なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ345 「美しい日本の私」

2021年12月26日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第345回。12月26日、日曜日。

クリスマスを宗教行事として迎えている日本人は、クリスチャン以外では極稀だと思われます。
もしかしたら、初詣も宗教行事という意識はないかもしれません。
よく言われることですが、12月24日にクリスマスをやり、大晦日にお寺で除夜の鐘を撞き、元旦に神社に初詣をすることに何の違和感を感じない日本人の宗教感覚はどうなのかと。
それは、どれも宗教行事ととらえていないからなのでしょうね。
特にクリスマスなどは、二十四節気の仲間入りをするのではないかと思われるほど日本人にとって当たり前の行事となりました。
ずいぶん前、坐禅に触れてそのまま出家し、禅僧となって来日したアメリカ人女性が、「友だちとこっそりクリスマスをしたの」とはにかみながら話していたことを思い出します。
「こっそり」というところに若干の罪悪感を感じられますが、日本のお寺でも「こっそり」クリスマスツリーを飾っているところは珍しくないと思われます。
かく言う我が寺でも、子どもが小さい頃は飾りました。若干の後ろめたさを感じながら。
この国では、経済活動とうまく結びついたものは、宗教とは関係なく、すごい勢いで広まるものなのでしょう。そこに後ろめたさのようなものは微塵も感じられません。
クリスマスは戦後復興の象徴のような役割を担っていたのではないかと思います。
一方冬至は、宗教行事ではありませんが、二十四節気の中でもとても大きな意味を持つ行事です。
太陽の力が最も弱まり、いわば一度死んで、次の日から復活するという節目ととらえるため、その日を何とか耐えて、新たな太陽を迎えようとする希望を感じる日でもあったわけです。
クリスマスの起源は、キリストの誕生と冬至の行事が結びついたという説も読んだことがあります。
洋の東西を問わず大きな意味を持った行事だったということでしょう。
しかし日本では、ゆずと南瓜が少し売れる程度で、クリスマスのように経済活動総動員とはなりませんでした。
その静かな迎え方が日本らしいと感じることもあります。ただ、クリスマスの陰で忘れられたりなくなったりしてはいけないと思います。

中には二十四節気にうまく経済活動を結びつけた例もあります。
立春前日の節分は豆まきと決まっていますが、最近は恵方巻の方が幅を利かせているように感じます。
この風習、上方の方から始まったと聞き及びますが、既に国民行事になったでしょうか。経済活動は結構なことですが、無駄な食糧廃棄だけはなくしてもらいたいと思います。
二十四節気そのものではありませんが、それと関連のある土用丑の日の鰻。
これも、上手く経済活動と結びついた例と言えますね。
「土用」という意味は知らなくても、「土用丑の日」という張り紙を見ただけで「鰻」を思い浮かべる日本人は多いでしょう。
雛祭りや端午の節句、七五三などは子どもの成長を祝うという行事で、経済活動とは違う意味で大切にされてきたものだと思います。
それぞれ決まった期日がありますが、季節を味わう他の二十四節気とは少し違う、別の意味合いをもった行事と言えるでしょう。
拡大してみれば、彼岸やお盆の行事も季節と密接な関係があり、節句と似た意味合いの行事と言えるかもしれません。

このように、四季がはっきりしている日本では、行事の起源の意味よりも、それを生活の中にどう取り組むか、どう活かすかという点に重点が置かれてきたのだろうと思われます。
川端康成がノーベル文学賞を受賞したときの記念スピーチは『美しい日本の私』というタイトルだったとのこと。
冒頭に道元禅師の和歌「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」を紹介してスピーチは始まったと。
そこで思うことは、日本人は、宗教というとらえ方よりも自然を敬うことを優先してきた民族なのではないかということです。
むしろ、自然へ対する畏敬の念に宗教を取り込んだ、あるいはダブらせたという感じがします。
自然崇拝を「八百万の神」と呼んできたのだと思いますが、その中には仏教の仏も、キリストの神も含んでしまうのかもしれません。
そのように、自然そのものを神格化して崇める民族であるならば、自然を破壊することにはもっと敏感に怖れと怒りを感じなければならないはずです。
それを経済活動で目くらましされてはなりません。経済は自然でもなければましてや神でもないのですから。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ344 おいしくなーれ、おいしくなーれ

2021年12月19日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第344回。12月19日、日曜日。

