なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災58 百ヶ日

2011年06月19日 16時02分14秒 | 東日本大震災

昨日は震災から百ヶ日、卒哭忌。

気仙沼、登米沢地区集会所からの依頼で講演をしてきました。

100日という区切りを迎え、お坊さんであり、SVAの関係者である人、という人選で息子が「ウチの父親でどう?」と話をして決まったようでした。

昨日は法事が二つあり、今朝は座禅会もあったので厳しかったのですが、「俺が運転するから」と息子が責任をとって言うものですから、出かけました。

新しいステージに向かって一歩を踏み出していただきたい、今日をその区切りの日にしていただきたい、という思いで話をさせていただきました。

これまでに経験のなかったことでしたが、話が終わってから、多くの人々から握手を求められました。

泣きながら抱きついてくる人もいました。

おそらく、私が話したかったことと、聞く人が話して欲しかったことがピッタリ合ったのではないか、と思いました。

「卒哭忌」は別名「泣き納め」の日と言われます。

泣くな、と言われても涙はこぼれます。忘れろ、と言われても、忘れられるはずがありません。

しかし、新たな一歩を踏み出して生きていくためには、どこかで過去との区切りをつけなければなりません。

失ったものは数限りなくあり、あまりにも大き過ぎます。

しかし、失ったものを数えていても何の解決にもなりません。

震災から、あるいはこの3ヶ月で、得られたものもきっとあるはずです。

それを大切にして、明日から生きて欲しいと切に願います。

そういう話ができるようになったことが、百ヶ日なのでしょう。

息子は、被災地での2ヶ月間でほとんど家族同然になった幸一さんから、「今日初めて漁に出て獲ってきた魚だ」と、箱いっぱいの鮭をもらってきました。

幸一さん、どれほどうれしかったのでしょうか。頭にタオルを締め直す手に力がこもっています。漁師は漁に出なければ元気が出ない。赤銅色に灼けた満面の笑みが、百か日の証です。

最後は、恒例になったまけないタオルを握りしめての「まけないぞ!」三唱の後、記念撮影です。20110618_204625

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