なあむ

やどかり和尚の考えたこと

微風旋風6「戻れない」

2013年12月30日 12時07分49秒 | 微風旋風

人間はどこまでいくのでしょうか。

自然からどんどん離れて、やがて戻れなくなってしまうのでしょう。

卑近な例ですが、私自身、一度おしり洗浄トイレを使ったが最後、元には戻れません。冬場に、暖房が付いていない便座に腰掛けるのも勇気が要ります。そもそも、様式でなければ厳しいと感じます。ボットン(くみ取り式便所)には恐怖を覚えます。

ボットンや和式の便所はかつて経験したものなのに、今更戻りたくはありません。

新たな便利なものを使うまでは特に不便ではなかったはずなのに、一度慣れてしまうと、それがないと具合が悪く感じてしまいます。

便利で快適なものには当然経費が掛かります。

毎日使用する度に、電気や水を使わざるを得ません。江戸時代、人ぷんは売ることさえできたのに、今や流す度にお金が掛ります。トイレ一つとっても、かくの如しです。

携帯電話、パソコン、家電製品・・・。生活に掛る経費は、50年前に比べたら何倍になっているのでしょうか。

その経費を稼ぐために、余裕なく働き、疲れ、ストレスをため、家族との関係がうまくいかなくなることもあるでしょう。

人間が道具を使うのではなく、道具に使われているようなものです。さらに、自然も破壊していきます。

だとしたら、便利・快適は、むしろ不幸の種ともなり得るのではないでしょうか。

今後もますます便利で快適な道具が開発されるでしょう。今、当たり前と思っていることも、その道具を手にしてしまえば、前には戻れなくなってしまうはずです。

道具が問題なのではなく、「戻れない」ことが問題なのです。

人間にはどこまでいけば十分ということはなさそうです。恐ろしいですね。

それは、「成長」などというきれいな上昇ではなく、底なし沼にズブズブと沈んでいくことなのではないかと、トイレに座って思ってしまったこの頃です。

時折、山にでも行って、不便で不快ではありながらも、自然の喜びを感じることが必要なのかもしれません。

春になったら。


微風旋風5「過去帳から見えるもの」

2013年12月27日 14時51分20秒 | 微風旋風

山形県最上町の松林寺は元和元(1615)年に開かれた寺で、明後年に400年を迎えますが、途中に火災に遭い、現在残っている過去帳は260年前の宝暦3(1753)年からのものです。

過去帳とは、亡くなられた檀家の方の戒名を年ごとに記録しているもので、その当時の時代背景が想像されます。

ページをめくっていると、奇妙なことに気づきました。年によって、死亡者が少ない年と極端に多い年があります。

中でも、宝暦6年には何と71霊の戒名が記載されていました。その前後の年が10霊ほどであることを考えれば驚異的な数です。

これは何かあったのではないかと思い、「最上町史」をひもといてみると、案の定、前年の宝暦5年は最上地域内全域で大凶作となり、飢餓状態になったことが記録に残っていました。

米が全く実らず、ワラビやフキの根っこを食べたと記録にはありました。更には、稲わらを細かく切って煮て臼でついて作る「藁餅」の製法などの資料もありました。

それでも飢えをしのぐことはできず、餓死する人が絶えなかったということなのでしょう。ほとんど毎日葬式をしていたような状態だったろうと思います。

「明日は誰が亡くなるのか」、まさに地獄絵図の様相ではなかったでしょうか。

その後も東北各地は、大凶作、凶作、不作を繰り返すような時代が続きます。

昭和の初めにも大凶作が襲い、当地では娘たちが売られ、「身売りの村」などという不名誉なレッテルを貼られたこともあったようです。

それでも、われわれの先祖はこの地で生き継いできたのだなと、感慨と敬意を覚えます。

同時に、今の暮らしの何と不遜なことかと思います。

毎日毎日3300万食分の食糧を捨てている国、日本。そのことをきっと空腹とともに後悔する日が来るような気がしてなりません。

われわれは先祖の貯金を食いつぶして、子孫に借金だけを残す時代の人なのでしょうか。なんと情けない、なんと申し訳ない。

先祖の苦労に敬意を感じなければ、今ある生活に何のありがたさも喜びも感じることはできないでしょう。

概して幸せを実感することはかなわない。実にもったいないことです。

(11月7日)


