なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ48

2016年03月27日 08時16分27秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

先日24から25日に南相馬から塩釜まで、調査をしてきました。
これは、以前にもお伝えしたように、5月に行われる曹洞宗東北管区の行事、慰霊行脚「祈りの道」の下見の調査です。
宮古市からの北ルートと、南相馬市からの南ルートで、5月6日に同時に出発をして石巻を目指します。
東北各地の青年僧侶がリレーをしながら6日間かけて11日に石巻に到達するという計画です。
企画担当を仰せつかったために、これまで何度か現地調査をしてきました。北ルートが4回、そして今回の南ルートが4回目になり、ルート全体を通しての下見はこれが最終となるはずです。

今回の下見で、今まで気づかなかった慰霊場所が何か所か見つかり、慰霊ポイントに追加してきました。
慰霊碑の前に立つたびに、ここでもか、ここでもかと、そのお名前の多さに胸が詰まる思いでした。
しかし、いくらその数が多くても、まとめて何人というようにとらえられるものではないでしょう。
一人ひとりに名前があるように、一人ひとりにはそれぞれ一つの命があり、一つの人生があったわけですから、まとめられるはずがありません。
更には、刻まれたお名前お一人お一人にその家族がいて、家族を失った悲しみがその何倍もあると考えれば、一つの慰霊碑も見逃さず、できる限り立ち寄り慰霊させていただこうと思いました。

福島県のあるお寺さんでは、浜の墓地で流されてしまった墓石を寺の墓地にまとめて慰霊場所に設えていました。
流されて傷ついた墓石が痛々しく感じました。
そこをお参りにきた檀家さんが、「先祖様が戻ってきたようだ」とつぶやいていたと、副住職さんが教えてくれました。
墓石は、石ではあるけれど、ただの石ではありません。
そこに名前を刻み、「墓」と刻んだときから、それはご先祖そのものになります。
その前で手を合わすとき、亡くなられた方がここに落ち着いていらっしゃると信じ、心を落ち着けてきました。
その墓石が津波で流され、傷つき、骨堂まで掘り起こされてしまった様子を目にした家族の思いはいかばかりだったろうかと思います。
今ここに再び安置され、手を合わすことができるようになった喜びが「戻ってきたようだ」というつぶやきになったに違いないと思いました。

今回、各地のお寺さんを訪ねて、どこの墓地も整然と整備されていたことに気づきました。
傷だらけの墓石も、そのまま、台座の上に安置されて、彼岸のお参りの花が揺れていました。
家族の中には、未だに仮設住宅や、他所で避難生活を送っている方もいるでしょう。なのに、まずは先祖様を落ち着かせたい、と思う方が大勢いるということなのだろうと感じさせられました。
震災の年、岩手のお寺さんで、檀家さんが住職に「方丈さん、まず本堂を建ててください。亡くなった人をちゃんと祀る場所に祀って落ち着かせてからでないと、我々安心して復興に向かえないんだ」と言うのを聞きましたが、同じ気持ちなのだろうと思います。

被災地には多くの慰霊碑や慰霊の像が安置されています。
それは単なる石ではない、像ではない。
その前で手を合わせ、刻まれたお名前に想いを馳せるとき、少しでも亡くなられた方々を自分の中に受けとめ身近に感じることができるものと思います。
今回の事業の延長で、慰霊のマップをつくろうではないかという案が出ています。
これから建てられる分も含め、できる限り網羅した慰霊場所の地図を作成し、多くの方の慰霊の一助にできたらと思っています。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ47

2016年03月20日 06時28分22秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

今日は彼岸の中日です。
仏教行事として行われる彼岸会は、平安時代に始まったとされる、インドにも中国にもない日本発祥の行事です。
昼と夜の時間が同じで、太陽が真東から昇り真西に沈むことから、西にあるとされる浄土、西方浄土を拝むということともつながり、また、農耕とも密接に関わってきたようです。

彼岸を迎えると、渡辺たかさんを思い出します。
たかさんは、私が宿用院の住職となったときにはすでにお婆さんでした。
長年寺のために尽し、草の伸びるころを見計らって草むしりをしてくれる、ありがたいお婆さんでした。
「間もなく彼岸だものなあ」
ある年の秋彼岸、たかさんの草むしりは連日に及んでいました。

