昨日は震災から百ヶ日、卒哭忌。
気仙沼、登米沢地区集会所からの依頼で講演をしてきました。
100日という区切りを迎え、お坊さんであり、SVAの関係者である人、という人選で息子が「ウチの父親でどう?」と話をして決まったようでした。
昨日は法事が二つあり、今朝は座禅会もあったので厳しかったのですが、「俺が運転するから」と息子が責任をとって言うものですから、出かけました。
新しいステージに向かって一歩を踏み出していただきたい、今日をその区切りの日にしていただきたい、という思いで話をさせていただきました。
これまでに経験のなかったことでしたが、話が終わってから、多くの人々から握手を求められました。
泣きながら抱きついてくる人もいました。
おそらく、私が話したかったことと、聞く人が話して欲しかったことがピッタリ合ったのではないか、と思いました。
「卒哭忌」は別名「泣き納め」の日と言われます。
泣くな、と言われても涙はこぼれます。忘れろ、と言われても、忘れられるはずがありません。
しかし、新たな一歩を踏み出して生きていくためには、どこかで過去との区切りをつけなければなりません。
失ったものは数限りなくあり、あまりにも大き過ぎます。
しかし、失ったものを数えていても何の解決にもなりません。
震災から、あるいはこの3ヶ月で、得られたものもきっとあるはずです。
それを大切にして、明日から生きて欲しいと切に願います。
そういう話ができるようになったことが、百ヶ日なのでしょう。
息子は、被災地での2ヶ月間でほとんど家族同然になった幸一さんから、「今日初めて漁に出て獲ってきた魚だ」と、箱いっぱいの鮭をもらってきました。
幸一さん、どれほどうれしかったのでしょうか。頭にタオルを締め直す手に力がこもっています。漁師は漁に出なければ元気が出ない。赤銅色に灼けた満面の笑みが、百か日の証です。