なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ468 なんだか寒い

2024年05月19日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第468回。令和6年5月19日、日曜日

 

五月寒というのか、田植えの時期は田んぼに水を張るせいか気温が下がります。

水鏡のような田んぼに逆さ富士ならぬ、家並や木々が映り、それはそれできれいです。

先週あたりから田植えが始まっています。酒米の田植えも昨日無事に終えました。

水面に小さな苗が震えるようにひとり立ちしています。仲間とバラバラになり心細そうにも見えます。

大きくなるんだよ。

寒い日も暑い日も風の強い日もあるかもしれないけど、しっかり根を張って子孫を増やしてね。

やはり当地の農業は稲作が基本だと思うのですが、米作りには数々の農機具が必要で、その購入費用が農家の経営を圧迫し、買い替え時期をもって稲作を止める農家が続出しています。

稲作の機械化は、結局農機具メーカーのためのものであり、農家の農家離れを促進してしまったのではないかと思ったりします。

換金作物の多様性も必要かと思いますが、基本の稲作が敬遠されることは果たしてそれでいいのかと疑問を感じたりしています。

稲作農家は規模を拡大し、農機具に見合う面積を確保しなければならないということなのでしょう。

和尚はただぶらぶらと肩身を狭くして散歩をしながら、愚にもつかない思いを巡らしているのです。

 

もう一度集中講座の告知です。

6月2日(日)午後1時30分開講。

毎回だいたいの来場者は200名弱になりますが、何とか全員座ってもらっています。

篠笛の田村優子さんの演奏を生で聞くのは初めてです。

彼女を紹介してくれたのは大学時代のサークルの後輩で、新潟の加茂で寺の住職をしている飛田正玄君、彼もギターでサポートしてくれます。

どんな音色でどんな演奏を聴かせてくれるのか楽しみです。

遊花師匠は2回目ですが、前回はまくらでうけにうけて、なかなか本題のネタに入れないという口演でした。

同じ東北の日常のあるあるネタは、同じ経験をしている人が多いと見えて、腹を抱えて爆笑の渦でした。

東北弁落語の本領爆弾が炸裂でしたね。

今回はどんなネタで笑わせてくれるでしょうか。こちらも楽しみです。

私の講話「行雲流水その2」は父親の話をまとめて語ってみようかと思っています。

あれほど嫌っていた父親の印象が、亡くなってからじわじわと変化してきています。

父の人生を物語としてみたその心情を思うと、愛おしく感じられるようになりました。

どこまで話せるか。時間が足りなければ来年へつづくとしましょう。

連絡をいただけば前売り券を確保しておきます。

 

先々週告知してまだUPされていませんでした私の法話ビデオがようやく視聴できるようになりました。

プロンプターを読んでいることが明らかに分かります。

それに何ヶ所も切り貼りの編集をしたので、手の位置が一定しません。撮り直ししたくとももう手遅れです。

更には顔は編集しようがありませんが何とも無様です。

それでも観たいということであれば以下からどうぞ。無様なところを見たいというのは悪趣味ですね。

30分ものですが、何かしながら声だけ聴く分なら映像に邪魔されずに聴けるかもしれません。

やっぱり法話は、一期一会の臨場感がないとだめですね。

智慧と慈悲の実践 (youtube.com)

何だか寒い。

 

今週の一言

「この命を引き受ける覚悟」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ467 出会いの不思議

2024年05月12日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第467回。令和6年5月12日、日曜日。

 

5月8日は月遅れの釈尊降誕会、花まつりでした。

毎年恒例の花を1本ずつ持参してのお参りです。

季節の流れによって年ごとの花が変化します。椿やチューリップ、桜がある時もありますが、今年は季節が早くつつじやボタン、石楠花やスズランなどが混ざりました。

そして今年は、珍しいお客様が参加。京都からとアメリカからの二人の女性です。

どういうつながりかといえば、話せば長くなるのですが、京都の森島さんとは40年前に縁がつながりました。

永平寺からの行脚の日記「行雲流水」を松林寺の寺報に連載して、それを毎月無著成恭先生に送っていました。

その連載が終わった時、先生はそのことを京都の新聞にコラムとして書いてくれました。

それを読んだ森島さんが、「その寺報を読みたい」と手紙をくれたのが縁の始まりです。

コピーを送った後の寺報も毎月送っていました。森島さんからは毎年正月前に昔ながらの手作りのお菓子が正月用にと一斗缶で送られてきました。

更につながりが強くなったのは東日本大震災で、森島さんの知り合いが気仙沼にいるということでその安否を伝えたり、物を届けたりして連絡が密になりました。

その頃から、連絡の窓口は私ではなくカミさんになり、ラインなどでしょっちゅう連絡を取り合っているうちに、京都に来てとか山形に行くとかの話になったようです。

一昨年松林寺の旅で比叡山に参拝したときに、嵐山まで来てくれて一日行動を共にしました。その時が、森島さんとの初対面でした。実に38年にしてようやくの顔合わせだったのです。

