なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ243 妻の魂胆

2019年12月29日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第243回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月29日、日曜日。

一部
もしやこれはカミさんの魂胆ではないかと思います。
近頃おかずがボリューミーな気がします。
もしや肉として売るつもりでは。
よもや自分で喰うことはないと思います。きっとまずいと思っているでしょう。
クリスマスも過ぎたし冬の間に肥えさせて春先に売るつもりか。
そんなに財政が切迫しているのだろうか。
 ♪目方で男が売れるなら こんな苦労は掛けまいに
寅さんの気持ちが分かります。
10月11月の「減量強化月間」もむなしく12月に入って自己ベストを更新してしまいました。
昨日は正月とて娘のだんなたちと息子の家族もやってきて楽しく飲んだり食べたりしました。
それが今朝の体重計に如実に加算されています。
ストレスがないのも要因ですかね。
一国一城のという職業柄仕事上のストレスがありません。
経済的なカミさんの嘆きも演歌と聞き流せば心に留まることはありません。
子どもたちがそれぞれ独り立ちし孫は時折顔を見るだけのいいとこどりで責任もありません。
その他には
歩くのは本堂までと寝るときに2階まで階段を上るぐらいですが、何か?
まだ雪かきがないことが原因ですね。減量のために雪は必要です。
カミさんの魂胆に負けず、来年こそはシュッとした体形になりたいと思います。
あとは、65になれば自然に痩せるという噂を信じるだけです。

二部
正月のお札を発注するのを忘れていて、気づいたときにはもう間に合わず、仕方がないので自分で作ることにしました。
中芯にする厚紙を裁断していた時、誤って押し切りで左手の人差し指を思いっきり挟んでしまいました。
幸い爪の上だったのでザックリとはなりませんでしたが、ハンマーで叩いたような内出血と疼きがあります。
しかし、爪の力というのは大きいですね。
これで爪がなかったらと考えるとゾッとします。
頭を剃る時も、時折爪を傷つけることがありますが、爪のガードのおかげで助かっていると思うことです。爪に感謝しなければなりません。
正月のお札は、先代がある時期まで手作りしていたことを思い出しました。
版木に刷毛で墨を塗りつけ、紙を当ててバレンで刷る様子を覚えています。
時折竹皮のバレンを頭でこするのは、頭の油で滑りをよくするためだったと思いますが、少し滑稽に見えながらも何だか職人のようでかっこいいとも思っていました。
年末の風景がずいぶん前に業者への発注に変わってしまいました。
その代わりということでもないですが、昭和60年の授戒会の時から印刷になっていた血脈の表書きを手書きに戻しました。それが今の年末の風景の一つになっています。

三部
中島みゆきが『with』で「ひとりきり泣けても、ひとりきり笑うことはできない」と歌っていて納得していますが、泣くこともひとりよりは誰かとなら思いっきり泣けるだろうと、朝の連ドラをみて思ったりしました。
手を取り合ってあるいは抱き合って、泣き合うことができれば、悲しみが噴き上げてきますが同時に悲しみの中に温かさも感じられるのではないだろうか。ひとりでは温かく泣けないと思いました。
喜びも悲しみも分け合うことができる。分け合うことで喜びは2倍に増え悲しみは半分に減る。
今年一年お世話になりました。来年も分け合う誰かがいればいいなと思います。
よろしければ、私にもwithさせてください。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ242 冬至とアングリマーラ

2019年12月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第242回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月22日、日曜日。

一部
朝5時半は真っ暗です。
本堂に行くのに電灯をつけるまでもなく、手探り足探りでローソクを灯し定位置に坐ればしばし静寂、朝課が終わるころには窓のガラスも白んで山の端もくっきりしています。
今日は冬至です。
冬至の風習は洋の東西を問わずかなり古いもののようです。
太陽の力が徐々に弱まり、極まったのが冬至で、次の日からは徐々に強くなるのですから、太陽の再生という新たな命のみなぎりを感じてきたでしょう。
北欧でも冬至のイベントは古くからあったようで、それにキリストの誕生日の意味が付加されてクリスマスが行われるようになったという話です。
いずれにせよ、今日が過ぎれば良くなるという期待感が冬至にはあります。それを「一陽来復」とも言います。
雪が降り寒さが厳しくなる本格的な冬の到来はこれからですが、間違いなく陽は毎日長くなるので、希望をもって生きていきましょう。

