なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ465 まいったたぬき

2024年04月28日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第465回。令和6年4月28日、日曜日。

 

先週は失礼しました。

UPするだけまでに下書きを完成させていたのですが、何故かすっかり消えてしまっていて、苦し紛れに流した情報でご心配をかけることになってしまいました。

若い頃麻雀をしていた時に、

「まいったなあ、まいったたぬきは屁で分かる」とか

「そうはイカの筋肉質」だとか

意味のない慣用句を口にしながら打っていたことを思い出しましたが、facebookにたくさんの皆様からご心配のお声をかけていただき恐縮しました。

皆様、弱った者に優しいことだと思いました。

自分もそうなので、お言葉にまでしなくても静かにご心配いただいた方もあったのではないかと推察します。そんな全てのお気遣いに、心より御礼申し上げます。

お陰様で、軽口が叩けるまでには恢復してきました。

しかし、今回の不調の原因は何だったのか未だに分かりません。

体の節々が痛くてだるく、起き上がるのも寝返りを打つのもやっとでした。

普段は足を布団から出して寝るほど温かいのに、足も体も冷えて足裏を腿の内側にくっつけていたりしました。

熱も咳ものどの痛みもありませんでしたが、コロナを疑って試薬で検査しても陰性。インフルエンザも考えにくいです。

食欲がなく、5食を抜いたら二日で2キロ体重が減って、これはよかったことです。

その後も以前の豚のような食欲がなくなり、できればこれを維持していきたいと願っています。

願うって、自分の意思の問題なのですが、食べたい欲を抑えられないので太っているわけで、何とかしてほしいと誰にともなくすがる気持ちになってしまうのです。

「腹部膨満感」というのだそうですが、常に腹が張って苦しい感じがあります。5食抜いても同じだったので調べたらそういう症状で、ガスがたまっているからかもしれません。

確かにまいったたぬきのように屁は臭いし絶えずげっぷが出る傾向にあります。

悪玉菌を減らし善玉菌を増やす対策法なども書いてありました。

原因の一つとして、早食いによる「呑気症」ということがあると。

早食いは充分に自己認識しています。

軍隊や修行道場経験者に多いと思われますが、食事を短時間で済ますことが求められる環境にいるとそれが身についてしまうのです。

呑気症というのは、食事のときに空気も一緒に飲み込んでしまって膨満感になるというものですが、その原因がストレスや早食いだというのです。

ストレスという原因は考えにくいのでやはり早食いでしょう。

そうです。腹が出ていると見えていたのは実は全て空気だったのです。違います。

これを機会に早食いの改善を図りたいと思います。

 

いずれにせよ、今回は「休め」の合図だと受け止めています。

これまでと変わらぬ動きをしているつもりでも、疲れ方がこれまでと同じだとは限らないということでしょう。

東京から続けて仙台に行きました。花の鶴楯の作業下見で山にも上りました。

それぐらいでと思っていましたが堪えていたのかもしれません。

休みたくても休めない人もいるでしょうから、休めることはありがたいことです。

でも、休めないというのは、命を犠牲にしても休めないことなのかと考えた方がいい場合もあるかもしれません。

体のサイン、休めの合図に素直に従っていきましょう。

 

今週の一言

「前を向いて休め」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ464

2024年04月21日 05時09分15秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第464回。令和6年4月21日、日曜日。

 

コロナではないのですがどうも風邪をひいたみたいで、体がだるく節々が痛いので寝て過ごしています。

食欲もなく、金曜日の昼から食べていません。

今日はだいぶ良くなってきたので起きようかと思っています。

このブログの原稿も書いていたのですが何故か全て消えていて復活できません。

今から書く気力もないので、今週はここまでとします。

また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ463 悩みを食べる

2024年04月14日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第463回。令和6年4月14日、日曜日。

 

