三ちゃんのサンデーサンライズ。第449回。令和5年12月31日、日曜日。
今年最後の日となりました。大晦日です。
今年は早々と大掃除を終わし、新年を迎える準備を調えました。
今日はもう除夜の鐘を待つだけです。
子どもたちはそれぞれにそれぞれの場所で年越しの晩を迎えるようで、今年は初めてカミさんと二人だけの年越しになります。
松林寺の年越しは、食事の前に韋駄天様に「歳徳大善神」を書いて貼り、歳神様を迎える支度をして、家族で読経をします。
その時に何故かそれぞれ自分の財布を上げて拝むという習慣になっています。
私が子どもの時にはもうそうだったので、おそらくは遅くても先々代からの習慣だったのでしょう。生活に困らないようにという意味合いだったと思います。
子どもの友だちが来た時なども、一緒に財布を上げさせてお参りしたものでした。
その後、家長としての訓辞を垂れて食事という流れでした。
今年は寂しく、いやいや静かに新年を迎えます。
来年はどんな年になるでしょうか。
子どもの頃、「21世紀」という響きに、あこがれと夢と希望を感じていました。
21世紀は、科学技術が格段に発展し夢のような快適な生活が待っているのだろう。人類がみんな成熟し穏やかで争いのない平和な世界になるのだろうと本当に思っていました。
ところが現実は違っていました。
世紀の初めに旅客機がビルに突っ込み、それが映像として世界中に流れました。
現実とは思えない映像に世界が震撼しました。
思えば、あれがこれから始まる世紀の予告だったのかと、その後の情勢を見て思わざるを得ません。
その報復としてアフガン空爆が始まり、その流れの中でバーミアンの大仏が破壊されました。
アフガニスタン、ミャンマーのクーデター、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとハマスの戦闘と、終わりなき暴力の連鎖にこれから先どうなるのだと戦慄がよぎります。
さらに、地震や地球温暖化による自然災害の多発。
経済格差や子どもの貧困、差別やいじめ、自死や生きづらさを感じる社会。
楽をして金を儲けるという考え方の蔓延によるものか、弱者を食いものにする詐欺や強盗。
時代が変わっても変わらない政治家の悪行。
日本人の誇りと思っていたまじめさと勤勉さによってもたらされた日本製品の信頼性を覆す不正の数々。
ああ、21世紀は何と希望の持てない時代となってしまったのか。
どこまで転がり落ちてしまうのか。どこかで止めることができるのか。
子や孫の将来を考えるとまことに肌寒さを感じます。
そんなことばかり言っていても始まらないので、まずは自分の生き方を見つめ生活を正していくことから始めなければなりません。
思いつきの話です。
今後エネルギーはほとんど電気になると予測し、電気を国が一括管理するというのはどうでしょうか。
原発も火力発電もなくし、電力会社も撤廃します。
島国であることを生かし、特に日本海側には洋上風力発電の風車を林立させ、冬でも雪のない太平洋側には太陽光パネルを可能な限り設置します。
人口減少はまだ続くと思われ、地方においてはいわば空き地が増えていきます。
現在、風力発電の設備もソーラーパネルもほとんど海外からの輸入に頼っていますが、日本にその技術がない訳ではなくコストの面で海外に負けているに過ぎません。それらを全て国産に限定すれば、そのための雇用が生まれ、税収が増加します。
他にも、地熱、水力などの発電を全国各地で発掘し設備します。
自然エネルギーだけで国全体の電気が賄えるというデータはありますがさあどうでしょう。
完成まではかなりの年数がかかるので、どこからどう始めて行けばいいのか分かりません。でもやってみる価値はあると思います。
エネルギー問題は抜本的な見直しを図らないといずれ立ちいかなくなることは明らかです。
化石燃料を輸入に頼っているので、海外の情勢により値段は変動します。原発は原料も輸入、再処理も海外依存、最終処分も目途が立たず、事故を起こせばとんでもないことになることは実証済みです。
自前でできるエネルギーは自前で作るべきです。大きな意味での地産地消です。海外に流れる資金を国内に回すのです。
日本という島国でしかもこの程度の面積規模であればこその利点を活かすべきだと思います。
子孫に安心して暮らせる社会を残すのが大人の使命でしょうから、国家プロジェクトとしてやってみたらどうでしょうか。
誰か真剣に考える人はいませんかね。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