二部
お釈迦様の時代、あるバラモンに500人の弟子がいてその中にアヒンサという若い弟子がいました。アヒンサはまじめで智慧があり容姿端麗でもありました。
ある日、師匠が留守中に、その妻がアヒンサに横恋慕し誘惑をしてきました。アヒンサがそれを断ると妻は逆恨みをし、自ら衣服を破り戻ってきた夫に「アヒンサに乱暴された」と訴えます。
妻の訴えを信じた師匠は、アヒンサに恐ろしい報復を考えます。
「お前はワシの言うことを聞いて修行に励み、もう教えることがないくらいになった。最後の行を達成すればもう修行は完成する。それは、町で100人の人を殺すのだ。その指を100本集めたら修行は完成するだろう(1000人とする説もある)」。
アヒンサは驚き恐れおののきながらも信じる師匠の言葉に従い町に出ます。無我夢中で人を殺し指を切り取っていく。その数が99本になったころ、町では噂が広まり誰も外に出なくなっています。アヒンサはあと一人を求めて町をさまよいます。
切り取った指を糸でつないで首にかけていたことから町では「アングリマーラ(指の首飾り)」と呼ばれていました。
そんな時、彼の母親が息子の噂を聞き心配して町に出てきました。アングリマーラは母親をも手にかけるかもしれません。
そのことを聞いたお釈迦様は弟子たちの制止を振り切って一人町に出ます。
見つけたアングリマーラはお釈迦様を追いかけます。それが沙門、出家者だと分かっても血眼になったアングリマーラにはもう止めようがありませんでした。
しかし、アングリマーラがどれほど追いかけてもお釈迦様に追いつくことができません。アングリマーラは思わず叫びます「止まれ!沙門よ」。
するとお釈迦様は静かに答えます「私は止まっている。動いているのはお前の心ではないのか」と。
そこでアヒンサは我に返りその場にひれ伏します。
騒がしい心では、ものごとを正しく判断することができない。一度止まって心を静寂にすることをお釈迦様は教えたのです。
その後アヒンサは出家を許されお釈迦様の弟子になりました。
お釈迦様はアヒンサに町に出ての托鉢を命じます。
町では家族を殺された人々がアングリマーラを罵り、石を投げ、棒で打ちのめします。
ズタズタになって精舎に帰ってきたアヒンサにお釈迦様は声をかけます「耐えなさい」。
王の軍隊が精舎にやってきてアングリマーラを引き渡せと迫りましたが、お釈迦様は頑として首を縦に振りません。彼は出家したのだと。
自分が行ったことは自分で背負わなければなりません。しかし、出家をし、生き方を変える決意をした者はお釈迦様によって守られるという物語です。

三部
昨日から明日に変わる転換点の今日。
今日の生き方、今日の決意で新たな明日が生まれます。
もし今日がどん底であればあとは上るだけです。明るい明日がやってきます。
今日が冬至であればいいですね。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ241 死ぬふりだけでやめとけや

2019年12月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ

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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第241回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月15日、日曜日。

一部
今年もあと半月となりました。
そんなことを言いながら、何かバタバタ慌ててるわけではありません。
時間を惜しむように思索にふけっているわけでもありません。
ボンヤリ時を過ごしたり、グダグダしながら無為の時間を費やしているだけだけです。
時間が過ぎるということを、なかなか緊張感をもって感じることはできません。
言葉だけで焦っているように嘯いているだけです。
それが、本当に目の前に期限が迫ってきたなら、あの時もう少し時間を無駄なく過ごせばよかったと後悔することになるだろうことも予測しながら、それでもボンヤリしてしまいます。
60歳を寿命と定めて緊張感をもっていのちを見つめた季節もありました。それもなんなく過ぎてしまえば、若気の至りのような気恥しさが残るだけです。
人間てマジで愚図ですね。

