なあむ

やどかり和尚の考えたこと

困難な人々と共に

2011年11月29日 23時08分20秒 | シャンティ国際ボランティア会

昨日カンボジアから戻りました。

いささか疲れました。帰りの飛行機の中で不整脈がありました。

その原因は分かっています。連日連夜の、暴飲、暴食です。

SVAが創立されて30年、カンボジア事務所がスタートして20年。

あの混沌としたカンボジアの国が、20年経ってここまで成長し、もちろん「未だにこんな状態か」という場面も多々ありましたが、人口が増え、都会らしい街の様子が整い、信号は動き、ほとんどの人は信号を守り、夕方には公演や川沿いに人が集まり、バトミントンをしたり、愛を語ったり、子どもたちが夜に外出している。

平和で安全な国になった。

20周年記念式典も、160名を超す人々が出席し、その様子はテレビニュースにも流れました。

これらのコーディネートが、ほとんど現地事務所のスタッフのみでできたということ、それが感慨深く、「よくぞここまで」と、うれしくてついつい飲み過ぎてしまいました。

松永然道初代会長(現名誉会長)ご夫妻も出席され、成田から成田までずっとご一緒させていただきました。

次は、12月10日、東京で30周年記念式典が開催されます。

今後も、社会的に困難な人々の側に身を置き、肩を抱き合いながら共に生きていきます。


カンボジア20周年

2011年11月22日 21時53分02秒 | シャンティ国際ボランティア会

SVA(公益社団シャンティ国際ボランティア会)のカンボジア事務所開設20周年記念式典出席のため、24日より、カンボジアです。

SVAは今年30周年を迎えていますが、スタートはタイ領内のカンボジア難民キャンプ支援活動でした。

そのカンボジア難民がキャンプから自国に帰還するにともなって、SVAもカンボジア国内に事務所を開設したのが20年前だったのです。

それこそ開設当初は、政情も不安定、インフラの整備もままならず、夜は真っ暗で、強盗対策のため24時間銃を持ったガードマン配置という状態でした。

次の年の92年に訪れたときも、信号はあっても電気がないため、交差点は車と牛車と荷車と人が自分の行きたい方向にひしめき合い、押し合い、まさに出口の見えない混沌とした世界でした。

アンコールワットものんびりしたもので、今では考えられませんが、入口からワット中心まで、人っ子一人いない写真が撮れました。入口の兵士は、カメラは1台1ドル、ビデオカメラは2ドルだと退屈そうに門番をしていました。

中庭では、バッタンバンからトラクターに乗って4日かけて来たカンボジア人の一族が、のどかに昼食を作っていました。

プノンペンからシェムリアップまでの国内線飛行機は、ソ連製の中古で、操縦席のドアが閉まらず丸見えで、中には幹部兵士のような人が子供を抱いて籐椅子に座っていました。

座席もパイプ椅子のような代物で、機内には冷蔵庫のような真っ白な霧が立ちこめ、贅沢は言わないから、無事に着いてくれることだけを祈っていました。

空港のトイレに行くと、水が流れないため、大便が便座の上まで盛り上がり、どうやって用をたすか悩んだ事でした。

以来、カンボジアは急激に経済成長を遂げ、田舎の駅のようだった空港も、立派なものになり、観光地には豪勢なホテルが立ち並び、目を見張るばかりです。

今回式典が行われるホテル、カンボジアーナは、92年頃に建てられたと記憶していますが、真っ暗な首都にぽっかりと浮かぶ天空の城ように、煌々と電気がつき、こんなところにこんなものを建てやがって、とブルジョアを軽蔑すプロレタリアートの目付きで眺めていました。

今ではそれ以上の高級ホテルがいくつもありますが、せっかくだから懐かしんできたいと思います。

加えて、明日23日は東京の修行仲間の晋山式(住職就任式)に呼ばれています。

ということで、6日間ほど留守にします。

くれぐれも緊急の用事が入らないことだけを心から祈ります。


大震災101 まけないコンサート東京

2011年11月19日 16時15分07秒 | 東日本大震災

Photo既報の通り、8月に最上町で行われた「震災復興支援コンサート 音の風」の東京開催があります。

12月18日(日)午後1時30分から、会場は港区芝東京グランドホテルです。

最上町からも50名を超す老少男女の合唱隊が駆けつけます。

やなせなな、早坂文明、三部の「チーム21世紀文明」も鼎談を行います。


支縁の輪を広げてきます。


利行とボランティア

2011年11月18日 23時40分09秒 | 布教活動

今日は湯野浜温泉のホテルで、曹洞宗布教師検定があり、検定員の一人を務めてきました。

今年の曹洞宗の教化方針の柱が「利行」になっているので、受験者の法話実演の内容も、ほとんどが利行をテーマとしたものでした。

そして、さらにそのほとんでが大震災のボランティアとの結びつけでした。

ボランティア=利行 と、安易に結びつけてしまうのは問題があると思います。

ボランティアを無理無理日本語に置き換えるとすれば、「利行」と言えるのではないか、とは、私も話してきたことですが、簡単にイコールにしてしまうことには抵抗を感じました。

また、「情けはひとの為ならず」ということわざとは、似ているようで違います。

利行は「利他行」とも言い、他を利する、救う、幸せにする、という意味になりますが、利行の深いところは「利行は一法なり」という教えで、自他ともに幸せになる行い、とでも言うべきでしょうか。

