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なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ514 祈らずにはいられない

2025年04月13日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第514回。令和7年4月13日、日曜日。

 

4月8日は釈尊降誕会、お釈迦様のお誕生日でした。

松林寺のお勤めは月遅れの5月8日に行うことにしています。

でも、当日ですし、3月15日に生まれた7番目の孫の祈祷も込めて家族で勤めました。

お釈迦様ももちろんですが、全ての命の誕生はありがたいことです。

体と心の健康と、よき出会いがありますようにと祈りたくなります。

祈りたくなる、というのが人間の特徴、人間たる所以であるでしょう。

人の幸せを願い、祈る。この心だけはなくしたくないと思います。

4月に入り朝の散歩もできるようになりました。

隣の馬頭観音様までのコースを歩きます。

片道2キロ弱。ラジオの朗読を聴きながらの朝の楽しみです。

観音様では賽銭を上げ、祈願をします。

今は「南無観世音菩薩(三唱)、オンアミリトトハンバウンバッタソワカ(三唱)。ウクライナ戦争、パレスチナ戦争の早期終息、国民避難民の身体堅固、諸災消除、諸縁吉祥。並びに能登半島地震被災地早期復興、被災者各々身心安寧ならんことを。南無観世音(三唱)」と祈っています。

祈るだけで何になると言われるでしょうが、祈らずにはいられないのです。

 

庫裡の裏もだいぶ雪解けが進み、いつもお願いしている山田さんに植木の雪囲いを外してもらいました。

この冬はやはり雪が多かったのですね。

雪囲いのあちこちが折れて、植木にも被害が出ました。

樹齢数百年のキャラの枝が数本折れて形が変わってしまいました。

山田さんも「何十年見てきているけど初めてだ」とショックを隠せないよう。

植木の管理を請け負ってくれているので、その責任を感じているようでした。

仕方ないことです。

石の月見灯篭も笠が落ちてしまっていました。これも雪のせいです。

 

更にショックなことがありました。

池の鯉11尾が全滅してしまいました。

池の中でイタチ対策の鉄枠で囲い、エアーだけ入れて冬越しをしていました。

去年は全尾無事に越せたので安心していました。

ところが、雪が解けて池が見え始めたところ、エアーが出ていない様子。

池に近づいてみるとすごい匂いがします。

エアーポンプを見ると、何と電源コードがコンセントから外れているではありませんか。

縁の下にあるコンセントから雪で引っ張られて外れたものか。

だとすれば、3か月あまりエアーが送られていなかったことになり、酸欠状態で窒息したのだと思われます。

すっぽり雪に覆われても、酸素だけあれば大丈夫と思っていましたが、大きな体を維持するには餌はなくても酸素だけは欠かせなかったのでしょう。

年齢は10数年から20年、1尾10キロほどにもなる巨体ばかりでした。

小さな時から毎年大きく成長するのを楽しみにしていました。

一昨年までは鯉屋さんに頼んで越冬してもらっていましたが、その鯉屋さんが亡くなって廃業したので、自前で越冬しなくてはならなくなったのです。

それで鉄枠の金網籠を作って昨年はうまくいったと胸を撫で下ろしたばかりでした。

11尾にはそれぞれ名前を付けてかわいがっていました。

カブキ、ダイキン、コキン、ギン、ヘタクソ、クマノミなどなど。

品評会に出るほどの立派な鯉ではありませんでしたが、その大きさで評価されるサイズではありました。

ショックです。かわいそうなことをしました。かなり落ち込みました。

声を出すわけでもありませんが、毎日見ていればかわいくもあり家族の一員のようなものでした。

鯉のいない池などただの水たまりでしかありません。

何とか小さいものでも求めたいと思います。

 

生まれる命もあれば亡くなる命もあります。

命は全て、千変万化動き続けています。変化こそが命です。

この地球という容れ物の中で、千変万化しながら明滅を繰り返しています。

その一瞬の輝きこそが「今」という命です。

一瞬であればこそ今、暗闇を照らしたい。

 

今週の一言

「自らを灯火とせよ」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ513 人生の素人 

2025年04月06日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第513回。令和7年4月6日、日曜日。

 

4月、新年度に入りました。

新年度は入学や入社や移動があったりと、新しい環境でスタートを切った方も多いかと思います。

私も東北管区教化センター統監という新たな任命を受け、名刺や名札が支給され新入社員のようなドキドキを感じています。

この歳になって新たな環境で何ができるか分かりませんが、任を受けた以上精一杯務めようと意を新たにしています。

 

