なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ24

2015年09月27日 06時53分36秒 | サンサンラジオ
♪三ちゃんのサンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりました三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。
お相手は三ちゃんこと三部和尚です。

さあて、今日は、昨晩行われた新井英一ライブの様子をお話ししましょう。
シンガーソングライター新井英一をご存知でしょうか。
まあ、知る人ぞ知るという感じですかね。

私が初めて新井英一を知ったのは、10年以上前になるでしょうか。
長野県の知り合いの和尚さんから、突然「是非聴いてください」とCDが送られてきたのが始まりでした。
そのCDは、新井英一の父親のルーツ、朝鮮半島を訪ねるという新井の半生を歌った自叙伝的歌で、なんと1曲48番まである伝説のアルバム「清河(チョンハー)への道」でした。
衝撃でした。魂を揺さぶるというのはこういうことを言うのだと思いました。
筑紫哲也のニュース23のエンディングテーマに使われて広まったと思います。
以来、CDが擦り切れるほど、CDはそんなことないと思いますが、それほど聴きました。泣きながら。

偶然というのはあるものですね、その直後に、新井が山形に来るという情報を、たまたま聞いたラジオで耳にして、すぐに申し込んでライブに行き、生新井を目撃しました。
一昨年?には、シベールアリーナで「清河48番」をやるというので、それも聴きに行きました。感動しました。

CDを何枚か求め、この頃は、毎朝マッサージ機械に座りながら新井のCDを聴いています。
昨日のライブで「朝から俺の歌を聴くと酒が飲みたくなるからダメだ」という話をしていましたが、私にとっては目覚めの曲として今はまっています。

昨日のライブは、毎日聴いている「生きる」のアルバムに収録されている「つばさ」も聴けて感激でした。そのほかにも清河のさわりの8番までを歌ってくれました。
迫力のある声と、歌という道具で魂をぶつけるという姿に心が揺さぶられます。


「清河への道」で新井は歌っています。
「国の話で女房とも何度か哀しいケンカした。私たちの生活に国籍なんて関係ないと、淋しい顔して泣いていた」
「旅からわが家に帰り着き、迎えてくれる家族見て、みんなの笑顔が嬉しくて、家族が俺の国だよと、妻と子供を抱き寄せた」

新井英一、現在65歳、脂ののりきった最後の時期を生きていると思います。
どこかでライブの情報を耳にしたら、是非生でお聴きになることをお勧めします。


コマーシャル

最上町大堀 「保養センターもがみ」 

明るい日中も栗駒国定公園神室連峰を眺めながら、かけ流しの温泉に浸りのんびりとしたひとときを過ごせます。
最上小国川の清流奏でる詩情豊かな環境で、最上(もがみ)の四季折々の風景をお楽しみください。

今週はここまで。また来週もお立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ23

2015年09月21日 05時50分33秒 | サンサンラジオ
♪三ちゃんのサンデーサンサンラジオ!

今週も始まりました三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。
お相手は、三ちゃんこと三部和尚です。

今日のお話は、山と海の交流についてです。

昨日、気仙沼の前浜地区のみなさん20人が最上町にいらっしゃいました。
もう何度目のことになるでしょうか。

今回の目的は椿の植樹です。
震災後、最上町と前浜地区は炊き出しや温泉リフレッシュプランなどでつながりをもってきました。
その中で、前浜マリンセンターという集会所を建設する際に、友好の印として最上町の木を建材として提供してもらえないかという申し入れがあり、槐(エンジュ)と杉の大木を贈り大黒柱となりました。
今回はそのお返しとして、気仙沼の椿を記念植樹に来たというわけです。
槐を贈った黒沢地区と杉を贈った大場さん、それに仲を取り持ったということで松林寺にも植えてくれました。

最上町黒沢地区と前浜地区は、震災以降地域ぐるみでの交流を続けてきました。
炊き出しに始まり、集会所建設に関わる行事、祭りなどなど、行政でもなく個人でもなく、集落ぐるみの交流がこれほど長く強く続いた例は、この震災支援の中でもまずないのではないかと思います。
今回の植樹によって、そのつながりは益々根を張って大きくなっていくことでしょう。

