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四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

80年目の8.15

2025年08月14日 18時58分25秒 | 鎮魂

80年目の8.15が巡って参ります。


      「鎮魂の思いを込めて 高砂百合」

広島、長崎の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」等で紹介された、
長崎で被爆した故・山口仙二氏が国連本部で訴えた次の言葉を、
改めて心に刻みたいと思います。

 ノー・モア・ヒロシマ
 ノー・モア・ナガサキ
 ノー・モア・ウォー 
 ノー・モア・ヒバクシャ

鈴木市長は平和宣言の冒頭で、この言葉は
「被爆者の思いの結晶そのもの」と強調しました。
また、「長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を
実現する具体的な道筋を示すことが不可欠」だと求めました。

こんな思いを即興の短歌に込めました。

 ☆再びも核で焼かれし この民の 命の叫び いまも地に満つ
 ☆核抑止 そのまやかしを暴きだせ 核で守れる命など無し
 ☆地に満ちた「人を返せ」の叫びをも 心に刻み 核に真向かう

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八月への想い

2025年08月10日 14時21分04秒 | 日々の歩み

 昨日9日は、長崎では80回目の原爆の日を迎え、爆心地に近い平和公園では、長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開催されました。鈴木市長は平和宣言の冒頭で、対立と分断の悪循環で各地で紛争が激化しているとし、「このままでは、核戦争に突き進んでしまう」と危機感をあらわにしました。
 長崎で被爆した故・山口仙二氏が国連本部で訴えた「ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウォー ノー・モア・ヒバクシャ」の言葉を引用し、「被爆者の思いの結晶そのもの」と強調しました。また、「長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠」だと求めました。この求めを私達も心に刻んでいきたいと思います。

     「百合 カサブランカ」

 この八月は、青春前期の私に多くの示唆と、想いの在り方を導いてくれた、優れた研究員でもあったあった友の命日でもあります。長崎での胎内被曝という十字架を生まれながらに背負い、AI黎明期の人工知能の研究の傍ら核兵器廃絶を訴える運動に、まい進した友の壮絶な闘いを今でも鮮明に思い浮かべることができます。キリスト者でもあり「怒りを祈りに」と、祈ることの神髄を身をもって教えてくれた友。常に襲ってくる痛みと闘いながら研究と、核廃絶運動にひたむきに取り組みながら短い青春を閉じました。友が死を覚悟しながら取り組んだ運動は、昨年の「日本被団協のノーベル平和賞受賞」で一つの結実を見ました。しかし、世界の現実は未だ道半ばの感がいたします。

     「咲き初める 高砂百合」

 一方、私事になりますが、細君の母が身罷ってから、私たち夫婦にとっては母親代わりに接して頂いた細君の従妹の葬儀が昨日あり、炎暑日の中横浜の斎場まで出かけて来ました。その従妹の事は本ブログでも折に触れて紹介させて頂きましたが…、98才の大往生でもありました。細君を通して、私も親しくお付き合いさせて頂き、私の短歌の理解者で、幾たびか細君共々一緒に旅行などさせて頂く機会もありました。ただ、自分史の多くを語らない方でしたが、問わず語りに伺った限りでは、明治神宮で学徒出陣で想う方を見送ってから、生涯を独身で通した人でもありました。

 三大商社の一つの経理部門で、文字通り戦後の商社の隆盛を財務で支え、女性でありながら部長職まで担った方でもありました。慈愛に満ちた眼差しを持つ一方、「ダメなものは駄目」を静かに徹底する姿勢を定年まで貫く頑固さもありました。「生き馬の目を抜く」と言われた商社の中で、財務の中枢を歩くことは人間関係も含めて、それなりの葛藤や、悩みもあったことと思いますが、苦労話は、あまり伺ったことがありませんでした。ただ、同僚や、後輩たちの面倒見の良さには目を見張るものがあり、慕う方も多く、部下には恵まれていたように伺ったことがあります。

     「咲き初める むくげ 八重」

 歳の離れた従妹であり、細君にも母親同様の接し方をしてくれ、何かと相談相手になってくれました。住まいも車で40分ほどの距離に居られ、折に触れお付き合いさせて頂き、私も薫陶を受ける機会に恵まれたと思っています。晩年には大きな手術も経験され有料老人ホームで過ごされましたが、ホームの皆さんにも大切にされ幸せな日々であったと思っています。