そして今回、以前からの山形に来たいという思いが実現しました。

アメリカのジェーンさんは、森島さんの息子さんがアメリカにいた時にお世話になった方で、今回息子さんに会いに来るのに合わせて山形まで同行しようということになったようです。

アメリカでは車と飛行機は使うけれど、列車に乗ることはまずないということで、新幹線と在来線を乗り継いで立小路駅までの移動がとても楽しかったようです。

到着した時間が花まつりの最中だったので、一緒にお参りして焼香と甘茶をかけてもらいました。

その晩はカミさんが作った山菜料理を囲み、どれも旨いと喜んでもらいました。

焼きたけのこ、たけのことアスパラの天ぷら、アスパラ肉巻きのフライ、茹でアスパラ、ワラビとアスパラの一本漬け、ワラビ炒め、蕗炒め、キウイと生ハム、チーズと味噌粕の和えたもの、たけのこの味噌汁などなど。

アスパラとたけのこだけじゃないか。食材は地元の限定的なものですが、色々アレンジしてテーブルを飾ってくれました。

特に焼いた笹竹のたけのこが気に入ったようで、何本も皮をむいてマヨネーズ味噌を付けては食べていました。

カリフォルニアには日本食レストランがあって日本酒も飲んだことがあるようで、「hot sake」がいいというので熱燗の盃を傾け楽しく過ごしました。

翌朝、坐禅もしてみたいと5時30分からの坐禅と朝課更に散歩まで、私の朝のルーティンにつき合ってくれました。

二日目は、カミさんと三人で蔵王温泉まで出かけて一泊し、最上川舟下りを楽しみ、夕方回転ずしにも挑戦してもらいました。寿司がレーンをシュッとやって来るのを目を丸くして子どものようにはしゃいでいました。

蔵王では気温が2度まで下がり雪もちらついたようで寒かったとのことですが、舟下りは暖かい陽射しに恵まれ楽しめたようです。

11日、4日間の別れを惜しみながら山形を後にしました。

次はカリフォルニアでと言われても、無理でしょうね。

 

出会いはどんなことから始まるか知れません。この出会いの始まりは一本の手紙でした。

以来、40年で二度しか会ったことがないのです。

一つのつながりを大切にして精一杯過ごせば、また新たな出会いを連れてくるでしょう。

花まつりの持ち寄り花ではないですが、その時の美しい一本を持ち寄れば全体として絶妙な生け花となります。

その後のことを計算に入れず、その時その時精一杯。それしかないですね。

 

今週の一言

「楽しい出会いは別れても温かい」

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 


サンデーサンライズ466 プロンプター

2024年05月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第466回。令和6年5月5日、日曜日。

 

早や5月に入りました。

世の中は連休ということで、移動したり楽しんだりで、季節もいいし、経済効果にもなることでしょう。

ただ、日本国民全員が休んでしまえば世の中は回らないわけで、いつもと変わらず働いてくれる人がいるからこそ休めるということも頭の片隅に置いておくべきだと思います。

以前ほどではなくなりましたが、お寺も連休はそれなりに忙しい期間となります。

連休を利用しての里帰り、併せて先祖の供養をするというのは、ただ遊ぶよりは意味があり連休の使い方としては好ましいことと思います。

 

