なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ376 月を釣り、雲を耕す

2022年07月31日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第376回。7月31日、日曜日。

昨日は谷地宿用院に泊まって、そこからお送りしています。
宿用院は今年開山500年の記念の年を迎えていますが、その前身があり、平田山という場所に耕雲寺という寺が創建されたのは今から628年前のことです。その時の開山は總持寺の住職であった普済善救禅師。平成5年にその600年祭を勤めました。
その後耕雲寺は廃れてしまいましたが、百数十年後、善救禅師を慕った通山長徹和尚が柏崎からやって来て新たに寺を開山した、それが宿用院です。
そこで、500年に因み、耕雲寺の跡地を見てみようという企画で遠足に出かけたという訳です。
炎天下の中20名ほどの檀家衆とワイワイ言いながら山道を登りました。
といってもたかだか30分ほどのウォーキングです。
里に下りて、寺で昼食という飲み会が始まりました。
暑いし、疲れたし、すぐに酔っぱらってお手上げになってしまいました。

先週はお経を読む、いわゆるお仕事が一件もありませんでした。
更に昨日今日の土日も来週いっぱいも、今のところ一件もありません。予定表はブランク状態です。
なので、昨日の遠足にも参加できたという訳です。
今のうちに秋に入っている予定の原稿類8本を準備しておこうとかかっています。
そしてもう一つ、宿用院の門柱の揮毫があります。
いつの頃建てられたものか定かではありませんが、現在の門柱があります。
しかし、経年劣化というのでしょうか、特に土台のコンクリートに接する部分からボロボロと崩れてきていて、一番下の文字の半分くらいが欠けてしまっています。
このままだと倒れる可能性も心配され、記念の年に因み新調しようということになったようです。
ついては、その文字を前住職である私に書けと現住職の達しです。
文言は前のものをそのまま使うということで、文字だけを書くことになりました。
元来、頭と恥はかくけど字は書かないと宣言しているのですが、よその人に書いてもらうより前住職がいいと檀家も言うそうなので、上手い下手ではないなと受けることにしました。

 耕雲山上留仙钁(こううんさんじょうせんかくとどまり)
 宿用門下接鳳麟(しゅくようもんげほうりんせっす)


現在の山号は「平田山」なのですが、おそらくこの門柱を建てた時代、旧蹟の寺号「耕雲寺」を残したいと山号に使ったのではないかと思っています。
「釣月耕雲」という道元禅師の言葉があります。
深山幽谷の道場で修行することは、自然に身を任せ自然から修行せられるということでもある。
自らの心を釣り、自らの身体を耕す。そんな心構えで坐禅に参じてみよ。というような意味でしょうか。

 雲を耕すように無心に修行したここに、仙人(仏祖)の钁(くわ)がまだ残っている。耕すべし。
 この道場には、鳳凰や麒麟のような勝れた道者が集まって来て宿にしている。いよいよ坐禅弁道せよ。


上手い下手ではない、とは言っても、百年単位で残り続ける石の門ですから、チャチャッと書けるものではありません。
門柱の幅に合わせて紙屋から障子紙を買ってきました。
2・3枚書いて、それなりに書けているように見えました。
それでも、ここをもう少しこうしたらと書いてみる度に納得のいかない所がだんだん見えてきて、あっという間にロール紙2本を使い切ってしまいました。
追加3本を買いに紙屋に行くと「大作ですね、何メートル書くんですか」などと言われましたが、納得した字が書けないだけです。
結局、買い足した3本目の途中まで書いて何とかとりあえずの納得を得ました。
メートルに換算すると、実に90mにも達したでしょうか。
まだ時間はあります。もう少し時間を空けて、改めて見直してから、これで良しとするか更に書き直すか判断したいと思います。

思うことは、やればやるほどダメなところが見えてくるということ。更に続けると、次第にいい方向が見えてくるということ。
後はどこで納得するかという自分との折り合いです。
自分の現在の能力以上のことはできないので、これ以上は無理というところまでもって行けるか、その見極めかと思います。
開山五百年祭法要は10月1日です。
その記念の年に巡り合える喜びを檀家一同と分かち合いたいと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ375 楽しむことに貪欲