桜が咲き始めると急に春が動き出した感じがします。

冬の間だらりんとしていた男たちの顔つきがキリッと真剣な面差しになって、働く農家になってきました。

和尚も負けじと、睡蓮と蓮の植え替え、植木に施肥、池の掃除、メダカと亀の外への引越しなどなど、いかにも忙しそうにパタパタと動いています。

いつもそうなのですが、作業が終わってから参考資料を見たりして、「ありゃ、違っていた」と気づいても後の祭り、今年は花が咲くかどうか。

池の鯉は、昨年鯉屋さんが亡くなって廃業したため、冬越しに預かってもらえなくなりました。

池が雪に埋まってしまうことと、イタチがやって来て鯉を引きずっていくと聞いていたため対策を考えていました。

鉄工所と相談して、アングルで枠を作り金網を貼って籠状のものを作ってもらいました。

これならば雪にもイタチにも大丈夫だろうと池に沈め一冬を過ごしました。

初めてのことなので、鯉は無事かと心配していましたが、先日籠を上げて無事を確認してホッとしました。

狭い所に押し込めていてゴメンね。掃除の時に泥水を飲ませてしまってゴメンね。

試行錯誤しましたが何とかきれいな水に戻り、気持ちよさそうに泳いている姿を見るとこちらも気持ちが良くなります。

来年はもっといい方法を考えたからねと、独り言ちしていました。

蓮や鯉のように手足を伸ばし、人間も新たな動きをしなければなりません。

 

朝の散歩の折り返し点は、2キロ先の東善院さん馬頭観音です。

観音堂に上がり、賽銭を入れ、真言を唱え、祈願をします。

今は「ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ紛争の早期解決、国民避難民の身体堅固、能登半島地震・台湾地震の被災地早期復興、被災者各々身心安寧」を祈っています。

祈るだけでいいのか、という問いもありますが、祈ることができるのは人間だけの能力です。

他の痛みを我が痛みと感じ、何とかならないかと考える心、それが祈りとなります。

祈らずにはいられない、それが人間らしいということではないか、と思います。

 

馬頭観音は、言葉の通り頭の上に馬の顔が載っている、あるいは頭が馬の顔になっている姿の観音様で、六観音、三十三観音の一つです。

多くは憤怒の相をしています。

なぜ馬頭なのか、なぜ馬なのか。

馬は足が速く、口が大きいという特徴から来ています。

つまり、人の苦しみを観じていち早くその人の元へ駆けつけ、その悩み苦しみを大きな口でムシャムシャと食べてしまう、そういう願いが込められた相なのです。

憤怒の相は、不動明王などと同じで、人々に悪をさせないという慈悲からの叱りの相です。馬頭観音の場合は苦しみを放っておかないという強い意志を表しているものと思われます。

富沢馬頭観音堂向背の二本の柱には、見事な筆致で「衆生被困厄 無量苦逼身」「観音妙智力 能救世間苦」という聯が掛けられています。

正に馬頭観音の祈りを表しているものでしょう。

私がお参りをするときには、大きな線香立てにいつも一束の線香が供えられています。決まって同じ場所に。

同じ人が、毎日線香を上げてお参りされているのでしょう。

その人にどんな思いがあるのか、祈りがあるのか知りません。

しかし、毎朝ここに足を運んで掌を合わせているのですから、馬頭観音様がその祈りを聞き入れてくれないはずはないと思います。

 

日本人が住むこの国の各地に、様々な仏閣があり、仏菩薩が祀られています。

その仏像にどんな意味があるのかを知らなくても、そこに参り、掌を合わせる行持を続けることに意味があります。

人には、祈りを受け止めてくれる存在、その対象が必要です。そのために仏菩薩は祀られてきたのです。

もちろん、家の仏壇もその対象です。

そこに在りながら、近くに在りながら、素通りして掌を合わせないのは真にもったいないことです。

祈ることで、自らの慈悲心に気づき、智慧を育てていくことができます。

今までは問いません。今日、今からです。

 

