第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その175) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致して
いますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
☆☆☆ 今回ブログの字数制限を超えた為「詞書」等を一部編集させて頂きました。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。

「咲き満ちる 大島桜」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【短歌説明】浅間山明鏡止水さんご自身の説明です。
「光る君へ」は昨年12月15日を持って終了致しました。昨年1年間
源氏物語贈答歌の返歌をやって来ましたが、どうにか24帖まで来ました。
旬を過ぎて行くテーマに続けるかどうか悩みましたが最後の帖まで
続けようと思いました。何卒よろしくお願いします
「29.胡蝶(こちょう)」
三月、春たけなわの続く春の御殿で源氏は船楽を催した。折しも
秋好中宮が里に下がっていたので、中宮に仕える女房達も見物し
盛大な宴となった。源氏の弟、蛍の宮をはじめ、参列した男たちは
玉鬘の存在に気もそぞろだった。玉鬘は洗練の度を増し、多くの
文が届けられる。源氏はすべての文を読み玉鬘に対応を指示するが、
自身も恋心を募らせていく。玉鬘は源氏を信頼する様子だが、
紫の上はその本心を察し不安を感じる。源氏は親代わりの身と
内省しながら、雨の夜、玉鬘に告白する。突然のことに玉鬘は
困惑する。
〇橘の 薫りし袖に よそふれば 変はれる身とも 思ほえぬかな 光源氏
註)懐かしい母君(夕顔)とあなたを比べてみるととても別人とは
思われません
〇袖の香を よそふるからに 橘の 身さへはかなく なりもこそすれ 玉鬘
註)懐かしい母君と似ていると思われますと私の身までが母と同じように
短命になってしまうかも知れません
(返歌)
☆恋しくて 耐えがたい思い 密やかに 手を握るのも 感慨深く 光源氏
☆現実に あり得ないこと 悲しくて 大層辛く 涙こぼれる 玉鬘
浅間山明鏡止水さん
【解説】
「源氏物語」の「胡蝶」の巻は、若紫や桐壺と同じく物語全体の中心的な
舞台であり、平安時代の宮廷生活や人間模様を描いた重要な巻です。
ここでは、春の風情が漂う宴や儀式が描かれ、その中で登場人物たちの
想いや立場が微妙に交錯します。
玉鬘は成人し、美しい貴婦人として宮廷に登場する場面が描かれ、養父で
ある光源氏から愛情深く庇護され、その美貌が宮廷内外で注目されます。
特に光源氏が企画する宴や花見では、玉鬘がその中心となり、周囲の人々を
魅了する姿が強調され、本格的な宮廷デビューを果たす舞台となりました。
また、「胡蝶」では、華やかさの中に儚さが潜む複雑な想いや美意識を
巧みに織り込んでおり、物語全体のテーマを深化させている巻と考えます。
このような背景を踏まえ、光源氏、玉鬘の歌と、作者の返歌を鑑賞させて
いただきました。なお、光源氏はこの歌を詠みつつ、玉鬘の手を握って
養父らしからぬ行為をしますが、玉鬘は困ったと思いつつうつ伏して
「短命になってしまう」と、せめてもの想いを返歌に込めています。
作者の返歌は、それぞれの想いを代弁して詠まれ、納得感のある歌に
なっていると考えます。なお、玉鬘の想いを少し深堀して詠んでみました。
【ご参考】
★懐かしき母のおもかげ宿すとも 吾はわれなり 養父(ちち)は父なれ
【詞書】春の季語である「霞立つ」「風光る」「陽炎」を用いて、
乗り物シリーズ、船、車、飛行機と三首、詠んでみました。
☆むらさきに瀬戸の島々 霞立ち さざ波白く船腹に寄る
☆風光る湾岸線を華麗なる 君のハンドルさばきに酔へり
☆機首を上げ はるか機体は陽炎ひて 心で君にさよならを告ぐ
みっちっちさん
【解説】
俳句で用いる春の季語を詠みこんで、三首の歌を詩情豊かに詠んで