絵本作家佐野洋子が、余命宣告を受けて発した言葉『2年と言われたら人生が急に輝きだしてきた。死ぬと分かるのは自由の獲得と同じだと思う』という目の覚めるような気持になれるのは、実際に権威のある人から証拠を示して迫られないと無理なのでしょうね。
嘘でもいいから誰か余命宣告をしてくれないだろうかと思ったりしますが、嘘だと疑う時点でもう効果はないでしょう。


二部
谺(こだま)雄二という人をご存知でしょうか。
詩文集『死ぬふりだけでやめとけや』を読んでいます。

 ハンセン病後遺症を刻んだ相変わらずの私の顔だが
 目の当たりにするとやはりギョッとする
 だがしかしこの顔に
 時に滴る汗には父から受け継いだ匂いがし
 一つだけの瞳には同病の母の最期が妬きついている
 両親の慈愛と悲哀とが交々こもるこの顔
 この顔ゆえにまた今日まで生きて来れたといえる
 かつて「らい」と呼び「民族浄化」の名において
 国家は患者の強制隔離撲滅政策をおし進めた
 戦後民主主義下での完治薬出現も意に介せず
 それは強行され続けたのだ
 もはや国家に刃向かうしかなかった
 私のこの顔は「鬼の顔」になり
 人間のふるさと探しの「長い旅」に出た  (2012年「ここに生きる」)

1932年東京生まれ。7歳でハンセン病が発症、母と兄を同病で亡くします。「隔離政策」の下、多摩全生園と草津の栗生楽泉園で人生のほとんどを過ごします。
戦後プロミンができてハンセン病は完治していきます。しかし、それでも「らい予防法」は残り、偏見と差別も引き継がれ、後遺症である顔の変形も治ることはありませんでした。
詩人であり、国家の差別政策と闘う闘士。2014年この本ができた2か月後に82歳で亡くなっています。

「俺は鬼だ、国によって追いやられている鬼だ、人間に疎まれて桃太郎に征伐される鬼だ、ここは桃太郎に宝物を奪われる鬼たちの島だ。しかし、鬼はいったい何をしたというんだ?鬼は人間社会に悪いことをしたか?桃太郎の昔話にもそんなことはどこにも書いていない。われわれは何も悪いことをしていない、なのに鬼が島に追われた鬼なんだ。療養所は今でも鬼が島なんだ。」(「鬼になる」)

うかつに感想は言えません。
あまりに重く、あまりに痛く、あまりに熱い。
しかし、読んでよかった、知ってよかったと思います。私の命の中で、熟成され発酵していくと思います。
この本、買ってからしばらく手に取っていませんでした。おそらく5年。その時間の置き去りを悔やみます。

 カン カン カン カン 鉦たたけ
  どうせ 行き場が ねェんなら
 ぢいさまよォ 死ぬふりだけで やめとけや
  オレたちが この世から 滅べば
   汚点(しみ)が消えたと 笑うやつらが いる
 笑わせて たまるか 生きてやれ  (1969年「死ぬふりだけでやめとけや」)

三部
やるべき時にやるべきことをやらないと、後に悔やむことになります。
あなたが、あなたの残りの時間を、最期に振り返って、貴重な時間だったと思えることを祈ります。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ240 成道とジグソーパズル

2019年12月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第240回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月8日、日曜日。

