なあむ

やどかり和尚の考えたこと

再発見

2008年09月28日 12時03分20秒 | 松林寺

来週土日の4・5日、日本再発見塾の塾生100名の皆さんが最上町を訪れ、各地で「いなか」を満喫してくれる。その一部25名は、立小路で稲刈りの体験をして松林寺に1泊することになっている。

せっかくお寺に泊まってくれるのだから、それなりのご接待はしたいなと思い準備を進めている。

そんなとき偶然にも、新田の三浦さんからお膳の提供があった。漆塗りの立派なお膳30組を頂戴した。何でも、足腰が弱くなって健康にも不安なので、息子さんのところへ引っ越すとのこと。若い頃に苦労して求めたお膳をただ棄てるのは忍びなく、もらっていただければということだった。ブリキの缶3つに収められたお膳は、大事に大切に使ってきたものだろうことがよく分かる。一番上に白紙に包まれた一つがあり、そこには、「昭和33年3月 三浦」と書かれてある。三浦さんだけに「三」にこだわったものだろうか。お膳の裏には「三」の丸字が刻まれていた。

人数も丁度いいし、さっそくこのお膳で食事してもらおうと思い、食器の点検も行った。お寺には大正の時代のものだと思われる黒塗りのお椀一揃えが100組ほど存在している(存在しているというのはぞんざいな言い方だが、ほこりをかぶったまま木箱にザクザクと収められてあった)。その中からメニューに合いそうな器を30組取り出してお膳に並べてみた。何とも古風な味わいが浮かび上がっていい雰囲気だ。宝物を「再発見」したいい機会だった。

再発見塾は東京財団が中心となって企画してきたプログラムで、これまで、三箇所の地方で開催されたのだそうだが、再発見する「日本」とは一体何なのだろうか。それは田舎にあるのだろうか。

おそらくは、自然や食事や文化や人の出会いの中に感じる、安らぎや温もりや心地よさ、それらを見出すことを目的としているのだろう。

しかし、「日本」は土地にあるのではなく、安らぎや温もりや心地よさを感じる「人の中」に、つまり、我々の命にすり込まれたDNAの中にこそ存在するのではないか。

そこに気づくきっかけとして「田舎訪問」があるのだと思うが、二日間で再発見して都会に帰ってまた眠らせてしまうのでは、本来の目的の半分しか達成されない。

心の物置の陰にしまい込んでいた「日本」をいう宝物を掘り起こし、それを「使っていく」ことにこそ再発見の意義があると言える。


アイヌ語と地名 2 及位

2008年09月26日 16時52分47秒 | アイヌ語と地名

難読の地名は全国各地にあるが、その代表格の一つと言えるのが「及位(のぞき)」だろう。山形県最上郡と秋田県由利本荘市、大仙市にある。

難解なために、その由来には色々な推測がなされ、「山から周囲をのぞいた」というような解釈がなされてきたようだ。では何故「及位」という漢字を当てたのか、一説によると、修験道の山伏が、高い岩山の絶壁から体を突き出して眼下をのぞく荒行をするとなにがしかの「位」に達することができたのだと。

では、そのような岩場が山形県と秋田県のそれぞれに存在したのかというと、どうもそうではないらしい。

「ノゾキ」をアイヌ語で解読すると、「ノ・ソッキ」で、「よい・ねぐら」という意味になる。獲物の熊などがねぐらにしている場所、つまり、縄文の人々にとっての好猟場であった。

山形県の及位も、秋田県の及位も、山深い地形にあり、熊などのねぐらであったこともうなずける。但し、どういう理由で「及位」という字を充てたのかはいろんな説があるが分からない。

また、地籍の上で納税を免れた地域に「除地」という意味で、つけられた可能性もある。

川西町に「莅」、宮城県に「除」と書いてどちらも「ノゾキ」と読む地名がある。

余談だが、70年代に活躍した(現在も活躍中)フォークシンガーであり画家でもある、友川かずきの本名は「及位典司」。秋田県旧山本郡八竜村の出身で、おそらく先祖が及位から移り住んだのだろう。友川は「のぞき」という語呂を嫌って「友川」にしたと言われている。