この二つの地区がなぜここまで交流が濃くなったか、それは伝統芸能にあると思います。
前浜地区には「大漁唄い込み」が、黒沢地区には「餅つき唄」があります。
前浜地区の皆さんが、温泉プランで赤倉温泉にいらした縁で、震災後初めての唄い込みの公演が最上町で催されました。
それはそれは、すごい盛り上がりで、大打撃を受けた前浜の皆さんが元気を取り戻すきっかけとなりました。
その時に最上町の歓迎として披露されたのが餅つき唄でした。
伝統芸能がある地区はいざというときに強いと思います。地域が一つになるきっかけになります。
大漁と豊作の喜びを共有し、これからも海と山の交流を続けていただきたいと願います。


コマーシャル

最上町瀬見温泉 「ゆめみの宿 観松館」

言葉では表現しきれない
「いなかで過ごす素敵な休日」を体感できる温泉宿。

露天風呂付、マッサージチェア付、堀ごたつ付などバラエティーに富んだお部屋タイプ。
お料理は山形県の名工として表彰された調理長が趣向を凝らす、地元のお米・お味噌・お醤油など
すべての食材にこだわり抜いた創作和食。
湯けむりの向こうからは、小国川のさらさらという川のせせらぎが聞こえてきます。

今週はここまで、来週もお立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ22

2015年09月12日 08時36分32秒 | サンサンラジオ
♪三ちゃんのサンデーサンサンラジオ!

今週も始まりました三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。
お相手は三ちゃんこと三部和尚です。

さあて、今日のお話は、台風18号の被害についてです。

各地に傷跡を残した台風18号ですが、特に茨城県常総市と宮城県大崎市に大きな被害がありました。

11日朝、前日仙台泊まりで最上に向かったのですが、高速道路が全面通行止めで一般道に回った車で溢れ、ひどい渋滞に巻き込まれました。仙台市を抜けるまでに2時間半、最上町まで5時間あまりかかりました。
4号線から大和町加美町を通るルートを来たのですが、大和町の吉田川が氾濫した道路では、アチコチに水にはまって動けなくなった車が放置されていて、この道路がかなり冠水していたことが分かりました。

ラジオでは、大崎市古川の付近で渋井川が決壊し、孤立状態の集落があるとか、最上町冨澤地区に避難勧告が出ているという情報が流れましたが、渋滞の中では身動きがとれず、車の流れに任せるしかありませんでした。
そんな中、色んな方から心配してくださるメールやメッセージが届き、気にかけてくださることにうれしく思いました。

最上町では、小国川の氾濫で赤倉温泉の旅館など数件に浸水の被害がありました。帰宅してから様子を見に行きましたが、町の職員や近隣の住民が出て排水、泥かきの作業中でした。風呂に泥水が逆流してきた旅館もあり、復旧には大変な労力が必要と思われます。
その他、田圃や畑の被害がどれほどあるのか、今のところはよく分かりません。

この近年の異常気象による被害は、毎年のことのようになっており、特別なことではなくなってきているように思います。
以前の例をもって「異常」としていたことを見直さなければならないのかもしれません。
そして、それらは、自然界だけのいわゆる自然現象ではなく、人間の営みによる影響も原因となっていることを知り、人間の有り様をも見直さなければならないことなのだと痛感します。
「想定外」として、原因全てを自然のせいにしてしまうことで、人間の怠惰をごまかすことがあってはなりません。

福島第一の原発事故にしても、本当に想定外だったのかどうか、これから動かそうとしている原発も、はじめから「『想定外』を想定」して基準を作っているのではないかどうか、しっかりと検証しなくてはならないと、和尚は思います。
いずれにせよ、この災害で命を落とされた方のご冥福を祈り、家を流されたり浸水したりした方々に希望が見いだされますことを心より祈ります。

コマーシャル

最上町瀬見温泉 「旅館 ほてい屋」

小国川の清流と川風を間近に感じられる小さな宿。
ひのきの湯で心と体を癒し、のんびり、おいしい一日をお過ごしいただけます。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ21

2015年09月06日 05時34分49秒 | サンサンラジオ
♪三ちゃんのサンデーサンサンラジオ!

