なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災55 松林寺大般若

2011年06月12日 09時15分04秒 | 東日本大震災

昨日は、ななさんのタオル配布ツアーの最終日として松林寺大般若会においでいただきました。

先住の三回忌、大般若、護持会総会と全ての日程が終了後、ななさんにご登場いただき、お話と歌を歌っていただきました。

準備した音響の設備が万全でなく、ななさんにはご迷惑をおかけしましたが、10月の集中講座の予告には十分でした。

6日から11日までの6日間、ものすごくハードな日程でしたが、被災の現場で、被災者の心に寄り添うタオル配布ができたと思います。

全国各地でご支援をいただきました皆様ありがとうございました。

タオルの発送が遅れているところも、間もなくお届けいたします。

今後ともご支援の輪を広げていきたいと思います。

「makenai_mixs4ht_02.mp3」をダウンロード

新しいチラシできました。

「doc_5.pdf」をダウンロード

 


大震災54 大変好評でした

2011年06月10日 05時16分42秒 | 東日本大震災

6日からのまけないタオル配布ツアー、昨日戻ってきました。

6日は、テーマソング作詞者の早坂さんと懇談、歌詞ににかけた思いを聞きました。

7日は、石巻市で、法山寺幼稚園と洞源院さん。

8日は、気仙沼市で、少林寺保育園、小泉中学校、仙翁寺、清涼院さんと4カ所でのタオル配布とミニライブでした。

9日は、私は釜石に用事で別れましたが、ななさんは、栗原市で3カ所、10日は山元町、亘理町、仙台市とハードなスケジュールが続きます。

どの会場も、まけないタオルは好評で、笑顔と一緒に受け取っていただけました。

そして、ななさんがテーマソングを歌うと、皆さんの表情が真剣になり、涙を流してくださいます。

それほど、震災の傷跡が大きく、歌がまっすぐ心に響くのだと思いました。

少林寺保育園の園長先生が「ななさんの歌声は、傷口をふさぐ傷絆創膏のようね」とおっしゃいました。本当にそのようだと感心しました。

歌の力はすごいですね。3分で感動をよぶことができます。

新聞やテレビの取材も受けました。

そのときに、こう言いました。

「我々が主役になるような取材は困ります。主役はあくまでも自らの力で立ち上がる被災者の皆さん自身です。その自立を少しでもお手伝いしたいと願っているだけです。そこを理解して取材してください」

たかだかタオルですが、支援者皆さんの強い思いが強いメッセージとして確実に伝わっていると実感しています。

いただいたコメントを紹介します。

娘が幼稚園から帰るなり『今日、幼稚園にうたのおねえさんがきて一緒に歌って、この「まけないタオル」もらったんだぁ~』と嬉しそうに見せてくれました。

私たち一家は震災直後、幼稚園に避難し3日間お世話になりました。地震の後のろうそくの灯りだけを頼りに余震に怯え眠れない夜を過ごしたあのホールで今日、ななせさんの歌を聞きながらあの日のことを思い出し、涙しました。

やなせさんの歌声は不思議と、もう大丈夫だよ!と優しく包み込んでくれるような安心感がありました。

「まけないタオル」は我が家の宝物になりました。大事に大事に飾りました。(なおママさん)

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大震災53 タオル配布ツアー

2011年06月05日 20時15分38秒 | 東日本大震災

明日からやなせななさんと、タオル配布のツアーです。

明日6日は、宮城県山元町、テーマソング「まけないタオル」の作詞者早坂文明さんの寺にお邪魔してご挨拶。亘理町で仮設住宅支援をしている高音寺さんは、タオル1500枚を配布していただいています。ご一緒いただくつもりです。

7日は、石巻で2カ所の予定。夜は洞源院さんで配布とライブ。

8日は、気仙沼本吉地区。避難所2カ所と清涼院さんで配布と夜のライブ。

9日は、南三陸町から二次避難している栗原市の避難所2カ所で配布とライブ。

私はこの日釜石に寄ってから松林寺に帰り、10日はSVAの理事会で東京です。

ななさんは、10日山元町と白石でライブがあります。

そして、11日、松林寺大般若へ来ていただきお話とライブをお願いしています。

ということで、しばらくブログの更新はできないと思いますので、(スマホからできるのでしょうが)ご了承ください。


大震災52 ボランティア講話

2011年06月03日 21時47分28秒 | 東日本大震災

昨日は、最上高校の「ボランティア講話」という授業で話をさせていただきました。

ボランティアの語源は火山であり、止むに止まれぬ思いから発した自発性、自主性を言うのだ、ただ働きのことでもなければ、誰かから言われてやることでもない、だから、自ら手を上げて、一歩を踏み出さないと始まらない、というような話をしました。

それ以外でも、震災の関係でいろいろなところからお声がけをいただき、話をする機会を頂戴しています。

小学校の校長をしている同級生から電話があって、「ブログをみてるよ」などと意外な発見もあります。

せっかくの機会なので、日程が空いていれば全てお受けしています。今伝えるべきことを伝えていくのも、支援の継続のために必要なことと考えています。


大震災51 炊き出しの後に

2011年06月01日 18時51分38秒 | 東日本大震災

昨日は岩手県のお寺さんで護持会総会の講演としてお話をさせていただき、気仙沼の清涼院さんに寄って泊めてもらい、今日は石巻の炊き出しに合流しました。

河北町婦人会の有志と環境を考える会の有志という構成の炊き出しでした。

場所は、友好都市になる旧河北町の飯野川中学校でした。

体育館で避難生活を送っている120名あまりと、中学校の生徒の給食ということで都合約300食を提供しました。メニューは酢豚とサラダ。珍しいメニューだったせいか大変好評で、喜んでもらえました。

20110601_113610 この中学校には、学校が被災した大川中学校が間借りをしていて、それぞれのクラスで学んでいます。

給食の時間になり、クラスごとに受け取りに来たのですが、大川中学校のクラスは、2年3年生が15~20名なのに、1年生はたった4名でした。

小学6年生で多くの同級生が亡くなってしまった結果なのでしょう。4名の心を思うと胸が痛くなりました。それでもあなた達は生きていくのです!

体育館の方で「まけない!タオル」を配らせていただきました。

昼食後で皆さん横になられて、最初ほとんど姿が見えなかったのですが、説明をして話をしていくと、だんだん興味が湧いてきたのか、ひとり、また一人と顔を上げ、テーマソングを流すと立ち上がって体を動かす人もありました。

「まけない」意味を話すと、クスッと笑ってくれ、喜んでくれました。ユーモアは必要です。

「枕の上にかけて休んで、明日の朝元気に目覚めていただきたい」と提案すると、大きく頷いてくれました。

直接避難所での配布は今回が初めてでしたが、「やっぱり喜んでくれる」と確信を得ました。