体調を崩す前の4月15日、東京でビデオ撮影がありました。

YouTubeに流すビデオ法話の撮影です。

曹洞宗管長のお言葉「布教教化に関する告諭」が毎年年度初めに発布されますが、それを全国の檀信徒に伝えそれに因んだ法話を行うというのが特派布教師の任務です。

今年度2年任期で32名の布教師が任命され、それぞれの任地が決められ巡回することになります。

32名の中で私が最も古株ということになり、代表して公式なビデオ法話を任されたのでした。

コロナに入ってからそのような布教の方策がとられ、これまでも何人かが務めてきました。

私はそういうのに向かないと思っていてこれまで辞退してきましたが、最古参となれば責任も感じますし受けざるを得ないと観念しました。

本庁の研修道場にはビデオカメラと機材がセッティングされていて、ハイどうぞという段取りでした。

カメラの前にはプロンプターがセットされています。

政治家の演説などで見るようなものではなく、カメラと一体となったもので、その画面を真っすぐ見て文字を読めばそのままカメラ目線になるというものです。

今ほとんどのテレビニュースはこの方式だということでした。

公式な法話を下を向いて原稿を読むようではいけないでしょうし、かといって面と向かって言い間違いだらけでも具合が悪いだろうと思案していましたが、これであれば問題がないように思いました。

ただ、ニュースと違って法話は聞法者と相対して、対話のように話を進めていくものなので、間違えずに文字を読めばいいというものではありません。臨場感が必要なのです。

プロンプターを読みながら臨場感を出すのは難しいことでした。

どうしても文字が流れてしまえば、それを間違えずに読むだけで精一杯で、表情も手の動きも固まったままということになってしまいました。

しかも、それすら噛み噛みの読み間違えだらけで、何度も撮り直しをさせてしまいました。

編集で切り貼りしてくれるのだろうと思いますが、どのような出来になったか心配です。

だからこういうのは嫌だと思っていたのです。向いていません。アナウンサーの技術の高さを思い知りました。

本来5月1日に視聴可能になる予定だったようですが、今月中旬にずれ込むとのこと。きっと編集に苦労しているのだと思います。

何なら顔も編集してもらえばよかったと後悔しています。

他の布教師さんの法話も視聴できますし、私のものもどうしても観たいということであれば以下のリンクから視聴することができます。

曹洞宗ビデオ法話

 

4月30日は特派布教協議会で今年の任地の一つ島根県に行ってきました。いわば打ち合わせです。

島根県は都合4回目になります。

平成29年の前回と今回はその中の隠岐の島の巡回です。島のお寺さんを6カ寺回ります。

どちらも少ない檀家さんでお寺を大切に維持してこられたことが分かりました。

8月初めの巡回ですが、今回はどんな出会いがあるか、今から楽しみです。

 

今週の一言

「法話は対面がいい」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ465 まいったたぬき

2024年04月28日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第465回。令和6年4月28日、日曜日。

 

先週は失礼しました。

UPするだけまでに下書きを完成させていたのですが、何故かすっかり消えてしまっていて、苦し紛れに流した情報でご心配をかけることになってしまいました。

若い頃麻雀をしていた時に、

「まいったなあ、まいったたぬきは屁で分かる」とか

「そうはイカの筋肉質」だとか

意味のない慣用句を口にしながら打っていたことを思い出しましたが、facebookにたくさんの皆様からご心配のお声をかけていただき恐縮しました。

皆様、弱った者に優しいことだと思いました。

自分もそうなので、お言葉にまでしなくても静かにご心配いただいた方もあったのではないかと推察します。そんな全てのお気遣いに、心より御礼申し上げます。

お陰様で、軽口が叩けるまでには恢復してきました。

しかし、今回の不調の原因は何だったのか未だに分かりません。

体の節々が痛くてだるく、起き上がるのも寝返りを打つのもやっとでした。

普段は足を布団から出して寝るほど温かいのに、足も体も冷えて足裏を腿の内側にくっつけていたりしました。

熱も咳ものどの痛みもありませんでしたが、コロナを疑って試薬で検査しても陰性。インフルエンザも考えにくいです。

食欲がなく、5食を抜いたら二日で2キロ体重が減って、これはよかったことです。

その後も以前の豚のような食欲がなくなり、できればこれを維持していきたいと願っています。

願うって、自分の意思の問題なのですが、食べたい欲を抑えられないので太っているわけで、何とかしてほしいと誰にともなくすがる気持ちになってしまうのです。

「腹部膨満感」というのだそうですが、常に腹が張って苦しい感じがあります。5食抜いても同じだったので調べたらそういう症状で、ガスがたまっているからかもしれません。

確かにまいったたぬきのように屁は臭いし絶えずげっぷが出る傾向にあります。

悪玉菌を減らし善玉菌を増やす対策法なども書いてありました。

原因の一つとして、早食いによる「呑気症」ということがあると。

早食いは充分に自己認識しています。

軍隊や修行道場経験者に多いと思われますが、食事を短時間で済ますことが求められる環境にいるとそれが身についてしまうのです。

呑気症というのは、食事のときに空気も一緒に飲み込んでしまって膨満感になるというものですが、その原因がストレスや早食いだというのです。

ストレスという原因は考えにくいのでやはり早食いでしょう。

そうです。腹が出ていると見えていたのは実は全て空気だったのです。違います。

これを機会に早食いの改善を図りたいと思います。

 

