なあむ

やどかり和尚の考えたこと

永訣の朝

2012年10月25日 21時35分11秒 | ふと、考えた

花巻の教場から紫波まで送っていただく途中で宮澤賢治記念館に連れて行っていただきました。

10数年ぶりの二度目の訪問です。

そのときに初めて読んだ「永訣の朝」に感動し、複写を購入し、家で何度か読み返しては涙を流してきました。

またここで読みたいと思い、前に立ち止まりました。

この詩は、賢治の二つ歳下の妹とし子(トシ)が24歳で亡くなる直前、賢治に(あめゆじゅとてちてけんじゃ)と頼む内容です。

今日のうちに遠くに行ってしまうだろう妹が、ひどい熱にあえぎながら、兄に「雨雪をとってきてくれろ」と頼むのです。

賢治は、この世の最期の食べ物を自分に託されたと、兄妹が幼いころよりご飯をいただいてきたじゅんさい模様の茶碗をつかみ、まがった鉄砲玉のように外に飛び出し、松の枝に降り積もった霙雪を気が狂ったように掬い集めるのでした。

そして思うのです。

とし子は、自分が亡くなった後、あにさんが、最期に精一杯妹に尽くしたという思いを残すことで、後悔せずに明るく生きられるのではないか、と思って自分に頼んだのだと。

人のために尽くすことで人は救われる。そのことを知って頼んだ妹に、賢治は菩薩の姿を見ていたのではなかったろうか。

また、賢治も、妹の頼みを気が狂ったように果たすことで、依頼したとし子を喜ばせようとした、「あにさんに頼んでよかった」ととし子も救われたに違いない。

 利行は一法なり、あまねく自他を利するなり(道元禅師)

人は人を救うことによって自他共に救われる。他の幸せを願う行為が自らに幸せを感じさせる。他を傷つければ自らが傷つき、人を不幸にする行為によって不幸に陥る。

人間とはそういう生き物なのでしょう。

ボランティア活動に赴いた人々が口々に述べる感想は「被災地で救われたのは我々の方でした」。それはその通りなのだと思います。

究極的に他のためは自分のためであり、真実自分のためであることは、そのまま他のためになることだと思います。

昆虫が花の蜜を採るとき、これが花の受粉のための行為になるのだと考えることはないでしょう。

意識するかどうかは別にして、自他の自我を越えた行為が自他共に救われる道だということです。

今年度の特派のテーマが「利行」であるので、「永訣の朝」にめぐり合えたことは、必然だったのかも知れません。

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第7回集中講座その3

2012年10月14日 19時38分59秒 | 集中講座

松林寺集中講座の宝はスタッフです。

今回もスタッフ、寺族合わせて45名が裏方を担ってくれました。

中には毎年泊まりがけで東京、新潟、長野からスタッフとして参加してくれる仲間がいます。

今年は都合で欠席でも、スタッフ名簿に名前を連ねている人数は52名になっています。

若いスタッフが、駐車場係、楽屋対応(台所)係と、ほとんど本堂のステージを見ることなく役割を果たしてくれています。

このスタッフがあればこそ、集中講座が毎年成功をおさめていることは疑いもないことです。

講座が終わって、片付けをして、盛大に打ち上げをするのは、このスタッフのためです。

今年も大変賑やかに盛り上がりました。下記にその一部を公開。

特に毎回、ミュージシャンには、ステージを見ていないスタッフのために打ち上げでも演奏をお願いしています。

今年もRIA+ノリシゲのお二人に無理を言ってお願いしました。

するとお二人は、「駐車場係はどこ?」と、その一団の前まで行って、目の前で生演奏をしてくれました。RIAさんの歌声を2メートルぐらいの距離で聴いたスタッフは感激で目を潤ませていました。

至福の一時です。

昨年に引き続き、大谷唄い込みの皆さんからは唄い込みで盛り上げていただきました。

新治師匠も興奮気味で、最後の締めをしてくださいました。

スタッフ数は毎年増え続けていて、そのうち来場者よりも多くなるのではないか、う~ん、それでもいいかと思っています。

都会向けに、最上町の温泉と集中講座を組み合わせた売り込みができないものかなどとも考えています。

因みに来年8回目の開催は、寺の都合により6月第一土日、1・2日の開催です。決定している講師は、恐山院代南直哉老師と柳家さん喬師匠です。お楽しみに、今から予定表に記入してくださいますよう。

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第7回集中講座その2

2012年10月12日 19時43分08秒 | 集中講座

気仙沼漁師さんたちと園児たちの共演に大喝采が贈られた後、RIA+ノリシゲ、デュオのライブとなりました。

共に東京でミュージシャンとして活動していた二人が、震災直後ノリシゲの故郷である岩手県大槌町を目指したのは震災の二日後のことでした。

外部から物資を持って入った最初の人だったらしく、RIAさんが外国人と間違えられて驚かれました「外人が物資もってきたぞう」。

それから何度となく東京と大槌町を行き来してきて、自分たちに何ができるだろうかと考えたときに、ミュージシャンである自分たちには音楽がある、ということで、最初に入ったとき拾った弦の一本足りないギターで、たき火をしながら作った「歩きましょう」という歌を、CDに焼いて配りました。

その後は、大槌町に拠点を移そうと、移り住み、カフェ&バー「アペ」を経営しながら音楽活動を続けています。

そのアペは、流された建物の廃材で組み立てたもので、飲みに来た人が「自分の家のドアを見ながら呑むのはいいなあ」と感想をもらしているとか。

そんな話をしながら数曲を披露してくれました。

生で聴く「歩きましょう」は圧巻で、会場が一つになって口ずさみました。

そして、トリは露の新治師匠による落語二題です。

一題目は、「狼講釈」という演目で、素人がうろ覚えで狼に向かって講釈をする話。まがい物だとわかれば食べられるとあって必死に語るのですが、耳で聞いて覚えただけなので、話があちこちに飛んで、めちゃくちゃになる、その語りが見せ場です。特に歌舞伎に詳しい人にはおかしくて仕方なかったと思います。爆笑でした。

