なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ251 和光同塵

2020年02月23日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第251回。

2月23日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
17・18日シャンティ業務執行理事会。
19日最上町教育懇談会出席。
20日葬儀。もっちい月例会。
そのような1週間でした。

おはようございます。
2月23日日曜日です。今日は中島みゆきの誕生日です。

最近島津亜矢を聴いています。
彼女のオリジナルの演歌ももちろんいいですが、いろんな曲をカバーしている「Singer」シリーズもいいです。
現在シリーズのCDが6枚まで出ているようですが、その中から中島みゆきのカバー曲が収録されている2枚を買ってみました。いいですね。
とにかく歌がうまい。演歌歌手というのは他の曲と歌い方が違うのではないかと思っていましたが、彼女はどんな曲も英語の歌も全部自分の歌のように歌いこなしてみせています。
聴いていると、これは誰が歌っているのか一瞬分からなくなるほどです。
浪曲ものもありますがそれもいいです。幅が広いですね。しばらく楽しめます。

今国内の最大の話題は新型コロナウイルスでしょうか。
今朝のニュースでも、感染経路の分からない新たな感染者が全国各地で発生したと伝えられています。怖れていたパンデミックが起こっているのかもしれません。
「正しく怖れる」「致死率は低い」などと言われても、見えないものであるし、知らぬ間に感染しているということもありそうで、疑心暗鬼になったり排他的差別的な行為になったりすることも起こっているようで、いずれにせよ「怖い」という気持ちが蔓延しています。
これからの季節、卒業式や入学式、いろんなイベントやスポーツもあり、すでに開催中止、延期の処置がとられ始めました。
会場や食事、宿のことを考えると、早めに判断しないとキャンセル料が発生することを恐れるのでしょう。
シャンティの3月のイベントも延期となりました。
そのことが常識論のように広がって、自粛というように、必要のない休止や延期を招いてしまうこともあると思われます。直撃するのは観光業。
交通機関、宿、飲食、商店、様々な方面に影響が広がるでしょう。倒産や廃業、解雇などに発展することも容易に想像されます。
経済活動の停滞は、真っ先に社会の弱者に影響を及ぼすので心配です。
それぞれが自分の身を守ることは、社会全体を安定させることでもありますから、早期終息のためにはじっと我慢することも必要なのかもしれません。

「和光同塵(わこうどうじん)」という言葉は道教の祖、老子が元のようです。
自分の才能や知識を隠して世間に交わること。つまりは、どんなに知識や才能を持っていてもそれをひけらかすのではなく、そんなものは持ち合わせていないかの如くひそめ、巷塵に交わりその中から導いていくという意味になります。
それが後に仏教に取り入れられ、仏菩薩が衆生を救うために身を変じて俗世間に現れること、というように解釈されました。
人はとかく、知識や能力を持つとそれをひとに知られたいと思います。尊敬されたい凄いと思われたいという欲求です。
確かに「鼻高」は小さな満足になるかもしれません。しかしそれがその人の人間の評価になるかといえばどうでしょうか。
仏菩薩が持つのは「人を救いたい」という欲求であり、そのためにはたとえ愚かに見えることも厭わないのであり、だからこそ人は救われるのでしょう。
人間は仏菩薩とは違うと言うかもしれませんが、人間も小さな優越感で満足するよりも、相手の苦しみ悲しみを和らげるために知識や能力を使いたいと思います。
知ったかぶりの「偉い人」にはなかなか人は近づかないものです。むしろ敬遠されることの方が多いのではないですか。
先生の話よりも落語家の話の中から学ぶことが多かったりします。
光と塵という対象で言えば、鋭い光を当てて相手に自分が塵であったことを思い知らせるよりも、和かい光で塵を包み塵と一体となり、塵のままで光り輝いていく、そんな導き方を目指していくことをこの言葉は教えているのでしょう。
越後の良寛さんはそんな人でした。親戚の家に泊まって世話になったとしても、教えのようなことは一切語らず静かに日を過ごす。良寛さんのいる間家の中は柔らかい空気に包まれ、その温かさは良寛さんが立ち去った後も数日間続いたといわれています。まさに和光同塵の人でした。
偉そうにならないように気をつけたいと思います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ250 エネルギーの地産地消

