なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ409 デッドボール

2023年03月26日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第409回。令和5年3月26日、日曜日。

彼岸が過ぎ、いよいよ春の気配が濃くなってきたことを感じます。
植物も昆虫も人間も動き出してきました。
先週のこのページで集中講座のことを取り上げたところ、チケット取扱予定店に既にチケットを求めに来られた方がいたとか。しかも2店舗で。
「すぐなくなると聞いたので早めに買おうと思って」ということだったとのこと。
まだチケットは販売していません。
4月2日に寺の総代・役員会があるので、その後3日からにしようと思っています。
それにしても、今回は3年も休んだのでそれほど来場者はないだろうと踏んでいましたが、もしかしたら大勢来られるのかも。
また、このブログも知らないところで読まれているのだと知り、そちらの方は感激です。
頑張って皆さんに喜んでもらえるよう準備を整えていきます。お楽しみに。

先週はスポーツまみれでした。
WBC、大相撲、高校野球、サッカーA代表戦、好きなカーリングもありました。
もうお腹いっぱいです。
スポーツ観戦は好きなので、何でも観たいという感じです。
中でもWBC。
プロ野球はほとんど観る気がありませんが、これだけは特別でしたね。
しかし、絵に描いたような、漫画のような、ドラマチックな展開は、誰が予想できたでしょうか。日本中が感動したのではなかったかと思います。
ある漫画家が、「もう漫画描けない」と言っていました。
スポーツ漫画のストーリーなどは、ありそうでも絶対あり得ないけれどそうであればすごいな、という夢のようなことを描くもので、それを現実にやられてしまっては漫画家はお手上げということでしょう。
あの男、大谷翔平という男、「彼は未来からやってきたターミネーターだ」と言ったテレビのコメンテーターがいましたが、それさえも信じたくなるような人物です。
この世界に何をもたらすためにやって来たのでしょうか。子どもたちに、未来への希望と夢を示してくれたことは間違いありません。
彼自身、高校時代の人生設計シートに「27歳WBC日本代表MVP」と書いていたようで、まさに夢に向かって努力をし、それを実現させたということになります。
であれば、それを知った子どもたちの何人かは、同じように夢に向かって努力するものと思われ、第2第3のターミネーターが出現することもあり得るでしょう。
一人の人間の影響の大きさに思わず唸ってしまいます。
大相撲は今日が千秋楽。果たして賜杯は誰の手に。
横綱、大関が不在でも場所は盛り上がるものです。若い力士たちが上を目指して日々精進を重ねる姿に熱いものを感じます。
観戦は、いわゆるスポーツのショーではありますが、なぜそれを観て感動するのかと言えば、それぞれの選手が命を懸けて頑張っている姿に勇気をもらい、その努力が報われるように応援したくなるからでしょう。修行道場の修行僧の姿に感じる清々しさと相通ずるものがあるように思います。

金曜日の朝、カミさんが出かける用事があり、昼食のことを話していました。
「ご飯も無いし、カップ麺も買ってない。どうする?」とのこと。
「そうだな、餓死でもするか」と返すと、
「パン!それいい!ナイスアイデア!」と手を叩いて賛同されました。
そんなに喜ぶようなことなのか。
さらに出がけに「頑張って餓死してね」と追い打ち。
悔しいから本当に餓死してやろうかと思いましたが、1食だけ抜いても餓死できるような体ではなく、むしろ何なら1週間ぐらい抜いてみたらちょうどいいぐらいの栄養過多体型なので、彼女を後悔させることはできないのでした。
毎月の検査で持病の数値があまり芳しくなく、かかりつけ医からお酒を控えた方がいいと言われているので、本当に控えているのです。
朝の散歩も再開したので、若干体重も減りつつあり、このまま下降線をたどればと期待しています。
カミさんのデッドボールを受けてもなかなか減量にはつながらず、我ながらしぶといです。
どちらかと言えば、申告敬遠を望みます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンデーサンライズ408 「お久しぶりです!」

2023年03月19日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第408回。令和5年3月19日、日曜日。

彼岸に入りました。
昨晩は恒例の彼岸供養奉詠を勤めました。
境内にまだ雪は残っていますが、日に日に陽は長くなり、土の部分が残雪を凌駕してきています。
木曜日、今年の散歩をスタートできました。
冬の間固まっていた体を動かすのは、ギシギシ音がするぐらいキツイですが気持ちがいいです。
マッサージ師の指導を受けて歩き方を気をつけてみようかと思います。
靴の底の減り方を見ると、いつも外側の減りが大きいのです。更に右と左の減り方も違います。
そこで、「つま先立ちするときに着く足裏の先の部分から足がつくように意識して歩いてみれば」というアドバイスを受けて歩いてみています。
すると、確かにこれまでと違う足の運びになることが分かります。
太腿の内側の筋肉が鍛えられそうな感じです。普段の姿勢も修正できるかもしれません。
新たな一歩です。