たかさんが寺に通うようになるのにはきっかけがありました。
大工さんであった夫がケガから破傷風となり、そのまま一週間ほどで帰らぬ人となった時に、たかさんのお腹には5番目の子どもが宿っていました。
社会保障もない時代、夫の稼ぎに頼っていた家族は次の日から食糧に事欠く状態となりました。
時は戦争の最中、兵隊にも行かずに死んでしまった男に対する厳しい目が、家族を冷たく刺しました。
「せめて戦死してくれたのなら」と何度思ったかしれません。
英雄として迎えられ遺族年金がもらえる家族と、何の保証もなく非国民のような扱いを受ける家族とでは、同じく夫を亡くした身でありながら雲泥の差がありました。

親戚からの援助と管理を受けながら、親子6人がそれこそ塗炭の苦しみの生活をしてきました。
「泣いてる暇なんてなかったな。子どもたちに今日何を食べさせるか、それしか考えていなかった」
「それでもどうしようもなく辛くなったときや、腹が立って腹が立ってしかたないときなどは、子どもの手をギュッと握って、よく寺にきたモンだ」
本堂のカネを思いっきり叩いて、その音がモ~ンモ~ンってだんだん静かになって、それを何回か聞いているうちにだんだん心が静まってきて、しばらくお釈迦様の前に座ってから「どーれ帰るか」と言って子どもの手を引いて家に帰っていった。

たかさんは、そんな話を草むしりの合間にお茶を飲みながら聞かせてくれるのでした。
「いつだったか、父親の顔を見たこともない5番目の息子が、産んでくれてありがとう、って言ってくれたときはうれしかったな」
そんな話もしてくれました。
彼岸の修行徳目の中に「忍辱(にんにく)」というのがあります。耐え忍ぶことの功徳です。
どうにもならない現実を受けとめ、苦しみに耐えていく、その実例のような、一人の女性がそこにいました。
90歳を超えても矍鑠とした生き方には、それなりの、いや、そうならざるを得ない理由があったのです。

「どうれもう少し」
たかさんは、腰を伸ばして立ち上がりました。
再び腰を曲げて草むしりに精を出すたかさんを、彼岸の夕陽が赤々と照らしていました。
そこはすでに西方浄土であったのだと、今思います。

自分のできることで人に尽し、戒めを守り、苦しみに耐え、務め励み、心を静め、物事をしっかり見極める智慧をもって生きる。そこが浄土、即ち彼岸になる、というのが彼岸の教えです。
彼岸になると思い出させてくれる渡辺たかさん。体をもって教えてくれてありがとうございました。
彼岸につき、菩提の圓満を祈ります。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ46

2016年03月13日 06時22分36秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3.11が過ぎました。
いつものように多くの方が話題に取り上げてくれて、多くの方が何らかの行動をしてくれたり、考えてくれたりしたと思います。
何だか去年のこの日より露出度は多かったように感じましたが、5周年という意味もあるのでしょうか。
全く話題にならないとしたらそれはそれは寂しいことなので、この日だけでも話題になることはありがたいと思います。
だけど、5周年という区切りとして取り上げたのだとしたら、次は10周年ということなのか、と、区切りという考え方が、常に話題にしない理由に使われてしまうようで嫌な感じがします。
毎年思いますが、被災地はこの日だけが被災しているわけではないので、できれば、もう少し他の日にも話題にしていただきたいし、考えてもいただきたいと思います。
今年は「忘れ米」などをつくりましたが、「忘れない」というのは、ただ単に「思い出す」ということではなく、「考える」ということでしょう。
思い出すことも考えることの一つかもしれませんが、思い出しただけで忘れないというのでは足りないと思います。
考える、被災地の人は今どうしているのか、何を考え、何に苦しみ、何を願っているのか。そこを考える。
そう、過去の出来事を思い出すのではなく、今現在のことを考える。これからのことを考える。

フェイスブックなどを見ると「今年は一人自宅で祈りました」というような書き込みも目にしました。
イベントなどに行かなくても、自宅で一人考えることはできるはずです。
むしろ、どこかのイベントに行くことで、「何かをした気になる」ことを危惧します。