頂きました。
一首目の歌の繊細で情緒に溢れた表現に、感銘を受けました。
この歌では、「むらさき」「霞立ち」「さざ波白く」といった情景の
描写が的確で、視覚的なイメージが鮮烈に伝わってきます。瀬戸内の
島々の静かな佇まいや、船がさざ波を切って進む様子が描かれ、その
情景が鮮明に浮かび、作者の感性に直に触れる想いが致します。
特に「むらさきに瀬戸の島々」の表現は、色彩表現が秀逸で、心が
柔らかく包まれるような感覚になります。また、「霞立ち」や、
「さざ波白く」というフレーズは、動きや穏やかさも表現され、静寂さと
動的な要素のバランスのとり方が巧みです。
二首目の歌、「華麗なる 君のハンドルさばき」を見抜く、作者の慧眼も
中々なものと考えます。こんなシチュエーションの中でドライブして
みたいとの想いにさせる歌です。
三首目の歌は、上の句で飛行機が上昇し、さらに機体が陽炎の中に消え
去っていく情景が、時間の流れとともに繊細に描写されています。
下の句の「心で君にさよならを告ぐ」の表現は、この歌の余情性をさらに
深めています。なお、ここでは物理的な別れと、心の中での別れの両方が
込められており、切なさと哀愁も感じられます。また、どこか儚さを含み
つつも、想いの深さが伝わる一首だと思います。
【詞書】ドジャースの佐々木選手を詠ませて頂きました。
☆ドジャースの佐々木 2回で降板に 浮かぶる涙滲む悔しさ
【詞書】NHKの放送100年目を詠ませて頂きました。
☆NHK今年で放送100年目 これ程テレビが薄くなるとは
【詞書】開花した桜を詠ませて頂きました。
☆寒戻り 川辺の桜北風に吹かれ 早々 花筏なる
西BOOさん
【解説】
今回は「ドジャース佐々木選手」「NHK放送100年目」「花筏」を
テーマに、時事を交えて三首の歌を詠んで頂きました。
一首目の歌、今季ドジャースに新加入した佐々木朗希投手は、ここまで
苦しい投球が続いていますが、チームにマイナー降格を要求する声も
高まっていると言われています。制球力の乱れにより苦しんでいる
状況ですが、詠われているように「2回で降板」はさぞかし悔しかったと
思います。なお、下の句ですが「浮かぶ涙に滲む悔しさ」等はいかが
でしょうか。
二首目の歌、2025年3月22日に日本のラジオ放送の開始から100年を
迎えましたが、当初のテレビはブラウン管で14インチテレビで奥行きは
約30~45センチ程度とかなりの厚さでした。詠まれているように
「これ程テレビが薄く」なり、今の液晶テレビと比べると隔世の感が
ありますね。このテレビ技術の発展には、日本の技術者たちの苦闘とも
言える苦労と、存在感をかけた貢献があります。
三首目の歌、今年の桜は開花してから満開になる日にちが平年に比べ
短いと言われました。しかし、開花してから寒い日が続いたことにより
少し長持ちしている感もあります。なお、詠まれているように北風に
吹かれ既に散る花もあり「花筏」となって川を埋める景観も見られます。
開花を待たれた桜が、咲き満ちて散っていき、さらに花筏となって
川を埋めながら下る様は、私達日本人の美意識をかき立てますね。
こんな景観をゆったりと眺め、心から楽しみたいものですね。そんな
想いが誘われる歌でもあります。
【詞書】ぎっくり腰の痛みの取れる間、万華鏡で遊びました。今回は
ひとしきり、さながらに おのずからを意識的に使ってみました。
☆万華鏡のとりこになりて ひとしきり 影なき妖しの夢に遊びぬ
☆さながらに白鳥飛び立つ大空へ 回転しながら消えてしまうも
☆煌めきの星の真砂もおのずから 蟻地獄へと落ちてゆくなり
夕庵さん
【解説】
万華鏡の作り出す不可思議で、魅惑的な世界を三首にわたって詠んで
頂きました。
一首目の歌、「万華鏡のとりこ」や「影なき妖しの夢」という表現が、
非現実的な世界へと誘います。万華鏡は色とりどりの美しい変化を
象徴的に示すものですが、それが「とりこ」となるほど魅力的で、目を
奪われる様子がうかがえます。そして「影なき妖しの夢」は、さらに
不思議さを深め、形のない儚さや幻影を表現しているように思います。