微風旋風4「心の柱を立てる」

2013年12月25日 19時37分46秒 | 微風旋風

3日から7日にかけて、私が松林寺とともに住職を務める山形県河北町の宿用院で、晋山式と授戒会が執り行われました。

晋山式は寺の住職の就任式で、宿用院では、この度私が退き、弟子が40世住職となりました。授戒会は、仏の戒律を守ることを誓うことにより、仏弟子の名前「戒名」を授かり、その証として「血脈」を頂く法要儀式です。キリスト教的に言えば(そう説明しなければならないのは残念ですが)「洗礼式」です。

宿用院の檀家を中心に170人が本堂で5日間の修行を積み、仏弟子としてのスタートを切りました。

3日目には、これまで犯してきた、自らも気づいていないほどの一切の罪科を全て懺悔する儀式があり、まるで一度母親の胎内に戻って生まれ変わる産道をイメージさせるような場面もありました。

宿用院では49年ぶりに挙行される法要でした。なかなか出会えない機会なので、参加した方にとっては勝縁だったと思います。

いずれの宗教にせよ、信仰を持つことはとても大事なことだと思います。

この国は、戦争の反省から宗教教育をタブー視して戦後教育を行ってきました。

国策として特定の宗教を教育するのは問題だとしても、戦前までごく普通の家庭や社会で行われてきた習俗としての宗教儀礼までも断絶させてしまったことは大きなマイナスだったと言わなければなりません。

昨年完成した東京スカイツリーは、日本古来の建築である五重の塔を参考にした「心柱制震構造」を採用しているのだとか。

あれだけの高さなのに、強い風が吹いても大きな揺れが来ても倒れないのは、中心に重心の掛る心柱があるからです。

人間にもそんな心柱があったらいいですね。それは信仰心でしょう。

信仰心は家庭や社会の習慣や儀礼から培われることが多いと思います。

人智を超えた大いなる存在に手を合わせる後ろ姿を見て育つことが、その一つでしょう。

将来に不安を感じざるを得ない現代の日本社会ですが、その原因として学校や政治に矛先を向けるばかりでなく、まずそれぞれの家庭から見詰め直してみることが肝要かと思うこの頃です。

(10月10日)


微風旋風3「ゼロ」を生きる

2013年12月21日 11時04分42秒 | 微風旋風

毎日雨ばかりが続くと、カラッと晴れた青空を切望します。カラッと晴れ渡り暑い毎日が続くと、少しは雨が降ってくれることを願います。

酷暑が連続すれば早く涼しくならないかと思い、かといって肌寒くなれば暑かった日々を恋しく感じます。

お盆が過ぎれば今年の残された月日を数え、「今年もあと4か月か」などとため息をついて私たちは1年を過ごしています。

でもそれは、来年がまたやってくると思っているからですね。

来年が必ずやってくるなどという保証はどこにもないのに、なんとなくそう思っているから「今年も残すところあとわずか」などとのんきなことを考えてしまうのです。

雨が続いて夏が来るのを望み、暑い日が続いて秋を望むのも、梅雨も夏も来年またやってくると思っているからのことでしょう。余命半年の命には来年の夏も秋もありません。

「今」という季節を今生限りだと受け止めれば、雨も暑さも寒さも別の受け止め方ができるように思います。

加えて、過去の季節に心奪われ、未来の天候に気を病む必要はありません。

人との出会いも同じです。

過去の出来事にとらわれ、未来のつきあいを心配するのは無意味なことです。

常に「今」は、過去のゴールであり、未来のスタート地点。プラスでもマイナスでもないこのゼロの地点をどう生きるのか。

命は過去にも未来にもなく、今、ここにしかないのですから、それ以外の命題はありません。

禅の言葉に「前後裁断」があります。過去も未来も断ち切って、今を生き切ることを教えた言葉です。

誰しも過去の過ちを背負って生きています。

過ちは自分が犯した紛れもない事実ですから、そこから逃れることはできません。しかし、過去を背負った今ここがゼロ地点です。卑下することも自暴自棄になる必要もありません。

