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やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ405 見えなくなったら希望が見えた

2023年02月26日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第405回。令和5年2月26日、日曜日。

19日、松林寺で「お寺カフェ」が開かれました。
最上町ハッピーサポーター推進協議会が主催のイベントで、松林寺は場所貸しという形態です。
婚活の入り口として、まずはじめにお母さん方のつながりをつくっていこうというねらいでこれまでも何回か開催されました。
今回は3年前にもおいでいただいた、全盲のヴァイオリニスト穴澤雄介さんのコンサートでした。
穴澤さんは、東京パラリンピックではコメンテーターとして何度もテレビに出演していました。
また、ユーチューバーでもあり、毎日曜日ごとのテーマでユーチューブをUPしています。
因みにそのテーマは、以下のようです。
月:気まぐれアナちゃん
火:エレクトリックアナちゃん
水:おもしろ福祉
木:なるほど音楽
金:チャレンジアナちゃん
土:演奏動画
日:オタマトーン【otamatone】奏者への道!
です。
そのタイトルからも想像されるかもしれませんが、穴澤さんはめちゃくちゃポジティブで明るい人です。
「見えなくなったら希望が見えた」という演題の講演もされています。
生きる示唆がたくさんあります。
よろしければ是非一度ユーチューブを覗いてみてください。
さて今回は約1時間のトーク&ライブでした。
生のヴァイオリン演奏を目の前で聴くことはなかなかありませんので、参加者は堪能されたのではないでしょうか。
そのお話の中で印象に残ったのは、左手の人差し指を骨折したときの話です。
ヴァイオリニストにとって、弦を押さえる左手人差し指が使えないというのは致命的で、このまま音楽活動はおしまいになってしまうのかと絶望的になったと。
「しかし、待てよと考えた、人差し指を使わないで演奏できる曲を作ればいいのではないか」と気がついた。
作曲家でもある穴澤さんは、2か月の療養中、曲を作り、何度も練習してできた曲を演奏してくれました。
「全盲だから、できないことはたくさんある。でも、できることでどうすればいいのか、どうすれば楽しく生きられるのか、それを考えればいい。そういう考えができるようになったのは視力を失ったからこそだ」。
また、中学生や高校生に話すこととして、次のような話をしてくれました。
「レースというのは、スタートラインがあってゴールラインがあり、その間をどれぐらいの時間で走るのかというスピードを競うものだ。だけど人生はレースとは違う。たとえばマラソンのようなコースだとすれば、抜け道を通ってショートカットしてもいい。あるいは、みんなから離れて歩きやすい道を大回りして走ってもいい。それこそ、スタートラインから逆に走ってもいい。人生というのには決まったコースはないのだ」と。
とても示唆のあるお話でした。

その前座として私も読経とお話をさせていただきました。
ちょうど涅槃図をまだ掛けてあったので、せっかくだからとその絵解きをしました。
生涯たった一つの願いをもってお釈迦様を追い求めて旅をした老婆を紹介し、「求めていなければ出会えない、あなたは何を求めるのか」と問いかけました。
生涯をかけて求めたものに出会える喜びはこの上もないことでしょう。求めるものが少ないほど喜びは大きいのかもしれません。
33名が耳を傾けてくれました。

こういう場に行き合わせることも出会いであり、縁と言えますが、縁も求めていないと結べないものです。
ただぼんやりと口を開けて待っていても、ボタ餅が落ちてくることはそうそうありません。
求めているから、小さな糸口から大きな出会いへとつながっていくのです。
もちろん、出会いなど結構だ、一人静かに生きて行ければそれでいいという方もいるでしょう。
イベントばかりが人生の意味ではありません。それはそういう生き方です。
自分の好み、自分の楽な生き方をすればいいことで、誰かと比べて焦ることも、悲観する必要もありません。
私は、出会いを求めているというだけに過ぎません。
色んな人に出会い、知らないことを知ることにワクワクし、何かを作り上げることに喜びを感じます。
それは私の求めることです。
求めるものは各自それぞれですから、自分はこれだというものがあればいいでしょう、という話です。

新たな出会いを求めてちょっと旅してきます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンデーサンライズ404 意味よりも続けること

2023年02月19日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第404回。令和5年2月19日、日曜日。

