なあむ

やどかり和尚の考えたこと

学ぶはまねぶ

2009年09月30日 22時31分43秒 | 今日のありがとう

今日は、最上町赤倉小学校で「地域とともに子どもを語る会」という催しがあって、呼ばれて行ってきました。

赤倉小学校は「日本一のあいさつ」を目指しているのだそうで、あいさつの話題が多かった。

校門や職員室などきちんとあいさつのできる場所はあるが、それ以外のところではうまくできない、とか、小学校ではできていたのに中学になるとできない、など。

Akakura1 講師という立場でコメントを述べました。

あいさつはいつまですればいいのでしょう。高校生まで?大人まで?

子どもは大人になりたくて大人のまねをしているのだから、小学生がして、大人がしていないのならば、中学生がまねをするのは大人の方だというのは普通なのじゃないでしょうか。

日本一のあいさつを目指すのであれば、日本一のあいさつができる大人のいる地域にするということでしょう。

「学ぶ」とは「まねぶ」から派生した言葉なので、大人がしてみせる、というのが家庭教育、地域教育なのではないでしょうか。

また、家族の悪口を言わない、地域の悪口を言わない、というふうにしないと、蛸が自分の足を食べるようなもので、何の問題解決にならないばかりか、どんどん小さくなっていくばかりでしょう。

という当たり前の話です。

でも、この催しは毎年行われているのだそうで、それだけで地域教育は、ある程度できているということだと思います。みんなでかっこいい大人になりましょう。


鈴虫レンタル

2009年09月29日 13時56分44秒 | 松林寺

今日、思いがけないいただき物がありました。といってもレンタルですが。

松林寺の近所の大場誠治さんが抱えてお寺に持ってきてくれたのは、何と!鈴虫でした。

衣裳ケースに鈴虫のお宿がきれいに整備されて、木の枝やナスやキュウリのえさ、水や練り餌もついています。

Dvc00180 庫裡の廊下に置くと、さっきからさっそく鳴き始めました。

寺の中を一気に風流な空気が流れ出しました。

間もなく集中講座に大勢の方がお見えになります。

慌ただしい中に、秋の静けさを提供できる最高のしつらえになると思います。ありがとうございました!


こども 2

2009年09月23日 13時46分20秒 | 今日のありがとう

先日ここで「こども」というタイトルで書きましたが、その2です。

1 今日は彼岸の中日で、多くの方が寺参りに来られます。特に松林寺は、以前からほとんどの檀家さんがお参りに来られるので、お盆よりもにぎやかな感じさえします。

そんな中で本堂でのおつとめがありました。大間の真ん中でお経を読んでいながらも、位牌堂の様子が目に入ります。

その中で二人の男の子が例によってこちらをじっと見ています。気づかないふりしてお経を読んでいましたが、その後からやって来た親とおぼしき男性が、子どもと同じく青色のジャージを着て、何と男の子と同じくこちらをじっと見るではありませんか。

それは子どもの特性かと思っていましたが、もしかしたら性格なのかも、と思ってしまいました。

着ているものが同じ色のジャージだったりするものだから、おかしくなってお経中に吹き出しそうになりました。

そんなことではいけません。お経に集中しなければ。

あゝ、でもついつい目に入ってしまう。せめて子どもだけにして~。


住む町を愛す

2009年09月22日 06時55分35秒 | 松林寺

昨日は松林寺のある下小路で「文化交流会」なる催しがありました。

子どもたちの絵や、俳句、書道の作品、古い民具、写真などが展示され、かやぶき家屋の写真を撮り続けるアマチュアカメラマンのお話、大黒舞、お抹茶の接待、餅つき、そば打ち体験等々、盛りだくさんの内容でした。私も30分ほどお話をいたしました。

Dvc00172 自分が住んで、生きているところを、「ここがいい」と思えることが、生きる自信につながるものと思います。自分に自信があれば他人の批判や悪口をいうことも少なくなるでしょう。