いずれにせよ、今回は「休め」の合図だと受け止めています。

これまでと変わらぬ動きをしているつもりでも、疲れ方がこれまでと同じだとは限らないということでしょう。

東京から続けて仙台に行きました。花の鶴楯の作業下見で山にも上りました。

それぐらいでと思っていましたが堪えていたのかもしれません。

休みたくても休めない人もいるでしょうから、休めることはありがたいことです。

でも、休めないというのは、命を犠牲にしても休めないことなのかと考えた方がいい場合もあるかもしれません。

体のサイン、休めの合図に素直に従っていきましょう。

 

今週の一言

「前を向いて休め」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ464

2024年04月21日 05時09分15秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第464回。令和6年4月21日、日曜日。

 

コロナではないのですがどうも風邪をひいたみたいで、体がだるく節々が痛いので寝て過ごしています。

食欲もなく、金曜日の昼から食べていません。

今日はだいぶ良くなってきたので起きようかと思っています。

このブログの原稿も書いていたのですが何故か全て消えていて復活できません。

今から書く気力もないので、今週はここまでとします。

また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ463 悩みを食べる

2024年04月14日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第463回。令和6年4月14日、日曜日。

 

桜が咲き始めると急に春が動き出した感じがします。

冬の間だらりんとしていた男たちの顔つきがキリッと真剣な面差しになって、働く農家になってきました。

和尚も負けじと、睡蓮と蓮の植え替え、植木に施肥、池の掃除、メダカと亀の外への引越しなどなど、いかにも忙しそうにパタパタと動いています。

いつもそうなのですが、作業が終わってから参考資料を見たりして、「ありゃ、違っていた」と気づいても後の祭り、今年は花が咲くかどうか。

池の鯉は、昨年鯉屋さんが亡くなって廃業したため、冬越しに預かってもらえなくなりました。

池が雪に埋まってしまうことと、イタチがやって来て鯉を引きずっていくと聞いていたため対策を考えていました。

鉄工所と相談して、アングルで枠を作り金網を貼って籠状のものを作ってもらいました。

これならば雪にもイタチにも大丈夫だろうと池に沈め一冬を過ごしました。

初めてのことなので、鯉は無事かと心配していましたが、先日籠を上げて無事を確認してホッとしました。

狭い所に押し込めていてゴメンね。掃除の時に泥水を飲ませてしまってゴメンね。

試行錯誤しましたが何とかきれいな水に戻り、気持ちよさそうに泳いている姿を見るとこちらも気持ちが良くなります。

来年はもっといい方法を考えたからねと、独り言ちしていました。

蓮や鯉のように手足を伸ばし、人間も新たな動きをしなければなりません。

 

朝の散歩の折り返し点は、2キロ先の東善院さん馬頭観音です。

観音堂に上がり、賽銭を入れ、真言を唱え、祈願をします。

今は「ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ紛争の早期解決、国民避難民の身体堅固、能登半島地震・台湾地震の被災地早期復興、被災者各々身心安寧」を祈っています。

祈るだけでいいのか、という問いもありますが、祈ることができるのは人間だけの能力です。

他の痛みを我が痛みと感じ、何とかならないかと考える心、それが祈りとなります。

祈らずにはいられない、それが人間らしいということではないか、と思います。

 

馬頭観音は、言葉の通り頭の上に馬の顔が載っている、あるいは頭が馬の顔になっている姿の観音様で、六観音、三十三観音の一つです。

多くは憤怒の相をしています。

なぜ馬頭なのか、なぜ馬なのか。

馬は足が速く、口が大きいという特徴から来ています。

つまり、人の苦しみを観じていち早くその人の元へ駆けつけ、その悩み苦しみを大きな口でムシャムシャと食べてしまう、そういう願いが込められた相なのです。

憤怒の相は、不動明王などと同じで、人々に悪をさせないという慈悲からの叱りの相です。馬頭観音の場合は苦しみを放っておかないという強い意志を表しているものと思われます。

