Sightsong

自縄自縛日記

いのちと痕跡と振動 エミリー・ウングワレー展

2008-07-17 23:55:02 | オーストラリア

行こう行こうと思っている間に、終わるまであと2週間を切ってしまった。その間に、パースでもウングワレーの作品を3点観たり、2006年にブリジストン美術館で行われた『プリズム オーストラリア現代美術展』の図録を入手して、そこにおさめられた4点の印刷を観たりしているうちに、フラストレーションはたまる一方。さらに先日、編集者のHさんがウングワレー展のエコバッグを持っているのを目ざとく発見し、もう1回観に行くと聴いて、一刻も待てなくなった。ついに午前中半休をとって行ってきた。

『エミリー・ウングワレー展』(国立新美術館)は、彼女が1977年に制作しはじめたバティック、1988年から亡くなる1996年までの間に描いたカンヴァス画、さらに立体作品を、120点も展示している。もちろん、日本では過去最大級だ。

初期のバティックは、これまで自分が知っていた南アジアや東南アジアの工芸品とは異なり、随分粗く、微妙なトーンがある。仔細に観ると、インプロヴィゼーションによるところが大きいのは勿論だが、例えば一度染めて蝋を取ったあと、再度そこをなぞるように蝋を付着させ、染めのずれにより時間軸を導入したようにみえた。染めるときの布の折り皺に色がつくのはバティックの特徴だが、デザイン的ではないため、それがここでは生命を付加しているようにもおもえる。

そしてカンヴァスへのアクリル画。点描は微妙に色を変え、あるいは下の色を乾燥過程で見せるようになっている。点のひとつひとつが、木の実でもあり、潅木でもあり、土や水でもあり、卵でもあり、光そのものでもあり、いのちの噴出であるように感じられた。それらのいのちの群れと重なるようにある、横方向の動きの痕跡。それからすべての振動。三歩下がって見渡したときにわかる、うねりと偏在。

亡くなる直前の連作では、点描ではなく、刷くように塗っている。<ひかり、いのちの群れ>が、「私は眼だ」と言ったクロード・モネの晩年の作品群に比肩するものだとすれば、この最晩年の<動き>は、一緒に生きる者ではなく彼岸からこちらを観るような、ゲルハルト・リヒターの作品群にも比肩するものにおもえた。(もっとも、リヒターは呪われた彼岸かもしれないが・・・。)

休憩室では、ウングワレーが作品を制作している様子の映像が流されている。土のうえにカンヴァスを置き、座ったり眠ったりして制作に没頭している。世界から切り離されたアトリエではないわけである。ウングワレーは、バティック制作の前には儀式のためのボディ・ペインティングも行っていた。大地も人も、抽象化された存在ではないから、複製不可能な<かけがえのないもの>と言ってよいのだろう。その、<かけがえのなさ>を、ウングワレーは、晩年の8年間に数千点もの作品として残した。

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶の水書房、2004年)によれば、アボリジニの世界観では、世界には「中心がない」。これは、<かけがえのなさ>に呼応するものではないか、と改めて作品を観ながらおもった。トートロジーに他ならないが、<そこ>は<そこ>、<これ>は<これ>でしかありえないということだ。

移動こそが世界維持の根幹であるということは、世界には「中心がない」ということでもある。人々がカントリーを巡って移動しなければならないのは、ドリーミングの聖地がカントリーのあちこちに拡散しているからである。世界全体を維持するための「中心的聖地」なるものは、存在しない。同様に、世界全体を「再充電」することが可能となる「中心的な儀式の場」も存在しない。

周知のとおり、ミルチャ・エリアーデは、世界の諸宗教における聖地の役割を「世界の中心」として重視しているが、これは必ずしも、アボリジニ諸社会にはあてはまらないのではないか。むしろ、それぞれの聖地がそれぞれの中心であると理解すべきであって、その意味では、アボリジニのカントリーには「世界の諸中心が無数にある」というほうがずっと適切である。

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶の水書房、2004年)

●参考
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』
オーストラリアのアート(5) パースでウングワレー、ドライスデイル、ボイド、それからジュリー・ドーリング