また、万華鏡の作る非現実の世界に「ひとしきり」心を遊ばせている
様子が伝わってきます。この歌の表現は緻密で、余情性を深めています。
二首目の歌、これは万華鏡が作り出す絶えず変化する美しさと、虚像ゆえの
瞬間の儚さとを詩情豊かに表現していると感じました。
上の句では、万華鏡の中で模様が形成される動きを白鳥が飛び立つ様子に
例えており、優雅さと壮大さが巧みに表現されています。また、下の句は
万華鏡の模様が回転し、次の瞬間には消え去る特性を絶妙に描写して
います。この消失は、美しさの刹那性を強調し、万華鏡の持つ幻想的な
特質を物語っています。この歌は、動きと消失という対照的なテーマを
通じて、万華鏡の美しさを詩的に捉えたところが優れています。
三首目の歌は、作者の観察力と、想いに哲学的な深みが感じられます。
上の句では、万華鏡の幻想的で多彩な世界を巧みに描写し、星砂の煌めきは
一瞬の美しさを象徴しています。それが「おのずから…」で下の句へと
続くことで、華やかさの背後にある運命的な移ろいを暗示しているように
読み取れます。「万華鏡」という一見無害な象徴が「蟻地獄」へと繋がる
ことで、視覚の美しさだけでなく、その内面に潜む脆さや儚さを反映して
いると感じられます。さらに、この歌は感覚的な美しさを超え、人生の
本質や運命の変転をも言及しているようにも感じられます。

「咲き満る桜 染井吉野」
【詞書】YouTube短歌:変革 チャイコフスキー バイオリン協奏曲を
聴きながら
☆私は今変わりつつある
時代を超えたい
壁を超え今日
明日
【詞書】赤毛のアン
☆シャーリーは野が好き
花が好き
鳥が鳴くのが好き
海が輝くのも
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
一首目は、チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35を
聴きながら作りました。子供の頃の昔から聞いて居る好きな曲って、
短歌にしづらいと思ってます。最初に買ったクラッシック曲ですが、
コーヒーのコマーシャルで覚えただけでしたが。
今でも、このバイオリン協奏曲を聴くと、流れる余情を感じます。
バイオリンのままに、自身の壁を越えたいと。
チャイコフスキーは巨匠なので当たり前だが、バイオリンと
オーケストラのバランス、人の心に訴えかける物、とても愚詠では
表現が足りないと思います。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/d6b4d9b28979dde38d870a9f1fd8c650
二首目は、赤毛のアンのアニメ「アン・シャーリー」が、NHK教育で
放映していたのを偶然観ました。
孤児のアンが、孤児院からプリンス・エドワード島のマシュウと
マリラのカスバート兄妹に引き取られるシーンでした。
赤毛のアンが、沢山の読者に愛されたのも、納得しました。
もちろん読んだ事は無かったです。
詳細は、拙blogにリンクを貼っておりますので、お好きな方は、
ご覧になっては。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/4b635f8797c2d50aa6579619a21ddc6f
自閑さん
【解説】
一首目の歌は、作者の短歌説明にもありますように、チャイコフスキーの
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35を聴きながら詠まれたとのことです。
私も改めて当該曲を拝聴させて頂きましたが、この歌は、チャイコフスキーの
ヴァイオリン協奏曲が持つ力強さ、情熱、そして未来への希望といった要素を
捉え、作者自身の内面の変化とを重ね合わせていると感じました。
上の句の「私は今変わりつつある」は、協奏曲の冒頭の力強いオーケストラの
響きや、ヴァイオリンが奏でる情熱的な旋律に触発され、自身の内面に湧き
上がる変化を率直に表現されています。「今」という瞬間に焦点を当てる