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牧水の歌碑を訪ねて

2025年08月01日 13時22分38秒 | お出かけ

  しら鳥はかなしからずやそらの青 海のあをにもそまずたゞよふ 


     「咲き初める 白芙蓉」

 この歌は、皆さんご存知のように若山牧水の詠んだ有名な短歌ですが、その歌碑を過日訪ねてみました。当日はたまたま細君がその近くの医院で診察を受けましたが、その待ち時間の50分ほどを使って訪れてみました。折からの猛暑日でもあり、10分も歩くと熱中症が心配される状況でしたが、せっかくの機会ですので、意を決して訪ねました。


     「野比海岸 景観」

 横須賀市北下浦の野比海岸の一角が公園として整備され、牧水の歌碑が
建てられています。
これは、「夫婦歌碑」と呼ばれ、表面には先に記した牧水の歌
  しら鳥はかなしからずやそらの青 海のあをにもそまずたゞよふ
背面に喜志子夫人の歌
  うちけぶり鋸山も浮かび来と今日のみちしほふくらみ寄する
が刻まれています。

     若山牧水「夫婦歌碑」 表に牧水、裏に喜志子夫人の歌

 当日は、まさに紺碧の空の下、喜志子夫人の歌にも詠まれている通り、東京湾を挟んで対岸の房総半島の鋸山もはっきりと見えました。

     「東京湾と対岸の鋸山」

 群青から、エメラルドグリーンに染まる海と、白波が寄せては返す潮騒が微かに響いていました。残念ながら白鳥の影は見えませんでしたが、カモメの姿があれば牧水の歌の趣に浸れたものと感じました。炎天下であり、吹き出す汗を拭いながら、歌碑と海、海岸等の景観をカメラにおさめ現場を離れました。なお、この暑さゆえでしょうか、ウイークデーであっても、いつもは多くの見学者のある場所ですが、当日は私のみでした。

 牧水は大正4年、妻の病気療養のため北下浦に転居しましたが、酒と旅を愛した牧水らしく、2年足らずの滞在でした。牧水はこの間に歌集を発行したり、野比海岸で獲れたシコイワシを肴に美酒を味わい、野比川で釣りを楽しんだりしたと言われています。
 この地で、牧水夫妻は健康を取り戻し、地元の人々との交流を通して穏やかな日々を送ることが出来たようでした。ここでの日々が牧水に活力を与え、その後の東京での活躍の原動力となったと言われています。

 なお、道を挟んだ向かい側には長岡半太郎・若山牧水資料館があります。ここには牧水の当時をしのばせる資料や写真も数多く展示されています。また、毎年9月には北下浦牧水まつりが開催されています。機会がありましたら「歌枕」として、お立ちより頂くことをお勧めします。

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温水プールへ

2025年07月20日 06時14分37秒 | 日々の歩み

 一昨日、2025年7月18日(金)、気象庁と地方気象台は関東甲信地方、北陸地方、東北南部の梅雨明けを発表しました。関東甲信地方は昨年と同日、平年より1日早い梅雨明けで、平年並みでの夏の到来となりました。今年の夏は、既に6月から猛暑が日が続き、「地球沸騰化」が実感される日々となっています。

     「咲き初める 山百合」

 こんな日々の中で、熱中症を警戒するあまり、私達の世代は巣ごもりを余儀なくされますが、私たちはここ40年余にわたり取り組んできた運動に、スイミングがあります。当初は民間のジムに通いスイミングを行っていました。そんな中でスイミング仲間も出来、彼らと何回かチームを組みマスターズ大会にもチャレンジし、チームスイミングの楽しさも実感してきました。


      「咲き初める ブーゲンビリア」

 私の水泳の先生は細君で、彼女は国体エントリーの選手で、かつては、かなり本格的にスイミングに取り組んでいました。結婚してからも、水泳連盟に所属し、YMCA等民間のスイミング教室で水泳講師を長いことやってきました。従って、水泳に関しては未だに細君に頭が上がりません。ただ、未だに泳ぎ続けることが出来ていることは、口に出しては言えませんが、細君のお蔭と思ってます。