新たな環境には新たな出会いがあります。

いい出会いばかりであればいいですが、必ずしもそうではないでしょう。

人には相性というものがありますから、苦手な人との出会いはその後の環境として苦痛を感じるかもしれません。

でもそれが社会ですから、自分が好きな人ばかりの環境を選ぶことはほぼ不可能でしょう。

好きな人も嫌いな人もいる環境で如何に自分を確立していくか、そこが学びどころです。

先日若い方と話していてこんなことを聞きました「今の若い人たちは、私も含めて、コスパ、タイパと、どんなリターンがあるかを考えて道を選択していると思います」。

失敗したくないという思いが強いのかもしれません。

でも、実際は何でもやってみなければ分からないですよね。

やってみないでスタートラインから見ただけでコスパ、タイパが分かるわけでもないでしょう。

リターンと言っても、自分で自分の価値を分かってもいないのにリターンばかり求めるのは無茶な話です。

「この種をいくらで買ってくれますか」、「どんな花が咲きどんな実がなるんですか」、「それは分からないけれど頑張ります」、「それだけでは値段は決められません」というのが売り買いの基本ですよね。

話を聞いていた彼女に言いました「リターンはあなたが今日生きていることじゃないですか」と。

明日あるか分からない命が今日ここにあるというほどのリターンがあるでしょうか。

今まで生きてきたことの最大のリターンは、今日の命に他ならないと言えます。

38億年の命のつながりの結果として今ここに自分の命があります。そしてこの命はいつ果てるか自分には知れません。

その最終到達点として今日があります。今日生きているというほどの大きなリターンが他にあるでしょうか。

彼女が言っているのはそういうことではないということは分かります。

しかし、リターンは結果であって目的にしてはいけないということだけは伝えたいと思いました。

 

人は皆、今の人生を生きる素人です。

中島みゆきは『人生の素人』で歌っています。

日々という流れには ひながたもなく 1人ずつ放たれた蛍のようだ … 皆、 人生は素人につき

誰も二度目の人生を生きている人がいない以上、今の人生は皆素人です。

素人だから失敗もします。分からないことばかりです。経験してみて初めて分かることです。

素人だから、手探り足探りで慎重に生きていくしかありません。

誰かの人生の生き方を聞いても自分は自分の人生を生きてみなければ分からないことです。

素人なのに、誰かに教えるとか、指図するとか、罵倒するとか、リターンを求めるとか、何とおこがましいことか。

自分が素人だと思えば謙虚にもなれるでしょう。素人だからこそ知らない世界が楽しくもあるでしょう。

今日という日は、誰にとっても新入学生のようなものです。ワクワク、ドキドキです。

 

自己を確立するということは、自分の中に揺るぎない柱を立てるということです。

人生の先達でもいい、哲学でもいい、宗教でもいい、一つの言葉でもいい。

迷ったらここに帰るというような確かな柱、があればいいと思います。

それが持てれば、どんなに荒波にさらされようと乗り越えられ、倒れても立ち上がることができるでしょう。

自分が歩いてきた足跡だけが自分の行く先を指し示す羅針盤となります。

さあ、素人の今日をしっかり生きましょう。

 

今週の一言

「今日の命こそ、リターン」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ512 引き受ける覚悟

2025年03月30日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第512回。令和7年3月30日、日曜日。

 

金曜日、ミャンマー中央部マンダレー近郊を震源とする大きな地震が起こりました。

ミャンマー国内そしてタイ国内にも大きな被害が出ているようです。

両国に居るシャンティのスタッフの安否が気遣われますが、なかなか情報が入ってきません。

みんな無事であることを祈るばかりです。

 

先週は月曜日から金曜日まで出かけていました。

月・火は曹洞宗の宗務庁で、教化センター連絡協議会がありました。

全国に9つある管区の、教化センターは布教教化の出先機関という位置づけです。

4月1日付で東北管区教化センター統監を拝命することになり出席してきました。

それに伴い21年間務めてきた特派布教師を退任しました。

 

火曜日の午後は千葉に向かい、参学師遠藤長悦老師の元へ。

一回り違いの申年の老師は今年81歳になられました。

視力の低下は進んでいるように見受けられましたが、顔色や様子は前回お会いした時よりもむしろお元気そうに見えました。

老師の言葉は一つ一つしっかりした原典から出てくるもので、それが連続して鎖のようにどこまでもつながっていきます。それを一つも漏らさず心に留めたいと体中を耳にして聞いています。

ただ聞いているだけなのですが、慈悲の衣に包まれるような安らぎを覚えます。

お釈迦様、道元禅師、瑩山禅師、そして良寛様をこよなく愛する老師、そのお言葉を伝え遺したいという思いが泉のようにあふれ、こぼれ出てくるのです。

私の他に老師に参ずる僧侶がいる様子はなく、そのありったけを今のうちに渡したいという思いを感じ受け止めています。

「来るのを待ってたよ、うれしいよ」と何度も言われると、あんまり時間を空けずにまた来なければならないと心に刻むのでした。

ただ、もうお酒を飲んではいけない体になっていると思われ、それなのに「義道さんが来たのに飲まないでいられますか」と盃を重ねられるので、心配ではあるのです。

期間の長さより回数を多く重ねる方が老師も喜びとされるところでしょうから、奥様には心の中で掌を合わせ詫びながらもう少しおつきあいをさせていただきたいと願っています。