2022年07月24日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第375回。7月24日、日曜日。

東京に来ています。
弟のような古い友人の父親が亡くなり、その際はと以前から葬儀を頼まれていました。
昨晩がお通夜、今日が葬儀です。
大正15年生まれ。三男なのに何故か名前が「八郎」さん。
18歳で志願兵として陸軍柏飛行隊に入隊。
法務省統計事務官を勤め上げ、退官後も達筆を見込まれ、72歳まで法務省発行の表彰状の一切を書いたという、謹厳実直を絵に描いたような人生でした。96歳。
訪問看護で自宅で亡くなり、都内では珍しく自宅葬でお送りします。
「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」などと言いますが、人が亡くなった後にはその人の生き方が名とともに語り継がれます。
八郎さんの人生を一言で表現するとすればまさに「謹厳実直」以外にないでしょう。
それを基にして、戒名は「正厳八道居士」としました。
曲がったことが嫌いで自分に厳しい生き方、という意味もありますが、八郎さんの名前を生かせば「八正道」という言葉がすぐに頭に浮かびました。
お釈迦様がこの世のあり様を諦観した、苦諦、集諦、滅諦、道諦の「四諦」、そして悟りへの道として説かれた「道諦」の内容である八つの正しい生き方「八正道」。
八郎さんの生き方はその道に沿ったものと受け止められますし、また、戒名を拝む子孫に、死して後も仏の道を示してもらいたいという願いを込めました。
謹んでお勤めさせていただきます。

先週の日曜日は気仙沼でした。
清凉院さんにて「やなせななバースデーコンサート」が開かれるということで行ってきました。
特に今回は、最上の地酒「山と水と、」のテーマソングを本邦初公開で歌ってくれるというので、敬君と勇んで行きました。
何度も言っていますが、この歌は作詞三部義道、作曲柴田敬の同級生コンビで、一番最初は清凉院副住職の三浦賢道さんに歌ってもらいCDも製作しました。
その後、東京の堀内伸さんという方にカバーしてもらいました。これもいい歌でした。
そしてこの度、ピアノの大山りほさんがバンド演奏にアレンジした曲を、トランペットとヴァイオリン、ピアノ、ベース、ドラムの生演奏でやなせななさんが歌ってくれたのです。
出だしからトランペットで、一気に演歌モードです。ヴァイオリンもいい味を出していました。
とてもいい曲になり、会場でも一番拍手が多かったと思います。
清凉院さんとは震災以前からのおつきあいでしたが、震災後時を追うごとにつき合いのつながりが強くなり、いつしか「兄弟」と呼ぶ仲となりました。
ななさんとも同じように、震災後一気に結ぶ糸が太くなり、清涼院さんと一緒に「兄妹」となりました。
コンサートの後の打ち上げは、想像通りというかいつも以上の大騒ぎで、とても賑やかに楽しく過ごしました。

清凉院さんとの共通点は、楽しく生きようとする姿勢だと思います。兄曰く「波長が合う」と。
自分の楽しみは自分で見つける、あるいは自分で作るという考えと方向性です。
自分の楽しみを他人まかせにし、誰かに依存して受け身ではダメです。
楽しいかどうかは自分の問題です。他人から押し付けれられるものでもなければ、誰かと比べて感じるものでもありません。
自分で楽しいと感じるように自分で仕向けていく以外にありません。
そういう意味では、兄も私も貪欲です。貪欲に楽しみを見つけようとしていますし、どうやったら楽しくなるか、そのために何をすればいいか、そのための努力を惜しみません。そこが「波長が合う」ところです。
楽しみに向かって努力している時が楽しいし、そう感じられる自分を自分でいいと思います。
なので、結果ではなく、経過そのものを楽しもうとし、それが目的でもあります。
たとえ、経過の中で死んだとしても、その楽しさの中で死ぬのですから幸せだと思います。
おそらく二人とも、死ぬまで楽しさを追及していることでしょう。
病気のベットの上でも、どういうことを言えば看護師や病室の人を楽しませられるか、それを考えることに楽しんでニヤニヤしているように思います。
それができなくなったら多分、早めに息を引き取るのじゃないかな。思い残すことはないと。
あるいは、ボケたままでニコニコしているかもしれません。それもいいですね。何を考えているのでしょう。
それを考えただけで、今から楽しくなります。
「貪欲享楽」それが二人の名とともに残る生き方となるはずです。
ああ楽しかった。