一部
3日に南米から帰国し、そのまま東京で「シャンティの日」に出席。
シャンティ国際ボランティア会の設立記念日集会です。
さすがに疲れて、4日は何も用事がなかったため一日寝ました。
時差が12時間で、昼夜逆転の体内時計を戻すのは結構しんどいです。
待っていたかのように雪が降り、5日は雪を片付け、午後から東根で講演。終わってもがみ地産地消エネルギー「もっちい」のセミナー懇親会。
6日は雪かきと英会話。
7日法事と河北町環境を考える会忘年会とあっという間の1週間でした。
これで今年の大きな予定は終了という感じです。
今年も結構動きました。
「忙しそうにすることで何かを成していると勘違いしてはならない」というような言葉があったように思いますが、まったくです。バタバタしているだけという自嘲があります。
例えば、12月1日から8日は、宗門では成道会に因んでの接心、坐り詰めの期間とされています。
国内に限らず、南米北米、ヨーロッパ、ブラジルの道場でも接心が行じられます。
それぞれの寺で、誰にも知られず黙って一人坐っている僧もいるのです。
それなのに、講演だ忘年会だと走り回って落ち着かないことを恥じねばなりません。

二部
今日はお釈迦様のお悟りの日、成道会です。
松林寺では梅花講の総会と合わせてお勤めをします。
お釈迦様のお悟りとは何か。
お釈迦様は、「生死の苦悩からの解脱」つまり、生きる苦しみからの解放を求めて出家し、その果てに、苦しみの原因は何かを探り当て、その原因から解き放たれる方法論を発見した、それがお釈迦様の大いなる気づき、悟りだとされます。
現象的には、菩提樹の木陰に坐り7日7晩、8日目の朝の明星を見て「我と大地有情と同時成道す」と言葉を発した、それがお悟りの内容だとされます。
それはどういう意味か。
この世の生きとし生けるものすべてが自分が悟ると同時に悟った、という意味なのでしょう。
それを私なりに説明するのに、ジグソーパズルのたとえがいいかなと思いつきました。
我々は、命のありようを組み合わせ前のジグソーパズルのピースのように見ているのではないか。
一つ一つのピースはそれぞれバラバラに存在し、他の命との関係性が見えない。
出っ張ったりへこんだりして、互いにぶつかり、他の出っ張りを邪魔だと憤ったり、へこみを「足りない」とさげすんだり、他を牽制し、排除し、無関心を装っている。
しかしお釈迦様は、命が全て組み合わさった完成したジグソーパズルとして見えたのでしょう。
出っ張りやへこみは、それぞれの足りないところを補い合っていたのだ。何ひとつ要らないピースはなく、また不足のピースもない、すべての存在が一枚の絵のように過不足なく美しく収まっている。
そのように見えれば、既に命と命の境界すら存在せず、自分の命も絵の一部に過ぎなかった、それがこの世界のありようなのだと見えたのだと思います。「諸法無我」。
全体で一つの命だとすれば、右手と左手がジャンケンするようなもので、争うことの無意味さが見える。他を傷つけることは自らを傷つけることであり、他の幸せが自らの幸せと感じる。
しかも、その絵は静止画ではなく常に動き続ける動画であった。「諸行無常」。
だとするならば、一つが動けばすべてが動く、すべてが変わる、別の絵になる。
お釈迦様一人が悟れば、全体が悟りの絵になる。
それが「同時成道」の意味だろうと、そんな気がしたのです。
そんな話を、ブラジルでさせていただきました。

三部
ブラジルと日本。地球の真裏で坐っても、同じ大地に坐っている。
そのことに不思議な感慨を覚えました。当につながっているのです。
現実問題、他と争わないで生きる社会の実現は簡単なことではないでしょう。
「個を大切にせよ」「自分をしっかり持て」などとも言われます。
しかし、その延長線上に自分ファーストがあるでしょう。
お釈迦様が気づかれた世界のありようは「無我」なのであり、その気づきに近づこうとするのが仏教徒なのだろうと思います。
その気づきに体ごと投げ出そうというのが坐禅です。悟りの姿そのものになろうとするのです。
ブラジルでは今もこの時間坐っていることでしょう。
さて、こちらからも今朝の一チュウ(火ヘンに主)坐りましょう。成道の朝です。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ239 オブリガード

2019年12月01日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第239回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月1日、日曜日。

今週もブラジル、サンパウロからお送りします。
南半球は現在夏に向かう季節で、ブラジルもさらにはパラグアイはとても暑いと聞いていましたが、雨が降ったりでそれほど気温は上がっていません。朝晩は肌寒いほどです。
今は現地時間で30日の夕方5時です。