16日木曜日は、酒蔵で酒の仕込み体験をしてきました。
12月1日に酒母造りが始まり、事実上の「山と水と、」の仕込み開始です。
この酒母(酛=もと)が十分育ってきたところで掛け米をしていきます。つまり、量を増やしていくわけです。
ただし、一気に米と水を足してしまうと菌の増殖が間に合わず雑菌が混じる恐れがあるため、昔から3回に分けて掛け米をするという方法がとられてきました。それを三段仕込みと言います。
今回は、12月13、15、16日の3回です。これを醪(もろみ)造りと言います。
その工程は、初添え、踊り、仲添え、留添えなどと呼ばれています。
16日はその最終日、留添えの作業を体験させてもらったのでした。
8時45分、「山と水と、」の酒造をお願いしている河北町の和田酒造さんへ、会員9名とテレビクルー1名、新調した揃いの法被に身を包み、いざ出陣。
8時59分に蒸し上がる予定の甑(こしき)は、覆い布が蒸気で大きく膨らみ、もうもうと湯気を噴き上げていました。
酒蔵が用意してくれた履物に履き替え、衛生キャップをかぶって、高まる緊張に胸を躍らせていました。
白衣も用意してくれていましたが、新品の法被を着ているのでそれでいいだろうということになりました。
時間になりボイラーのスイッチが切られると覆い布が取り払われました。
甑の中は湯気で真っ白でしたが、次第に薄くなって、中からきれいに蒸された出羽燦燦が現れました。
50%に削られた米がびっしりと固まっている様子はおこしのようにも見えました。
それをスコップで掬いあげ、木桶に入れます。
目いっぱい入れると20㎏になるという木桶を肩に担いで蔵の奥へ。
放冷機へ乗せると、米はバラバラになりながら冷やされます。
それを少しずつタンクへ投入。その作業は素人では難しいということで蔵人がやってくれました。
タンクを覗くと、初添え、仲添えの醪はフツフツと泡を立てていました。順調に発酵している証拠です。
留添えの米を投入して、櫂(かい)入れ。固まった米をほぐしながら、先の醪と混ぜていきます。
これもみんなで体験させていただきました。
朝ドラの影響で「おいしくなーれ、おいしくなーれ」と唱えながら。
これで酒の原料は全てそろいました。
後はタンクの中でじっくりと旨い酒に育つのを待つばかりです。
若い酒の匂いを胸いっぱい吸い込んできました。
発酵具合で変わってきますが、1月10日ごろには完成となり、搾りが始まる予定となっています。
最後には、和田酒造の氏神様諏訪神社にみんなで成功祈願をしてきました。

軒先には新酒の完成を知らせる杉玉も飾られ、酒造りの最盛期にお邪魔して、本当に邪魔だったと思いますが、新社長も蔵人さんたちも、丁寧に説明してくれ、おぼつかない作業を暖かく見守ってくれました。本当にお世話になり誠にありがとうございました。
帰りにはお土産にできたばかりの生原酒「葉山おろし」をいただき、宿用院の茶の間で早速1本空けてきました。
皆さんおいしかったと見えて、酒屋に寄って同じものを買い求めて来たことを言い添えます。
河北町に来たら「冷たい肉そばとソースカツ丼のセット」はどうだと聞いたら、餅が食べたいというので葵食堂で昼食となりました。
それぞれ、ラーメン、そばと納豆餅のセットを食べていました。私は納豆餅30個でした。
朝は酒蔵に行くため納豆禁止でしたので、みな納豆に飢えていたようです。
その後、青木商店に寄ってビールと青菜漬けをごちそうになりました。
最後はお腹がいっぱいというオチでした。

自分たちで米を植え、刈り取りをし、水を運び、仕込みをした酒、いよいよ間もなく完成です。
1月20日に完成を祝う会を開催して、新酒で乾杯をします。相撲甚句やテーマソングの披露もあります。
21日から一般販売の開始ですが、500本だけなのですぐになくなると思います。
地元の人が飲む酒、自酒を目指しているので、とりあえずは町民向けに販売したいと思っています。
宣伝広報ばかりが先行し、現物が買えないとお叱りを受けるだろうと予測されます。
初年度はどれだけの酒ができるか分からず、恐る恐るの量となりました。
来年は倍増する予定ですので、今年手に入らなかった方はぜひ来年度にご期待ください。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ 落語作家デビュー?追伸