2020年02月16日 05時08分59秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第250回。

2月16日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
11日英会話。
12日法類越山会総会、東根温泉泊。
13日東北芸工大にてシンポジウム「RE100」出席。
14日シャンティの挨拶で大本山永平寺へ。仙台泊。
15日松林寺涅槃会、だんごまき。郡内寺院の弔問へ。
そのような1週間でした。

おはようございます。
2月16日日曜日です。

2月15日はお釈迦様が亡くなられた日。松林寺でも涅槃図を掛けて涅槃会を勤めました。
涅槃だんごを作ってお供えするのですが、当地ではそのだんごを参詣者に盛大に撒くのです。
涅槃だんごは、お釈迦様が亡くなられる際、生母マーヤ夫人が天上から降ろしてくれた妙薬があいにく沙羅の木の枝に引っかかって届かず、死後にお釈迦様に供えられたともいわれ、以来お守りとして参詣者に分けられるようになったという由来です。
節分の豆まきと同じ発想なのか、あるいは雪国の冬の楽しみでもあったのか、古くからそのだんごを撒くのが習わしです。
そのために、前日にはお母さん方20人のお手伝いをいただいてたくさんのだんごを作ります。
これも節分からの影響かもしれませんが、自分の歳の数ほど拾うといいことがあるなどと言われ、80過ぎのおばあさん方はみな必至です。
前掛けや風呂敷を広げて、粉だらけになるのも何のその、大笑いしながらだんごを拾い集めます。
そんなに大量のだんごをどうするのかというと、食べるという人はほとんどなく皆さんお守りにされると思います。
布で小さな袋を作り、それに3粒ほど入れて、山に行くとき旅に出るとき身に着けたり、または車に入れたりしているようです。
その効力はバカにできず、実際にこのだんごで救われたという人が多くいます。
昨日は6歳をはじめ3人の子どもたちもお参りしてくれ、神妙に涅槃図の話を聞いてくれました。お守りとして心に残ればいいのですが。

14日のRE100というシンポジウムは、やまがた自然エネルギーネットワークが主催で、副題を「地域に活力をもたらす再生可能エネルぎー100%の導入」として、東北芸工大で開催されました。
公益財団法人自然エネルギー財団、CDPジャパン、リコー環境事業開発センター、加藤総業、山形新電力からそれぞれ代表の方が登壇しました。
東日本大威震災、原発事故を契機にヨーロッパでは脱原発、脱炭素の動きが急速です。アメリカや中国も自然エネルギーの先進国です。一国の大統領一人が異を唱えても、もはや企業や投資家の方がどんどん先を進んで国の政策など置いてきぼりにされる様相になっています。
端的に言えば、化石燃料から再生可能へのエネルギー革命が起こっているのです。
RE100とは、企業自らが、自社のエネルギー源を何年までに再生可能エネルギー100%にするという宣言をするもの。
それを承認検証する団体がCDPという組織です。
現在、世界でアップル社などの大企業224社、日本の30の企業が宣言をして毎日その数が増加しているようです。リコーは日本で初めて認証を得た企業で、すでに100%を達成しているとのこと。
そして、電気は大きなところで作って下に流れてくるという時代ではなく、地方において地産地消していく時代になったということです。
そういう世界の流れに日本の政府は全く追いついていないどころか、今もって火力発電を製造、輸出しようというような逆行した政策から転換できずにいます。
もう政府の政策転換を待ってはいられません。企業と地方が手を結びどんどん再生可能エネルギーへの転換、エネルギーの地産地消を進めていかなければなりません。それが疲弊した地方の生きる道でもあります。
太陽光も風力も水力もバイオマスも、資源はそれぞれの地域にあります。なのに、都会や外国の企業が土地代が安いという理由だけで地方に設備投資をして金儲けのために資源を吸い上げているのです。そして地元のエネルギーは他所から買っている。そんなバカげた、もったいない話はありません。地元の資源を地元で使う、いわゆる地産地消への転換が必要です。
「もがみ地産地消エネルギー(略称もっちい)」もそれを目指して立ち上がったものです。現在実態調査研究中ですが、地域新電力を目指して活動しています。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ249 お母さんのお骨