 

水曜日は、大菅俊幸氏が著した有馬実成伝『泥の菩薩』のビデオ版を作るということで、コメントを寄せる何名かの一人として私のコメントの録画撮影がありました。

難民キャンプ時代の出来事を思い出して語るうちに、情景がよみがえり思わず嗚咽してしまいました。

それが撮影スタッフには少なからず感銘を与えたようでした。作品がどんなものになるのか全く分かりません。楽しみにしたいと思います。

 

木曜日はシャンティ国際ボランティア会の総会と八木澤克昌氏を偲ぶ会がありました。

ここでも彼との思い出を語る一人として登壇しました。

共に登壇したカンボジア在住の元スタッフ手束耕治氏と遅くまで飲み、結局シングルベッドに二人で寝ました。

同時にオンラインで参加したヤンゴン在住の中原スタッフは無事なのか、気にかかります。

 

人生は縁によって如何様にも変わり紡がれていきます。

縁はいたるところにあるというか、全ては縁の中に存在しています。

その縁のどれを選択するかは本人次第です。

生まれのように選べない縁も、それをどう受け止めるかは本人次第なのです。

同じ人が同じ環境の中で同じ人々と出会っても、そこから誰と誰がつながっていくかはそれぞれの選択です。

更に、自分が選択した道を「運命だった」と受け止めていくかどうかも本人次第です。

どの道を選ぶかより、選んだ道をこれでよかったと引き受ける覚悟が運命となるのでしょう。

自分の命を引き受ける覚悟ができた時、人生は大きく変わると、自分の過去を振り返って思います。

 

今週の一言

「自分の命を引き受ける覚悟を持て」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 


サンデーサンライズ511 師檀和合

2025年03月23日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第511回。令和7年3月23日、日曜日。

 

今年は彼岸の中日まで雪がちらつきました。

それでも氷点下まで気温が下がることはなくなったので、積もった雪も徐々に少なくなってきています。

中日はほとんどの檀家が寺参りに来られるので、駐車場を確保しなければならず、数日前から除雪作業を行いました。

まあ何とか間に合ったと思います。

 

今日23日は谷地宿用院の大般若会です。

私が初めて宿用院で大般若会の導師を勤めたのは、昭和61年、29歳の時のことでした。

まだ住職辞令も出ていませんでしたが、その予定ということで顔見世のような取扱いでした。

先代住職は長く町長も務め、曹洞宗の宗会議員でもあった方なので檀家も鼻が高いというような存在でした。

亡くなられて4年が経ち、住職が不在であったため、法類ということで私に白羽の矢が立ちました。

私はと言えば、永平寺の修行から帰って来るとすぐに周りが騒いでそそくさと結婚をし、長男が1月に生まれたばかりという状況でした。

知らない土地で、檀家の誰一人も知らず、お寺のことも何も分からないまま、あれよあれよという間に話が進んで大般若会まで来てしまいました。

ただ、檀家衆は最初から歓迎してくれていたと感じていました。

それには理由がありました。

先住市川清矩大和尚は、檀家にとって近づきがたい存在になってしまっていたかもしれません。

ご本人にはそんなつもりは全くなかったと思いますが、町長を28年務め全国市町村長会副会長であったり、宗会議長であったりと、公務に多忙であったこともあるでしょう。

なかなか気軽に話をかけられる時間的な余裕がなかったかもしれません。

そんな雲の上のような存在の後釜として住職になるのが、結婚したての生まれたばかりの子連れということで、一気に敷居が下がったように感じたのではないかと思われるのです。

毎日のように顔を出す役員がいたり、野菜や名産のさくらんぼをバケツで届けてくれる農家檀家がいたり、珍しがって顔を見に来ていました。

更には、先住の頃から寺男のように掃除や草取り、畑の作業や雑用などを当たり前のようにやってくれる隣接のおじいさんがいて、お茶を飲みながら寺に関る色々なことを教えてくれました。

 