 ジムでの水泳も仲間たちと、和気あいあいと泳ぐことが出来、時には泳いだ後のビールジョッキを傾け合うこともあり、それなりに魅力的でした。しかし、ジムの営業政策もあり、種々の世代を対象とする水泳教室が増え、純粋に泳ぎたい方には専用コースも減り、泳ぐのみの選択肢が狭まっていきました。途中から自由に泳ぎたいとの想いから、何人かの仲間たちと公営の温水プールに場所を変更しました。私達の市には5か所の温水プールがあり、それぞれ地域に密着した子供たちを中心とした水泳教室や、大人たちのアクアビックスなども行われ、多くの方が参加し水になじむ姿は見ていても楽しそうで構魅力的でした。私達は最近、もっぱら新しく開設された横須賀西海岸にある佐島プールに週2~3回ほど通っていますが、毎回1600m前後の距離を目標に泳いでいます。


     「咲き初める 宗旦むくげ」

 ただ、最近は子ども達の父母の要請もあり、ここでも子供たちの水泳教室が通年で行われ、泳ぎ専用のレーンが、かなり限定される状況になっています。公営プールでの子供たちの教室が増えるとともに、少子化の影響もあり、民間のスイミング教室の経営が厳しくなり、倒産を余儀なくされるスイミングも散見されます。それでも、昨今の諸物価の高騰の中で、家庭経済を考えると、公営プールのスイミング教室を選択する父母たとの想いも十分に分かります。

そんなこんなで、熱中症を避けながら、体力維持と、健康対策でボランティアの日程をぬってプールに通っている昨今です。

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墓参へ

2025年07月13日 09時32分38秒 | お出かけ

 今年の6月、7月は正に異常気象に見舞われ、夏日は言うに及ばず真夏日、猛暑日になる地点が数多になっています。7月だけを見ても気象庁のデータで、日最高気温が 35℃ 以上の日猛暑日が、本日現在で100箇所を超える日が既に7日を超えています。

 8月の旧盆の暑さと混雑を避け、早めの墓参とのことで、長男家族に誘われて10日、11日に長野、熊谷を巡ってきました。今年は、私も、細君も兄弟やその連れ合いが手術を行い、何とか見舞いも兼ねて会いに行きたいとの想いもあり長男の誘いに乗りました。
 細君は、この気象変化により、夏風邪をひき医師に診察して頂き、しぶしぶの許可がでて一緒に行くことができました。

     「ココラデに咲く 沙羅の花」

 当日は、朝一で長男に我が家迄迎えに来てもらい、一路長野を目指す予定でしたが、長男の仕事関連の打合せが急遽入り、打合せ会場の神田まで家族全員で車で向かい、打合せ終了までその周辺で待つことにしました。折からの猛暑日の下、ワンチャンを連れての旅でしたので時間を過ごすことの困難さはありましたが、お互いの連係プレーで凌ぐことが出来ました。一時間半ほどで打ち合わせも終わり、首都高速から関越道を経由し、佐久平インターを目ざしました。

 平日であり、物流が動く五十日(ごとうび)ではありましたが、大きな渋滞もなく関越道は比較的スムーズに佐久平インターへ向かうことが出来ました。ただ、途中で線状降水帯に遭遇し激しい雨と、落雷の中を駆け抜けざるを得ない状態となりました。長男の運転技術もあり、なんとか切り抜けることができました。

     「線状降水帯豪雨直前 関越道」

 最初の目的地、佐久平インターに午後2時ごろ到着しましたが、こちらでは雨も落雷もなく何とか晴れの状態でした。スーパーで、墓参用のお花や、御線香、お供え物等を購入してまず、実家の兄夫婦を訪ねました。兄夫婦は昨年相次いで手術を行いましたが、その後の経過は順調な様子で、元気な様子が伺え少しホッとした次第でした。ただ、基本的には老々介護の状態であり、自治体の介護支援はあるものの、すくなからぬ不安はあるとのことが、話の中で感じられました。なお、お墓の会場整備まで中々手が回らないと聞いていましたが、通路の草取りとは行ってあり、無事に墓参を行うことが出来ました。

 墓参後、当日の宿泊地である軽井沢に向かいましたが、途中、前にブログ友に紹介頂いたパンの美味しいお店「ココラデ御代田」によって、朝食用に好みのパンをそれぞれ購入し、この地域で人気の「ツルヤ 御代田店」でお酒や、飲料等を購入し、お寿司を時間指定でネットで注文しました。