ことで、その変化の鮮やかさが伝わってきます。
下の句の「壁を超え今日」では、人生における様々な困難や障壁を「壁」と
捉え、それを乗り越えて「今日」という現実を生きている、あるいは生きようと
する強い意志が表れています。なお、協奏曲の技巧的なパッセージ(楽節)を
克服していく独奏ヴァイオリン奏者の姿と重なるようです。
また、「明日」との言葉は、「今日」を超えた先にある「明日」への希望が
示されていると解釈させて頂きました。過去や現在にとらわれず、未来に
向かって進んでいこうとする作者の前向きな姿勢が感じられ、協奏曲の
フィナーレが持つような、明るく力強い未来への予感と呼応しているとの
印象を持ちました。
二首目の歌、アン・シャーリーは、カナダの作家モンゴメリの小説
「赤毛のアン」の主人公ですね。彼女の豊かな想像力と溢れる情熱が、引き
取ってくれた、カスバート兄妹を次第に魅了し、村の人々と関わりながら
新しい家庭と社会に馴染んでいく成長と冒険の物語です。
詠われているように「野が好き花が好き 鳥が鳴くのが好き海が輝くのも」と、
アン・シャーリーの夢見る力や、生きる喜びを具体的な事象をあげ、しかも
リズミカルに表現したところが秀逸と思います。特に「海が輝くのも」の
結句が余韻を深めています。
【詞書】春爛漫〜今、主人の実家におります。裏の桜並木が満開を迎えていて〜
季節を忘れず咲いてくれる桜の花が…義母を亡くした今年は特に愛おしく
思えています。🌸の蕾の頃から詠んでみました。
☆花蕾 弾けて咲くか 青空に
雪降る日から やがて三月(みつき)に。
☆花冷えの 曇り空にも 1つずつ
蕾はひらく 桜並木に
☆満開の 桜並木を 朝さんぽ
花弁はらり クロの背中に
クロママさん
【解説】
蕾から花開き、満開に至る桜を三首の歌に詠んで頂きました。
一首目の歌は、時の流れを上手く詠みこみ「弾けて咲くか」に結び
つけた表現が巧みです。
二首目の歌、上の句の「花冷えの曇り空」に象徴される季節感は、日本
ならではの春の肌寒い情景を鮮明に浮かび上がらせ、その中で
「蕾はひらく」という描写が、生命の力強さや未来への希望を感じ
させます。なお、「曇り空」という不安定さや寂寥感と、「蕾がひらく」
という生き生きとした変化が対比となっており、絶妙なバランスで詩的な
感動を生み出しています。
三首目は、クロちゃんとの朝散歩の長閑な雰囲気と、楽しさの溢れる
良く分かる歌になっていますが、「花弁はらり」の字足らずが少し気に
なります。「花弁はらりと」、あるいは「花弁ひらひら」等を検討して
みましょうか。
【詞書】イスラエル軍は、「“不審な車両”狙った」みたいな事を言って
いたのが、攻撃を受けて亡くなった救急隊員の携帯からの映像に
あった、赤色灯もライトも点灯していた様子が公開されると、
「ミスだった」と、説明を変えたそうです。パレスチナ自治区では
医療従事者の犠牲者もかなり居るそうです。
イスラム世界の“赤い三日月”は赤新月社…“赤い十字”の赤十字社と
同じく、医療に関わる印です。例え戦場であってもそれらを攻撃する
ことは人道にもとる行為です。言い訳なんてもう聞きたくないです。
一刻も早く停戦を話し合いをそして終戦を!そして、パレスチナ
自治区で亡くなられた方々に哀悼の意を表します…。
☆人命を救いに走りしガザの街
銃撃されし“赤い三日月”
【詞書】…「世界の皆さんごめんなさい」と書かれたプラカードを掲げた人も
いたそうです。アメリカはワシントン、ボストン、シカゴ、ニューヨーク、
ロスアンゼルス…等々で数十万人規模、他ロンドン、パリ、ベルリンなどでも
トランプ米大統領に抗議する人々の大規模なデモが起こっているそうです。
アメリカから全世界への関税など、何しとんねん!とハッキリした
意思表示です。アメリカ人みんながみんなトランプ大統領に賛同して
いるわけではない。…だそうで。このままだと、自分たちも大変なことに
なるってやっと判った人も居るって事?…まあ、いわゆるガチの
自由”と“民主主義”の火はまだ消えていませんね。やはりアメリカ!
