なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ204 春と脱皮

2019年03月31日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第204回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月31日、日曜日。

昨日は午後から思わぬ雪となりました。
せっかく溶けたのに、田畑も境内もまた白く逆戻りです。
暖かさに慣れてしまうと、寒の戻りは格段に寒く感じます。
体調に気をつけましょう。

いつの間にか3月最終日。明日からは4月新年度になります。
そして新年号の発表のようです。
年数の計算が面倒くさいから年号を廃止して西暦にしたらというような意見もあったかもしれませんが、伊勢神宮の式年遷宮ではありませんが、改元に、古い皮膚を脱ぎ捨てるような快感を感じるのは、長い時代によって染み付いた日本人の皮膚感覚なのかもしれません。
世界標準ではないと言われても、そう簡単にやめられないと思いますね。
アジアの各地でも、陰暦や佛歴と併用している国があります。何もキリスト歴に統一する必要もないと思います。
それぞれの文化を大切にすることが、自らの誇りと互いに敬い合う心を醸成するものと思います。
さて、どんな年号になるのやら。

熊本から帰って間もなくシャンティの総会で東京へ、続けて会合があり仙台へ。
いずれも酒席があったので、呑んで食べて、恐る恐る体重計に乗ると案の定の結果で、洗面所のカレンダーに付けているメモをためらってしまいました。
昨日も法事で、今日は寺の役員会で、酒席は続きます。
明日明後日はお寺でのお話に静岡です。
肉もスッキリと脱皮できればいいのにと思っているこの頃です。

さて、新年度というわけではありませんが、4月から坐禅会を始めます。
宿用院では毎月1回の坐禅会をやってきて、今、後継ぎが後を継いでくれています。
松林寺に来て、坐禅に関心のある人はいるのだろうかと躊躇している間に時が経ってしまいました。
自分自身は朝課の前に坐っているので、誰が来ようが来まいが、門戸を開いておけばいいのではないかと思い至りました。
そこで、毎週日曜日の朝6時30分から、坐禅会を始めることにしました。ただし、雪国故4月から11月までとします。
特に宣伝はしません。写経会もそうですが、特に広報しなくても人が人を誘って新たなメンバーが増えていくということが起こっています。
自然に任せて、門戸だけ開いておくというやり方にしようと思います。
写経会は今まで通り、こちらも4月から11月、基本毎月第一月曜の夜です。

いろんなことが動き出す、春4月。

 努力して後悔した人を見たことがない
 練習して下手になる人もいない
 勉強して馬鹿になる人もいない
 何かをして変わった人はいても
 何もしないで変わった人はいない

という言葉に出会いました。
考えていただけで、口で語っていただけでは何も変わりません。
行動することによって見えてきて、次の道が開けてきます。
命は常に変わり続けているのですから、頭も日々更新していかなければなりません。
頭は頭だけで更新できず、行動と出会いによって更新されることでしょう。
年号が変わっただけでは自分は何も変わりません。
そこから導かれる変化を行動に結びつけて初めて変わるのです。
頭の脱皮は行動によってなされるのですね。
そろそろと動き出しましょう。春の雪はすぐに溶けるでしょう。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。





サンサンラジオ203 熊本から

2019年03月24日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第203回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月24日、日曜日。

今週は、熊本からお送りします。
先週の日曜日に熊本に入り、9ヵ寺を回ります。
お彼岸の法要に合わせた説教です。
今回熊本は初めてだと思っていましたが、馬刺しをご馳走になったときに以前にも食べた記憶がよみがえり、たぶん二回目なのだと思います。
熊本市がこんなに大きな街というか都市だとは思っていませんでした。聞けば、福岡に次ぐ九州第二の都市なのだそうで、名前からは失礼ながら田舎のイメージだったことをお詫びするような感じです。
元々の熊本は「熊」ではなく、こざと偏に畏れるの「隈」だったようで、加藤清正が城の名前に「畏」の字はふさわしくないと「熊」の字をあてたのが始まりとか。だから、熊がいるから熊本ではないと知りました。
法要と説教は午前中で、午後は時間があったので、水前寺公園、県立美術館、大慈禅寺、そして熊本城の散策をしてきました。
熊本城の被害を見ると、改めて地震の大きかったことを知らされました。
天守閣は大掛かりな修復工事が行われて、あと20年はかかると言われていました。
角の石垣一列で踏みとどまったような宇土櫓はそのままの状態で姿を留め、地震に負けずに踏ん張る勇気を熊本県民に示しているかのように見えました。
回らせていただいたお寺さんも、どちらも大なり小なりの被害に遭われ、再建工事や修復工事を施されていました。
避難所暮らしを余儀なくされている方もたくさんいらっしゃいます。
力を合わせ、支えあいながら、明日への希望を抱けるような暮らしができますことを祈ります。