     「滞在型ホテルの景観」

 宿泊先はドッグラン付きの、ワンちゃんも泊れる滞在型のホテルで3LDKの結構広い部屋でキッチンも充実していました。露天風呂付の大浴場もあり、お風呂で疲れをとった後、久しぶりに長男家族との乾杯の後、ささやかな宴をもちました。お寿司は結構美味しく、スーパーの総菜、サラダ等も結構な味で美味しく頂きました。滞在型のホテルは居住性も良く、居心地の良い部屋で周辺は白樺林に囲まれ景観が素晴らしく結構癒されました。細君は、こんな家に住みたいね~と孫たちと盛り上がっていましたが、体調をおして出かけてきた甲斐があったようでした。各部屋に分かれて就寝・・・。

 朝5時過ぎに目が覚め、既に起床していた細君とホテルの周辺を散策しました。宿泊者もワンちゃん連れで何人かが散歩しており、ワンちゃんを話題に和やかな会話も楽しめました。
アナベルや、柏葉紫陽花がちょうど咲き初めており、季節が関東と比べると少しゆったりとしていると感じました。やはり標高の高さ故か、少し肌寒く持参したブルゾンを羽織って凌ぎました。

 長男家族が起き出すまで、大浴場で朝ぶろに入ってゆったりと過ごしました。
朝食は、白樺の新緑を眺めながら昨日「ココラデ」で購入したクロワッサン、メロンパンなどを温め直して、別途求めた果物等とコーヒーを頂きました。
 チェックアウトは11時でゆっくりできますので、孫たちも一緒にワンちゃんとドックランで過ごしました。ワンちゃんも久しぶりに広場で、孫たちと思い切り走り、歩き回ることが出来、年齢の割には元気な様子を見せてくれました。ここは、ワンちゃんも一緒に泊れるホテルで、多くの宿泊客の方はワンちゃん連れでした。

     「ホテル付き ドックラン」

 チェックアウト後、細君のふる里熊谷に向かいましたが、先ず、細君のお姉さん宅に向かい、昨年ご主人が手術され、そのお見舞いも兼ねてお訪ねしました。病状を事前に伺い心配をしていましたが、お会いすると案外顔色も良く、訪ねたことを喜んで迎えてくれました。しばらく談笑し、ご主人ご自慢の骨董の掛け軸も見せて頂きました。

 その後、細君の実家のあった聖天院に向かいました。細君の実家はかつてこの境内で料亭を営んでいましたが、今はすで閉じられています。ただこの境内にあるかき氷屋さんが孫のフアンで、来るたびに楽しみに寄っていました。当日は気温が前日に比べかなり低くなっていましたが、その美味しさに惹かれ注文しました。かなりの大盛りの抹茶ミルク、抹茶小豆等のかき氷でしたが、私もご相伴にあずかり美味しく頂きました。

     「国宝 聖天山本殿」

 その後、細君の父母たちの眠る熊谷のお墓へ向かいました。相続人の細君の兄上が9年前に亡くなってから、元の菩提寺は「お墓終い」にしてこちらに移すことになりました。お線香等を手向けた後、細君の兄のお墓へ向かい、二か所の墓参を長男家族と共に済ませました。私達のみでなく、息子たちの家族も見守ってとの祈りを込めての墓参となりました。

 お墓参りも終え、一路東京・川崎を目ざしました。ウイークデーではありましたが、五十日であり、当然東京に向かう高速は渋滞が待ち受けていました。関越道から都内に入ってからも大変でやっと午後七時過ぎに息子宅へ着きました。息子は都内の運転は慣れているとのことで、ナビを駆使して結構空いている道を選び、この時間で着くことが出来ました。

 翌日息子は仕事があるとのことでしたが、家族を降ろして私達を横須賀まで送ってくれました。息子は全行程の運転で、疲れたでしょうが、それをおくびにも出さずに快活にやり切ってくれ感謝!!でした。懸案であった、墓参とお見舞いが出来、それを笑顔で支えてくれた息子家族に感謝した二日間でした。

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「合唱コンクール」へ

2025年07月06日 10時14分20秒 | お出かけ

 過日、地域で関わっている公立中学校の合唱コンクールがあり、招待を受け出席してきました。会場は市の文化会館大ホールで11時から午後3時まで、途中昼食休憩をはさみ4時間にわたって行われました。
 当市のマンモス校でもあり全生徒が一堂に集まると1000席を超えるホールも、保護者全員は一度に入れず、学年ごとの入れ替え制となりました。私は午後に他の、ボランテイァ関連の先約の行事予定もありましたので前半の一年生と、二年生の計12クラス分の合唱を聴かせて頂きました。