朝がだいぶ明るくなってきました。
冬の終わりが近いと感じます。もう少しですね。
15日は予定通り当山の涅槃会を勤めました。
涅槃会は「だんごまき」とも言って、大量のだんごを撒いて拾ってもらうのですが、今年は感染予防の観点から、あらかじめ袋に小分けして手渡しで配布することにしました。
それでも、家族、親戚、友人に、お守りとしてだんごを分けてあげるという人も多く、なので大量のだんごを丸めなければなりません。
14日、涅槃図の前に20名が丸く座り、手と共に口をせわしく動かしながら、賑やかに楽しく丸めていきます。
外に出ることの少ない雪の季節、お寺に集まり、情報交換というかうわさ話に花を咲かせ、御詠歌を唱え、大きな声を出しながらだんごを拾う、それがこの時期の楽しみとして続いてきたのでしょう。

例年1月後半から2月初めは最も積雪のある時期で、毎日毎日、もう嫌というほど朝の雪かきをするのですが、今年は少雪で楽をさせていただいてきました。
たまにこういう年があってもいいですね。
ただ、毎日降っていると、除雪が朝のルーティンになり、何も考えずさほど辛いとも思わずにできるのですが、しばらく解放されると再開する度に「何でこんな大変なことをやっているんだ」と愚痴も出てくるということはあります。
何でも同じだと思いますが、毎日の当たり前になれば、さほど苦労とも思わないものです。
朝の洗面に「顔を洗って何になるのか」と悩んでいる人はまずいないでしょう。
同じように、朝の坐禅やお勤めも、はじめの頃は「そこまでしなくてもいいのではないか」とか「少しぐらいサボっても」と気持ちがグラグラ揺れ動くことはありましたが、それがルーティンとなれば、その意味などに振り回されることなく、当たり前の日常としてできるようになるものです。
要は、一々意味など考えなくてもできるようになるまで続けるということですね。
母親の介護をしていた時に、周りの人から「大変ですね」とねぎらわれたことがありましたが、それが当たり前になってしまえば、それほど大変とも思わずにできるものです。「大変だったのは奥さんだったでしょう」と言われればその通りですが、周囲の思いほどでもないと思いますよ。
赤ん坊がいればそれは毎日そのお世話が大変です。
おしめを替えたり、ミルクを飲ませたり、夜中に何度も泣いたり、大変には違いない。
しかし、子育てとはそんなものだと、自分のこととして受け止めてしまえば、いや、受け止めてしまわなければ、誰も子育てなどできないでしょう。
意味など考える前に、目の前のことを自分のすることだと、自然に体が動くまでやり続ける、それが大事なのだと思うのです。

幼稚園や介護施設、病院での虐待が後を絶ちません。仕事を他人事のように受け止めているのではないでしょうか。
自分の仕事を自分の仕事だと引き受ける覚悟のない人にとっては辛いのでしょうね。
誰も楽して生きている人はいません。でも、他人から見て大変そうだと思えても、自分の用事だ、自分の生きる道だと受け止めて生きている人にとって、日常は大変とか辛いなどと考える間もない日常です。その中には気づきや楽しみもあるはず。
永平寺など修行道場の修行も「厳しいのでしょう。辛いでしょうね」などと言われますが、辛いのは慣れるまでの三か月、慣れてしまえば何ということもありません。
何でも、意味に悩みながらも続けることですね。
このブログも、毎週書くことがルーティンになっているので、今さら辛いとか大変だということはありません。常に次は何を書くかと考えていますし、書き出せば手は勝手に動くものです。
自分の生き方を、自分で考え自分で判断し決定して、そして行動していく。
自分の命の使い方を自分で決める。
間違いも失敗もある。その失敗の経験から判断の修正を行っていく。
その経験の積み重ねが自信となる。自信はそこからしか生まれてこない。
自分の判断を他人に委ねることから自信は生まれてきません。
判断を誰かに尋ねることが習慣になってしまうと、何でもかんでも聞いてからでないと行動できなくなります。
判断の依存です。それは支配につながります。それは自分の命を自分で生きていることにならないでしょ。
思い切って自分の判断で、自分の決めた方向へ、自分の足で一歩を踏み出してみましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンデーサンライズ404 求めなければ出会えない

2023年02月12日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第403回。令和5年2月12日、日曜日。