寺の行事を企画して相談すると、役員は「やれ、やれ」と背中を押してくれました。

手始めに月刊の寺報「なあむ」を発刊しました。これはほとんど大般若と同時でした。

「檀家にはオレたちが毎月配ってやるから、書くだけ書け」と請け負ってくれました。

更に、掲示板伝道。参道の入り口に言葉を書いて張り出すこともほぼ同じ頃に開始しました。掲示板もすぐに作ってくれました。

毎月の坐禅会、少し遅れて写経会もスタートさせました。夏休みこども坐禅などもやりました。

大きな行事は、地蔵まつりの創設です。

外のお地蔵さんが、長年の風雨にさらされ顔がすり減って来ていました。

それに覆い堂として屋根をかけることを企画し、寄付を募り完成させました。

その落慶式を皮切りに毎年地蔵まつりとしてお楽しみ会をやろうと提案しました。

そして、その実行委員会を立ち上げました。その主体として創ったのが「羅漢クラブ」でした。

お寺に来るのはおじいさんやおばあさん、その次にお母さんたち。一番来ないのは親父たちということで親父たちをお寺に集めるために考えたものでした。

世間にはロータリークラブやライオンズクラブがある、寺の集まりは「羅漢クラブ」だと言って集まってもらいました。

集まってやることは飲み会。

桜の花見、夏のバーベキュー、秋の芋煮会。お経を読むわけでもなく坐禅をするわけでもなく、とにかく徹底して飲みました。

そして、羅漢クラブの任務が地蔵まつりの実行委員会でした。

昔の資料を繰ってみると、第1回目の地蔵まつりが1990年、平成2年のことです。

以来、私が宿用院を退くまで続き、25回目を数えました。

私が宿用院で行ったことで、最も大きかったのは、この「羅漢クラブ」を創ったことだと思います。

揃いのTシャツを作り、旅行にも行きました。

気仙沼の民宿に泊り大騒ぎしましたが、残念ながらその民宿は津波で流され、主人と奥様も亡くなられました。

 

宿用院の住職を平成25年まで27年間務めましたが、楽しい思い出が走馬灯のように蘇ります。

実に私は、宿用院の檀家衆に育てていただきました。

私が和尚として今あるのは宿用院のお陰です。

和尚と檀家が和合して仲良くすること、それは瑩山禅師の教えであり、それが故に曹洞宗はここまで発展してきたと言えます。

今日は、初めて導師を勤めた緊張感を思い出しつつ、大般若会に随喜してきたいと思います。

 

今週の一言

「今生の仏法修行は檀越の信心によって成就す」(瑩山禅師)

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ510 明日の約束

2025年03月16日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第510回。令和7年3月16日、日曜日。

 

3月11日を気仙沼清凉院で迎えました。

やはり被災3県は、それ以外とは違う報道がされていたと思います。

たまたま目についた岩手日報の特集記事の一部です。

長いですがそのまま引用します。

 

「最後だとわかっていたなら」

 

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたら

一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と

わたしは伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい

 

そして わたしは 忘れないようにしたい

 

若い人にも 年老いた人にも

明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを

 

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を

伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから

(ノーマ・コーネット・マレック作 佐川睦訳「最後だとわかっていたなら」)

 

そうですね。明日は誰にも約束されていないのです。

そんなことはもう、みんな分かり切っているのです。

それでも明日は確実に来ると、根拠もなく思い込んでいるだけです。

今日が最後の日であってもいいように、今日を生きる以外ありません。

明日は約束されていないが、今日ここに生きていることは事実です。

今日できること、今日でなければできないこと、今日生きていることを実感するために、躊躇なくやろうじゃないですか。

 

今週の一言

「ああ、愛おしい今日」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ509 命の洗たく場

2025年03月09日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第509回。令和7年3月9日、日曜日。

 

明後日11日は、東日本大震災から14年目を迎えます。

被災者ではない人間にとっては遠い昔になるかもしれません。

その違いの差は埋めることのできない大きな溝となって今後も横たわっていくのでしょう。

もちろん私も被災者ではありません。だから、その痛みは実際には分かり様がないのです。

分からないことを分かったように振舞うのは失礼なことですから、静かに見守る以外ありません。

遠くから見守り、近くから見守り、でも今年は近くまで行こうかと思っています。

遠くからでは分からないその空気感というものがあるでしょう。

近くまで行ったからと言って何かできるわけでもありませんが、ただ同じ空気を吸いたいと思います。

 

5日水曜日は松林寺集中講座の企画委員会でした。

毎回この企画委員会を事業のスタートとしています。

原案は私が作りますが、ここで意見をいただき確認の上実施に向かって行きます。

住職がどんなに頑張ってもこの講座が一人でできるわけではないので、企画委員、実行委員のスタッフを運営の主体に置いています。

今回は17回目を迎えます。

毎回、法話と音楽とお笑いの三本柱で実施しています。

今回は、坊さんバンドTHE ZENのコンサート、住職の法話、露の新治師匠の落語です。

THE ZENは息子たちのロックバンドですが、お袈裟姿での演奏が珍しいと話題になっています。もちろん批判もありますが、彼らなりの教化活動だと受け止めて静観しています。

他所での演奏がニュースになったりしたので是非松林寺でもという声があり出演してもらうことにしました。

法話はここ3年住職の私が務めています。予算上の理由です。今回は永平寺修行時代を語りたいと思っています。

落語は上方落語の露の新治師匠をお迎えします。

柳家さん喬師匠と交互にお願いしてきましたが、コロナ過や師匠の都合が合わなかったりして平成29年の第12回以来、8年ぶり6回目の出演となります。

師匠は「お笑い人権講座」というスタイルを確立され、笑いながら人権問題を考え納得させるという切り口で大好評にて全国を飛び回っておられますが、もちろん落語もとてもおもしろいです。

