理由が少しわかった気がした。要するに、題材として、沖縄もハワイも大英博物館も同じ棚に置かれているということだ。

久高島で録音されたものには、嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』(SPNI、2005年)がある。林昌の最晩年の記録である。1996年に開催された「久高島ミュージックキャンプ」では、息子の林次が伴奏し、底知れぬ自由な精神のようなものを感じさせるうた三線と語りを繰り広げている。このとき、林昌にとって3回目の来島だったそうで(もっとも、林昌の話だからまったく当てにならないが)、久高島についても語っている。現代のヤマトンチュの私は、解説書を読まないと何を喋っているのかほとんどわからない。

「私の場合、心はいつも久高島に向いていました。神様のお力でようやく、またこの島に来ることができましたことを自分なりに大変喜ばしいことだと思っています。ですから皆様方も、この神の島を見捨ててはいけませんよ。自分を見つめて各々の仕事をしながらメシが食えるのです。自分は大丈夫だと慢心ではこの島に見捨てられますよ。」

この後、自分の母親について語るのだが、「私の母親は私より、年上ですが、」のところで笑いが起きる。また、コンサートに石川市(現在のうるま市)から駆けつけたという若い女性が観客席から林昌に呼びかける声も記録されているのだが、「林昌さんの語っていることの半分も判らなくて」に対して「半分もわかれば御の字」、「もう、おじい大好き」に対して「じゃあチューして」と即座に返す。この余裕もユーモアも大きな存在感の一部のようだ。生前、直接聴きたかった。

翌年の97年、大城美佐子近藤等則を伴って林昌は再び久高島に渡る。ここに記録されているのは、東のカベール浜での演奏であり、うち1曲にのみ大城美佐子が参加している。大城さん、いつ聴いても凄い声なのだ。

このときの写真が、那覇の大城美佐子の店「島思い」に飾ってある。お店で写真を見て話をしていたら、大城さんから、今度CDが出るんだよと教えてもらった。そんなこともあって、楽しみにして買ったCDなのだ。なお、久高島で不思議なことがあってどうの、という話も大城さんから聞いたような気がするが、酔っていたのでもう覚えていない。