なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ247 帰ってこない寅さん 

2020年01月26日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第247回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月26日、日曜日。

一部
最近の情報を二つ。
その一つは映画『男はつらいよ50 お帰り寅さん』を観てきました。
テレビでは何本か、う~んだいぶ観ていましたが、もしかして、劇場で寅さんを観るのは初めてかもしれません。
毎年盆正月に封切されていた高校生のころ、寅さんファンがいて「今回のはどうだった」という話をしているのを横目で見て少しバカにしていました。
ひねくれた時代の若さゆえだったと思いますが「若大将」シリーズや「紅白歌合戦」なども、観てやるもんかという意地を張ってたような気がします。
健康的な明るさや笑いよりも、退廃的な小説や攻撃的なロックに惹かれていました。
心のどこかでは寅さんも若大将も観たいと思っていたのだと思いますが、観てしまえば負けだと思い込んでいた節があります。
歳とともにその足枷というか心枷がはずれ、いつの間にかロックより演歌の方が心に沁みますし、素直に寅さんは日本人の心だなどと改宗してしまっています。
で、寅さん
寅さんも、おいちゃんおばちゃんタコ社長もこの世にはいないのですが、満男の回想として物語は展開します。
満男は純の時から現在まで成長を見てきているので何の違和感もなく、当たり前にそこに存在していましたが、さくらと博が現れた時にはその老けように痛々しさを感じざるを得ませんでした。
第1作目のさくらの瑞々しさは本当にかわいかった。テレビでのことですが。今は見る影もありません。博だっていい男だったのです。
そうです。50年が経っているのです。
ところが不思議なものです。
「老けた」と見えた第一印象が、物語が進むにしたがってどんどん違和感が薄れていって、今のさくらがそこにいると感じてしまうのです。
それはちょうど、しばらく会っていない家族と久しぶりに会って、ぱっと見老けたと感じても、次の瞬間には変わらない人がそこにいると感じるようなものなのでしょう。
姿を見ているのではなく人を見ているのです。
リリーも泉ちゃんも思い出の中から今の姿で戻ってきます。
その他の歴代マドンナたちも記憶として現れます。全作を観た人にはその作品が鮮やかにフラッシュバックすることでしょう。
生の寅さんは48作で終わり、49作目は没後1年、特別編として今回と同じように満男の回想ということで甦ります。
最後の寅さんは疲れていて痛々しかった。それで終わってもよかったのかもしれません。
でもきっと、49というのは49日でもあるまいしあまりにも中途半端な感じはあったのではないか。
寅さんには明るく元気なまま、49日を超えて成仏させてあげたかった、そんな思いがこの作品を作る意味になっていたことはないだろうか。
今回の内容から、これで本当に終わった、もう二度と寅さんが甦ることはないと受け止めました。
もう私たちは、寅さんを映画の中の存在としてではなく、実在の人間として受け止めているに違いありません。

二部
もう一つの情報は、田中達也の「MINITURE LIFE」展です。
朝ドラ『ひよっこ』のオープニング映像が印象的だった、生活雑貨を利用したミニチュアの写真です。
東根のまなびあテラスで3月1日まで開催されています。
とにかくその発想がユニークです。
食器や野菜、食品サンプルや文房具、見ようによっては確かにそう見えるという着想がおもしろいと思いました。
しかもそれぞれにタイトルがついています。
例えば、ブラシの毛を稲に見立てて稲刈りしている写真には「田舎ぶらし」とついています。もちろん「田舎暮らし」をもじってのことです。
展示会には写真とともに元の現物も何点か展示されていて、その小ささと緻密さに心が奪われました。
毎日ミニユア写真がUPされる彼のインスタグラムのフォロワーはなんと242万人に上っているようですよ。
山形県内の人は是非見てみたらいかがでしょう。