2021年12月12日 15時10分25秒 | サンサンラジオ
朝にUPした落語、原稿は30分ほどで書きなぐったものでしたが、どうせなら完成させてみようかと、途中を膨らませてまとめてみました。
よろしかったら読んでみてください。

『すまぶれ』

―おいおい!こらやめないか!
 寄ってたかって小さな子をいじめんじゃねえ。あっち行け!
 坊、大丈夫だったか?けがはしてねえか?
―うん、へっちゃらでえ!
 あれ?おとっつあんじゃないか?おじちゃん、おいらのおとっつあんだろ?
―え?!お、おとっつあんて。
 もしかして、おめえ、きん坊か?
―うん、おいらきん坊だよ!おとっつあんだ、おとっつあんだ。
 いままでどこに行ってたの?おいら寂しかった。グスン。
―てあんでえ、そ、そんなことで男の子が泣くんじゃねえよ。
―おとっつあんも泣いてんじゃねえか。
―バカ言うな、これは目の汗だ。
 それにしてもきん坊、しばらく見ねえ間に大きくなりあがって。
―おとっつあんもしばらく見ねえうちに、立派になって。
―ちぇっ、親をバカにしてやがらあ。
 おい、おめえ、なんでいじめられてたんだ?
―そんなこと聞くない。
 おとっつあんがいないから、貧乏で、いつも同じ着物ばかり着ているからなんて、おとっつあんの前じゃ言えないよ。あ、これおっかさんには内緒だよ。
―ふん、自分で言ってやがらあ。
 おめえにまで苦労かけてすまねえな。
 それはそうと、おっかあは元気か?
―うん、元気に暮らしてるよ。
 おとっつあんが家を出てった時はそれは大変だったんだよ。
 方々探し回ってさあ、おっかあ毎日泣いてた。
 でも、長屋の小間使いや針仕事なんかして何とか暮らしてるよ。
 おとっつあんの前だけどね、おっかさんはそれはよく気が利くし、愛想がいいからね、誰からも好かれるんだよ。「おみっつあん、おみっつあん」て、ばかに評判がいいんだよ。おとっつあん、知ってた?
―し、知ってるよお。
 ところできん坊、新しいおとっつあんとは仲良く暮らしているのか?
 かわいがってもらっているのか?
―おかしなことを言うね、おとっつあん。
 おとっつあんに新しいのと古いのがあんのか?目の前のおとっつあんは古いのか。
―いや、そうじゃねえよ。
 これは先のおとっつあん。その後に新しいおとっつあんが来ただろ?
―わからねえよ。古いとか新しいとか、先だの後だのって言われたってわからねえよ。
 おとっつあんはおとっつあん一人じゃねえか。
―そうじゃねえよ、じれってえな。
 このおとっつあんがいなくなってから、別の男の人が家に来て一緒に暮らしてるんじゃねえのかって聞いてんだよ。
―え?ああ、そういうこと?
 心配いらねえよ、おとっつあん。おっかさんは、ずっと空き家だよ。
―色目なんか使いやがって、ませたガキだな、おめえは。
―おとっつあん、家に来なよ。
―家?だめだよ。帰れねえ。かかあに合わせる顔がねえんだ。
―大丈夫だよ、おとっつあん、おっかさんも会いたがってるよ。
 ねえ行こう、行こうよ。
※そのままきん坊に手を引かれて、渋々ながら家までやってきました。
―おっかあ、ただいま!
―あれ、きん坊かい、遅かったじゃないか、今までどこ行ってたんだい?
―おっかあ、そんなことより表に出て見なよ。珍しい人連れて来たんだ。
―珍しい人?落語家かい?
 はい、どな…
 え、お、おまえさん?おまえさん、熊さんかい。
 ああ…、(泣き崩れる)
 しばらく見ない間に立派になって…
―えー、ごめんなすって。長えことご無沙汰して、あい済いません。
 のこのこと出せる顔じゃねえんですが。そこで、きん坊…さん、に会っちまって。
 聞いたところによると、ずいぶんご苦労かけちまったようで。
―何言ってんだろうね、この人は。