今週も始まりました三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。
お相手は、三ちゃんこと三部和尚です。

9月に入り、急に秋の気配が漂ってまいりました。
朝5時の本堂はまだ薄暗く、明かりをつけないと経本が読めないほどです。
「秋の空はつるべ落とし」の通り、日に日に昼の時間が短くなってきました。
秋ニラの収穫も始まったようで、昨日は出荷前の穫りたてをいただきました。
今月末には稲刈りとなり、アスパラは9月いっぱい穫れるようです。
実りの秋は農家の忙しいときでもあります。

道元禅師の言葉に
「花開けば必ず真実を結ぶ、青葉秋に逢えば即ち紅なり」
というのがあります。
禅的な言葉の意味は、
「菩提心をおこせば必ず仏果が結ばれる、それは青葉が秋になって紅葉するように、時節因縁が運んでくれるものである」
というような意味になります。

自然界の存在は、常に変化をし、時節因縁によって姿形を変えていきます。
人間とて同じこと、生れたばかりの赤ん坊も次第に大きくなり、大人となって老いから死へと向かって変化していきます。
子どもが大人になるのを成長と呼ぶなら、年老いてからの変化も成長と呼ぶべきではないでしょうか。
青葉が紅葉することを退化と言わないように、老年の変化も退化とか衰えとか呼ぶべきではないと思います。
ましてや「老醜」などと絶望的な言葉で呼ぶべきではないでしょう。

時節因縁がきて生れ、時節因縁によって大人となり、時節因縁で老人と呼ばれ、時節因縁が死を運んできます。
やがて土に帰り次の命を育みます。
人間だけが特別な存在ではありません。
自然界の変化は全て時節因縁であり、そこに任せていくしかありません。
アンチエイジングなどは余計なこと、無駄な抵抗です。
老年の変化は言わば紅葉ですから、せいぜい美しく真っ赤に燃えていこうじゃありませんか。


コマーシャル

最上町、瀬見温泉 「エビスヤ旅館」

気軽に泊まれる温泉宿、『源泉かけ流し24時間入り放題!』
ゆっくりと過ごしたい方におすすめ。一人旅のお客様も大歓迎です。
また、日帰り入浴・休憩も承っております。
★ペット(犬・猫)同伴での宿泊も承ります。★

今週はここまで。また来週もお立ち寄りください。


誉められれば、うれしい

2015年09月02日 09時46分55秒 | ふと、考えた
子どもも大人も、いくつになっても、誉められればうれしい。叱られれば悲しい。
結局そういうことなのだろうと思います。
誉められて腹立つ人はまずいないのではないでしょうか。
叱られたことを、後から感謝することはあっても、その場ではやはり傷つき、悲しくなり、腹を立てたりするでしょう。
人を誉める人間になりたい。ニコッと笑顔になるような言葉を発する人になりたいと思います。

それは、他人に対してだけでなく、家族に対してもです。
「外面がいい」という言葉があるのは、他人に対してはいい顔やいい言葉を使うのに、家族に対しては仏頂面で、荒い言葉を発する人が少なからずいるからでしょう。自分もその一人です。

「苦労してこの子を育ててきたのは、こんな仕打ちを受けるためだったのか。親なんて、なんて悲しい存在なのだ。」
親にそう思われた瞬間、子どもは地獄に堕ちるでしょう。
後悔することは分かっていながら、なかなか優しくできない。口の効き方を変えられない。
多くの人がそうだからそれでいいということではないでしょう。

親に誉められれば子どもがうれしいように、子どもから誉められた親もうれしいに違いありません。
誉めることなど何もない、というのは子どもと比べるからかもしれません。
子どもは成長の過程で次から次へとできることが増えていくので誉められることも多いでしょう。親は、どんどんできることが減っていくので、叱られることはあっても誉められることは見つけにくいかもしれません。
でも、たとえば、昔の話を聞いて能く覚えているときとか、ちょっとした家事を手伝ってくれたときとか、ご飯をきれいに食べたときとか、いいうんちが出たときとか、衰えの中でできることはあるのではないでしょうか。
寝たきりであっても、着替えをさせてくれるのを楽なようにちょっと体を浮かせるとか。そういう気持ちの表れを誉めることはできると思います。

誉められればうれしい、叱られれば悲しい。
みんなそうです。

元気な大人も同じです。
当たり前のことを当たり前にやって、普通だということでも、自分にできないことは誉めてもいいのではないか。
宅配のお兄さんが、重い荷物を軽々と運んできたとき、「すごいねさすがプロだね」と声をかけたら、それはうれしいでしょう。次の家に行くときに笑顔になるかもしれません。
うれしさは連鎖するものです。

この世をうれしさの連鎖で包んでいく。悲しみの連鎖は断ち切っていく。
それが自分の言葉から始まります。そんなすごいことが自分にもできるのです。

このブログ読んでくれてありがとうございます。読もうと思ってくれたことがすごいですね。あなたは物事を感じる力がありますね。そして伝える力があると思います。