さて、こちらに着いてからサンパウロ佛心寺の60周年記念法要が勤まり、終わって25日パラグアイに向かいました。
途中、世界遺産イグアスの滝に連れて行ってもらいました。
ここのところ干ばつで水量が少ないということでしたが、それでもその規模と迫力は世界一の滝と称されるだけのことはありました。
ある時アメリカ大統領夫人がここを訪れ、思わず「ナイヤガラがかわいそう」と言ったとか。それほどの規模です。

25~27日、パラグアイ、イグアス市拓恩寺では新住職就任の晋山結制が挙行されました。
10年前に機縁があって、「パラグアイに最初の仏教寺院を」という思いに共感した日本人僧侶、現地日系の人々が力を合わせてこの寺ができました。そしてこの度新住職が誕生し晋山式を迎えたというわけです。
当日の法要も残すところあと一つとなった夕方、雷が鳴りだし大粒の雨が降ってきました。日照りが続き、農作物への影響を心配していた農家にとって、まさに甘露の法雨、恵みの雨となったのです。
地元の人々は「これだけ大勢の日本人僧侶がやってきて祈祷してくれたおかげだ」と大いに喜びました。

パラグアイへの日本人移民が始まったのは83年前、イグアスへの入植は58年前のこと。
現在、市の人口が12000人で日系人が約1000人。その多くが日系人居住地に住んで大豆を中心とした農業を営み、日本の文化と生活習慣が今も生きています。言葉も日本語が完璧に通じ、農協のスーパーには何でも売っています。
法要が終わって祝宴が行われたとき、たまたまテーブルで向かい合ったおじいさんの言葉になまりがあったので「お父さん出身はどこ?」と聞くと「山形だ」と。
「山形のどごよ」「東根」「なんだ、俺も山形だ、最上まぢ」「なえだ、山形弁なづがすいなー」と、手を取り合って語り合いました。
聞けば、昭和31年、25歳で希望を抱いてこの地に渡ったと。入植地は別のところだったが、原生林の大木を切り倒すことから始まる開拓は困窮を極め、小川のそばにテントを立てて川の水を飲んで暮らしていた。
3割の家族は耐えられずに他へ移ったり日本に帰国したりした。
ここに移ってからは割と安定した生活ができるようになった。
そんな苦労話を顔をくしゃくしゃにしながら話してくれた。
別れ際、「地球の裏側で頑張っているおれのごどを覚えでおいでくれ」と手を握りしめた言葉が印象的だった。
あなたの笑顔とゴツゴツした手のひらは、決して忘れませんよ、石井さん。

サンパウロに戻り、翌28日は佛心寺で毎月末の木曜日恒例の「施食会」でした。
法要というよりも、いわゆる炊き出しで、12時に梵鐘が鳴り門が開かれると行列を作って待っていた地域の人々が本堂に入り、観音様に手を合わせて焼香をしてからカレーライスを受け取り、その場で食べるというもの。
その間、待っている間に書いた願い事の紙を導師が読み上げ、1時間にわたり読経するというやり方でした。
障害のある方や生活困窮者などもいて、毎月この日を楽しみにしているとのこと。
寺の婦人会の方々が食材の買い出しから調理までボランティアで参加して、約300食を作るとのことでした。
寺の開放と布教そして福祉活動を同時に成し遂げているこの活動は素晴らしいと感嘆しました。

昨日の夜は小さな禅道場での坐禅会。
住宅をお寺に仕立てた作りで、狭いけれど景観も良く、おしゃれな禅堂でした。
15分の坐禅とお話、それから質疑応答と続き、皆さんまじめで、穏やかで、静かな時間を共有できました。
地球の真裏でも、同じ大地の上に坐っているんだなと不思議な感慨がありました。
今晩、もう1か所の禅堂でお勤めして、明日帰国の途に就きます。
こちらを発つのは現地時間1日の朝ですが、メキシコ経由で日本に着くのは3日の朝です。
オブリガード!ありがとうブラジル。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。