第15回松林寺集中講座、今年は何が何でも開催します。3年間休みました。
この間、チラシを2回準備し、2回とも廃棄しました。
先日企画委員会を開きましたが、3年間のブランクは大きく、スタッフ中心メンバーの熱が戻るのか戻らないのか、微妙な感じです。
3年休んでいる間に、それぞれが4つ歳を重ねたわけで、体力も気力も萎えてくるのは仕方のないことです。
スタートした平成8年は私もまだ40代でしたから、それは若さも気力もありました。
初回は1週間のプログラムを組んで、宿泊参加者も受け入れました。
以来、毎年の恒例行事、ルーティンとして悩むことなく続けてきました。
打ち上げ時のスタッフの笑顔を見ると、また来年!と元気が出て続けてきたと思います。
ここにきて、3年のブランクはやはり大きいと感じます。
歳相応にできることをやるしかありません。
スタッフが楽しく動いてくれることを目的の一つにしてきたので、スタッフが楽しくない、負担に感じるということであれば今後を考えなければなりません。
ということで、今回が最後になるかもしれないという予感を半分抱えつつ開催します。

15回の内容は次の通りです。
開催日:6月4日(日)。
開講時間:13時30分。
講座1:講話「行雲流水」その1。松林寺住職。全体の時間短縮と経費削減のため、住職が担当。
講座2:歌 金山宮大工 渡部俊治棟梁。大工の棟梁の傍ら、金山ふるさとの唄制作委員会を立ち上げて活躍中。
講座3:落語 柳家さん喬師匠。松林寺集中講座8回目の口演。
閉講時間:16時45分。
当日券:1500円(前売り1000円)

今は落語ブームで新しい落語家さんもどんどん出ているように思いますが、その中でさん喬師匠は江戸古典落語の名人と称される実力者です。
前回第13回目においでいただいた時は、ちょうど紫綬褒章を受章された時でした。
今回出講をお願いさせていただいたところ、電話口で快く引き受けてくださいました。
ただ今回もとんぼ返りで東京に戻られるということで、大変お忙しい中での出講となります。
落語ファンから電話をいただいたことがありました「さん喬師匠が来るというのは本当ですか?どうして山形県?え、どこ?最上町?」と疑いでいっぱいの様子でした。
10回目の時だったか、「東京の寄席から追いかけてきました」という大阪の方がいたほどです。
それほどの落語家さんなのです。
最上町の松林寺に来てくれることがとても不思議なことです。
もしかしたら、今回が松林寺最後の口演となるかもしれません。この機会に是非お聴き逃しなく。

雪が解けて春となり、土の下で眠っていた命がむくむくと顔を出してきます。
毎年同じ季節の繰り返しのように見えて、決して同じではありません。
動物も昆虫も植物も、その時々の縁によって変化し続けています。
人間も毎年歳を取り、変化の途中にあります。変化を止めることはできません。
変化しないものにあこがれ、求め、頼りにして生きますが、自分自身が変化しているので、見方も変わってくるのはどうしようもないことです。
変化しないものはない、ということだけが変わらないことです。
変化を受け入れ、変化を楽しむ以外にありません。
今年の雪は、今年初めて解けたのです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンデーサンライズ407 「世界が違って見える日」

2023年03月12日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第407回。令和5年3月12日、日曜日。

12年目、13回忌の3.11。
松林寺で静かに勤めました。
あの日は、とても寒い日でした。
冷たい水の中で亡くなっていかれた人々。
あれがせめて、もう少し温かい時季であったなら。
考えても仕方ないことですが、季節が悪かったですね。

3月1日、中島みゆき44枚目のオリジナルアルバムが発売されました。
中島みゆき「世界が違って見える日」。
2020年、ラスト・ツアー「結果オーライ」がコロナの影響で途中で中止となりました。
楽しみにしていた山形公演も中止となりラストチャンスを逃してしまいました。
それ以来のオリジナルアルバムです。
こういう状況の中でリリースされたこのアルバム。
「世界が違って見える日」というタイトルにどんな思いが込められているのか。
このアルバムのジャケットブックというか、歌詞やアーティスト名が載っているものですが、その中に、おそらく初めてだと思われますが、中島みゆき自身が書いた「あとがき」があります。さらには2つの「作者註」も。