 まあ、そんなとこ突っ立ってないで、中お入りよ。
※それから、出てってからの成り行きをかかあに話します。
―腕のいい大工だなんてえ声にいい気になって毎日酒浸りだった。
 仕事にも行かなくなり、おめえに意見されたのに腹立ててプイッと飛び出していっちまった。
 はなの内は仲間や知り合いを頼って細々と仕事をさせてもらっていたが、そこでも酒でしくじり、居られなくなってどんどん北へ流れて行った。
 着いたところは出羽の国の小国郷(今の最上町)というところよ。
そんときはもう体はボロボロだった。
 そんなおいらを村の人は優しく介抱してくれた。
 ある家にお世話になっていると、ある晩酒呑み客が訪ねてきた。
 その辺は飲み屋なんぞないもんだから、酒が呑みたくなると、呑ませてくれるような家を訪ねては上がって呑んでいくらしかった。
 おいらが隣の部屋で寝ていると、その家の人は優しくて、その酔っ払いをもてなして酒を吞ませていたんだ。
 しばらく吞んでから酔っ払い客は言った。
 「おれはまた『すまぶれ』んなったなや」
 「すまぶれ」という言葉は聞いたことがなかったので家の者に聞くと、それは鳥の巣の中でいつまで抱いていても孵らない卵が巣にまぶれてしまうことになぞらえて「帰らない 客」をそう呼ぶんだと。
 へえ、うまい言い方があるものだと感心した。しゃれてるじゃねえか。
 しかし、そのすまぶれは自分でそう言いながら、それからもグダグダと同じことを何べんも繰り返して帰らねえんだ。
 「この野郎、いい加減にして帰りやがれ」と怒鳴りこんでやろうかと思ったが、自分も厄介になっている身で、考えてみりゃあ、その姿はそれまでの俺そのものだった。
 しまいにはその野郎、坐りしょんべんまでして、そこの家のカミさんに肩掛けしてもらって帰っていった。
 自分の姿見るようでハッとしたよ。俺も、いつまでもだらだらと酒飲んで、おめえやきん坊が迎えに来ても怒鳴って追い返したりしていたっけなと思い出したんだ。
 みんなに迷惑をかけていたんだとようやく気がつき、それからは酒をきっぱりとやめてまじめに働いて、こうやって江戸に仕事に来るようになった。
 済まなかったなあ、おっかあ。このとおりだ、勘弁してくれ。
―やだよ、やめとくれよ。頭上げとくれよ。あの時はあたしも言い過ぎたと後悔してたんだよ。堪忍してちょうだいね。
 おまえさん、今どこで暮らしているんだい?
―今お世話になっている親方のところだ、この近くだよ。でもこっちの方にはなかなか足が向かなくてなあ、避けてたんだけど、そこでたまたまきん坊に会っちまって。
(二人のやりとりに耳を傾けていたきん坊)
―おとっつあん、ねえねえ、お酒呑みなよ。
―なんでえ藪から棒に。今の話聞いてただろう。おとっつあん、酒やめたんだ。
―そんなこと言わないでさ。お酒吞みなよ。
 せっかく帰って来たんだからさ、おっかさんとつもる話もあるだろう。
 一杯飲みながら話しなよ。さしつさされつさ。
―何生意気なこと言ってんだ。おとっつあんは酒はやめたんだってそう言ってんだろう。
 またおっかあを泣かせちゃあナンねえからな。
―あんた、呑みなよ。きん坊の言う通りだよ。もっと話を聞かせておくれよ。ちょっとだけならいいじゃないか。送っていくからさ。
―おとっつあん、呑みなよ。ねえ、おとっつあん。
―きん坊、やけにおとっつあんに酒を勧めるじゃないか。どういう訳でえ。
―だって…
ーなんでえきん坊、そんな顔して。おめえ、泣いてんのか?
 どうしたい?おとっつあんが酒を飲まねえことがそんなに悲しいのか?
ーだって、おとっつあんが酒を飲めば、す…す…
ーおっと、分かった。みなまで言うない。そうか、そうさなあ…。
 きん坊、安心しな。
 おとっつあんはな、酒を飲まなくても、もう、とうにすまぶれだ。