熊本の名物の一つといえば、辛子蓮根ですが、これは、病弱であった熊本城主細川忠利公のために、血の流れを良くする食べ物として玄宅和尚が考案したものと聞きました。
その玄宅和尚のために建てられた玄宅寺でも説教を務めさせていただきました。
もう一つ珍しいものとして「塩トマト」をご馳走になりました。
外で食事をした時「他では食べられない珍しいものはないですか」と聞くと「塩トマトはどうですか?」と言うではありませんか。トマトをスライスして塩をかけただけのものなど、全国各地どこでも食べられるでしょうと言うと「それとは違います」と。
産地は八代の方らしいですが、海水の混じった土で育てたトマトなのだそうで、確かに食べてみると塩気があり、さらには濃い甘みと味に深みがあってとてもおいしくいただきました。
ただ、ネーミングがどうなのかと思いました。
熊本地方の方は「塩トマト」でこのトマトを指すということは周知なのだと思いますが、他の地の人には居酒屋などで普通に見られるメニューと思ってしまうでしょう。
他とは違うものということを全国的にアピールするには、例えば「塩田トマト」とか名前を変えたほうがいいと思いました。余計なことですが。
食べ物の話だけで恐縮ですが、熊本と言えばもう一つ、馬刺しがあります。馬刺しは最上でも食べます。最上では赤身を食べますが熊本では霜降りが好まれるようです。個人的には、やっぱり赤身が好きです。
でも、馬のレバ刺しはとてもおいしかった。
ということで、こちらの肝臓はフォアグラ状態になっています。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ202 第14回松林寺集中講座

2019年03月17日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第202回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月17日、日曜日。

木曜日には雪が降り少し積もりました。
心はもう春に慣れてしまっていてとても寒く感じました。

さて、新年度の行事が始まります。
今年の集中講座のチラシも出来上がっています。
今回、内容は特別企画です。
シンガーソングライターのやなせななさんがデビュー15周年で、全国各地11会場のコンサートの一つとして集中講座に出演ということになりました。
やなせななさんとの強いつながりは震災でした。
震災の年の10月に集中講座への出演が決まっていて、その下見で前の年一度松林寺に来てもらっていました。
そして震災。
私が4日後から現地に入り、その状況をブログで伝えていたのを彼女は毎回つぶさに読んでくれていたようでした。
その中でつぶやいた「まけないタオルをつくりたい、誰かタオル業者を知りませんか」の言葉にすぐに反応してくれたのがななさんでした。
「親戚にタオル業者がいます。紹介しましょうか」そこから「まけないタオルプロジェクト」はスタートしました。
更に宮城県山元町の早坂文明さんは、私のブログを見て初め何をしようとしているのか分からなかったと。少し考えてから「あゝそういうことか。それなら歌で伝えた方が分かりやすい」ということで庭の掃除をしながら30分で歌詞を書きました、よかったら誰かに曲をつけてもらって使ってくださいと歌詞を送ってくれました。
作曲ということであれば、ななさんはシンガーソングライターなわけだし彼女に依頼すべきだろうと思い連絡しました。
ななさん曰く「歌詞を読ませていただきましたが応援歌のようですね。そういう歌作ったことなくて。私、作曲するのに時間かかるんですよ。長いのでは2年かかりました」。
これは無理かな、早坂さんに誰か知り合いがいるんじゃないかなと思いました。
次の朝ななさんから電話があり「曲できました!聞いてみてください」と電話口で流してくれました。
ななさんは「私が作らなければ誰かが作るんだろう、それは嫌だと思い、昨夜一晩で作りました」と語ってくれました。
こうして、作詞30分、作曲一晩の運命的な歌『まけないタオル』が出来ました。
この歌とタオルを引っ提げてななさんと被災地を回りました。
避難所の体育館やお寺の本堂、校舎の軒下や青空の下などで歌いタオルを配りました。
真っ暗な闇の中でもクスッと笑えるユーモアがあれば光を見出すことができるのではないか。
「にもかかわらず笑う。」アルフォンス・デーケン先生の言葉を思い出します。
微笑んでくれました。涙を流してくれました。体を動かしてくれました。
被災地の外では、ななさんがコンサートの度に被災地の話をして「まけないタオル」を歌い、タオルの支縁を呼びかけてくれて、その輪は大きく広がっていきました。
最上町でも、小学校の課題曲になったり、合唱されたりして多くの人に歌われました。
いつしか、作ったタオルの数は85000枚に達していました。
今回の集中講座では、町のコーラス隊絆との合唱で歌うことになっています。