富沢馬頭観音堂向背の二本の柱には、見事な筆致で「衆生被困厄 無量苦逼身」「観音妙智力 能救世間苦」という聯が掛けられています。

正に馬頭観音の祈りを表しているものでしょう。

私がお参りをするときには、大きな線香立てにいつも一束の線香が供えられています。決まって同じ場所に。

同じ人が、毎日線香を上げてお参りされているのでしょう。

その人にどんな思いがあるのか、祈りがあるのか知りません。

しかし、毎朝ここに足を運んで掌を合わせているのですから、馬頭観音様がその祈りを聞き入れてくれないはずはないと思います。

 

日本人が住むこの国の各地に、様々な仏閣があり、仏菩薩が祀られています。

その仏像にどんな意味があるのかを知らなくても、そこに参り、掌を合わせる行持を続けることに意味があります。

人には、祈りを受け止めてくれる存在、その対象が必要です。そのために仏菩薩は祀られてきたのです。

もちろん、家の仏壇もその対象です。

そこに在りながら、近くに在りながら、素通りして掌を合わせないのは真にもったいないことです。

祈ることで、自らの慈悲心に気づき、智慧を育てていくことができます。

今までは問いません。今日、今からです。

 

今週の一言

「菩薩様に苦しみを受け取ってもらえばいい」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 


サンデーサンライズ462 躊躇するな

2024年04月07日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第462回。令和6年4月7日、日曜日。

 

3日、台湾で大きな地震がありました。

1999年、台中で起こった大地震の際訪れた仏教慈濟基金会(慈濟会)の本部がある花蓮市が震源の近くです。

慈濟会は、東日本大震災の時も、能登地震の時も現地で大きな支援をしてくれました。

今回の地震でももちろんすぐに動き出し、支援活動を進めているようです。

日本の報道で、避難所が3時間で開設されたニュースが流れ、そこに慈濟会の名前の入ったテントが映し出されました。

そのスピードと的確さが日本の災害支援と比較されていました。学ぶところが大きいと思います。

いざという時に最も支援し合ってきた日本と台湾。今回の地震にも支援をお願いします。

その気になった時にすぐに行動しないと、気持ちはすぐにしぼんでしまいます。

 

さて、4月に入り、いわゆる新年度というところが多いと思います。

宗門関係もその通りで、新たなスタートを切ったことになります。

3日火曜日は、曹洞宗本庁において、今年度特派布教師の辞令伝達式が行われました。

曹洞宗管長、大本山永平寺貫主南澤道人禅師がお出ましになられ、直接一人ひとりに辞令を親授していただきました。

御年96歳を迎えられておられますが、御法体堅固にてしっかりと御垂示もいただきました。

やはり、直接辞令を手交していただくと身の引き締まる思いがしました。

特派布教師は、管長様の「告諭」を携えて地方を巡回し、そのお言葉をお伝えするという役目になります。

今年32名の布教師が任命され、それぞれが決められた任地に赴きます。

私の任地は、島根県と岡山県となりました。どちらも以前派遣されたところで、それぞれ3回目の巡回となります。

各県の日程と布教師の予定をマッチングするので、どうしても派遣されない県もあれば何度も行く県も出てきます。

いずれにせよ、派遣された場所で精一杯務めなければなりません。

加えて、布教師養成所主任講師の任命も受けています。今年で最後の予定ですので、こちらも精一杯務めます。

 

松林寺においても今年度の事業が始まるわけですが、本日7日の総代会、役員会にて正式な日程が決定となります。

予定とすれば、6月2日の松林寺集中講座と6月8日の大般若会、護持会総会が大きな事業となります。

私が住職になった年からスタートした集中講座は、今回で16回目を迎え、例年通り講話、音楽、落語の内容で開催します。

講師は、音楽として、新潟から篠笛奏者であり歌手の田村優子さんと、ピアノ、ギターによるコンサート。

落語は、4年ぶり2回目の口演となる六華亭遊花師匠の登場です。

講話は前回から住職が勤めています。演題は「行雲流水その2」として、永平寺修行前夜までを語ります。

昨年は前年亡くなった母を追悼して行脚の話をしましたが、今回は父のことを中心に話させていただきます。

今年も、気仙沼からと金山町から団体の参加希望が来ています。

参加ご希望の方はメール(shorin@cup.ocn.ne.jp)等でご連絡ください。

体力が続く限りとは思っていますが、こればかりは何とも言えません。

その気になったときには躊躇せずに行動した方がいいと思います。

またいつか、はなかなか訪れないものです。

すぐ行動するか躊躇するかで縁が変わるので、人生が変わってきます。

躊躇するのも縁といえば縁ですが、行動して後悔するのとしないで後悔するのでは後悔に違いがあるように思います。

先週話したように、縁と選択で人生が織りなされるとすれば、縁の数が多いほど選択肢も増えることになります。

人生は短いのですから、躊躇するのはもったいない。

『臨済録』に「用いんと要せば即ち用いよ」の一節があるようです。

『臨済録』を読んだわけではありませんが、臨済宗の師家の講演をテープで聞いて頭に残っています。

「躊躇するな」ということですね。

 