逆に、どれほど過去の実績があろうとも、今日の行いのマイナスが帳消しになるわけではありません。

雨の日は雨の中で、暑い日は暑い中で、過去や未来に逃避することなく、前後を裁断して、今をどう生きるか。

好時節到来。命に限りのあることを忘れずに今日を生きます。


微風旋風2「墓洗う」

2013年12月18日 15時49分22秒 | 微風旋風

7月末、「あいの沢の草取り」という企画で福島県飯舘村を訪ねました。

ご縁は2005年に始まった日本再発見塾というプログラムです。

第1回目の開催地は岩手県葛巻町、第3回が飯舘村で、第4回が山形県最上町でした。

最上町では私の寺も会場となり、三十数名が泊まって座禅などを体験しました。

この塾の発起人代表になっているのが俳人の黛まどかさんです。

黛さんは飯舘村の菅野典雄村長に請われて、01年に募集が始まった「愛の句」の選者になりました。毎年選ばれた50句は、あいの沢に句碑として建てられています。

今回の企画は、黛さんの他、ゲストとして投句したスポーツライターの増田明美さん、漫画家わたせせいぞうさん、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんが呼び掛け人となって実現しました。

句碑に刻まれた俳句を詠んだ方や再発見塾の関係者ら全国から50人余りが集まりました。

草取りには、「お盆を迎える前に少しでもきれいにして、気持ちよく故郷に帰っていただきたい」という思いが込められています。

わずかな時間で故郷飯舘村がきれいになるわけではありません。しかし、このごろ露出が少なくなってきた村の話題をつくって、全国の皆さんに忘れないようにしてもらいたいという意図は無駄ではないと思います。

1本の草でも、むしった分だけきれいになります。参加者の心も1本分きれいになったかもしれません。

お盆を故郷で迎えたい。それは日本人共通の思いではないでしょうか。親戚が集まり、懐かしい思い出を語る。胸にツンとくる郷愁は人々を優しくさせる浄化装置なのだと思います。

あいの沢でこんな句を見つけました。

いくたびも背きし父の墓洗う

胸にズキンときました。私の句だと思いました。若いころは敵だとしか思えなかった父。まともに言葉を交わそうともしなかった私。どんなに寂しい思いをしていたことだろう。失ってようやく気付くことがあります。

わびながら墓洗うお盆です。

お盆、帰省、墓参り。

1年の大事な行事として当たり前に行ってきた習慣さえもできない方々がいます。その苦痛と寂しさを想像しながら手を合わせます。

(8月15日)


微風旋風1「優先されるべきもの」

2013年12月17日 15時00分24秒 | 微風旋風

今年7月から12月まで、毎月1回担当しました河北新報のコラム記事『微風旋風』を転載します。内容はこのブログで書いてきたものと重複するものもありますが、ご高覧ください。

6月末、1週間ほど福島県の会津を回る機会がありました。

会津富士こと磐梯山が勇壮に迎えてくれました。

この磐梯山、過去に何度も噴火し、直近は1888(明治21)年の大噴火で、五つの村が埋没し、477人が亡くなったとか。

ちょうどその前年に設立された日本赤十字社が初めて災害救援活動を行い、それが赤十字社における平時の世界初の救護活動となった、と知りました。

寄せられた義援金は、その当時の金額で3万8千円。現在の金額に換算すると15億円になるようです。

この度の東日本大震災でもたくさんの支援金が寄せられ、政府の復興予算も17兆円という金額が用意されました。

ところが、そのお金が被災地復興とは関係のないところに流失していることが判明しました。その金額1兆円以上。それは火事場泥棒でしょう。あんまりです。

さらにこの国は、福島の現状を見て見ぬふりをするように、原発の再稼働を進めています。海外にも売り込みに行っているようです。

「日本の原発は絶対安全です」と言っているのでしょうか。「絶対安全」という言葉がどれほど危険な言葉であるかを、私たちは嫌というほど知らされました。

なぜ今、多くの人々が苦しんでいる原因となった原発を再び動かさなければならないのか。

「経済優先」。何より経済を「優先」させるということでしょうか。

それは「命」であるように思えてなりません。

原発事故によって多くの命が奪われました。人間ばかりでなく、動物も、小さな命も、植物も、大地の命すら奪われました。今も命の危険におびえて暮らしている人がいます。

何より優先されるべきは命であるはずです。

経済は人間が生きるための道具であり、目的ではありません。道具と目的を間違ってはなりません。ならぬことはならぬのです。

和尚一人が怒ってもどうしようもないのですが、もう噴火しそうです。

(7月18日)