選挙でも同じですが、自分に自信がなくなると、他人の批判をしたくなるものです。

自分が住んでいる町や人々の悪口を言うのは、タコが自分の足を食うようなもので、何の問題解決にもならないばかりか、どんどん自分が小さくなってしまいます。

一番かわいそうなのは子どもたちで、自分が生まれてしまったところはつまらないところだ、と思ってしまうことは不幸なことです。一日でも早く出て行きたくなるでしょう。

宝探しのように、自分の集落の善いところを掘り起こす今回の催しは、大人たちも子どもたちも、これからここで生きる自信につながったのではないでしょうか。

自信は、自分の命、人生を「ここがいい、これでいい」と引き受ける覚悟から生まれてくるものと思います。


観音様到着

2009年09月19日 14時01分28秒 | 松林寺

Dvc00167 かねてより発注していました、松林寺永代供養墓の本尊、聖観世音菩薩が本日到着しました。

水子地蔵菩薩と同じ、大阪のガンダーラ石彫工芸制作の菩薩様です。

吾孫子石屋さんに迎えてもらい、仮安置していただきました。

ご面相も善く、禿岳を背景に凛々しく立つ姿は、拝む者を心優しく包んでくれそうです。

Dvc00170 永代供養のための本尊としてばかりでなく、ここに集う皆共に供養し、そのお力におすがりしたいと思います。

集中講座までの完成を目指しており、10月10日に開眼法要を行う予定です。

どうぞお参り下さい。


ヤマザキ米粉之パンを焼け

2009年09月18日 13時43分41秒 | 今日のありがとう

昨年河北町環境を考える会のキャンドルナイト、そして松林寺集中講座においでいただいた影法師のメンバーが発行する会報「ひなた村報 あそべ」が来ました。

  「村」がつくる米「さわのはな」「さちわたし」、「花作大根」、「行者菜」、枝豆「馬のかみしめ」などの情報と、秋の行事予定などが掲載されています。

そして、影法師の歌の解説として「『ヤマザキ、米粉のパンを焼け!』解題」という記事が目を引きました。

Dsc01297_2田園まさに 荒れなんとす

美しき彼の国 今はいずこへ

米を見捨てて 国滅ぶ前に

ヤマザキ やって欲しいことがある

ヤマザキ 日本(ヤマト)の魂籠めて

ヤマザキ 米粉のパンを焼け

さすれば戦後レジームは崩れ

瑞穂の国が 甦るだろう

「進駐軍は、将来を担う人づくりの拠点となる学校制度を充実させる一貫として、学校給食の復活を日本政府に迫った。」

「『おお、アメリカはなんと慈悲深い国であろうか!』などと思ってはならない。そこには、自国の余剰農産物を如何に他国に売りさばくかという、アメリカの深遠なる食糧戦略が秘められていたのだ。」

「戦略は的中した。学校給食が完全実施されてからわずか20年、昭和44年頃から米が余り出し、昭和46年、政府は本格的な生産調整、減反政策に乗り出す。」

「ただ、戒めておきたいのは、日本の農業を大事と思うがあまり、戦前の農本主義者のように、ナショナリズムに陥ってはならないということだ。ナショナリズムは戦争の引き金を引く。グローバリズムに対抗しうるのは、断じてナショナリズムではない。対抗軸は、おそらく、国よりも根本にある水土に根ざしたネイティブな思想であろうと考える。」

以上、長くなりましたが記事の一部を引用させていただきました。

しっかりした思想を持ち、自ら作物を作りながら、農業の喜びと怒りを「歌」という伝達手段で人々に伝えている影法師、そんな人たちが私たちの近くにいることを喜びとします。


境界線上の言葉 15

2009年09月18日 12時50分14秒 | 境界線上のことば

呼び方の変化した固有名詞には食品が多くあるように思います。

元々外来食品であったものが日本語化して呼び習わされてきて、外国語が一般化されてくるにしたがい、元の呼び方に戻っていく、というような例です。

1g17a 「たまな」→「キャベツ」などが典型的な例で、「にどいも」「ごしょいも」→「ジャガイモ」などもそれに似た例でしょうか。

また、田舎特有の呼び名が、標準語というか、都会的な呼び方に変わっていくという例もあります。

「いものご」→「里芋」、「とっきび」→「トウモロコシ」、「ととろいも」→「山芋」など、何故か芋類が多いようですが、加工食品では「きりごみ」→「塩辛」、「なんば(っこ)」→「唐辛子」なども標準化した例です。

