三ちゃんのサンデーサンライズ。第514回。令和7年4月13日、日曜日。
4月8日は釈尊降誕会、お釈迦様のお誕生日でした。
松林寺のお勤めは月遅れの5月8日に行うことにしています。
でも、当日ですし、3月15日に生まれた7番目の孫の祈祷も込めて家族で勤めました。
お釈迦様ももちろんですが、全ての命の誕生はありがたいことです。
体と心の健康と、よき出会いがありますようにと祈りたくなります。
祈りたくなる、というのが人間の特徴、人間たる所以であるでしょう。
人の幸せを願い、祈る。この心だけはなくしたくないと思います。
4月に入り朝の散歩もできるようになりました。
隣の馬頭観音様までのコースを歩きます。
片道2キロ弱。ラジオの朗読を聴きながらの朝の楽しみです。
観音様では賽銭を上げ、祈願をします。
今は「南無観世音菩薩(三唱)、オンアミリトトハンバウンバッタソワカ(三唱)。ウクライナ戦争、パレスチナ戦争の早期終息、国民避難民の身体堅固、諸災消除、諸縁吉祥。並びに能登半島地震被災地早期復興、被災者各々身心安寧ならんことを。南無観世音(三唱)」と祈っています。
祈るだけで何になると言われるでしょうが、祈らずにはいられないのです。
庫裡の裏もだいぶ雪解けが進み、いつもお願いしている山田さんに植木の雪囲いを外してもらいました。
この冬はやはり雪が多かったのですね。
雪囲いのあちこちが折れて、植木にも被害が出ました。
樹齢数百年のキャラの枝が数本折れて形が変わってしまいました。
山田さんも「何十年見てきているけど初めてだ」とショックを隠せないよう。
植木の管理を請け負ってくれているので、その責任を感じているようでした。
仕方ないことです。
石の月見灯篭も笠が落ちてしまっていました。これも雪のせいです。
更にショックなことがありました。
池の鯉11尾が全滅してしまいました。
池の中でイタチ対策の鉄枠で囲い、エアーだけ入れて冬越しをしていました。
去年は全尾無事に越せたので安心していました。
ところが、雪が解けて池が見え始めたところ、エアーが出ていない様子。
池に近づいてみるとすごい匂いがします。
エアーポンプを見ると、何と電源コードがコンセントから外れているではありませんか。
縁の下にあるコンセントから雪で引っ張られて外れたものか。
だとすれば、3か月あまりエアーが送られていなかったことになり、酸欠状態で窒息したのだと思われます。
すっぽり雪に覆われても、酸素だけあれば大丈夫と思っていましたが、大きな体を維持するには餌はなくても酸素だけは欠かせなかったのでしょう。
年齢は10数年から20年、1尾10キロほどにもなる巨体ばかりでした。
小さな時から毎年大きく成長するのを楽しみにしていました。
一昨年までは鯉屋さんに頼んで越冬してもらっていましたが、その鯉屋さんが亡くなって廃業したので、自前で越冬しなくてはならなくなったのです。
それで鉄枠の金網籠を作って昨年はうまくいったと胸を撫で下ろしたばかりでした。
11尾にはそれぞれ名前を付けてかわいがっていました。
カブキ、ダイキン、コキン、ギン、ヘタクソ、クマノミなどなど。
品評会に出るほどの立派な鯉ではありませんでしたが、その大きさで評価されるサイズではありました。
ショックです。かわいそうなことをしました。かなり落ち込みました。
声を出すわけでもありませんが、毎日見ていればかわいくもあり家族の一員のようなものでした。
鯉のいない池などただの水たまりでしかありません。
何とか小さいものでも求めたいと思います。
生まれる命もあれば亡くなる命もあります。
命は全て、千変万化動き続けています。変化こそが命です。
この地球という容れ物の中で、千変万化しながら明滅を繰り返しています。
その一瞬の輝きこそが「今」という命です。
一瞬であればこそ今、暗闇を照らしたい。
今週の一言
「自らを灯火とせよ」
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。