2020年02月09日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第249回。

2月9日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
2・3日なあむの会で瀬見温泉泊。
4・5日シャンティのイベントで上京。シンポジウム「災害支援のこれから」出席。
5日松林寺葬儀。
6・7日仙台、東北管区教化センター資料作成委員会。
8日ニラ小屋集会。
そのような1週間でした。

おはようございます。
雪が降りました。そんなことも報告しなければならないぐらいこの冬は雪が降りませんでした。
全く雪がなかったため、たかだか20センチほどの雪でもたくさん降ったように感じてしまいます。
雪不足で夏の災害が心配、などと言っていましたが、降れば降ったで「やっぱりないほうが楽だよね」などと簡単に前言撤回してしまっています。まことに勝手なことです。

4日上京の際、お骨を持参しました。
カンボジアのお母さんのお骨です。
1980年、タイのカンボジア難民キャンプでお母さんの家族と出会いました。
お母さんの名前はニャン・サン。夫はトン・バン。男の子が二人ハッチとホッチ、双子の女の子マーチとモッチ、それに親を殺された男の子ブン・ラーが里子として一緒に暮らしていました。
サケオ難民キャンプは約3万人が収容されていて、高床式の床とコンパネで三方を囲い屋根をつけただけの建物で、お母さんの家族7人は6畳間ぐらいの1間で寝起きしていました。
私たちが毎日のように訪ねるようになったある日、「今晩うちに来て夕食を食べませんか」と誘われました。
難民の人たちが週2回配給の食材を七輪で煮炊きして食べているのを知っていましたから、その食事をいただくなどということはとても考えられずお断りしましたが、それでもどうぞどうぞと何度も誘われて、断るのも失礼なのかもしれないということで、その晩4人のボランティアが訪ねていきました。
限られた食材を工夫して作ってくれた料理であることがありありと分かります。
調味料もなく正直おいしいとは思えませんでしたが、「チュガニ(おいしい)」と言いながら、冷や汗をかきかきひきつった笑顔で何とか飲み込みました。
食事が終わったとき、お父さんがこう言いました。
「カンボジアでは友情の証として食事をごちそうするんだ。あなたたちを友だちだと思いたいので食事をしてほしかった。来てくれてありがとう。食べてくれてありがとう」。
お母さんはこう話してくれました。
「私にはこの子たちの上に、兄が一人姉が二人いたんだけどポル・ポトに殺されてしまった。だからお前たちは今日から私の息子だよ」と。
それ以来私は、二人を「お父さん、お母さん」と呼んできました。
その家族がその後難民として日本にやって来ることになります。
日本で抱き合って再会を喜びあってから35年。親子として、子どもたちとは兄弟としてつき合ってきました。
27年前、お父さんが亡くなりお骨はお母さんと弟ホッチと一緒にカンボジアまで行って納骨しました。
8年前に亡くなったお母さんのお骨はしばらく預かっていてほしいということで松林寺で預かっていました。
それがようやくカンボジアまで持って行けそうなのでということで、4日に東京で妹マーチに届けてきたのでした。

お母さん、40年前に食事をいただきました。
後から聞いたことでしたが、あの時の食事は私たちにごちそうするために、何日も前から配給を少しずつ少しずつ蓄えておいてくれたんだそうですね。
そんなことが本当にできたのかと、今でも思います。
そして、私たちが食べるのを見て「よかった食べてくれた、おいしいって言ってくれた」と笑顔で喜んでくれた子どもたちの顔を忘れることはできません。
豊かさというのは、お金や物をどれだけ持っているかではなく、自分のものをどれだけ人に分け与えられるかだと思います。
お母さんたちは、自分の食料さえ配給に頼っている状況だったのに、それでもそれを分け与えようとしてくれました。それは最も豊かな心だと思います。分け合ったのは、命にも似た心でした。
逆に、どれだけお金や物を持っていても、それを自分のためだけに使おうとする人を貧しいというのでしょう。日本人は豊かなのか貧しいのか。
私は、豊かさとは何かをお母さんたちから学びました。
私がこれまでいただいた食事で、いやこれから先も、あれが最も貴重な食事でした。生涯忘れません。ありがとうございました。故郷のカンボジアでゆっくりお眠りください。
徳実誠信居士、徳風妙薫大姉、お父さんとお母さんのお骨の一部はこれからも松林寺で預かります。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ248 仏教は役に立つのか