江戸落語とは違う上方落語の滑稽さが何とも言えず笑いを誘います。

1時間15分の時間を取ってたっぷりと楽しませてもらいます。

日時は恒例の、6月第一日曜日の1日。午後1時30分開講。閉講は4時30分の予定です。

当日券は1,500円ですが、前売り券を1,000円で販売します。

毎年好評の門前市では、気仙沼の海産物、地元の山菜野菜などを販売します。

企画委員会のコアのメンバーは6名ですが、それを含めスタッフ数は全部で45名に上ります。

当日欠席のスタッフも出ますが、毎回だいたい40名ほどのメンバーで実施しています。

役割は、実行委員長、会計受付、会場、駐車場、楽屋対応、会場誘導、講師誘導、音響、FM、司会、記録、門前市、講師送迎、控室、打ち上げ進行などに別れ、それぞれが自分の担当を責任をもって務めてくれています。

例えば駐車場係などは、「これまで一度も事故がなかった」と自負し「お迎えの挨拶と見送りの挨拶を欠かさない」と胸を張ってくれています。

そんなスタッフを慰労するのが住職の役目です。

どうしたら喜んでくれるかと、打ち上げに全力を尽くすことを最大の使命としています。

遠方の方も歓迎です。町の赤倉温泉、瀬見温泉に泊まって最上の地酒「山と水と、」を堪能しながら集中講座を楽しんでみてはいかがですか。何なら打ち上げへの参加もOKです。

前売り券は、町内ゆけむり館、中村商店、NPOやまなみ、森紙店、大黒屋商店で扱います。こちらにメールでお知らせいただければ受付にて取り置きします。

 

今週の一言

「その場でなければ吸えない空気がある」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 

 


サンデーサンライズ508 熱い泥

2025年03月02日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第508回。令和7年3月2日、日曜日。

 

3月に入りました。

2月は雪の多い月となりましたが、これからはもうそんなに降ることはないでしょう。

春到来の喜びは、雪国の人をもって一番だと思われます。

 

28日金曜日は、1月に急逝した八木澤克昌氏のお別れ会でした。

東京グランドホテルに220名に及ぶ人々が参列、別れを惜しんでくれました。

それほどに、彼のつき合いが広くその出会いが印象深いものであったのだろうと思います。

日本国内での出会いよりも、スラムや難民キャンプ等の困難な状況の中での出会いは、強烈な印象と共にそこに居た八木澤という人間の存在感が強く感じられたということもあるかもしれません。

更には、夜のつきあいが良かったので、酒を飲んでいる彼の大きな声と笑顔と熱い抱擁が更に印象を深めていることと思われます。

とにかく熱い、熱過ぎる。元々体温が高いのではないかと思われるほどでした。

だいたいにして生きる熱量が大きい。困難な状況にある子どもたちを見つめる視線が熱い。その状況を何とかしたいという思いが熱い。その夢を語るパワーがまた熱い。

大きな手で力強く握手しては抱き合う、その熱苦しさ。

そんな熱さがこれからも続いていくものとばかり思っていました。

熱源を失った心は冷え切ってしまっています。

 

涅槃図では、横たわるお釈迦様の周りを囲んで多くの命が泣いています。

生きとし生ける者、人間ばかりではなく、菩薩や鬼神、動物や昆虫、そして沙羅の樹は葉を枯らして泣いています。

それは、お釈迦様が生前それらの全ての命に、あたたかいまなざしで接したからでしょう。

高いも低いも、大きいも小さいも、貴賤も、言葉のあるなしも、命の区別なく、等しく接してきたからでしょう。

それと同じように、八木澤は、出会った全ての人々にあたたかくというか熱く接してきました。だからこそ、これほど多くの人々が別れにやって来たのだと思います。

会場に足を運んだ人ばかりではなく、来たくても来られなかった多くの日本の方々、タイ、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、ミャンマー、ネパール各事務所スタッフ一同、そしてその地で接した多くの困難な人々も、心を同じく熱い涙を流してくれただろうと思います。

彼の心をこんなにも熱くしていたものは何か、それは慈悲心だと断言します。

栃木県に生まれ、東北福祉大に学びました。

山岳部に所属しネパールの山々も登ってきました。その時に、シェルパとして荷を担ぐ少年を見て、こんな子供にこんな苦労をさせて山に登ってもいいのだろうかと自問します。

更に兄を若くして事故で失うという無常に接して、命の儚さ有限さを強く意識するようになります。

そんな時に、カンボジア難民問題が起こり、そのボランティア募集を目にして曹洞宗東南アジア難民救済会議の一員として現地に赴くことになります。

海外の国際NGOスタッフが、専門家として行動し難民に接する中、我が団体のボランティアたちはずぶの素人のために、支援する側される側という彼我の区別を付けられず、ただ共に傍にいるという接し方をしてきました。