涅槃図をお祀りしました。
お釈迦様が亡くなられた2月15日にお勤めする涅槃会のために、年に一度のことです。
当山の涅槃図は、縦297㎝幅197㎝と大きなもので、宝暦13年(1763)に完成したと裏書されています。
更に裏書には「絵願主五世明刕代、表具願主六世大成代」とあります。
つまり、5世が絵を発注し、6世が表具をしたということになります。
ところがこの間、5世が亡くなり寺は火災に遭い焼失しています。
なのにこの図が残ったということは、発注後まだ完成をみないままに住職の死亡と火災があったということで、逆に言うとそのために図は焼失をまぬかれたと考えられます。
後を継いだ6世は、本堂の再建と涅槃図の完成を担ったことになります。
5世が示寂したのは享保8年(1723)で、その前に発注したわけですから、そこから数えると完成までに実に40年以上の時間を要したことになります。
二代の住職の強い願いと意志を感じます。
その願いとは何だったのか。
当地は山間部寒冷地ということもあり、何度も凶作に見舞われています。
多くの人、特に子供等が、飢えのために命を落としてきました。
命の儚さ、世の無常を突き付けられた村人にとって、何より願うことは、亡き人の安らかな帰寂ではなかったでしょうか。
住職様が涅槃図の絵解きをしてくれたことでしょう。
その時、この立派な涅槃図を拝み、お釈迦様が横たわっているお姿を見て、「そうか、お釈迦様も死ぬんだ」と気づいたのではなかったか。
みんなに惜しまれながら、泣きながら見送られるお釈迦様。
ならば、我が子、愛する家族の死もこのように泣きながら見送られ、お釈迦様と同じ仏の世界に行くのだと思わせてくれたのではなかったかと想像します。
5世6世の願いは、無常に嘆く人々を救いたい、貧しさの中にも心の安らぎを得て欲しい、ということであったに違いないと思います。
そして、涅槃団子をいただいて帰り、今は亡き家族にお供えしたことでしょう。

 涅槃図の 皆泣いてゐて あたたかし  阿部月山子

各地各寺に祀られる涅槃図はほぼ同じ図柄、内容だと思われます。
お釈迦さまのお弟子たちや信者の人々、菩薩や鬼神のような姿、動物や昆虫などなど。
その中に、必ずと言っていいほど描かれている一人に、お釈迦様の足元にいて、足をさすっていると思われる老婆の姿があります。
白髪でやせ細り、身なりも粗末な老婆です。
絵解きによれば、この老婆は実はお釈迦様と同じ歳の80歳であるとされています。
今のインドの国のどこかで、悟った人、ブッダが現れたと耳にします。
その時はお釈迦様と同じ35歳だったのでしょう。
女性は、ブッダに会いたい、この目で一目みたいと強く思いました。
「そのお方はどこにおられるのか」と人に聞きながら訪ねて歩きました。
あそこにおられたと聞き、訪ねると、もう出発された後だとのこと。
お釈迦様は苦悩から解脱する教えを広めるために、一か所に留まらず旅を続けておられたのです。
訪ね訪ね歩いて、ようやく今クシナガラの沙羅の林の中におられると聞き、急いで林に入って行かれました。
しかし、そこにおられたのは、既に息を引き取り横たわったお姿だったのです。
泣きながら足に触れさせていただく老婆。
ブッダを一目見たい、ただ一つの願いで旅を続けた45年。
しかし、生きたお釈迦様にはついに会えませんでした。
この物語が教えているのは何か。
お釈迦様と同じ時代に生きたものでもお釈迦様に会えるとは限らない、求めても得られないものもある。
しかし、求めなければ、会うことはできない。
たとえ「見た」としても、求めるものがなければ会っても分からない。
老婆は生身のお釈迦様のお声を聞くことは叶いませんでした。でも、そのおみ足に触れることはできました。生涯をかけて求めたブッダに触れることができたのです。
老婆が泣いているのは、悔しさや悲しみだけではなく、命を懸けて求めたものに会えた、喜びの嗚咽ではなかったかと推察します。