今の「塩辛」は昔の「きりごみ」の味しねえ、などと、呼び名に味が染みついているなどということもあるでしょう。

呼び方とともに、味や調理の仕方も変化していくのかもしれません。


講談 神田紫公演

2009年09月16日 21時26分14秒 | 地球環境

河北町協働のまちづくり活動支援事業というのがあり、河北町環境を考える会にも申請案内が来ました。

Photo 会員の皆さんと協議した結果、補助金で講演会を開催することが決まり、人の呼べる講師ということで、講談師の神田紫さんをお招きすることになりました。

紫さんは、2代目神田山陽さんの弟子となり、講談のみならず舞台などでも活躍。ノーベル平和賞を受賞したケニヤのワンガリ・マータイさんの「もったいない」運動に賛同して、講談『もったいない善兵衛』を創作、公演されています。

11月21日(土)14:00より、地域交流センターどんがホールで、神田紫公演を開催します。

講談を生で聴くのははじめてです。多くの皆様と楽しみたいと思います。

入場料:500円

詳しくは以下をご覧ください。

「203V.pdf」をダウンロード


境界線上の言葉 14

2009年09月14日 05時36分59秒 | 境界線上のことば

久しぶりのこのコーナー。母と一緒にいると時々この言葉に気がつかされます。

「つっかけ」と「サンダル」

Fitfixrpww558img82 「つっかけ」が指しているのは「サンダル」だと思うのですがその他にもありますかね。

意味からすれば「スリッパ」も「つっかけ」なんだと思うのですが、スリッパが一般家庭に入ってきたのが遅いせいか、古い言葉は無いように思います。

これは椅子のちょっと下ぐらいでしょうか。けっこう若い者も使うことがあります。因みに「つっかけ」で検索したら画像がたくさん出てきました。まだ充分使われている言葉なのですね。

もう一つ

「てぬぐい」と「タオル」

E382bfe382aae383abe68e9be38191 この場合の「てぬぐい」は、いわゆる「日本手ぬぐい」ではなく、風呂で体を洗う布、の呼び名です。

一緒に風呂に行こうとするとき「てぬぐい持ったが(ぐぁ)」という使い方の言葉です。

もちろん言っている本人も、それは「タオル」であることは分かっているのだけど、ついつい「てぬぐい」と言ってしまう年代。この人たちは当然バスタオルなど使う習慣がありません、最近使うようになりました、という感じです。

椅子の少し上ですかね。

このコーナーでは皆様の投稿をお待ちしています。

椅子の上か下かというのは、「椅子」を「腰掛け」と呼ぶ年代を基準にして判断しています。


友の3回忌

2009年09月13日 20時14分26秒 | 今日のありがとう

友人荒井君の3回忌にご案内いただいて列席してきました。1周忌の時は都合がつかず焼香だけで失礼しましたが、今年は出席させていただきました。

荒井君とは高校の山岳部仲間です。

当初4名の同級生が入部し、はじめて山に登ったときの感激は今でも忘れません。

Img_6403 当時の装備はどれも重く、20㎏あまりのザックを背負い、亀のように上っていったものです。それでも、山頂に着き雲海を眺めたり、満天の星空を仰いだりするたびに、「ウオー!」という雄叫びをあげながら山の魅力にはまっていきました。

ほとんど毎週のように最上の山々を踏破し、山男になった気分でした。2年生の後半からは私が部長となり、彼が副部長でしたから、4人のパーティーで大会などにも参加しました。

E1292 サブリーダーの荒井君は、ルートファインディングでいつも先頭を歩きます。大鍋をくくりつけた一番大きなザックを率先して背負い、すべての部品の大きな顔を更に大きくして「ガハハハ」と笑いながら軽快に歩く姿が今でも目に浮かびます。

どこから人生のルートに迷ってしまったのか分かりませんが、最期は酒浸りで肝臓を壊して逝ってしまいました。

自宅でのお斎で、ビールを運んだり、接待したり右往左往する年老いたお父さんの姿を見て、息子の法事をしなければならない親の気持ちとはいったい・・・・

荒井君、また山で逢おう。