おそまつ。

サンサンラジオ343 落語作家デビュー?

2021年12月12日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第343回。12月12日、日曜日。

赤倉温泉で「ご当地落語」という催しがありました。
文化庁の事業で、地方の活性、宝さがしと伝統芸能を結びつけるという初めての企画のようです。
福島県と山形県の温泉場、小野川温泉、土湯温泉、赤倉温泉、芦ノ牧温泉、岳温泉の5か所を会場にして、その周辺を落語家自らが取材、その題材をもとに3日間で新作落語を創作し、高座にかけるというチャレンジングな企画です。
赤倉温泉には12月6日に入り、9日に旅館三之丞で落語会となりました。
その取材は松林寺にも来て色々とネタの材料を探していかれました。当地に来た落語家は、立川こしら師匠と若手の立川志ら門さん、柳家緑助さん、桂竹千代さん、柳亭信楽さんの総勢5名です。
当日、どんな落語に仕上がったかと楽しみにして聴きに行きましたが、残念ながら松林寺ネタの落語にはなりませんでした。
取材に来た時、当地の特徴的なものが何かないかと言うので、この地方の方言というか独特な符牒に「すまぶれ」という言葉があるという話をしました。
それがどんな落語になるだろうかと考えていたら、自分で書いてみたくなりました。
以下がそのあらすじす。

『すまぶれ』
小さな子が男の子たちにいじめられている。
やめねえかと追い払ってみると、その子が「おとっつあん」という。
それは我が子のきん坊だった。
酒飲みだったおとっつあんはかかあと喧嘩して家を出て行ってしまった。
おとっつあんは流れ流れてどんどん北に向かい、出羽の国は小国郷にやって来た時にはもう体はボロボロ。
ある家に厄介になり優しく介抱され、休んでいるところに酔っ払い客がやって来た。
家の者はその酔っ払いをもてなし、いつまでも客は帰らない。
そういう状態の客をその土地では、鳥の巣の中でいつまで抱いていても卵から孵らず、巣にまぶれてしまうことになぞらえて「すまぶれ」と呼ぶのだということを知った。
思い出せば自分も、このすまぶれ客のように、かかあにも周りの者にも迷惑をかけていたことに気づき、酒はもう飲まないときっぱりやめた。
働いて大工の腕を見込まれ、仕事で何年かぶりに江戸に舞い戻って来たときに、偶然きん坊とめぐり合ったのだった。
きん坊は家に来いという。
だって、新しいおとっつあんがいるだろうと言うと、きん坊とおっかあの二人暮らしだという。
気まずいながらきん坊に手を引かれて家に行ってみると、かかあが泣き崩れながら迎えてくれる。
出羽の国の話や、つもる話をしていると、きん坊が「おとっつあん酒を飲め」と言う。
酒はやめたんだと言っても、何度も飲めと勧める。
あんまり熱心に勧めるので、訳を聞いてみると、その訳とは・・・。

そんな噺を書いて、口演前の会場で関係者に師匠に渡してくれと頼みました。
新作落語はもうそれぞれできているだろうから、その邪魔になってはいけないと、あえて直前に渡したのでした。
5人の落語はそれぞれに個性があって面白かったです。
出てくる話はどれも地元のネタばかりだし、誰をネタにしているのか分かったりして、地元ならではの落語になりました。
ひとりの落語家が言っていましたが、普段は昔からやられている噺を何か月も練習して高座に上がるのに、この企画は、始めてきた土地で自分でネタを探して、それを3日間で新作に仕上げ、地元の人の前で語るのですから、どれほど大変なことかと。
確かにそうだろうなと思いました。
それでも、無茶なチャレンジを何とか形に仕立ててくることに感心しました。落語家、あなどれないですね。

そして、次の日、前日の宿からYouTubeを観てくださいと連絡があり、覗いてみると、何と!私の書いた「すまぶれ」をこしら師匠が語ってくれているではありませんか!
車の中からでしたが、落語として語ってくれていました。
いやいや、驚きました。
落語作家デビュー?となりました。(笑)
ちゃんと名前も出ています。
よろしかったら聴いてみてください。

落語「すまぶれ」

実はその後、少しオチを変えてみました。
それはこんな感じです。

きん坊とかかあがどんなに勧めても、おとっつあんはやっぱり酒は飲まないという。
ーなんでえきん坊、そんな顔して。おめえ、泣いてんのか?
 どうしたい?おとっつあんが酒を飲まないことがそんなに悲しいのか?
ーだって、おとっつあんが酒を飲めば、す…す…
ーおっと、分かった。みなまで言うない。そうか、そうさなあ…。
 きん坊、安心しな。おとっつあんはな、酒を飲まなくても、もう、とうにすまぶれだよ。