今週の一言

「躊躇しているほど時間はない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

「今週の一言」が急に始まりました。新年度故に。


サンデーサンライズ461 ブギウギ

2024年03月31日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第461回。令和6年3月31日、日曜日。

 

気仙沼の兄が行きたいというので肘折温泉に二泊。

雪が迎えてくれて肘折をらしく演出してくれました。

何もすることがなく、行くところもなく、風呂に入って、呑んで、寝る、の繰り返し。

寝すぎてかえって腰が痛くなったほど。

65を過ぎたら睡眠時間を8時間以上とってはいけないとテレビで言っていた、とカミさんの情報ですが、本当かもしれません。

寝疲れるということが確かにあるように感じます。

 

記憶は要らないという話はこれまで何度か書いてきました。

私の過去は思い出したくないことばかりなので、消し去りたいといつも思っています。

それでも、何かの拍子にフッと浮かび上がって来て嫌ーな気持ちになります。

そんな時は、浮かび上がってくる途中で頭を振って振り払います。これが意外と効果あるんですよ。

キャッチする前にリリースする感じです。

嫌な記憶は全て自分の言動です。あの時のあの言いぶり、あの態度、あの思い。慚愧と羞恥の記憶です。

思い出したくもないし、思い出されたくもない。

自分だけが覚えていて誰も覚えていないこともあれば、自分は忘れているのに誰かが覚えているということもあるでしょう。怖いのは後者です。

自分が覚えていれば反省も謝罪もできましょうが、自分が覚えていないことで相手に嫌な思いをさせてしまったことは反省すらもできません。何事もなかったように平気な顔で接してしまいます。

例えるならば、空ののし袋を渡してそれに気づかずに平気で接するようなものです。

相手は、「なんだこの人」と思うでしょう。

相手にどう思われようと、気づかないのであればどうしようもないことです。

問題はそうではなくて、嫌な記憶を思い出す自分の時間です。

嫌なことを思い出している時、その時間、記憶に気持ちが奪われて、その時を生きていない、それが問題なのです。

記憶を思い出すことで今の時間を奪われている。更には、嫌な自分を振り返ることで自己嫌悪に陥って今の自分を肯定することができない。

だから、今をしっかりと前を向いて生きられず、更に後悔するような行動をとってしまう。それが悪循環となるのです。

大丈夫、救いはあります。

我々には、今日、今しか生きることができないのですから、過去は過去として今をどう生きるか、そこに集中するしかありません。

今の今まで自己嫌悪でいた自分も、「記憶を捨てる」と転換したとき、過去は過去のまま置いておいて、今を見ることができるようになります。

それでいいのです。

記憶も、反省も、後悔も要りません。

「あの人、自分がしたこと忘れたのかしら」と後ろ指を指されても、今日をしっかり生きることでしか周囲の批判を覆すことはできないのですから、まずは今を生きるしかないのです。

明日があろうがなかろうが構いません。

例え今日が最期の一日だとしても、「今日しっかり生きた」と思えたら、今日に満足して死ぬことができます。

どんなに恥ずかしい生き方をしてきたとしても、最期の一日は立派だったと周囲に思われるかもしれませんし、否、誰にどう思われようと、自分で自分をこれでよかったと肯定できるなら、自分を許すこともできるでしょう。

気仙沼の兄、清凉院住職はそういう点で私と同じ生き方の人です。そこがシンパシーを感じるところです。

最近は顔も似てきたらしく「本当の兄弟ではないんですか?」と逆に言われたりします。

 

人はみんな、不思議なご縁で今を生きています。

ただ、縁ばかりではありません。そこには選択が絡んでいます。

ご縁の中から、自分に心地いい状況を選択しているのです。縁と選択、それが人生をつくっています。

さて、今日はどんなご縁の中からどんな選択をしていきましょうか。ドキドキワクワク。

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 


サンデーサンライズ460 富ておごらざるはなし

2024年03月24日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第460回。令和6年3月24日、日曜日。
 