(参考資料:大友幸男「日本のアイヌ語地名」他)


アイヌ語と地名 1 浅虫

2008年09月25日 11時27分06秒 | アイヌ語と地名

先だって青森県の浅虫温泉に1泊した。

同行の青森在住の友に、「浅虫」ってどこからきたの?と聞くと、昔、ここで「麻」を「蒸し」たらしい、との答え。それがどうして「浅虫」になったのと聞くと、「さあ」とのこと。

地名に関心のない人にはどうでもいいことなのだろうが、興味のある者にとっては、珍しい地名は、その由来が気になって仕方がない。

「浅虫」という虫がいたとも思えないし、かといって、麻を蒸したからという理由も腑に落ちない。青森だし、アイヌ語なのじゃないかと思い、帰ってから調べたら、案の定アイヌ語源の地名だった。

地名は、元々そこに住んでいる人々が呼び習わしてきた呼び方を、後から来た人もそのまま踏襲することが多く、古くは縄文時代の言葉が地名に残っているとも言える。いわば地名は言葉のタイムカプセルのような意味を持っている。

北海道に、元々北海道に住んでいたアイヌの人々の地名が多いのは当然として、「アイヌ語」とは言えないまでも、アイヌの人々と同じ言葉を使っていた人々が本州にもいたわけで、意味不明の地名が、アイヌ語で読み解くと分かるという例は、東北、関東から、西日本まで分布していることが分かっている。

何故私がアイヌ語と地名に興味を持ったのかは、追々語ることにして、珍しい地名、意外な地名とアイヌ語の関係を少し紹介していこうと思う。

さて、浅虫。

アイヌ語で「アサム」(パソコンの関係上、大雑把にカタカナ表記するが、知里真志保の表記に依れば、「ア」がカタカナで、「サ」はひらがな、「ム」は小さい字をあてている)は、「湾・入江・沼などの奥」、という意味で、「ウシ」はこの場合は「場所」ほどの意味なのだろうと思う。

つまり、合わせると「湾の奥の所」というのが、アイヌ語での「アサムシ」の意味となる。

浅虫を地図で見ると、ちょうど青森湾の一番奥に位置し、その地形からも、上記の意味と考えて間違いないだろう。

大和民族は、アイヌや「蝦夷」と呼ばれた原住の人々を蔑視した歴史があり、地名も原住の人々に由来することを嫌い、色んな意味づけを考えてきたのだと思われる。しかし、それでも地名として残ってきたことは誠にありがたいことで、元々の地名を読み解くと、そこに生きていた人々の暮らしぶりが見えるようで、温かいものを感じる。

今、せっせと地名を壊し意味のない町名や市名が誕生していることは全く持って慚愧に堪えない。


ここで生きる

2008年09月23日 20時36分35秒 | 集中講座

 十月十二・十三日、当山において第三回松林寺集中講座を開講します。法話あり、落語あり、音楽ありの講座で、たくさんの方が来場して下さいます。

 お寺は本来、いかに生きるかを学ぶ場所であるはずで、生きているうちにこそ来るべき場所である、という思いから、この講座を行っています。

 松林寺のある最上町は、山形県の北東の隅に位置し山に囲まれた田舎町です。都会にくらべれば「何もない」町かもしれません。実際に町の人の声を耳にすると、自分の町への愚痴や批判が多く、誇りを持ってここに生きている人が少ないように感じられます。

 しかし、ここで生きるのに「こんな町イヤだイヤだ」と言って生きるのと、「ここがいい、ここでよかった」と言って生きるのとでは人生がはるかに違ってくると思います。

 また、親が「こんな町イヤだ」と言って生きているとすれば、それを聞いて育つ子供は、「自分はイヤな町に生まれてしまったんだ」と思うでしょう。「早くこんな町出て行かなければ」とも考えるでしょう。それは子供にとって一番不幸なことではないでしょうか。