そのことは、八木澤が、スラムの問題を考え解決するのにスラムに住まなければ分からないと、団体が大きくなってからもスラムに住み続けたことにつながります。

彼は常に現場からの視点で活動をしてきました。

当時事務局長だった有馬実成師との出会いが大きかったと思います。師と仰ぎ父と慕っていました。

師は「ボランティアなんてものはヒラメのようなものだよ。泥に這いつくばって底辺から社会を見ていくんだ」と言っていました。その通りの生き方をしたと思います。

そして、多くの日本人をスラムに案内し、実際にその目で触れさせ、問題の解決と自らの生き方の見つめ直しに示唆を与えてきました。スラムに住んでいなければできることではありません。

彼の活動の中から、スラムの図書館で学びタイ最難関のチュラロンコン大学に進学卒業して外交官になったオラタイさん、ラオス子どもの家に通い踊りながら学んで今はラオス国営テレビのニュースキャスターになったスニターさんなど、逸材も育ってきました。

まさに、蓮を育てる泥の存在として八木澤は活動を続けてきました。熱い泥でした。

一昨日は、お別れ会というよりもお見送り会として接してもらいたいと思いました。

心配しないでください。あなたの愛息ケンちゃんは立派に親族代表挨拶を務めましたよ。

「お父さんはいつも、自分のためじゃなく人のために生きなさいと教えてくれました。」ちゃんと受け継いでいます。

なので、あたたかく、熱く見送りたいと思います。

ありがとう八木澤、さようなら八木澤。

 

今週の一言

「蓮を育てる泥となろう」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 

 

 

 

 


サンデーサンライズ507 新潟にて

2025年02月23日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第507回。令和7年2月23日、日曜日。

 

新潟に来ています。

昨日は新潟県第4宗務所布教師研修会における法話でした。

布教師の研修会ということで、当初それ向けの講演の準備をしていましたが、1週間前によく聞けば檀信徒も加わった「法話会」なのだと分かり急遽内容を変更して臨みました。

たっぷり90分の時間をいただいたので、色々な話をさせていただきました。

盛り込み過ぎと分かってはいましたが、たっぷり時間があるとあれも言いたいこれも言いたいとついついてんこ盛りになってしまいます。聴く側で取捨選択してもらえればと思います。

皆さんに申し上げたのは「聴き流して欲しい」ということ。

ただぼんやり話を聴いて、それでも最後に何か心に引っかかるもの、心に残ったものがあれば、それが今のあなたに必要なもので、それ以外のものはあってもなくてもどうでもいいものだから忘れてもいい、ということ。

メモを取ったとしても、後から読み返すことはほとんどないでしょうし、レジュメを配っているのでそれを見ればある程度のことは思い返せるでしょう。

メモを取ることで話が頭に入らないこともあるので、まずはぼんやりでもいいので顔を見て話を聴いて欲しいと思っています。

そう考えるのは、以前に新聞で読んだコラムが頭に残っているからです。

平成26年4月18日の山形新聞、気炎「講演考」。

「<自分に本当に必要なことは忘れない。忘れるのは自分に必要ではないからだ。だから頭のいい人は講演を聴くときメモを取ったりはしない>ー仕事に就いたばかりの私にある先輩がこう教えた。何もかも忘れたその果てに、それでも残るものこそ教育である、という言葉もある。忘れることを恐れずに「時産時消」の講演を楽しむのがいい。忘れた先に何が残るか、それを楽しみたい。」(天見 玲)

さて、昨日の法話で聴衆に何か残ったでしょうか。何も残っていなくてもそれはそれで「時産時消」「場産場消」「一期一会」の講演なのでしょう。

終ってから宿に泊めていただき、打ち上げというか懇親会というか、懐かしい和尚さんたちも駆けつけてくれて賑やかな新潟の夜となりました。

 

2月に入ってから大雪が降り、除雪に追われる日々が続きました。

留守にしていた期間もあり、その間甥っ子が除雪作業をやってくれました。

屋根から落ちた雪と屋根の雪がくっついてしまい、放っておくと凍る時に軒の垂木を壊してしまうことになるのでどうしても切り離しておく必要があります。

庫裡の裏まで除雪機を回し、切り離して飛ばす作業が今期は3回に及んでいます。

更にどうしても溜って落ちない屋根の合わさり目の雪は手作業でおろすしかありません。

今年は大雪になると予想されながら、1月までの様子ではたいしたことないと高をくくっていましたが、結果的に予想通りとなりました。

仕方ないですね、昨年の雪不足による農作物への影響を考えればこの雪があればこその特産品なのですから、雪国には雪があってのありがたさと受けとめなければなりません。

昨日の新潟までは車で来ようと思っていましたが、やはり雪の峠越えが心配で新幹線にしました。

大宮回りなので時間は多少かかりますが、講演時間に確実に間に合うために安全策を取りました。

今日これから戻ります。

 