お後がよろしいようで。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。







サンサンラジオ342 幸せは歩いてこない

2021年12月05日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第342回。12月5日、日曜日。

12月に入りました。
先週は色々目まぐるしい動きがありました。

29日月曜日、東北ツアーが終わってやなせななさんが来るからと呼ばれて気仙沼に行ってきました。
いつものように清凉院親子と仲間と賑やかな夜を過ごしました。
話のついでにダメもとで、「山と水と、」のテーマソング歌ってくれないかなと頼んでみると、ななさん「いいですよ」と軽いご返事。
いつものバンドの仲間とスタジオでレコーディングするときについでに演奏して歌ってくれるといううれしいお言葉。
どんな仕上がりになるか楽しみです。
そんな風にいろんな人が歌ってくれれば、あるいは化けるかもしれません、この歌。

30日は最上の水をもって和田酒造へ。いよいよ仕込みが始まります。
酒米出羽燦燦は既に精米所から酒蔵に届けられています。
まずは酒母造り。「酒母」の名前の通り、酵母と麹と蒸米と水を混ぜて酒の酛(もと)を造ります。アルコールの元である酵母を培養する工程です。
それが12月1日から始まりました。事実上の酒造りのスタートです。
そして、この酒母に13日から3回に分けて蒸米(掛米)と水を投入していきます。これを三段仕込みと言います。
そのための水は10日に運びます。
16日には仕込みの体験をさせていただけることになっています。

30日夕方は、赤倉のuneで専門家を講師に招いての地域新電力立ち上げのための勉強会でした。山形自然エネルギーネットワーク主催でもっちいが後援の勉強会です。
置賜、庄内、県内各地、県外からも聴衆が集まり、30名ほどが熱のこもった質疑、意見交換を行いました。
こちらもいよいよ本格的な始動段階に突入しました。そしてその夜は懇親会。

1日は、地酒を創る会の第7回全体会議。販売、広報、祝賀会へ向けた協議を行いました。酒造りがスタートしていよいよ本番という期待と緊張感があります。全くの一からの酒造りでここまで来ました。自分たちで造り自分たちで楽しむ「自酒」造りです。

2日は、地元の同級生で餅の品種の味比べとそばのかいもち(そばがき)を味わう集まりでした。どの品種が納豆餅に合うか雑煮餅に合うかなど、農家と料理研究家の検討がありました。当然飲みながらです。

3日は、花の鶴楯を創る会の今年度事業の報告書を役場に提出、同時に地元集落への通信を発行して区長に配布をお願いしました。
地元の宝を地元のみんなで創っていく事業です。来年度も継続していきます。

4日、近所の家の飲み会に誘われて参加。誘っていただくだけありがたく断わることはできません。
次代を担う若い衆も集まり、飲んで食べてしゃべって、地元愛がつながっていく予感がうれしく感じられます。

ということで、忙しいことは好きだし全く苦になりません。
暇であることで自己嫌悪に陥った若い苦い経験があるので、忙しさを求める習性が身についています。暇であることが怖いのです。
しかし、高齢者には身体も肝臓も少々疲れ気味です。
温泉に入ってマッサージをしてリフレッシュしながら次に向かいます。

残りの人生は毎日毎日生きるたびごとに短くなっています。
何歳まで生きたというのはあまり意味がありません。
人生は長短では測れません。
今日やるべきことを今日やらないことが後悔となります。
今日を生きることが目的であり結果です。
他人の人生と比べることもナンセンスです。
自分の人生は自分にしか評価できません。
自分の幸せは自分で作っていくしかないのです。
「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」という歌詞がありました。
その通りです。
不幸は向こうからやって来るかもしれません。
しかし、幸せは向こうからはやってきません。
自分でつかむもの、あるいは作るものです。
不幸の反対が幸せではありません。
不幸の中にも幸せを感じることはできます。
幸せの中に居て不幸だと嘆く人がいます。
境遇の不幸で幸せをあきらめてはなりません。
今日限りの命だとすれば、今日を幸せに生きるしかありません。
幸せを感じるような生き方をする以外ないのです。
今日一日を幸せに感じずに過ごすのは何ともったいないことか。

今日は松林寺梅花講の総会と成道会です。
毎日を今日のつとめに励めば、お釈迦様のお悟りを毎日実行すれば、毎日が成道会です。
特別な日だけ何かを催すことで、毎日のつとめを怠ることの言い訳にしないようにしましょう。
今日もいつものように坐ります。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。