今の時代に生きる我々も、生涯をかけて求めるものが欲しいと思います。

 求めていないと 見つからない
 求めていないと 出会えない
 求めていないと 出会ってもわからない
   義道

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンデーサンライズ403 バカたれが

2023年02月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第403回。令和5年2月5日、日曜日。

先週は日曜日から金曜日まで東京の研修道場で缶詰め状態でした。
今年度3回目の曹洞宗布教師養成所で、布教師を目指す若き僧侶たちと熱い刺激のある濃密な時間を過ごしました。
感染予防のため宿泊はホテルの個室でしたが、朝5時半の坐禅に始まり、夜9時までびっちりのスケジュールで、普段使わない脳みそをフル活動して知恵熱が出そうでした。頭脳労働も確かに労働だと感じます。
世界の情勢はあまり良い方向には進んでいません。
グローバル化と自国ファーストのせめぎあい、民族間、宗教間の対立も強くなるばかり、そして、よもやこの時代にそんなことは起こらないと思っていた戦争も始まってしまいました。
多くの人々の命が奪われ、傷つき、困難な状況に置かれています。いつも、真っ先に影響を受けるのは社会的弱者です。
国内に目を転ずれば、温暖化の影響による自然災害の多発、軍備拡張、原発の新増設、コロナの影響、経済格差による貧困家庭の増加などなど、ぬぐえない不安の中でストレスを抱えている人が多いように思われます。
子ども食堂、この国はいつから子供に腹いっぱい食べさせられない国になったのか。見えない形で進行する格差。子供に十分な栄養を与えられない社会とは、なんと貧しいことか。
そんな社会に仏教は、僧侶はどうたち向かっていくのか。仏教に役目はあるのか、ないのか。

私は常に、強き者よりも弱き者、富める者よりも貧しき者、地位の高い者よりも社会の底辺に生きる人々の側にいたいと思っています。
仏法が「良薬」だとすれば、現代社会において苦しみ悩む人々に、良薬を届けるのが僧侶の務めでしょう。
天空の城のようにお寺に安住して、娑婆世界の阿鼻叫喚に目を背け、見て見ぬふりするようなことがあってはなりません。
開業医が地域の臨床医として病に苦しむ人々に寄り添い、その症状に合わせて投薬するように、お寺も地域の人々の救いの場とならなければなりません。
布教師が仏法という良薬を投与する任を担っているのだとすれば、まさに「臨床布教師」として現場の苦しみに応えていくのが務めです。
僧侶は、自分の生活のための生業、職業ではないのです。
だとすれば、もっともっと社会に出て、苦しみの現場に身を置かなければならないでしょう。
苦しみの声に直接耳を傾け、体の震えを肌で感じなければなりません。
仏教徒が常に唱える『四弘誓願文(しぐせいがんもん)』は、仏教徒として忘れてはならない4つの誓願をまとめたものです。
その第1は、「衆生無辺誓願度」。
世界に苦しむ人々は数限りなくいますが、その最後の一人をも救っていこうという誓願です。
「誰一人取り残さない」というSDGsの理念とも合致します。
苦しむ人は救いを待ち望んでいます。
さあ、現場に向かっていこう。

金曜日、その足で千葉の参学師を訪ねました。
コロナ過になってから伺うことが叶いませんでしたが、体調が気にかかり、行かなければと思っていました。
鞠を持って訪ね来る子等を待つ良寛さんのように、そわそわと笑顔で迎えてくれました。
医師にお酒は止められているようでしたが、「今日は飲むんだよ」と、生まれる前から決められてでもいるように、ご自分が名付けた海鮮の店に連れて行ってくれました。
「今日は節分なんだけど、ここに来なくちゃならないから、昨日のうちに豆まいておいた」なんて、心から待っていてくれたことが伝わって来て、鼻がツーンとするのでした。
美味しいお酒と美味しい肴を前にしながら、私の方は疲れからか盃も箸も進まず、ただただ師の言葉を一句も漏らさず聞き取るように耳を傾けていました。
何度も聞いた話ですが、生家の貧しさ厳しさと、村の和尚さんとの出会い、巡り巡って房総の寺に晋住し、苦労してここまで生きてきた経過。
その中に織り交ぜられる、現代のお坊さん方の不行跡に対する怒り。
「そんなことも分からんで、バカたれが」と、叱責されるのです。
そしてご自分のことを「半僧半俗」と称してきましたが、この度は「僧が二分、俗が八分だ」と格下げになっていました。
「私はお坊さんが好きだ。もし生まれかわることができたらもう一度お坊さんになりたい。もっと若いときに勉強してまともなお坊さんになりたい」と言葉に詰まりながら語ってくれたのでした。
私はこの人が好きです。
せっかく首を長くして待っていてくれたのに、今生の別れかもしれないのに、充分のおつきあいができませんでした。
慚愧の至りです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。