     「咲き初める ハマボウ」

 今までの合唱コンクールは、体育館を用いて行ってきましたので、音響面で諸々苦労して来ましたが、今回はコンサート仕様で造られたホールでしたので、ハーモニーもさびの部分の表現もよく、施設の良さもあり素晴らしい合唱を堪能することができました。

 コンクールの司会をはじめ、それぞれのクラスごとの曲の説明、伴奏、指揮も中学生が担当し、気おくれすることなく堂々と行っている姿には目を見張るものがありました。
特に一年生は、入学後3か月の期間の中で、曲を決め、ソプラノ、テノール等々のパート分担を決め、何よりもピアノ演奏とのすり合わせを、短時間で行い発表までこぎつけた努力を讃えたいと思います。しかも、かなりの水準の合唱となっていたことは、その練習に費やした濃密な日々があったことが想像できました。


      「咲き初める コオニユリ」

 生徒たちの合唱はいずれもハーモニーの響き、仕上がりの良さも感じられ、感動させられるものばかりでしたが、特に、二年生の合唱「時の旅人」に触れてみたいと思います。
生徒の曲の説明で「結果がどうであり、頑張ってきた時間がいつしか人生の財産になるんだと言うことを伝えている」のメッセージがありました。初々しさも感じられる説明でもありましたが、曲に対する理解の程が感じられる確信を持った説明に説得力もあり、感動を誘われるものがありました。
橋本祥路氏の作曲、深田じゅんこ氏作詞のこの曲は
「涙のあとにはいつも君がそばにいて
 生きる喜び 教えてくれた」
との詞は、中学生たちの胸に刺さる言葉と感じました。
そして、曲説明にもありましたが、それぞれのパートの主役を何人かで演じられる配慮もあり、仲間への心配りも感じられる合唱でした。わずか4週間ばかりの短期間の練習と伺いましたが、作り上げる過程で払われた生徒たちの努力と葛藤、それゆえの成長の跡も滲む仕上がりに、自然に涙する感動を味わいました。

     「咲き盛る ノウゼンカズラ」

 私も、行事の掛け持ちで臨んだイベントでしたが、中学生たちの懸命な取り組みと、合唱に掛ける生徒たちの真摯な取り組み、その結果の完成度に少なからぬ感動を覚えました。もちろん、生徒たちの自主性を尊重しつつも、校長先生、教頭先生を始め教職員の皆さんの細やかな心配りと、支援が随所に感じられました。
 地域の青少年たちの着実な成長を目の当たりにして改めて、この子たちのためにも私達大人も、それぞれの場所で頑張らねばとの想いを新たにしました。

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「はてなblog」への完全移行

2025年06月25日 11時42分01秒 | 日々の歩み

「四季の彩り」ブログは
 先にご報告させて頂きましたが、
 「はてなブログ」に6月末日をもって完全移行致します。


     「薔薇 ピース」

「はてなブログ」の引っ越し先は以下の通りです。
お立ち寄り頂ければ幸いです。
 四季の彩り

約15年余にわたってGooBlog様には大変お世話になりました。
このblogを通してネット上ではありますが、多くの皆様方と
知り合うことができ、多大な学びを得て参りました。

また、「水曜サロン」と言う「ネット短歌会」を主催させて頂き、
結社を越えて短歌を学び合う広場にて、交流させて頂くことが
出来ました。
ささやかではありますが、短歌交流と学びの新たな可能性を
広げることが出来たと感じています。

このblogにお立ちより頂き、ご意見、アドバイス、さらに数々の
優れた詠歌を出詠して頂いた皆様に、心からの御礼と感謝を
申し上げます。

なお、GooBlogでの更新、新規投稿は控えますが、掲載は10月1日まで
継続させて頂きます。

これからも新たなblogで末永いお付き合いを継続して頂ければ幸いです。
改めて、よろしくお願い致します。

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命の海へ

2025年06月15日 14時54分27秒 | 短歌

 暗く重い雨雲の下で、小さな花が肩を寄せ合うように咲き、紫の大輪となり輝きすら放つ紫陽花。紫陽花は「花びら」に見える部分は萼が変化した「装飾花」で、紫陽花の「本当の花」は装飾花の奥の中心にある、小さく目立たない部分とのことです。
 風に吹かれ、雨に叩かれてもなお冴え冴えと咲く紫陽花は、その装飾花を含めて、散ることを拒み陽に朽ちることで自身の生を全うする花でもあります。