そういえば、今日2月23日は中島みゆきさんの誕生日でした。73歳になりましたね。

札幌生まれですが、やはり今年のように雪が多かったでしょうか「美雪」と名付けられました。

中学時代には母の体調不良で実家の山形に身を寄せ、4か月間山形市立第6中学校に籍を置いていました。

どうしてこんな歌詞が書けるのかと不思議に思うほどですが、その観察力の鋭さ、共感力の凄さにただただ敬服するばかりです。よほど自分を深く見つめることがあったのだろうと思います。

歌詞だけであれば詩集でいいわけですが、その詩によりそう曲をまとわせ、その人間になり切って歌えるという、これはもう特別な能力という他はありません。

単なる歌手ではないと私は受け止めています。

こういう人とこの同じ時代に生きることができることを、本当に幸せに思います。

誕生日おめでとうございます。

 

今週の一言

「不要なものは残らない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ506 無常を学ぶ

2025年02月16日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第506回。令和7年2月16日、日曜日。

 

先週日曜日に上京し、昨日戻ってきました。

令和6年度曹洞宗布教師養成所の3回目で、研修道場に缶詰めで1週間を過ごしました。

今年度は主任講師を務めたため、1年間365日、養成所のことが頭から離れませんでした。

自分の持っているものしか出せない訳ですから、どうやったら全てを出し切ることができるか考えて考えて務めてきました。

ほぼ出し尽くして抜け殻のようになったつもりでしたが、自分が出した以上にいただいて受け取ったものが多く、一回り大きくなったかもしれません。もうこれ以上は増えなくてもいいのですが。それは体重の話です。

年間テーマを「法が良薬ならば」として、①根本苦、②社会苦、③生きがい苦に分類して3回学んできました。

現代社会の苦悩に仏教は「役に立つのか」という命題を立てて取り組んできましたが、それは現代に生きる僧が「役に立てているのか」を自らに問い、怠惰を恥じ、自らを鼓舞することでした。

50名の養成所員が、その人々の苦悩に向き合う法話作成に真剣に取り組んでくれました。

様々な場面を想定し、その救いとしての法、良薬を施そうとしてくれました。

大いに刺激をもらいました。

この歳になってこれほど学べることは幸せなことだと感じています。

全ての日程を終え、ようやく肩の荷が下りて、ため息をつきつき帰ってきたところです。

 

そして昨日2月15日は、お釈迦様のご命日涅槃会でした。

いつものように梅花講の皆さんに前日大量の涅槃団子を丸めてもらい、お供えして法要を勤めました。

涅槃図には、沙羅の林に横たわるお釈迦様を取り囲み、大勢の人々、菩薩、鬼神、動物、昆虫、いわば生きとし生けるものが泣いています。

 涅槃図の みな泣いていて あたたかし (阿部月山子)

2600年ほど前のこの場面はおそらく実際にこのような光景であったのだろうと思います。

お釈迦様は、聖人だとか立派な人だとかの前に「あたたかいお人」であったのだろうと想像します。

そのお人柄に接したすべての命が、あたたかい涙を流しているのだろう。

虫魚や草花に至るまで、そのあたたかいまなざしに触れたのに違いないと思います。

生まれた人は必ず死ななければなりません。

我々の最期も、お釈迦様のように、その人生を讃え、寿ぎ、あたたかく見送られる、そんな葬儀でありたいと思います。

現在の仏式の葬儀はお釈迦様の最期のお姿に真似て勤められます。

お釈迦様は生前から、頭寒足熱として頭を北にして休まれました。沙羅の林でもその通りでした。

ご遺体を「北枕」にするのはそこに由来します。

最期に弟子阿難に「水が飲みたい」と言われたことから「死に水」という風習に続いています。

お釈迦様が亡くなるのを悲しんで沙羅の樹の林の半分が葉を白く枯らしたと言われます。それが「四華(花)」となりました。

一番弟子の迦葉尊者は説法の旅に出ていて臨終に間に合いませんでした。旅先で一輪の枯れた花を持つ人に出会いお釈迦様が亡くなられたことを悟ったと言われます。それが「一本華」の由来です。

お釈迦様が誕生して7日目に亡くなられたとされる実母のマーヤ夫人が、天上から妙薬を投下したけど間に合わず、それを団子にして供えたとされる故事により「枕団子」となりました。

すべて、お釈迦様のお別れの様子を再現したいという思いから、行われ続けてこられたことでしょう。

死は悲しいことではあるけれど、あたたかい別れでありたいとのことだと受け止めています。

そこに仏教のありがたさを感じます。

 