二題目は、しっとりとした人情噺「中村仲蔵」。

上方から江戸にやってきた中村仲蔵は、忠臣蔵の演目の端役を充てられくさってしまうのを女房が慰めて立派に演じ上げるという噺。

仲蔵の上方言葉と江戸言葉の使い分けが難しいのですが、見事に演じ分けられ、ホロッとしながら聴き惚れました。今後も楽しみです。

講座修了後は打ち上げですが、これがまたスゴイ。次回へ。

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第7回集中講座

2012年10月09日 19時59分08秒 | 集中講座

楽しすぎて書く気になれませんでした。

6・7日、松林寺集中講座。

今年は来週の土日に天童のお寺の晋山結制が入っているため、10月第一土日に設定しましたが、雨のため稲刈りが遅くなりぶつかってしまいました。

前売りの状況が香しくなく、残念に思っていました。

結果として、来場者140名、スタッフ45名、出演者30名で本堂は満席となりました。

6日、坐禅、講座1、住職「残り少ない人生だから」。

7日、坐禅、朝課。

講座2、気仙沼「大谷大漁唄い込み」、「前浜虎舞」。

講座3、住職「慈悲の社会をつくるー被災地支援を通してー」。

講座4、RIA+ノリシゲ「歩きましょうー被災地を歌うー」。

講座5、露の新治師匠、落語二題。

気仙沼の皆さんとは、昨年の震災以来最上町の交流が続いてきました。

その中でも、あかくら幼稚園の園児たちとの交流は特別なものがあります。

津波の映像を見て、漁師さんたちから話を聞きました。唄い込みも披露してもらいました。

その迫力に圧倒された子どもたちは、自分たちもやってみたいと、ビデオを繰り返し見て、振りと歌を覚えました。

漁師さんたちに見てもらうことになり、お招きして一緒に演じました。

一生懸命まねて演じる子どもたちに、漁師さんたちは声が詰まり歌えなくなりました。

そんな交流が続いてきたのです。

昨年に引き続き今回も集中講座でお招きすることになったとき、漁師さんたちから、園児たちと一緒に演じたいという要請がありました。

漁師さんの間に挟まって櫂を突く園児、紙で作った太鼓を打つ園児、櫂を持って舞う園児、恵比寿・大黒に扮した園児、そして、漁師のしゃがれ声に負けないで歌を歌う園児。

会場は、割れんばかりの喝采となりました。

その後住職の話を挿んで虎舞が披露されました。

この虎舞、前浜地区に伝わっていたものが津波で太鼓が流され、再興できずにいました。

今年の正月、赤倉温泉で一緒に新年会をしたとき、「唄い込みの復活によってどれほど勇気づけられたか」、「文化の復興が心の復興だ」との漁師さんの言葉を聞いて、太鼓を支援することを決めました。

そのとき、虎舞の虎の頭も流されてしまったと聞いていた園児たちが、新年会へのサプライズで、園児手作りの張り子の頭をプレゼントしてくれたのです。

そして、新調していた太鼓と虎の頭も立派にできあがり、集中講座での初披露となりました。

勇壮な太鼓と笛の調子に合わせて虎が登場しました。すると、その後には、何と、園児たちが手作りした張り子の虎も体をくねらせながらついてくるではありませんか。

もう園児たちは大興奮でした。自分たちが作った虎が親子の虎のように立派に舞っている。漁師さんたちが活き活きと太鼓を叩いている。

「虎舞が復活した!」その喜びは、漁師さんから園児たちへ、そして会場全体へ伝わって、全員が大爆笑でした。

ここまでで、もう文字がいっぱいになってしまいました。続きは次回にしましょう。

写真は記録係から届いてからまとめてUPします。とりあえず少しだけ。

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おばあちゃんの命

2012年10月03日 17時09分48秒 | ふと、考えた

今日の葬儀で、孫代表のお別れの言葉がありました。

「ばあちゃんは、細かいことにうるさい人で、時々うっとうしく思いました・・・」。

葬儀の後、向き直って少し話をしました。

「おばあちゃんは細かいことにうるさい人でしたか。いいおばあちゃんでしたね。うるさく言うのは、家族が間違った道に進まないように、みんなが幸せになるようにと思ったからでしょうね。

言われたときは、うっとうしく思ったり、言われても無視したりしたかもしれませんが、今そのことを思い出しているとすれば、今度はそれを自分の子や孫に伝えるということでしょうから、おばあちゃんの言葉が無駄にならなかったということですよね。

どうせ言っても聞かないから、と言わないではだめですね。繰り返し繰り返し言ってくれたことがありがたいですね。私たちのご先祖様も、そのまたご先祖様から何代にもわたって繰り返し言い伝えられてきたからこそ、今ここに私たちがあるのでしょう。

そう考えれば、葬儀は単なるお別れの式ではなく、おばあちゃんの言葉や教えを引き継ぎ、命を引き継ぐ式だと言えるでしょう。そうやって伝えていくことで、おばあちゃんの命がこれからも生き続けるということになります。どうぞ大事に受けとめていただきたいと思います。」

先ほどのお孫さんは、言葉の最後に、涙に詰まりながら、大きな声で「ばあちゃん、ありがとうございました。」と言ってくれました。

おばあちゃんも、どんなにか喜んでいることでしょう。

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