山と水と、やなせなな

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ374 バックムーン

2022年07月17日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第374回。7月17日、日曜日。

梅雨明けと言われてから雨が降っています。
前から「梅雨入り」だの「梅雨明け」だのあまり意味がないように思っています。
そう宣言されても雨は降るのだし、宣言されなくても暑くはなる。
桜の開花も、自分で咲いたなと見ればいいだけのことで、誰かに証明してもらう必要はないでしょう。
日本人はどうも、一斉に同一の感情を持ちたいと思う民族なのかもしれません。
誰かが亡くなれば、みんな一緒に悲しむべきだとする、悲しまない人は非国民みたいな。
あの人が悪いとなれば、国民全員で攻撃しなければならないような。
いわゆる同調圧力が支配している空気を感じます。
それが時には戦争に駆り立てたりもするのでしょう。
「一億玉砕」の空気の中で独り「戦争反対」を叫ぶのはとても大きな勇気がいるし身の危険も感じるはずです。
それでも、常に仏法に軸足を置き、世法や世論に流されず、毅然として生きていきたいと願います。
明治時代に社会主義運動家として活動し、大逆罪という汚名を着せられて36歳で死刑に処せられた内山愚童という曹洞宗の僧侶がいます。
当時、曹洞宗から僧籍がはく奪され排斥処分となっていましたが、平成5年になって処分が取り消され名誉が回復しています。
愚童のように生きられるかといえば、自信がありません。周囲と争いたくはないという気持ちもあります。
仏法に軸足を置きながら周囲とも争わず、毅然とした態度をとることができるものかできないのか、それがその時のテーマとなるでしょう。
「他をして自に同ぜしめて」と修証義にあります。
周囲を自分の考え仏の教えに近づけていく、それが布教教化というものなのですからそうありたいと思います。
今現在、不穏な流れの源流が始まっているという見方もあります。だとすれば、「その時」ではなく今から態度を鮮明にして、「非戦」を語っていく必要があるだろうと思います。
梅雨の話からずいぶん深入りした話になってしまいました。

14日木曜日がスーパームーンだというので楽しみにしていましたが雨で見られなかったので梅雨の話を始めたのでした。
7月の満月が一番地球に近づき大きく見えるのだそうで、バックムーンとも言うそう。因みに「バック」とは牡鹿のことで、この頃に角が生え代わることからネイティブアメリカンがそう呼んでいたとのこと。
先住民にとって、自然の営みは生活そのものと直結したことで、最も大きな月の光は神々しさを感じ、お祭りを待つような期待でその時を待っていたのではないかと想像されます。

ずいぶん前にカンボジアに行ったとき、田舎のお寺に泊めてもらいました。
その辺りはまだ電気が来ておらず、真っ暗な室内でローソクの灯を頼りに食事をいただいたりしました。
陽が沈んでとばりが下り始めた時住職が、村人に話に行くけど一緒に行かないかと誘ってくれたので、勇んで懐中電灯を手に外に出ました。
すると、ちょうど満月が上って来て大きな樹が地面に影を落としていました。
住職の後をついていくと、田んぼの畔道を歩いて行きましたが懐中電灯など全く必要がないほど皓々と月光が照らしています。
遠くから音楽が聞こえ、近づくと大勢の村人が集まって何かやっています。
見ると、鍬で土を起こす者、それを運ぶ者、崩れた道に置いて足で固める者、傍らではラジカセから流れる大音量の音楽に合わせて子どもが体をくねらせています。それを畔に腰掛けた老婆がニコニコと眺めています。
みんな楽しそうに笑っています。お祭りのようです。
住職は「月が出ている半月はこうやって、雨季の時期に壊れた道を村人総出で直しているのだ」と。
昼に見る村人は、家の中でゴロゴロして、働かないから貧しいのだろうなどと勝手に思い込んでいましたが、暑い時間に動くよりも涼しい夜に働いた方がいいに決まっています。
何より、みんな楽しそうな様子に感動しました。
月の半分は月の光で明るいのだと初めて知りました。
この時私は思いました。
夜を暗くしたのは電気ではないのか、と。
夜は暗いものだと思い込んでいた自分の生活の不自由さに気づきました。
村人に「隣町まで電気が来ているけどやっぱり電気があった方がいいと思う?」と尋ねると、「この村はまだなくてもいい」と答えてくれました。
あれから30年余り。
あの村にも電気が来たのではないかと思われます。
今でも月の半分、総出の作業をしているでしょうか。
それとも、それぞれの家の中で、テレビを観ながら夜を過ごしているでしょうか。
明るい家と暗い家に分かれていないでしょうか。
みんなが笑顔で暮らしているでしょうか。
電気が来たために、村が暗くなっていないか。ちょっと心配です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ373 バイオリズムが