三部
冬の暇なのはだいたい今日で終わりで、来週から2月中はいろいろと予定が入っています。
暇は諸悪の根源と思っていますが、映画を観たり展示物を観たり、普段できないことをして暇を活用することもありと感じました。
相変わらず雪はほとんど降りませんが、今のうちにできることはもったいないからやっておきましょう。
それよりもコロナウイルスが心配です。
実際はどれほど広がっているのか、パニックにならないか、パンデミック、エピデミックではないのか。
長引けばオリンピックどころではなくなるでしょう。
この暖冬といい、世界の終わりの始まりのような恐ろしさを感じます。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ246 枕知らず

2020年01月19日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第246回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月19日、日曜日。

一部
日曜日が来るのがなんと早いことか。
加速度的に早くなるような気がします。忙しくもないのに。
この番組を楽しみにしてくれて毎週欠かさず訪れてくれる方もいらっしゃると思います。ありがたいことです。
時折思い出してくれる方もいらっしゃるでしょう。ありがたいことです。
そのために毎週何とか続けたいと思っているのですが、なかなかこれでけっこう大変なのです。
自分が勝手に始めて勝手に続けていることですから、別に誰に気兼ねすることもなく勝手にやめてもいいのですが、こんなものでもやり始めるとなかなか途中で投げ出せないものなのですよ。
訪れてくれる方の人数がカウントされて分かるのですが、毎週だいたい1000人ぐらいになっています。
一日に何万人という方が見ているいわゆるブロガーなどのサイトに比べれば、週に1000人などという数は屁みたいなものでしょうが、私にとってはそれでも裏切れないというような使命感を勝手に感じてしまっている数なのです。
いつまで続くかわかりませんが、結果を気にせずに毎週頑張ってみようと思っています。
コメントなど寄せていただければ、さらに使命感と喜びを感じられると思います。よろしかったら愛を与えてください。なんてね。
話題に困ったために媚を売ってみました。

二部
14日は寺のおさいど、どんど焼きという言い方のところもあるでしょう。元は「お柴(斎)燈」でしょうね。だいたい小正月の前の晩の行事のようです。当地では小正月は16日ですが、その前の晩に集落で行い、お寺ではその前日14日の夜に行うことになっています。
16日は小正月の祈祷会。そして17日は最上地区の若い和尚さん方が寒行托鉢をされました。18年前から寒中に郡内各地で5回行じているようです。
昨年に引き続き今年も松林寺を拠点にして10名が、下小路立小路内を歩かれました。当地で墨染の托鉢僧の姿を見る機会はめったにないので、多くの人が街道に出て掌を合わせていました。列をなして鈴を鳴らしお経を読みながら歩く姿に清々しい感動を覚えるもののようです。
私も永平寺から歩いてきたとき、遠くの方で農作業をしていたご婦人が、私の姿を見つけて、手に持っていた鍬を下に置き、わざわざ被り物を取って手を合わせてくれたことがありました。
こちらはただ歩いているだけなのにありがたいことだと思ったことが今でも鮮明に映像として記憶に残っています。僧形の功徳なのですね。
寒行は托鉢とはいいながら、歳末托鉢のように浄財をいただくことを目的にしているのではなく、お経の声を練る行として行っているのです。確かに寒い空気の中で大きな声を出すことで声が出来上がってくることは事実であり、民謡や演歌歌手と同じように我々も声を出すことを専門としているので、声を鍛えることも大事な経験です。
今年は暖冬で道に雪はありませんでしたが空気が冷たく凛と張りつめていました。写真の絵としては厳しさが感じられませんがいい修行となりました。これからも頑張ってもらいたいと思います。