寺の毎朝のお勤めで、「東日本大震災被災地早期復興、原発事故早期終熄、被災者各々身心安寧」を祈願し、「東日本大震災被災物故者諸精霊位」の菩提供養を欠かしません。
これからも、最後の一人が苦しみから解放されるまで、私の命の続く限り続けるつもりです。
そのように覚悟しています。
昨日の法事でお会いした人が、「あの日から、朝昼晩夜と一日4回、般若心経を毎日3年間書いた」と話していました。今も毎日1枚は書いているようです。
「暇だから」と悪ぶっていましたが、人知れずそんな人もいるのです。
毎朝のお勤めで祈願と供養を続ける和尚さんも、全国には少なからずいるはずです。
もちろん、被災は東日本だけではありません。
阪神淡路大震災、奥尻津波、御嶽山噴火、たくさんの災害がありました。それぞれの地域、それぞれの関係者が、今も供養を続けておられることと思います。
自分は何をするのかを考えていただきたいのです。
自分のことしか考えられないのは寂しいことです。

9日から11日まで、5月に行われる曹洞宗教化センターの行事、慰霊行脚「祈りの道」の下見にいきました。
岩手県宮古市から宮城県南三陸町まで、4回目の下見になり、今回を最終にするつもりですが、回を重ねれば重ねるほど、見えなかったものが見えてきて、細かな変更点が出てきます。
もう少し調整しなければならないようです。
24・25日は南相馬からの南ルートの下見です。
11日の夜は、宿用院で河北町環境を考える会の勉強会があり、皆さんで祈願と供養を行い忘れ米を差し上げました。
6年目も考え続けていきたいと思います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ45

2016年03月02日 14時35分43秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月11日が近づいてきました。
早や丸5年を迎えようとしています。
忘れるどころか、だんだん気が重くなってくるようです。

1週間ほど前、私より4日早く生まれた同級生の農家、勝明から電話がかかってきました。
「3.11を忘れないために、311gの米を311袋作って配りたいと思うんだけどどう思う?」
標準語に通訳すればそういう内容でした。
手のけがの手術で入院中だったために、暇でいろんなことを考えていたようです。
「面白いんじゃないの、手伝うよ、時間がないからやるなら早く準備しないと」
「だから、その趣旨を文書に書いてくれよ」という意図でした。

それならばと、文章を書き始めて、「忘れない」が、なぜ米なのか、そのつながりがいまいち。
その時、「忘れない」「米」…「忘れ米(まい)」!
まけないタオルの時のような言葉のマッチングが頭に浮かびました。
以下、文章は次のようなものです。


3.11を 忘れ米

言葉を失った  
心が痛かった  
何度も涙を流した  
命が締め付けられた  

あの日から5年を迎えます
時間とともに 忘れていくのは 自然なこと 
でも 忘れてはいけないこともある
未来のために語り継いでいかなければならないことがある 
いや 今も 困難な中に暮らす人がいる 
故郷に帰れない人がいる
忘れられることは見捨てられること と感じる人がいる
 
だから 忘れ米(まい) 

少しでも 忘却の自然に抗いたい 
せめてこの日だけでも
灯火を点し 米を噛みしめて 心に刻みたい 
そんな思いで310gの米と1gのローソクを詰めました

米は 俳人の黛まどかさんと一緒に作った 
もがみ源流米 「夢まどか」です  
心を込めた米は311袋  禅寺で祈祷済み

大切な人と ご飯を食べながら あの日の記憶を語り 心に刻んでいただければ・・・  
それが私の願いです
                         奥山勝明


田舎の農家のオヤジでも、このぐらいのことは考えることができます。
入院中でも、それだけの思いはあります。
他人事と考えずに、自分のできることは何かを考えていただきたい。
それだけの大きな災害ですし、それだけの悲しみが被災地にはあります。
自分が今ここに生きているのは、そこに意味があるからだと考えます。

米は数が限られているので、これまで支援活動でつながってきた方々に送っています。
残念ながら、ご希望があってもお分けすることはできません。ご了承ください。



今週はここまで、また来週お立ち寄りください。