2022年07月10日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第373回。7月10日、日曜日。

安倍元首相が銃撃され亡くなりました。
無差別殺人であろうが、怨恨の殺人、暴行殺人、なんであろうと殺人が許されるわけではありません。
人が殺されることは、少なからず人々にショックを与えます。
ただ、元首相が対象という場合は、国全体を揺るがす大きなショックであることは間違いありません。
SPも警護していたのだろうし、大勢の群衆の中で、その真ん中で注目を集める演説中に、まさかこんなことが起こるとは。しかも5mという至近距離から。
いったいどうしてこんなことが起こり得るんだろう。時代感覚がマヒしそうです。
犯人の動機と理由はどうあれ、何が起こるか分からないということに慄然とし背筋が寒くなる思いです。
世界中の流れがどうもおかしい。
動かないと思っていた大岩が、ゴロゴロと崩れ落ちていくような胸騒ぎがします。
この時代にまさかの戦争が起こったり、この時代にまさかの大物政治家の銃撃があったり、これ以上のまさかがないことを願いますが、これが暗黒の時代への号砲にならなければいいと漠然とした不安を感じます。
実力行使ではなく、なぜ言葉を使わないのか。
相手を攻撃することで意思疎通を図るとか、理解し合うというようなことはありえません。
相手の意見を聞き、誤解を解いたり、理解し合えないところは妥協点を見つけるとか、それは全て言葉によるやりとりです。
言葉を持たない動物ではないのですから、人間の能力を発揮しないのは怠慢でしかありません。
武力や暴力に対して同じ手段で対抗しようという構え方も同じように怠慢という以外ありません。
もっと言葉を使いましょう。

以前「バイオリズム」というのが流行ったことがありました。
身体と感情と知性には一定の周期があって、誕生日から計算して現在どういう周期にあるかというのを自己認識できるというような概念です。
観光地やデパートなどにそれを測定する機械があって、100円でその時の自分のバイオリズムを測ることができるという代物でした。
恋愛とか金運とか、占いのような使い方をしていたように記憶しています。いつの間にか消えていましたが、根拠の薄い疑似科学の提唱だったようです。
そんな懐かしい言葉が頭に浮かんだのは、どうも近頃気分が沈んでいるからです。
周りのみんながそれぞれ活躍してキラキラ輝いて、自分一人が置いてけぼりになっているような焦りを感じます。
そういう時には決まって、封印していた嫌な思い出が次々と顔を出して尚のこと暗い気持ちになります。
暇なせいかもしれません。
学生時代から、自己嫌悪に陥り苦しむのは暇であることが原因だと自分の中で診断ができていて、悩む時間がないように無理やり用事を詰め込むという対処療法を身につけてきました。
ただ最近は、暇であってもさほど苦しまないこともあり、それほど暇でなくとも悩むこともあります。
なので、バイオリズムが、と原因を他に求めてみたくなるのです。

昔から徒党を組むことが好きではありませんでした。
徒党を組むくらいなら孤独の方がマシと思ってきました。
それは、周りからみれば傲慢だったのかもしれません。
自分だけいいカッコして。周りをバカにして見ているんだろう。
確かにそう見えたのではないかと振り返って感じることがあります。
周囲の人が、陰であんなことこんなことを言っているのではないかと、特定の人の顔と声で想像されます。
孤独であろうが、誰に何を言われようが、自分のしたいことをやり通す。足を引っ張るようなマイナスの意見は耳を塞いで聞こえないようにする。
そんな風に過ごしてきたように思います。
それで何も怖いことがないという自体に年齢が関係しているかもしれません。若気の至りとか。
老いぼれてきたのでしょうか。
動物の世界でも、老いぼれたオスは世代交代で若オスにボスの座を奪われるらしいので、その寂しさを感じてきているのかもしれません。
それが自然のあり様であるならば、その寂しさを味わっていくしかありません。
若い者のキラキラした姿をまぶしそうに眺め、オレもあんな時があったなと感慨深げに回想し、これでいいのだと自分に言い聞かせて静かに過ごす。
それが隠遁生活というものなのでしょう。
夏の暑苦しい時期よりも、落ち着いた秋の季節が高齢者には向いています。まさに自然の流れですね。
バイオリズムではなく、少しずつ失っていく寂しさに慣れていくための下降線上のことなのだと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ372 老人性ショック