彼岸が過ぎて急に陽が伸びてきました。
朝5時半の本堂は、障子が白く感じられます。
陽は毎日一定の角度で伸びているのでしょうが、急に感じるのは彼岸という節目のせいでしょうか。
今頃になって雪が降りはしましたが、地面が温まっていてすぐに消えてしまいます。
着実に春は近づいています。
全ての人に暖かい春がやってくればいいのですが、冬のような寒さに身を震わせている人が、国の内にも外にもいます。
無常であればこそ、やがて春が来る、苦しみは永遠には続かない、と大声で叫びたくなります。
そして祈ります。耐えて欲しいと。
 
昨日は宿用院の大般若会でした。
住職は、能登半島被災地の早期復興と被災者の身心安寧、世界の戦争紛争の早期終息を祈願しました。
祈るだけでは支援は足りないと思いますが、祈ることでそれぞれの心に慈悲心を呼び覚まし、他の痛みを想像する共感力を強くしていくことができるはずです。
元々、祈ることなど人間にしかできないことですから、人間らしさを失わないためにも、折に触れて祈ることを忘れないようにしていかなければならないと思うところです。
 
話は変わりますが、この時期、テレビでのスポーツ観戦が好きな人にはたまらないですね。
特に先週は、朝からテレビの前に釘付けになっていた人もいたでしょう。
春の甲子園、大相撲、MLB、サッカー、競泳、フィギュアスケート、カーリングもありました。
もちろん、仕事でそれどころではない人もいたでしょうし、それぞれ好みがありますから関心のないスポーツはどうでもよかったかもしれません。
リタイア組の暇な老人たちには退屈しない毎日でした。
毎年この時期、高校野球と相撲が終わると急に火が消えたようになり、「水戸黄門」ぐらいしか観るものがなくなるというのが、大方の老人の意見です。
そんな中、驚いたニュースが飛び込んできました。
大谷選手の通訳をしていた彼が、何と預金をくすねていたというニュースです。
しかも7億円近く。
魔が差したのでしょうね。
まだ39歳のようですが、将来を棒に振ることになってしまうかなあ。家族もあるでしょうに、残念なことです。
1000億円という常識外れの契約金額に、感覚がマヒしてしまったのかもしれませんね。
「1000円に換算すればたった7円じゃないか」みたいに。
いつの世も人をだめにしてしまうのはお金なのですかね。
道元禅師は言っています。
 
貧しくてへつらわざるはあれど、富みておごらざるはなし
 
貧しくなるとついつい卑屈になり、おもねったりへつらったりしてしまいがちになる。だけど、そうならない人もいる。
しかし、豊かになって、自分が偉くなったかのように驕り高ぶってしまわない人はいない。みんなそうなると言うのです。
また、本人に奢る気持ちがなくても、ありのままに振舞う様子が、貧しい人にとっては威圧を感じたり不遜に感じたり嫉妬を感じたり、驕慢の雰囲気を醸し出してしまったりもする。そういうものだ。
だから、それを慎みなさいと、そして、富むことをいさめ、貧しくあれと、道元禅師は何度も何度も指導しているのです。
お金が人を狂わせることは本当にありますよね。
どうも最近とみに利殖の方向に衆目が向いているように感じて気になります。
貯金しても利息が付かないから、投資をしようという流れが定着してきたのでしょうか。
それがある程度で抑えられればいいのですが、投資にはギャンブル性もあるのでしょうから、ハイリスク、ハイリターンに慣れてしまうとそれにのめり込み、もっともっととリスク承知でつぎ込んでしまうのではないかと心配されます。
結果的に通訳の彼と同じことになってしまわないかと、関心のない私は余計な心配をしてしまうのです。
富んで人生を狂わせるよりも、貧しくてもコツコツとまじめに生きる方が幸せだと思えるような社会でなければならないと思いますし、そのように確固たる思いを持つ人が一定数いた方がいいと思います。
子どものように「みんなしている」というだけで無邪気に追随すると、知らぬ間にケツの毛まで抜かれてしまうことにもなりかねません。
しっかりと自分の理念と方針を持って見極めていかなければなりません。
貧しさに価値を見出すような見方、生き方、それを道元禅師に学んでいきましょう。
 
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
 
※写真は門前町禅の里交流館前にある石像。どうもスティーブ・ジョブズのよう。意図は知りません。

サンデーサンライズ459 能登の春

2024年03月17日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第459回。令和6年3月17日、日曜日。