もう一人の講師は落語家の六華亭遊花師匠。
岩手県出身宮城県在住、東北弁の落語というスタイルで各地で口演、好評を呼んでいます。
平成30年度文化庁芸術祭大衆演芸部門優秀賞を受賞されました。
先日は山形市のシベールアリーナで、タレントの松尾貴史さんと「上方落語と東北落語の共演」という催しがあり、行ってきましたがとても面白かったです。
ということで、楽しみにしています。問い合わせは松林寺まで。

今日から25日まで熊本に出かけます。来週は熊本からお送りしま~す。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ201 3.11の悲劇

2019年03月10日 04時55分58秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第201回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月10日、日曜日。

明日は3.11。
地震から4日後の3月15日、被災地で目に入ってきた光景に絶句したときの感情は今も胸にあります。
東北に住んで、どんなに寄り添おう、痛みを分かろうとしても、失ったものの大きさを考えれば、被災地の外ではしょせん「他人事」と言わざるを得ません。
改めて、巨大な災害でした。
地震の範囲は東北から関東にかけて広範囲で大きな揺れを観測しました。都心でも交通機関がマヒするなど混乱がありました。
そして大津波。
その範囲は、北海道の一部から関東の茨城、千葉まで及びました。「東日本」と命名された所以です。
気仙沼や山田町、大槌町では津波で流れた重油などに引火して火災も発生しました。海も町も空も真っ黒になりました。
地震だけで済んだなら、たとえ建物が全壊、半壊しても、すべてはその場に残されていました。
しかし津波は、生活の土台から根こそぎさらっていきました。
家、財産、思い出、仕事、そして家族、親戚、友人。
どれひとつも、かけがえのないものであったのに、無残にもすべてを奪っていきました。
その喪失感など、他人に分かり様がありません。8年で癒されるはずもありません。
それは一人一人の悲しみであり、被災者がどれほど多くてもその数で割って減るものではありません。

しかし、それでも、原発事故が起きなければ、悲劇がさらに深く重く長期化することもなかったでしょう。
原発事故が起きなければ、「復興」という言葉に、希望と意欲を見い出しただろうと思います。
地震と津波によって、家が壊れ、流された上に、鞭をもって追い立てられるように住む場所を追い出されてしまいました。
その状態は「難民」と変わりません。
しかも、追われた先で優しく受け入れられたわけではありません。
排除や差別。避難してきたその人に何か罪があるわけではないのに、「福島」を語れず隠れるように生活をしなければならない悲劇がありました。
人間ばかりではありません。愛犬や愛猫、家畜を置き去りにして逃げなければなりませんでした。
置き去りにされ息絶えた牛が、空腹のあまり畜舎の柱をかじっていた跡を見つけたときの飼い主の断腸の思い。

原発からの距離による補償で住民は分断され、心の段差を生んでしまいました。
家族も分断されました。先祖代々の土地と家を守りたい世代と子どもの健康を第一に考える世代と、それは決して矛盾しないはずなのに、一緒に暮らせなくなってしまいました。
放射線を浴びてしまった人々、特に子どもたちは、将来自分の身にどのようなことが起きるのか、不安を抱えながら生きていかなければなりません。子どもを持てるのか、結婚できるのかという不安もあります。
地震と津波は天災ですが、原発は事故であり大方人災です。事故を起こした原発では、今現在も更なる事故を起こさないための処理作業が続けられています。それは今後何十年続くか分からない作業です。
事故直後の状態は、この国の半分が人が住めない場所になるかどうか瀬戸際の極限的危機にありました。
それを守ったのは、命がけで、いや実際に自らの命を犠牲にして現場に突入した作業員たちでした。名も知らぬ彼らに、国民全員が感謝してもし尽くせないはずなのに、顕彰されることもありません。

最小限の被害、そう言われると、被害に遭った人々の悲劇はより際立ってしまいます。
事故が起こった年、原発の専門家が講演で言いました「今回は福島でラッキーでした」。
「風向きで、これが福井であったら東京は全滅」という脈略でしたが、「ラッキーって、お前な!」と腹が立って仕方ありませんでした。
東北は、いまだに搾取され利用されるだけの地なのか。
原発は、一度事故を起こしてしまうと原爆と変わらないのだということを実証してしまいました。
なのに学ばないのはよっぽどのバカなのかと思います。
オリンピックや万博のお祭り騒ぎは、被害者を忘れてもいい免罪符となりそうです。
1000年に一度とも言われた大災害を、10年も経たずになかったかのように記憶から捨て去るのは、悲劇から学ぼうとしない怠慢としか言いようがありません。で、同じことを繰り返してしまうのでしょう。