徹底して「利他」の行いは、そのまま「自利」になっている。

「三輪空寂」と言われる、施す側、受ける側、施される物、その三つが執着を離れている、そういう行いのとき、利他は自利になる。

同じように、徹底して「自利」のときは、同時に「利他」になる、という教えなのです。

だから、只管打坐(目的なくただひたすらする坐禅)が「利他行」であるとも言えるでしょう。

だからこそ道元禅師は、

「守るとも 覚えぬながら 小山田の いたづらならん 案山子なりけり」と歌っているのだと受け止めています。

検定員所感を述べるときに、そのことに言葉が及ばず、帰りの車の中で頭に浮かんできたので書いておこうと思った次第です。


大震災100 タオル近況

2011年11月17日 22時56分15秒 | 東日本大震災

大震災カテゴリーが100本目となりました。

現在のところの「まけない!タオル」の状況を報告しておきたいと思います。

支援の広がりはまだ続いていて、間もなく4万枚目が到着することになっています。しかし、それもだいぶ行き先が決まっていて、今後のイベント予定もあることから、更に5000枚を追加発注いたしました。都合45000枚ということになります。

被災地に配布したタオルの枚数が、合計で約2万5千枚、支援者に1万枚となります。

支縁金の方は、現在1000万円を少し超えたところですが、タオル4万枚の制作費で約700万円、これまでの炊き出しなどの直接支縁費用が約100万円、残金約200万円ということになっています。

この残金は、今後も直接支縁として必要なところに使わせていただきたいと思っています。

本当に多くの方からのご支縁をいただき、誠にありがとうございます。

「漁師のハンモック」ですが、こちらも多くの方から関心を寄せていただき、当初の予想を覆し、現在800張りを超える注文をいただいています。制作も軌道に乗り、一時期は2~3箇月待ちという状態でしたが、今は多少在庫があるまでになってきました。

そうなると、手が慣れてきた漁師さんたちは、「もう注文はないのか」と、心待ちにしているような状況です。

これから冬を迎えて、屋内での仕事がありがたくなるので、もう少し注文があればと願っています。

皆さんの関係者で興味のある方があればご紹介いただきたいところです。また、情報の拡散も歓迎です。

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支縁活動は今後も続きます。

大雑把ながら、とりあえずの報告です。


大震災99 飯舘村へ

2011年11月14日 21時21分22秒 | 東日本大震災

今日、「まけない!タオル」作詞者の早坂文明さんと飯舘村へ行ってきました。

タオル配布の件で、福島市飯野町の出張所に間借りしている村長さんにお会いし、社会福祉協議会の方へとつないでいただきました。

大変関心を寄せていただき、配布方法を検討していただけることになりました。

12月中旬の支援物資配布に加えるか、それとも来年2月の村創立55周年記念集会に配布するか、になりそうです。

協議会の方々さんから、村への思いの強さと、支援の格差による村人の気持ちのズレという問題を聞かせていただきました。

牛を飼っていた婦人会長さんは、

「牛を手放すとき、分かるのかねえ、大きな涙をこぼすんだよ」と、思い出して涙ぐんでいました。

その後、飯舘村へ行ってみました。

大きな幹線道路が通っているので、車はひっきりなしに走っていました。

しかし、車窓から眺める住宅には人の気配がなく、田や畑に作物はなく、突然に住民を失った村は、村そのものが泣いているように感じられました。

昨日まで生活があり、笑い声があったこの家を離れなければならなかった時の人々の思いは如何ばかりだったかと、胸が痛くなりました。

村役場は立派な建物でした。中学校も、病院も、老人施設も近くにまとまり、自然豊かな中に自然と共に生きる理想郷を目指していたのだろう、と思われました。

「帰りたいだろうなあ」と、この環境を見て強く感じました。

村長は「2年で帰る」と宣言しています。難しい問題が沢山ありそうです。

帰れればいいな、帰って欲しいな、と、願います。Dscn2161


キャンドルナイトと父の命日

2011年11月07日 18時10分07秒 | 地球環境

4日は朝日町PTA役員研修会の講演でりんご温泉でした。

5日土曜日は「100万人のキャンドルナイトin河北」でした。

第14回目を迎えた今回は、ゲストに中村ブンさんをお迎えしてのコンサートでした。

ブンさんのコンサートは何度かお聴きしていますが、いつも涙と笑いで楽しませてくれるので安心して見ていられます。

主催者側とすれば、来てくれた皆さんが喜んでくれるかどうかが気がかりなもので、ヒヤヒヤしながら見つめることが多々あります。

今回初めて生で聴いた曲もあり、相変わらずいいなと、客の一人として楽しませていただきました。

終わってからの打ち上げは、これもいつものごとく、大盛り上がりで、閉店時間が恨めしい感じでした。次の日が朝からの用事でしたので、残念ながら12時前には解散しました。

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6日は、父の三回忌命日の法要で、松林寺でした。

父が亡くなってから、右の眉毛に1本白髪が伸び出し、どんどん長くなっています。

父も晩年、白髪眉毛が長く伸びていたので、これは父親だと受け止めて大事にしています。

ここだけの話ですが、火葬の時、お骨の1片を飲み込んだので、眉毛に現れたと思っています。

若いとき、敵だとしか思えなかった父に、今護られていると実感しているのです。


これでいいのか

2011年11月01日 22時19分54秒 | ふと、考えた

日曜日にどっさりと仕事があり、終わってから岐阜へ向かい、昨日は岐阜県布教研修会での講演でした。

今日の葬儀が入ったので日帰りのような状態で昨日帰ってきました。

明日はSVAの業務執行理事会で朝から東京です。

忙しいのは好きなのですが、本当にこれでいいのかと悩んだりします。

自分で忙しくしている、と家のものには言われます、確かにそうなのかもしれませんが、お声をかけていただくのはありがたいことなので、なるべくお受けしたいと思います。

短い人生、今仕事しなければいつするのだ、と思います。

そう思いながら、もう少し落ち着いて、寺にどっかりと座っていてもいいのじゃないか、と一方では思うのです。

もう少しのことですかね。