なあむ

やどかり和尚の考えたこと

0を生きる

2013年08月23日 21時40分15秒 | ふと、考えた

毎日雨ばかりが続くと、カラッと晴れた青空を切望します。

ようやく晴れ渡り毎日暑い日が続くと、少しは雨が降ってくれることを願います。

酷暑が連続すれば、早く涼しくならないかと思います。

かといって肌寒くなれば、暑かった日々を恋しく感じます。

そんな風に私たちは1年を過ごしています。

お盆が過ぎれば、今年の残された月日を数えます。

「今年もあと4か月か」

でもそれは、来年がまたやってくると思っているからですね。

来年が必ずやってくるなどという保証はどこにもないのに、なんとなくそう思っているから、「今年も残すところあと4か月」などとのんきなことを考えてしまうのです。

雨が続いて天気を望むのも、暑い日が続いて秋を望むのも、梅雨も夏も来年またやってくると思うからです。

余命半年の命に来年の夏も秋もありません。

「今」という季節を今生限りだと受け止めれば、過去の季節に振り回され、未来の天候に気をもむ必要はありません。

人との出会いも同じです。

過去の出来事にとらわれ、未来のつきあいを心配するのは無意味なことです。

常に今は、過去のゴールであり、未来のスタート地点です。

この0(ゼロ)の地点をどう生きるのか、それ以外の命題はありません。

「前後裁断」。これで楽になれる。


墓洗う

2013年08月16日 18時26分00秒 | ふと、考えた

7月の末、「あいの沢の草取り」という企画で福島県飯舘村を訪ねました。

ご縁は2005年に始まった日本再発見塾というプログラムです。

第1回の開催地は岩手県葛巻町、第3回が飯舘村で、第4回が山形県最上町でした。

最上町では私の寺も会場となり、30数名が泊まって坐禅などを体験しました。

この塾の発起人代表になっているのが俳人の黛まどかさんです。

黛さんは飯舘村の菅野村長に請われて、2001年に募集が始まった「愛の句」の選者になりました。毎年選ばれた50句は、あいの沢に句碑として建てられています。

今回の企画は、黛さんの他、ゲストとして投句したスポーツライターの増田明美さん、漫画家わたせせいぞうさん、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんが呼びかけ人となって実現しました。

句碑に刻まれた俳句を詠んだ方や再発見塾の関係者ら、全国から50人余りが集まりました。

草取りには、「お盆を迎える前に少しでも帰礼にして、気持ちよく故郷に帰っていただきたい」という思いが込められています。

わずかな時間で故郷飯舘村がきれいになるわけではありません。

しかし、この頃露出が少なくなってきた村の話題をつくって、全国の皆さんに忘れないようにしてもらいたいという意図は無駄ではないと思います。

1本の草でも、むしった分だけきれいになります。参加者の心も1本分きれいになったかもしれません。

お盆を故郷で迎えたい。それは日本人共通の思いではないでしょうか。

親戚が集まり、懐かしい想い出を語る。胸にツンとくる郷愁は、人々を優しくさせる浄化装置なのだと思います。

あいの沢でこんな句を見つけました。

「いくたびも 背きし父の 墓洗う」

胸にズキンときました。私の句だと思いました。

若いころは敵だとしか思えなかった父。まともに言葉を交わそうともしなかった私。

どんなに寂しい思いをしていたことだろう。失ってようやく気付くことがあります。

わびながら墓洗うお盆です。

お盆、帰省、墓参り。

1年の大事な行事として当たり前に行ってきた習慣さえもできない方々がいます。

その苦痛と寂しさを想像しながら手を合わせます。

(8月15日 河北新報、木曜随筆「微風旋風」拙稿)


本ができました

2013年08月06日 21時41分43秒 | 宿用院

2008年からこれまで、このブログで書いてきた記事を1冊の本にまとめました。

本としての読み物にそぐわないカテゴリーや記事は削除したのですが、それでも250ページ近い厚みとなってしまいました。

宿用院の住職となって27年。この秋退董(引退)するにあたって、これまで育ててくれた檀家の皆様への感謝の気持ちを込めたつもりです。

ですから、檀家の皆様には後日お配りさせていただく予定です。

檀家以外の皆様で読んでみたいという方には、自費出版ですが、1冊1000円でお頒けしたいと思っています。

メールなどでご連絡いただければお送りします。署名が必要な場合は、宛名をお書きください。

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