今週の一言

「菩薩様に苦しみを受け取ってもらえばいい」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 


サンデーサンライズ462 躊躇するな

2024年04月07日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第462回。令和6年4月7日、日曜日。

 

3日、台湾で大きな地震がありました。

1999年、台中で起こった大地震の際訪れた仏教慈濟基金会(慈濟会)の本部がある花蓮市が震源の近くです。

慈濟会は、東日本大震災の時も、能登地震の時も現地で大きな支援をしてくれました。

今回の地震でももちろんすぐに動き出し、支援活動を進めているようです。

日本の報道で、避難所が3時間で開設されたニュースが流れ、そこに慈濟会の名前の入ったテントが映し出されました。

そのスピードと的確さが日本の災害支援と比較されていました。学ぶところが大きいと思います。

いざという時に最も支援し合ってきた日本と台湾。今回の地震にも支援をお願いします。

その気になった時にすぐに行動しないと、気持ちはすぐにしぼんでしまいます。

 

さて、4月に入り、いわゆる新年度というところが多いと思います。

宗門関係もその通りで、新たなスタートを切ったことになります。

3日火曜日は、曹洞宗本庁において、今年度特派布教師の辞令伝達式が行われました。

曹洞宗管長、大本山永平寺貫主南澤道人禅師がお出ましになられ、直接一人ひとりに辞令を親授していただきました。

御年96歳を迎えられておられますが、御法体堅固にてしっかりと御垂示もいただきました。

やはり、直接辞令を手交していただくと身の引き締まる思いがしました。

特派布教師は、管長様の「告諭」を携えて地方を巡回し、そのお言葉をお伝えするという役目になります。

今年32名の布教師が任命され、それぞれが決められた任地に赴きます。

私の任地は、島根県と岡山県となりました。どちらも以前派遣されたところで、それぞれ3回目の巡回となります。

各県の日程と布教師の予定をマッチングするので、どうしても派遣されない県もあれば何度も行く県も出てきます。

いずれにせよ、派遣された場所で精一杯務めなければなりません。

加えて、布教師養成所主任講師の任命も受けています。今年で最後の予定ですので、こちらも精一杯務めます。

 

松林寺においても今年度の事業が始まるわけですが、本日7日の総代会、役員会にて正式な日程が決定となります。

予定とすれば、6月2日の松林寺集中講座と6月8日の大般若会、護持会総会が大きな事業となります。

私が住職になった年からスタートした集中講座は、今回で16回目を迎え、例年通り講話、音楽、落語の内容で開催します。

講師は、音楽として、新潟から篠笛奏者であり歌手の田村優子さんと、ピアノ、ギターによるコンサート。

落語は、4年ぶり2回目の口演となる六華亭遊花師匠の登場です。

講話は前回から住職が勤めています。演題は「行雲流水その2」として、永平寺修行前夜までを語ります。

昨年は前年亡くなった母を追悼して行脚の話をしましたが、今回は父のことを中心に話させていただきます。

今年も、気仙沼からと金山町から団体の参加希望が来ています。

参加ご希望の方はメール(shorin@cup.ocn.ne.jp)等でご連絡ください。

体力が続く限りとは思っていますが、こればかりは何とも言えません。

その気になったときには躊躇せずに行動した方がいいと思います。

またいつか、はなかなか訪れないものです。

すぐ行動するか躊躇するかで縁が変わるので、人生が変わってきます。

躊躇するのも縁といえば縁ですが、行動して後悔するのとしないで後悔するのでは後悔に違いがあるように思います。

先週話したように、縁と選択で人生が織りなされるとすれば、縁の数が多いほど選択肢も増えることになります。

人生は短いのですから、躊躇するのはもったいない。

『臨済録』に「用いんと要せば即ち用いよ」の一節があるようです。

『臨済録』を読んだわけではありませんが、臨済宗の師家の講演をテープで聞いて頭に残っています。

「躊躇するな」ということですね。

 

今週の一言

「躊躇しているほど時間はない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

「今週の一言」が急に始まりました。新年度故に。