☆トランプに「NO!」と言いたい人々が
その意志示す世界各地で
【詞書】“山笑う”は俳句では春の季語です。
4/5(土),4/6(日)に宇治川の中の島(塔の島、橘島)で“さくらまつり”
がありました。まあ、だいたい、ほぼほぼ咲きそろったかな~という
感じでした。久々にちゃんと露店も開いてる時分に行けて、ちょっと
気分も↑↑上々。桜をスマホでカシャカシャ♪
ただでさえ人(観光客)が多い昨今ですが、やはり人が多いぜっ!!桜
の魔力のワンダーランドに皆様どっぷりでございますぅ!!宇治植物園
からのブースで、母にお土産のつもりで小さいネメシアの鉢を買いました。
久しぶりに“聖地・久美子ベンチ”で聖地巡礼に来ていた見ず知らずの
「響け!ユーフォニアム」のファンの人とちょっと話もしたり…。ちなみに
「ユーフォ」は来年の劇場版の公開が決定しました。5日、土曜日に
商店街に行ったら、スーパーの向かいの路地にある店舗の横の利休梅も
満開でした。(わぁいテンション上がるよな~)
☆宇治川の“さくらまつり”は賑わいて
人々見下ろし山笑いをり
ちがやねこさん
【解説】
「赤い三日月」『トランプに「NO!」』「宇治川の“さくらまつり”」を
テーマに、三首の歌を時事詠を含めて詠んで頂きました。
なお、「時事詠」については先にコメントせて頂きましたが、今の時代、
時々刻々情勢が変わりますので、その本質をとらえて詠みきることの
難しさは確かに存在します。しかし、詩人としての感性を研ぎすませ、
事象の本質に切り込み「詠む」挑戦も必要と感じます。世の流れの予兆を
洞察し、詩人の感性と危機感をもって、その本質を見抜いていく感性。
それをもって「直観は誤らない」の言葉を信じて、歌として結実させる、
そんな挑戦をしていけたらと思っています。かつて戦時下で、自ら詠む
一首の歌に命すらかけた詩人たちの存在を今想い起しています。
一首目の歌、“赤い三日月”の車を狙い撃ちするイスラエル軍の在り方は
詠まれているように、戦場下であれ「人道にもとる行為」として糾弾される
行為と考えます。この種の歌は「告発」として大いに詠まれるべき時事詠と
考えます。この惨禍のもと、故なく命を奪われた多くの御霊に、哀悼の誠を
捧げたいと思います。
二首目の歌、自らを「王」としてアメリカに君臨し暴走する、かの大統領に
詠まれているように「NO!」と「意志示」し、うねりにしていくことは、
今必要と感じます。世界恐慌にも匹敵する世界的な経済破壊を許さないため
にも…。それによって最も苦しむのは私達庶民です。
三首目の歌、作者の詞書にもありますが、「山笑う」は俳句では春の季語
ですね。草木が芽吹き、花が咲き鳥のさえずる春の山を擬人化して「山笑ふ」
と言っています。この句を用いて「人々見下ろし山笑いをり」と歌をまとめた
手並みは鮮やかです。桜や利休梅の咲く様を見てテンションを上げ、さらに、
それらを味わうゆとりを持ちたいですね。
なお、『「ユーフォ」は来年の劇場版の公開が決定』されたとのこと。フアンに
とっては嬉しい知らせですね。
☆ぼんぼりを映し咲き満つ桜花 妖しきまでの 憂い秘めもつ
ポエット・M
【解説】
市内では桜の名所と言われる公園。桜の開花に合わせてぼんぼりが灯され
夜桜が楽しめるようになっています。過日、満開に近い桜の花見に行って
参りました。「ぼんぼり」の灯りの揺らめきと、咲き満ちる桜が呼応する
かのように微かに揺れる様は、幻想的な雰囲気を醸し出していました。
その桜は、咲き誇る奢りに遠いどこか憂いを帯びているかに感じてしまい
ました。咲き満ちる刹那、すでに花びらを散らす儚い定めを桜木が悟って
いると感じるのは人の思い上りでしょうね。そんな想いを詠ってみました。
「一握の砂」石川啄木 鑑賞(13)
本件、字数制限のため次週へ掲載させて頂きます。
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
今回は該当事項が無いため割愛させて頂きます。
【運営にあたって】
(1)投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
以下の項目は字数制限により次週に掲載させて頂きます。
了