「世は無常」であることを、徹底して腹落ちするからこそ、志を強くすることができます。

怠けてはならぬ、精進しなければならぬという志です。

その志を以て修行を続ければ、どんな人も悟りに至らないということはない、と仏祖は教えています。

涅槃図を拝む度に無常を観じなければなりません。精進せよ、弁道せよ。

 

今週の一言

「学ぼうとしなければ学べない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 


サンデーサンライズ505 雪に耐える

2025年02月09日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第505回。令和7年2月9日、日曜日。

 

今季最大の寒波がやって来てドカッと降りました。

一晩に50㎝ほど積もるとなかなかのものです。他所では6時間に85㎝積もった所もあるとのことでその大変さが想像されます。

春になれば消えるとは言え、一時期でも大量に積もればその処理に難儀することは雪国でなければ分からないことでしょう。

ただ、雪に慣れていない地域に降られるのもそれはそれで大変だと思います。

テレビ報道を見ながら雪国の人は「それぐらいの雪で」と鼻で笑うことがありますが、大変なのは雪の量ではなくて慣れていないということなのですから、苦労はそれぞれなのだということです。

雪による事故も多発しますから、お互いに十分気をつけましょう。

 

何にしても他人の苦労というものはなかなか分からないものです。

他人の体の痛みも、どこが、どんな風に、どれだけ痛いのかは実際は分かりません。

痛みに強い人もいれば弱い人もいる、それぐらいでと言われても痛いと感じるのはその人ですから、誰かと比べて大したことないと判断されるべきものではありません。

昔あるテレビドラマで観たシーンを覚えています。ケガか何かで病院に入院している孫娘を見舞ったおばあちゃん、確かミヤコ蝶々だったと思いますが、「痛かったか、それは良かったなあ」と言う。

孫が「こんなに痛いのに何で良かったの?」と聞くと、おばあちゃんが「これからの長い人生には痛いことや辛いことがぎょうさんある。その時に、私はあの痛みに堪えられたんだから大丈夫、乗り超えられる、と思えるやろ」と教えるシーンです。

妙に納得した記憶があります。

他人の痛みは分からないけれど、自分の痛みは記憶として残り自分の中で比べることはできますね。

また、痛い思いをしたからこそ、他人の痛みを想像することもできます。「あの人の痛みは自分のあの時の痛みよりもっと痛いだろうか」と想像することができるものです。痛い思いも決して無駄ではありません。

 

永平寺で坐り詰めの坐禅をしていた時、朝から晩まで何日も坐っていると、もう足が痛いというよりも体全体で痛みを感じるようになってきます。

その時に頭に浮かんだのは「カンボジア難民の当時の痛みはこんなものだったろうか」という問いでした。

もちろん痛みの種類は違います。

食べ物がなくて餓死していく人、ケガや感染症で死んでいく人、強制労働で体が痛めつけられる人、暴行を受ける人、拷問を受ける人、目の前で親を殺される子どもたち。

どれほど血の涙を流しただろうか、どれほど体も心も痛かっただろうか。

それを想像すると、今のこんな痛みなどと比べようもないに違いないと、歯を食いしばり「痛みよ、もっとやって来い!」と奮起したことでした。

痛い経験をしたことのない人には、痛みそのものを想像することができません。

他人の痛さや辛さは分からないことではあるけれど、想像できて共感することができます。

その能力を我々は備えています。

脳内にミラーニューロンという細胞があり、それが共感や慈悲の元となると言われています。

なので、痛みを知る人ほど他人に優しくなりましょう。

自分と同じ痛みを味わわせたいと思うのは智慧のない考えです。

相手が痛い思いをしたからといって自分の痛みが軽減されるわけではないのです。

お釈迦様は「恨みは恨みによって解消されない」と教えました。

周りの楽しそうな人を見ると「何で自分ばかりこんな目に遭うんだ」と思ってしまいがちですが、よくよく見れば、誰しもそれぞれの悩みを抱え、苦労を乗り越えてきた人ばかりです。

自分の辛さや痛みを分かってくれる人も必ずいるはずです。

「禍福はあざなえる縄の如し」とは古いことわざですが、良いことや悪いことは縄目が表になったり裏になったりするように、現れたり消えたりするものだという意味です。

今楽しそうに見える周りの人にも辛い時期があったでしょうし、今辛い思いをしている自分にも楽しい時があったじゃないですか。

自分が辛い時は相手の楽しさが憎らしく見え、自分が楽しい時は相手の辛さに気がつかないものです。

みんなそうなのですから、「何で自分ばかり」と思うのは間違いです。

今の痛さ辛さは慈悲を養うエネルギーだと受け止めてジッと耐えていきましょう。

ということで、この大雪も自分を鍛えてくれる恵みの栄養ですから頑張って除雪しましょう。でも大変だよね。気をつけてね。

 

今週の一言

「耐えなければならないときは耐えた方がいい」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。