2022年07月03日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第372回。7月3日、日曜日。

7月前に山形でも梅雨が明け、長い夏に入りました。
命にかかわる気温に注意を呼びかけられています。
以前の報道で「猛暑」とか「酷暑」という言い方はありましたが、「危険な暑さ」という表現はなかったと思います。
気温そのものが命にかかわる危険なものというのは最近の認識なのだと思われます。
シャンティのアフガニスタン事務所では50℃を超えると知り、それこそ「危険」と認識しましたが、まさか日本でもそういう状況になろうとは思いませんでした。
アフガニスタンではそんな時は厚い土壁の家の中でじっとして外には出ないという対処が文化として根付いてきたと思われ、日本の家屋が開け放しで風が通る造りなのも暑さをしのぐ智慧の文化だったのでしょう。
その土地の文化や習俗は、その土地の気候と密接に関わって出来てきたものでしょうから、花鳥風月を愛でる日本の文化はこの土地の四季の移ろいから生まれたものに違いありません。
現在のように「冷房を使ってください」と当然の如くに言われると、この国の文化が基盤から崩れてしまってきているという感じが否めないし、かといって急激に砂漠の文化を作り上げるには時が間に合わないでしょう。
温暖化対策というものが、生物の生存や経済の持続性という問題だけでなく、文化の継承にもかかわる重大な問題を含んでいると受け止めなければなりません。

30日木曜日に東京から古い仲間がやって来て、さくらんぼ狩りをしたいというので東根まで行きました。
さくらんぼ園はオープンしていましたが、「子供連れがいっぱい来て手の届くところはみんな食べてしまった」と言う通り、脚立に上っての狩りでした。
それでも、佐藤錦と紅秀峰が堪能でき、大人にはある程度食べれば十分です。
その後あちこちに送りたいということで産直の施設に行くと、すごい人であふれ、箱入りのさくらんぼが飛ぶように売れていました。
先日の新聞で、紅秀峰の品評会があり最優秀賞に輝いた品は何と500ℊ60万円とか。写真で見ると一箱70粒かと思われ、計算するとえー!一粒8500円!驚きです。
誰が買うのかなどはどうでもいいことで、マグロでもメロンでも、とんでもない値段はその地その品全体の評価を上げる効果はあると思われ、ニュースに取り上げられることが大事なのでしょう。

孫がやって来て、見る度に成長している様子がまぶしく目を細めながら眺め、楽しみが膨らみうれしい感情に包まれます。
同じ速度でその祖父母も成長を重ねているのですが、こちらは終末に向かっているのでうれしいということではありません。
人間は死ぬまで成長し続けるものと受け止めていますが、楽しい成長もあれば悲しい成長もあります。
母親が衰えていくのと孫を対比しながらどちらからも学んでいかなければなりません。
高齢者と呼ばれる年齢になれば、それなりにいろんな変化ができてきます。
食事の量も内容も変化してきます。
大盛ラーメンに餃子を平気で食べていたことが不思議なぐらいです。
たまには脂たっぷりのロースとんかつを無性に喰いたいと思っていましたが、もうしばらく行っていません。
三度の食事でも野菜中心で肉や魚もそれほど欲求が湧きません。
酒の量もめっきり減りました。それとともにわずかですが体重も減ってきました。
立ち上がる時に弾みと掛け声で勢いをつけないといけません。
耳鳴りがして、涙目で字がぼやけて読みにくいなどなど、ある意味順調な成長を遂げています。
問題は脳です。
お経がどこかで迷子になり、どこへ行くのかお経に聞いてくれみたいな、申し訳ないことも度々です。
人の顔と名前が一致しないことなどしょっちゅうです。
先日も何か失敬なことをやらかしたような気がするのですが、それが何だったか思い出せません。
都合の悪いことは無理に思い出そうとしないことにします。
忘れることも一つの防衛能力なのでしょう。

今月の掲示板に書きました。

あなたの
名前が
出てこない
老いる
ショック!


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。