 本当にこの町が嫌なら、東京でも外国でも好きなところで生きればいいのです。法律で移動を禁じているわけでもありません。しかし、どんな理由にせよ、事情にせよ、ここで生きていくのなら、「ここがいい」と思って生きたいと思うし、「ここでよかった」と思って死にたいと思います。

 どこに移動したとしても、その土地によって幸せが決まるわけではなく、その土地がいい場所かどうかは、そこに生きる人がそこでどう生きるかによるのでしょう。自分が住みよい場所は自分で住みよいようにつくっていくしかないのです。

 人生はまことに短い。後悔しないのはどっち?と道の選択に悩むよりも、選んだ道で後悔しないように頑張るしかないのです。ましてや、過ぎてしまった道を後悔することに時間を費やすのはまことに残念なことです。

 この町で生きることを選択した人々が、この町でよかったと思えるような一つとして、松林寺集中講座が役に立てばいいなと思っています。

 今生きているここで、精一杯生き切りましょう。

(曹洞宗東北管区教化センター「心の電話」H20.10.0110原稿)


おくりびと

2008年09月20日 18時49分50秒 | 今日のありがとう

今話題の映画「おくりびと」を観た。仕事上観ておこうと思った。

庄内を舞台に、「納棺師」という仕事を通じて人の死を見つめるという内容だ。

よくできた映画だった。奇をてらうことも、華美な演出もない、静かなストーリーに自然に引き込まれていき、気がついたらエンディングを迎えていた。

これほど「遺体」が前面に出てくる映画もないだろう。主役は死者であり、「死」そのものであった。

普段タブー視される死を、人生の最後の姿として美しく受け止めるための介助、それが納棺師という仕事だという内容だった。

確かにその仕事ぶりを目の当たりにすれば、次第に、死は忌み嫌う存在ではなく、命の尊厳として受け止めるべき存在だと思うようになるだろうと感じた。

そしてそれは、遺族だけではなく、納棺師や火葬を執行する人々自身にとっても同じなのではないか。

何度もその場面に遭遇すれば、慣れによって敬虔な気持ちは失われ、おざなりになってしまう、ということもないわけではないだろうが、それ以上に死から学ぶことは多いのではないかと思わされた。

私自身も、仕事上何度も死者をとりまく一連の場面に出会ってきたが、どんな死であれ、一人の人の最期の場面はいつも厳かで、たくさんのことを考えさせられる。

家族にとって死者は、単なる死体ではなく「生きる死者」だという言葉があるが、全くその通りなのだと思う。

そうでなければ、あんなに死者にむかって語りかけたりはしないだろう。

この映画は、映画としても充分に観る価値のある作品だったが、低層に流れるテーマとしての命に対するやさしさという意味からも、是非一見の価値はあると思う。


プリウス追記

2008年09月11日 22時30分25秒 | 地球環境

先日の記事「プリウスとエコ・ドライブ」で、「空気圧」に触れたが、説明不足だったと思うので追加する。

空気圧はタイヤのことで、通常は2気圧ないしはもう少し多い程度に設定されていると思う。それを2.8気圧ぐらいにすると燃費がいいと聞いたのでやってみた。

ガソリンスタンドで簡単にやってくれるが、そのときスタンドの人が、「少しポンポンするけどね」と言っていた。実際走ってみるとタイヤが固い分、路面のデコボコを吸収できず振動が増えたと感じる。

しかし、それさえ我慢すれば燃費は確実に良くなっているので、ガソリン代節減、二酸化炭素削減を目指す人は是非お試しあれ!


プリウスとエコ・ドライブ

2008年09月09日 22時01分04秒 | 地球環境

昨年6月に乗り換えたプリウスが調子いい。

現在の燃費はリッター30.5㎞!