三部
夜眠れないというのはつらいですよね。
カミさんも眠れない人で、たっぷりテレビを観てから床に就いてそれから本を読まないと眠れないという体質です。日付が変わるまで枕元のスタンドがついているときが度々あります。私は眠っているのでほとんど知らないのですが、たまたま目を覚まして気づくことがあり、そのようです。
一方私の方は眠れないということがほとんどなく「枕知らず」と自称しています。
頭が枕に着く前に眠ってしまうという意味の寝つきの良さをたとえたものですが、こういう言葉があってもいいと思うのですがどうでしょう。
眠れない人には申し訳ないような話ですが、お陰様でありがたいことです。これも体質遺伝ではないでしょうか。
カミさんの母親も寝床で本を読まないと眠れないということで本を貸したりしたことがありました。
私の母親の家系はほとんど私と同じタイプです。
睡眠時間が短くともなんということもないという人がいますね。過去の偉人にはそんな人が多いような気がします。
私のように夜しっかり寝ないと駄目なタイプもあるでしょう。どちらがいいという話ではありません。自分に合った生き方をするしかないということなのでしょう。
一日の3分の1を寝ているとすれば、90歳まで生きたとしても起きている時間は60年です。24時間のうちでは16時間。そう、実際に人間としてどう生きるかは16時間の過ごし方にかかっています。
ぼんやり過ごすのもいいですが、やるべきことをやっておかないと後から後悔することにもなります。できることができなくなる前にやっておくべ。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ245 美しい雪がなければ

2020年01月12日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
                          コックピット
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第245回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月12日、日曜日。

一部
早朝の本堂が寒くありません。吐く息が白くありません。
ここまで氷点下の朝はほとんどありませんでした。雪ではなく雨が降るのですから、暖かいのですよ。
雪の片づけがないので楽ではあります。
でも、雪があるためにそれを利用した経済活動があり楽しみもあります。農作物への影響もあるでしょう。
雪国には雪国だからこその生き方があるのです。雪がなければ、春を待つワクワク感も、春を迎えた喜びも半減してしまいます。
これはもしや、今年の異常気象がさらに大きな災害を招く予兆ではないかと思ったりすると、暖冬の中で背筋がゾクッと寒くなります。
人間は地球の上で生きている生物ですから、もう少し地球のことを考えていかなければなりません。
戦争だの経済だのバカ騒ぎだのしている間に足下が崩れてきているのです。
安定した気候の運行ほど安心なものはないと思います。いくら大変であっても雪国に雪は必要です。

二部
他を批判したりけなしたりすることで自分を慰めてはなりません。
それは自慰行為であり自傷行為です。そんなことをしていると、自分が空しくなりみじめになるばかりですよ。
ひとの悪口は、それを聞く人を幸せにしません。嫌な思い出をつくるばかりです。
他人はどうでもいいのです。その前に自分を磨き自分に自信がもてるような生き方をしましょう。
自分に向ける批判の目を他人をけなすことでごまかしてはなりません。
しっかりと自分と向き合っていきましょう。自分を見つめる勇気をもちましょう。
苦労も、過ぎ去ってしまえば楽しい思い出となります。
苦労話が自慢話になることがあります。これも聞いていて楽しくありません。
苦労話は笑って話せるから意味があり役に立つのです。
子どもを育てる時の苦労は、思い返せばそれは楽しい思い出でしょう。子どもに恩を着せる親はいないと思います。
親の世話をすることも、時間が経てばいい思い出となるはずです。
誰かの世話をさせてもらうことは、自分の存在が役に立てたということで、生きていた甲斐があったわけですから、それはありがたいことです。
苦労は達成感という自信になり喜びになります。苦労という種を熟成させて楽しい思い出にしていかなければなりません。
苦労を苦労のままで引きずってはなりません。

三部
寺の仕事はないし雪かきもないので、あんまり暇だからパソコン入れ替えの流れで事務机の周囲の整理。その間音量を大きくしてCDを。
中島みゆき、おがさわらあい、談志の落語、お寺の『梵鐘』、佐渡裕指揮『惑星』、懐かしいロックでMOUNTAIN、PINK FLOIDなどなど。なんでもあり。あとはゲームSpider Solitaire三昧。暇はいけません。
中島みゆき43枚目のニューアルバム『CONTRALTO』が届きました。
今回もいいですね。
しかしすごいですね。永遠に涸れない泉のようです。
令和天皇と同じ誕生日ですが、今年で68歳になります。
2月の北海道は雪の中なので「美雪」と名付けられました。
その雪解け水が流れ出すように体から美しい歌が流れ出します。だから雪は降らないと。
2020ラスト・ツアー「結果オーライ」が今日からスタートしますが、4月には山形でもあります。
チケットは、もちろん押さえてあります。
ラスト・ツアーとあるように、ツアーとして各地で行うコンサートは今回で最後ということのようです。
山形の会場は、できたばかりの山形県総合文化芸術館なのでとても楽しみです。
同じ時代に生まれて本当に良かったと心から思います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ244 返す言葉はありません