11日朝7時に寺を出て、富山県高岡のお寺に寄って刺身を仕入れて輪島市門前町へ。
途中の道があちこちで崩れ、仮のう回路が作られていました。
シャンティの支援拠点になっている禅の里交流館に着いたのは夕方6時前。途中休憩や昼食を摂りはしましたが、約11時間かかったことになります。
町に入ると、報道で見た通りで、住宅がずいぶん被害に遭っています。
「門前町」という名前は、明治時代までここに大本山総持寺があったことが由来で、明治31年の火災の後、44年に横浜に移転しましたが、その跡地に伽藍が復興され「総持寺祖院」と呼ばれるようになったのです。
その伽藍が、17年前の地震でやはり大きな被害に遭い、巨費を投じて数年前に復興が終わったばかりでした。
北陸新幹線が福井県まで延伸され、その観光客の増加もを見込んで、この門前町も「禅の里」として受け入れの準備を進め、期待を膨らませていた矢先でした。
その中心である祖院も、門前の町も再び大きな被害に見舞われてしまいました。
祖院に挨拶に訪ねた時、ちょうど責任者である監院老師がいらして、山内をくまなく案内してくださいました。
回廊のほぼ全てが傾き、崩れ、お堂のほとんどが痛んで、屋根瓦が落ち雨漏りがしています。
それでも、前回の地震の後、諸堂の地盤から耐震工事を施していたのでこれで済んだのだということでした。
何せ、海岸が4mも隆起したのですから、地殻から大きく動いたわけで、薄皮のような地表に立脚している人間の建物などひとたまりもないはずです。
地元の皆さんが言うには、地面が時計回りに揺れたんだとか。
それを証明するかのように、境内の句碑が、倒れずに180度回れ右して裏向きになっていました。
小雨降る境内を眺めながら、監院老師がポツリとつぶやきました。
「伽藍がどんなに壊れても、梅は季節通りに咲くのだね」。
早朝、門前の通りを歩いていると、鶯の声が聞こえました。
季節が廻り梅が咲けば、瓦礫の山にも鶯は鳴くのでした。

 無常なり瓦礫の山にホーホケキョ (義)

私がこれまで見た震災被災地の中で、揺れの大きさは一番かもしれません。
里全体が崩れているという印象でした。
道路のあちこちが崩れ、住宅のほとんどの屋根瓦が落ち、傾き、倒壊しています。
建物の調査で「全壊」「半壊」「一部損壊」の診断がされますが、「危険」の赤紙と「要注意」の黄紙が張られている家がほとんどです。
それでも、家を離れられない住民は、片付けながら住み続けたり、避難所から通ってきたり、ビニールハウスなどに自主避難したりしています。
避難所には炊き出しがありますが、曹洞宗の若い僧侶が各地から駆け付け活躍していました。
自主避難している住民にまとめて調理して配食するグループもあって、200食の調理の手伝いをさせていただきました。
唯一の道であるトンネルが崩落して10日以上孤立状態にあった七浦(しつら)地区にも訪ねました。
元々、海岸線上に点在する集落で、トンネルも10年前ぐらいにできたばかり。それまでは船で移動するか山道を歩くかだった集落でした。
外からの支援が来るまでみんなで助け合って生きてきました。とても共生意識が強く、災害に強いのはこういう集落だなと思いました。

祖院門前の興禅寺さんにお邪魔してお話を伺いました。
前の震災で本堂が全壊し、耐震で新築していたため今回はほぼ無傷でした。
住職市堀玉宗師は俳句をやられる方です。
金子兜太さんに師事し、黛まどかさんとも交流があるようです。
震災後もたくさんの句を詠まれています。
その中からいくつか

能登寒暮山河破れてしまひけり 玉宗
朝市の焼け跡に鳴く寒鴉
人類の涙涸れよと星凍つる

15日10時間かけて帰ってきました。
被害の状況は現場に入らないと見えてきません。その場の人の話を聞かないと生の被災は分かりません。
寄り添うとは、言葉通り、肌で体温を感じられる距離に身を置くということでしょう。
人間が柔らかな皮膚しか持たない理由は人の痛みを感じるためだと、中島みゆきが言うように、全ての人は人の痛みを感じられる能力を持っているはず。
鶯鳴けども、能登の春はまだまだ先のようです。
あたたかい支援が必要です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。