我々は、この大震災と同じ時代に生きています。
それは、一人一人がその痛みを共有し、それを教訓として、この国の方向性を正すための使命と責任を突き付けられたことなのだと受けとめましょう。悲劇を悲劇のままにしてはなりません。
ああ、亡くなられた人々よ、今現在も苦しみの中にいる人々よ、皆様の犠牲は決して無駄にしません。自分の生涯の課題として向き合っていきます。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ 200回!

2019年03月03日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第200回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月3日、日曜日。

ついに、ここまできましたね。
2015年4月に第1回目をスタートさせましたが、何故サンサンラジオを始めたのかといいますと、その前に、これはラジオとは言いますが仮想ラジオで、実際はこのネット上のブログです。
何人かから「どこで聴けるんですか?」というような問合せをいただいたりしましたが、残念ながら電波には乗っていません。
スタート時には、いたずらで「KYB全国ネットでお送りします」などと語っていたこともありますが、KYBは「空気の読めない坊さん」という意味でした。
更にはコマーシャルもあって、最上町の温泉旅館や商店などを了解も得ず勝手にコマーシャルにしていたこともあります。
で、何故始めたのかと言うと、まず、この「なあむ」というブログそのものですが、
ネット社会にはありとあらゆる情報があふれ、もちろん宗教関係もあふれています。
中には、心の弱い部分につけこむ怪しい宗教への勧誘、エセ宗教の詐欺まがいの情報などもあったりします。
一般大衆が気軽に触れるところに間違った宗教の解釈があるとすれば怖いことです。
だとするならば、既成仏教としても布教の場としてネットに参入しておく必要があるのではないか。
こんないい加減なブログで布教の場と言うのもおこがましいですが、また、キチンとした法を説いているサイトも最近はたくさんあるのですが、ま、そんな理由で、仏教に対する入り口として何か窓を開けないかと思ったのでした。
関心をもって読んでもらうには、読みたいと思わせるような楽しみも必要ですし、何よりも読みやすいものでなければなりません。
ということで、「抱腹絶倒シリーズ」のようなお遊びも書いてみました。
大きかったのは、震災関係です。
現場の情報をリアルタイムで写真も加えて流す媒体としては、ネットの力は大きいと思いました。
実際、このブログから「まけない!タオル」プロジェクトが始まったのですから影響は絶大でした。

サンサンラジオは、それまでブログのUPは気の向くまま、思いつきで書いたり書かなかったりだったのですが、定期的なUPでないと、どんどん読者が離れていくと感じていました。
そこで、自分に定期的な〆切を課すために始めたものでした。
いつもそんな感じで物事が始まるのですが、この場合も、先に頭に「三ちゃんのサンデーサンサンラジオ」というリズミカルなフレーズが浮かんできてしまったのです。「まけないタオル」と一緒。
「サンデー」となれば、毎週日曜日にUPしない訳にはいきません。
ということで、毎週日曜日のシリーズが始まったのでした。
ただ、文章を連ねるというよりは、ラジオっぽい話し言葉の方が気楽に読んでくれるだろうという目論見もありました。
更に、町の宣伝も加えればラジオらしくなるし、少しは地元貢献にもなるのではないかと考えました。
当初このページに来てくれる方はわずかでしたが、少しずつ増加して、現在は、毎週のアクセスが700~800代になっています。それが多いか少ないかは分かりません。
おそらくは、それに近い数の方がサンサンラジオを毎週読んでくれているのだと思います。
続けるのは苦痛に感じるときもありますが、自分に責任を課さないと自堕落に過ごすのは目に見えていますから、そして、毎週決まって書くことによって多少なりとも学ぶこともできますから、自分としてもいい機会だと思っています。
それから、中島みゆきは私の教本のようなものですから、それをみんなに知らせたいという気持ちもあります。いつかは、「みゆき心療所」という名前の、悩み事に中島みゆきの歌を処方するというブログも立ち上げたいなと構想もあります。
今後も楽しみながら続けたいと思っています。こんなものでよければ、どうぞおつきあいいただきますよう。
目指せ、『誰かとどこかで』12000回!


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。