2020年02月02日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第248回。

2月2日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
27日上京。シャンティの打ち合わせ。28日曹洞宗宗務庁と大本山總持寺へシャンティ年頭のあいさつに。
30日向町地区「いきいき大学」講演。
31日再び上京青松寺さん訪問。
1日最上町ハッピーサポーター推進協議会主催、第5回お母さんのためのなんでも講座「お寺カフェ㏌松林寺」開催。住職の話と開運ブレスレット作りとお茶会。
そのような1週間でした。

おはようございます。
2月に入り、番組の内容を一部リニューアルしました。
同じことを変わらずに継続することも大事だと思っていますが、やってる方が飽きたりしますので少しは変化があってもいいかなと。
ということで、これからもお訪ねいただけたら嬉しいです。

新型コロナウイルスが大変ですね。
原発事故の後もそうでしたが、正体が見えないものは不安になります。
感染力が強いとか致死率は低いとか、安全なのか危険なのかよく分からないからこそ怖気づいてしまいます。
人ごみの東京では気をつけなければと思いマスク着用で行ったのですが、東京人全員がマスクしていると思いきや、割合としては4割ぐらいでしょうか。
意外と少ないと思いました。
見た感じ、東京人よりも地方から来た人の方がマスクを着用している感じでした。
マスクをするのは田舎者という印象があって強がっているのでしょうか。
中国からの人らしい方々はしっかりマスクしてました。何となく肩身の狭い様子にも見えました。電車の中で大きな声で話するようなこともありませんでした。
バッシングのようなことがなければいいなと思います。
日本の中より中国国内でのバッシングがひどい様子がネットで流れていました。武漢から来た人の家のドアに板を打ち付けたり。
中国の人は性格的に過激な人が多いのかと思いますが、しかし日本でも原発事故後の福島の人々に「帰れ!」と落書きしたり叫んだりしていたことを思い出します。何の根拠もなかったのに。
不明なことは不安をあおり、パニックを引き起こす引き金になったりします。
新薬の開発も進んでいるようです。早く鎮静化されることを祈ります。

地球が気候変動ではなく気候危機と呼ばれるようになり、異常な暖冬や、オーストラリアの山火事、豪雨洪水などなど。
それに足並みをそろえるかのように自分の国の利益ばかりを主張してグローバル社会に逆行するような国のトップが林立したり、国の内外において政治も危機を迎えているような情勢です。人々の不満が限界を超え暴発、戦争を引き起こす危機も感じます。
人間の歴史の中でこれまで何度も痛い目を見てきたはずなのに、今がよければ歴史から学ぼうとせず、さらに大きな痛手を被らなければ目を覚ますことができない、気づくことができないのでしょうか人間は。
こんな時仏教はどんな役割を果たせるのでしょうか。
ローマ法王が核兵器廃絶を叫んでくれて、クリスチャンでもない日本人があこがれと尊敬の眼差しで見つめる。
では仏教者は。
仏教は社会の問題には口を挟まず、世間から離れたところで静観、いわば深山幽谷で自己究明に努める。それだけなのでしょうか。
それも一つの姿だとは思いますが、果たしてそれでいいのか。
最近全日本仏教会が死刑制度に反対を表明しました。久しぶりに仏教者の発言、提言が見られたと思います。以前には脱原発の声明も出しました。
社会の危機は人間の危機であり、苦しみの元です。だとするならば、仏教の役割はあるはずです。
仏教には深い洞察と智慧によって人々を導く教えがあります。今こそ、いやいつでも、仏教者はその智慧を社会に発信していかなければなりません。
この番組でも、もう少し仏教の教えを伝えていかなければならないと改めて思いました。
ということで、来週から少し考えてみましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。