SVAの日宣言

2013年12月08日 11時18分09秒 | シャンティ国際ボランティア会
昨日はSVA理事会に引き続き、SVAの日のつどいでした。
SVAの設立総会が1981年12月10日だったのに因みに、毎年この時期に開催されます。
その時に読み上げられる「SVAの日宣言」というものがあります。
SVAにつどう熱意を高らかに謳っています。
以下全文

SVAの日宣言

NGOの道は「けものみち」を行くのに似ているー。
SVA発展の礎となり、中心となった先達、故有馬実成師はこう語った。
インドシナ難民の支援活動から始まった我々の道程は、文字通り、道なき道を行くに等しかった。
お金も知識も技術もない、ずぶの素人集団による手探りの歩みだった。
「苦しむ人を座視できない」「子どもの笑顔こそ未来の希望」ー。
そんな思いで活動を続けてきた我々は、むしろ、数多くの人々に支えられ、助けられ、学んだのは我々自身だったことに気づかされた。
〈シャンティ〉ー平和・寂静ー。
我々の願いがここに込められている。
あらゆる民族や文化や立場の違いを超え、一人ひとりの人間の尊厳が尊重され、一人ひとりが主人公となり、心の平安のうちに生きる。
それこそ世界の平和の基である。
時あたかも、テロの恐怖や民族間の対立などによって、混迷を深める現代世界。
しかし、憎しみに対し、憎しみで応ずることによって決して平和が訪れることはない。
心の平安に根差した社会の平和ーシャンティが今こそ求められている。
12月10日。この日は、1981年、SVAが設立総会を開催した日。
すなわち、我々がその志と願いを高らかに宣言し、お互いの連帯と協働を誓い合った日である。
この日を、我々SVAの原点回帰の時としよう。
そして、我々の志と願いを高め合い、お互いの絆をさらに強く結び、さらなる道程へと新たな一歩を踏み出そうではないか。
〈自らを変え、社会を変える〉〈共に生き、共に学ぶ〉ー、
一人の傑出した覚者や為政者が世界を導く時代は終わった。
一人ひとりの平凡な市民が覚醒し、立ち上がり、手をつなぎ、世界を動かす時が来た。

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何べん読んでも胸が高鳴り、熱くなります。
これからも、この心を伝え、広めていきたいと思います。


本当にバカなのか?

2013年12月05日 23時15分04秒 | ふと、考えた

民主党に期待したのは間違いでした。自民党政治に終止符を打ち、もっと民主的な庶民が報われる社会が実現するのだろうと喜んでいましたが、やはり寄せ集めの団体では意見がまとまらず政権は瓦解してしまいました。

そして現政権。経済成長のために安定した国政運営を期待した国民の意志で自民党が復権しました。

何とかミクスやら、何本の矢やらがうまくいき、やはり自民党かなあと思った国民も多かっただろうと思われます。東京オリンピックも決まりましたし。

その陰で着々と進めてきたのが特定秘密法案という恐ろしげな法律の成立ようです。もしかして、初めから目的はそっちにあったのでしょうか。経済の傘に隠れて。

今日のニュースでは、明日にも強行採決されるような雲行きです。

多くの人々が異議の声を上げ、あるいは更なる審議を求めているにもかかわらず。

一つの政策がうまくいけば、多少無理な法案も通せると高をくくっているのでしょうか。

国民の代表が国民の声を無視することは民主主義を無視することです。

そして今後、さらに無視しやすくしようというのが今回の法案のようです。

過去から学ばないというのは日本国民の習性なのでしょうか。

原爆を落とされ、原発事故を体験してさえなお、戦争前夜のような法律を考えたり、原発を動かしたり売ったりしようとする。

「そのうち忘れるだろう」と、国民はバカにされたもいいところです。

もしかして、本当にバカなのか?

自分のことより先に国民のことを考えるまともな政治家はいないのですか?

こんな政治家しかいない国民であることが恥ずかしいです。

日本も日本人も好きなのに、日本の政治家は嫌いです。

あ、これって世界共通?