今年最後の日となりました。大晦日です。
今年は早々と大掃除を終わし、新年を迎える準備を調えました。
今日はもう除夜の鐘を待つだけです。
子どもたちはそれぞれにそれぞれの場所で年越しの晩を迎えるようで、今年は初めてカミさんと二人だけの年越しになります。
松林寺の年越しは、食事の前に韋駄天様に「歳徳大善神」を書いて貼り、歳神様を迎える支度をして、家族で読経をします。
その時に何故かそれぞれ自分の財布を上げて拝むという習慣になっています。
私が子どもの時にはもうそうだったので、おそらくは遅くても先々代からの習慣だったのでしょう。生活に困らないようにという意味合いだったと思います。
子どもの友だちが来た時なども、一緒に財布を上げさせてお参りしたものでした。
その後、家長としての訓辞を垂れて食事という流れでした。
今年は寂しく、いやいや静かに新年を迎えます。
来年はどんな年になるでしょうか。
子どもの頃、「21世紀」という響きに、あこがれと夢と希望を感じていました。
21世紀は、科学技術が格段に発展し夢のような快適な生活が待っているのだろう。人類がみんな成熟し穏やかで争いのない平和な世界になるのだろうと本当に思っていました。
ところが現実は違っていました。
世紀の初めに旅客機がビルに突っ込み、それが映像として世界中に流れました。
現実とは思えない映像に世界が震撼しました。
思えば、あれがこれから始まる世紀の予告だったのかと、その後の情勢を見て思わざるを得ません。
その報復としてアフガン空爆が始まり、その流れの中でバーミアンの大仏が破壊されました。
アフガニスタン、ミャンマーのクーデター、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとハマスの戦闘と、終わりなき暴力の連鎖にこれから先どうなるのだと戦慄がよぎります。
さらに、地震や地球温暖化による自然災害の多発。
経済格差や子どもの貧困、差別やいじめ、自死や生きづらさを感じる社会。
楽をして金を儲けるという考え方の蔓延によるものか、弱者を食いものにする詐欺や強盗。
時代が変わっても変わらない政治家の悪行。
日本人の誇りと思っていたまじめさと勤勉さによってもたらされた日本製品の信頼性を覆す不正の数々。
ああ、21世紀は何と希望の持てない時代となってしまったのか。
どこまで転がり落ちてしまうのか。どこかで止めることができるのか。
子や孫の将来を考えるとまことに肌寒さを感じます。
そんなことばかり言っていても始まらないので、まずは自分の生き方を見つめ生活を正していくことから始めなければなりません。
思いつきの話です。
今後エネルギーはほとんど電気になると予測し、電気を国が一括管理するというのはどうでしょうか。
原発も火力発電もなくし、電力会社も撤廃します。
島国であることを生かし、特に日本海側には洋上風力発電の風車を林立させ、冬でも雪のない太平洋側には太陽光パネルを可能な限り設置します。
人口減少はまだ続くと思われ、地方においてはいわば空き地が増えていきます。
現在、風力発電の設備もソーラーパネルもほとんど海外からの輸入に頼っていますが、日本にその技術がない訳ではなくコストの面で海外に負けているに過ぎません。それらを全て国産に限定すれば、そのための雇用が生まれ、税収が増加します。
他にも、地熱、水力などの発電を全国各地で発掘し設備します。
自然エネルギーだけで国全体の電気が賄えるというデータはありますがさあどうでしょう。
完成まではかなりの年数がかかるので、どこからどう始めて行けばいいのか分かりません。でもやってみる価値はあると思います。
エネルギー問題は抜本的な見直しを図らないといずれ立ちいかなくなることは明らかです。
化石燃料を輸入に頼っているので、海外の情勢により値段は変動します。原発は原料も輸入、再処理も海外依存、最終処分も目途が立たず、事故を起こせばとんでもないことになることは実証済みです。
自前でできるエネルギーは自前で作るべきです。大きな意味での地産地消です。海外に流れる資金を国内に回すのです。
日本という島国でしかもこの程度の面積規模であればこその利点を活かすべきだと思います。
子孫に安心して暮らせる社会を残すのが大人の使命でしょうから、国家プロジェクトとしてやってみたらどうでしょうか。
誰か真剣に考える人はいませんかね。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。