最近空気圧を2.8に上げたところ特に燃費がいい。

燃費は走行環境と運転の仕方によって大きく違ってくる。

私の場合、松林寺と宿用院の往復が最も多く、片道50㎞。峠はあるが、なるべく信号のない道を通るという環境にある。

また、いわゆるエコ・ドライブに心がけている。

車の燃料を多く使うのはスタート時で、止まっているものを動かすときに使うという道理だ。だから、なるべく止まらないようにする、というのがコツ。信号の変わりを読み、停止しないような運転を心がける。当然車間距離を大きくとる。止まったときもなるべくゆっくり加速するようにする。エコ・ドライブ講習では、時速20㎞まで5秒かけることを指導するらしい。さらに、一定の速度を心がけ、追い越し、追い抜きなどの無駄はしない。

これらのことを心がけていくと、徐々に平均燃費が上昇していく、上がってくればそれが励みとなり、さらなる向上を目指す。その結果が30.5㎞だ。というか、空気圧を上げたばかりの結果なので、もう少し伸びそうな気がする。

エコ・ドライブの利点は3つ。

1,経済的  リッター30㎞ということは、前の車の約3倍の距離ということになる。つまり燃費は3分の1。ガソリン代180円と計算して、3万㎞走るとすると、その差は何と年間36万円にもなる!(だいたい毎年3万㎞走っている)

2,安全性  エコ・ドライブは、結果的に安全運転になっている。以前は、結構スピードも出して、違反をしたこともあったが、今は、追い越されても何とも思わなくなった。精神的にも血圧にもいいのではないだろうか。

3,温暖化防止  なぜプリウスに乗り換えたのかといえば、温暖化対策の一つとしてだった。前の排気量の大きな車(2.5リッター)を一人で毎日乗るのはもったいないという理由だったが、二酸化炭素の排出は3分の1になっている。

確かにプリウスは車両購入価格が高いことは事実だが、ガソリン代高騰もあり、走行条件次第では決して高い買い物ではないかと思う。

また、プリウスに限らず、エコ・ドライブを心がければ上記の3つの利点は必ず保証されるので是非挑戦してみていただきたい。

山形県地球温暖化防止活動推進員としての報告でした。


思い直して・・・

2008年09月03日 20時48分41秒 | 今日のありがとう

このブログは、寺で発行している寺報の原稿をそのままUPしていることから、寺報が出ないと記事が更新されないという性格を持っていた。その寺報が当初の月刊からどんどん回数が減っていき、最近では何とか正月号とお盆号の年2回がやっとという体たらくになっていた。当然ブログの更新もその程度で、これではブログといえないだろうなあ、でもどうせ、コメントも寄せられないし、誰も読んでいないだろう、自分ですら開いていないのだから、と気楽に考えていた。

そんなある日、町で買い物をしていたら、町の若者から声をかけられ、一言二言話していると、「それよりもブログを更新してくださいよ」との声。

え、こんな体たらくな、いつ更新するか分からない、人をバカにしたようなブログを開いてくれている人がいたんだと知らされた。

さらに本日、友人から月に「2回ぐらいは更新すべきですよ」などと言われた。

これまで、直接ブログに打ち込むという考えがなかったが、一応ブログとしてUPしている以上、また、わずかでも覗いてくれている人がいる以上、少しは努力してみるべきだと思い直した。

ということで、できる限り更新をこころみようと思いますので、これをご覧の皆様、お暇の時には覗いてみてください。

今年も松林寺集中講座を開講します。

第3回目になる今回も豪華講師陣をお招きしています。

しかし、この集中講座で何よりもうれしいのは、スタッフとして、若い人たちが40名ほど関わってくれているということです。普段はお寺などに縁の薄い若者がスタッフブルゾンを着て寺の境内を動いているという光景に、講師陣も来場者も一様に驚きと好感を寄せてくれています。これだけで、集中講座はその目的の大きな所を達成していると思っています。

今回も新たなスタッフが加わりそうです。観客よりもスタッフが多いというならそれでも結構です。一つの活動を通して、ここに生きることを喜べれば、生きた甲斐があるというものです。

どなたでもスタッフとして参加できます。よろしければ手を挙げてください。一緒に汗を流しましょう。