     「空と青さを競う 紫陽花」

 遠い、古事記の世界から、戦国を経て、相次ぐ大戦を、さらにウクライナ、ガザ、イランへと続く戦禍の中、どんな悲しみの極みにあっても、なお幼児を抱き強いられた「もうひとつの戦場」を戦い抜いてきた戦禍の下の女性たち。

 その力の源に、紫陽花のもつ執念にも似た健気な力強さを重ねてみました。紫陽花が変化(へんげ)の過程で紡ぐ詩は、生命の豊穣さへの命をかけた希求であり、限りない賛歌でもあると改めて感じます。そんな想いを込めて一首短歌を紡いでみました。
 ☆紫陽花は空と青さを競いつつ 蒼さ極まるいのちの海へ

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紫陽花の新種「汐音」

2025年06月06日 18時18分57秒 | お出かけ

 水無月になり紫陽花の花だよりが方々から届きますが、植栽のボランティアをやっている友人から、観音崎の新種紫陽花「汐音(しおん)」が見ごろとの連絡がありました。梅雨前の晴れ間の過日、細君共々観音崎の花の広場を訪れてみました。


     「新種紫陽花 汐音」

 この広場は前にも触れましたが、春の河津桜に始まって、陽光桜、染井吉野、ポピー、チューリップ、紫陽花、山百合、コスモス、山茶花、椿等々四季折々の花が、公園職員の方、さらにボランティアの方もむ加わり熱心に植栽も行われ、維持されています。


     「観音崎 花の広場入口」

 紫陽花の新種「汐音」もこの公園の方々によって2017年7月に作出されたものと伺っています。この命名に携わった方は「潮の音を聞きながら育つアジサイなのでぴったり。字も響きも素敵」と語ったとのことです。この公園には約1万株の紫陽花が植えられており、これからが見ごろと公園の方は語っていました。


     「観音崎 灯台」

 私たちは比較的なだらかな、いつものコースから丘陵の頂にある花の広場まで行きましたが、紫陽花の開花期と言うこともあり、ウイークデーにも関わらず結構な人出でした。もっぱら新種「汐音」の花のデジイチスケッチを行い、5,000歩ほど広場の散策も行いました。


     「東京湾を行きかう 船・ヨット」

 青空を背景に観音崎灯台も白亜の姿を見せ、新緑とのコラボが一段と素敵に見えました。また、梅雨時のもやで霞む房総半島とを隔てる東京湾にはタンカー、釣り船を始め多くの船が行き来し、シップウオッチングにも適した場所と改めて感じました。

新種紫陽花「汐音」に寄せて即興で詠ってみました。
☆汐音との 紫陽花青を極めいる 潮の音聞いて 藍を超えゆく

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「はてなblog」への移動

2025年05月29日 13時18分08秒 | blog移動

「四季の彩り」ブログは
  「はてなブログ」に6月4日付けをもって、引っ越すことと致しました。

省みますと、2010年2月25日「沈丁花 仄かな匂い」との記事を掲載して
以来、約15年余にわたってGooBlog様には大変お世話になりました。
このblogを通してネット上ではありますが、多くの方と知り合うことが
でき、多大な学びを得て参りました。


     「薔薇 マダム・サチ」

また、「水曜サロン」と言う「ネット短歌会」を主催させて頂き、今週
まで、183回に渡って、結社を越えて短歌を学び合う広場にて、交流
させて頂くことが出来ました。
ささやかではありますが、短歌交流と学びの新たな可能性を広げることが
出来たと感じています。

このblogにお立ちより頂き、ご意見、アドバイス、さらに数々の優れた
詠歌を出詠して頂いた皆様に、心からの御礼と感謝を申し上げます。

「はてなブログ」の引っ越し先は以下の通りです。お立ち寄り頂ければ
幸いです。
      四季の彩り

これからも末永いお付き合いを継続して頂ければ幸いです。
改めて、よろしくお願い致します。

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