2020年01月05日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第244回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月5日、日曜日。

一部
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
それぞれ正月の行事を過ごされたことと思います。
三が日、お寺では大般若理趣文経を読んで三朝の祈祷を勤めました。
昨日は地元の檀家さん100軒を回り祈祷札を配って歩きました。
今日は集落の役員さんにお札の配布を依頼して回ります。
明日の夜は寒念仏。16日は小正月の祈祷会です。
元日は松林寺檀家さんの元朝祈祷会で終わって新年会。二日は宿用院で同じく祈祷会と新年会でした。
新年会のご馳走、いわゆるお節は毎年寺で手作りしています。
それを始めたのはいつからだっけという話になり、カミさんは「伊達巻をつくり始めてから」ということでした。宿用院でのことです。
その伊達巻のつくり方は今でもその当時の雑誌「esse」のお節特集号を大事に使っており、その雑誌は何と娘が生まれた年ですから32年前ということが分かりました。
松林寺の新年会は、それ以前から行っており母親が黒豆などをつくって出していました。
そこに伊達巻が加わってから年々品数が増えていき、松林寺と宿用院の2ヵ寺分をつくってきました。合わせると130人分になります。
このところの献立はほぼ決まっています。
松林寺で、伊達巻、黒豆、煮しめ、栗きんとん、昆布巻き、ぜんまい炒り、数の子豆、漬物類をつくります。
宿用院では、ゴマ豆腐、大根なま酢、たたきごぼうをつくり、大晦日に中間地点で物々交換してそれぞれに盛り付けすることにしています。
年末の忙しさの中ではお手伝いをもらうこともできず、ほぼ全てカミさんと嫁さんの手になり、家族はそのサポートです。
当日は、どちらのお寺も助けてくれる力強いメンバーがいるので何とかなっています。
ですから、30年来、カミさんは動きっぱなしの年末年始でした。家族でゆっくり過ごす時間は少しもありませんでした。
今年は特に娘やその連れ合いたち、息子家族も集まったのでその食事も加わりました。
疲れ過ぎて夜もなかなか眠れなかったようなので、そろそろゴロゴロした日々を過ごしてもらいましょう。お疲れ様でした。

二部
何故カミさんに苦労をかけるようになったかというと、それは私の思いからです。
住職の仕事はいかにして檀家衆を寺に来てもらうように仕向けるか、だと思っていて、そのために色々な行事をつくってきました。
宿用院の地蔵まつり、松林寺の集中講座もその一環です。そして新年会もその一つです。
それぞれの先祖の眠るお寺の本堂で、みんな仲良く楽しく過ごすことでご先祖様もきっと喜んでくれるに違いないと思っているのです。
しかしそのために家族は大変です。
寺の理想としてはそれでいいとしても、それを準備する家族は苦労することになります。
住職が家族を持つことの是非という問題もあるでしょうが、家族がいるからできるお寺の運営の在り方もあると思っています。
ただ、それには家族の理解が欠かせないわけで、ウチのカミさんが理解して納得してくれているかは微妙です。
住職の思いにつきあわされているだけと閉口しているような気がします。
それでもここまでつきあってくれたことは紛れもない事実で、そういう意味で感謝をしています。
「フン、あなたは外面がいいから」という声が聞こえます。
返す言葉はありません。

三部
皆様に今年よき出会いがあることを祈ります。
人生が織物のように経糸と横糸で織り込まれていくものならば、経糸は先祖から子孫につながる命の糸であるでしょうし、横糸は人々との出会いによるご縁の糸と言えるでしょう。
ご縁によってどんな人と出会えるかで人生のいろどりが変わってきます。
よき出会いになるかならないかは自分の向き合い方によっても変わってきます。
自分にとってのよき出会いは相手にとってもよき出会いであるはず。
今年の出会いが、あなたにも相手にもよき出会いとなるよう祈念いたします。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。