 あとがきー「世界が違って見える日」

 心しだいで世界は全く違うものにみえるはずだなんて、
 そんなのは理想に過ぎないよと片付けてしまうのが、人の常と
 いうものかもしれません。たかが1人、どう思ってみたところで
 世界そのものは何も変わらず、そこにあるじゃないかと言われれば
 そうかもねと頷いてしまいそうです。
 でも、実際そんな瞬間に出逢うことって、ありませんか?
 思いがけない、ほんの小さなきっかけで、世界全部が
 180°違ったものに見えて驚く、そういう瞬間。
 ときには世界が180°絶望方向へ見えてしまうような
 出来事もあるけれど。
 それでも、きっと次の瞬間には、世界が180°希望方向へ
 見えて来るような出来事が、あなたにも、ありますように。
 180°が難しくても、90°でも、10°でも。
                        中島みゆき


コロナのパンデミック。アフガニスタン、ミャンマーの軍事クーデター。ロシアによるウクライナ侵攻。
3年の間に色々なことがありました。
一瞬にして目の前の世界が変わってしまう恐ろしい経験をしたことでしょう。
目の前が一瞬にして闇に包まれるような。
出口の見えない、希望の光など永遠に差し込まないと絶望にさいなまれてしまったような。
しかし、「心しだいで」変わって見えることもあるのではないかと呼びかけています。
中島みゆきの歌はその一つかもしれません。
たとえば、『倶(とも)に』の歌の中では

 倶に走りだそう 倶に走り継ごう
 生きる互いの気配が ただひとつだけの灯火


と歌っています。
生きている互いの気配だけでそれぞれが独りでも生きていける、と。
思えば津波も、一瞬にして世界が180°絶望に変わってしまった出来事でした。
心の持ちようなどで変えられる現実ではありません。
しかし、その現実の中で、12年生きてきました。
それは、隣に生きている心臓の鼓動の気配を感じていたからかもしれません。
気配を感じたその時が、「世界が違って見える」瞬間だったのでしょうか。
そんな瞬間があなたにも、ありますように。

作者註の1は「心月」。
 本来は「心月(しんげつ)」ですが、この作品では「心月(つき)」と発音しています。
 「心月(しんげつ)」は辞書などでは『澄んだ心』と解されることが多いようです。
 私は寧ろ『仏性』と解したほうが近いのではないかと思っています。
 (「仏性(ぶっしょう)」一切衆生が本来もっている仏としての本性。)


彼女の歌は仏教的だと常々感じてきましたが、それは間違いないようです。
家の宗教が何であるかということは別にして、歌詞の背景にあるものの見方捉え方は仏教者のそれに近いと感じます。

 暗い夜が明ける刻まで
 心月よ照らせ 深く潜んで (『心月』)


作者註の2「夢の京」。抜粋
 「どんな暴力も、夢までうばうことはできない、
 だから、未来を怖れることはない」と、歌いたいと思います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンデーサンライズ406 漫遊の旅

2023年03月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第406回。令和5年3月5日、日曜日。

実は、先月25日から3日の金曜日までタイを訪問していました。
防犯上、出かける前に予定を言うのは控えて、帰ってから報告という形をとっています。
今回の目的の一つは、シャンティ現会長の師匠である、若林順天老師23回忌の墓参でした。
順天老師は、長年シャンティの顧問をお務めでした。
カンボジア難民支援が始まったころ、自坊である長野県上田市の安楽寺さんにある国宝木造六角三重塔に参拝に来られる人々に、掛け軸用の般若心経の自筆写経を購入してもらい、その金額が30万円になるとシャンティの事務所に送ってくれていました。団体の初期を支えた功労者なのです。
その後も、毎年現地を訪れては、各国事務所で働く現地のスタッフ一人一人に「おこづかい」と称して500バーツ(今のレートで約2000円)を渡していました。
「お金をあげるのはよくないかもしれんが年寄りだからいいだろう」と、毎回大量の500バーツに両替していました。
活動そのものの支援をしてくれる人はいても、その活動を支える現地スタッフやドライバーにまで心を寄せる人は多くありません。
現地スタッフはそれをとても喜び、親しみをもって「500バーツ和尚」と呼んでいました。
そんな長年の海外支援に対して日本政府から外務大臣賞が贈られた、そんな和尚さんなのでした。
そのお骨の一部を長年通ったタイのバーンサワイという村に納骨しているので、その墓参ということになりました。
ここは私もこれまで何度も訪れており、並んで建っているシャンティの創始者のひとりである有馬実成師の舎利塔にも墓参することができました。
バーンサワイ村は、当時のスタッフが自宅に図書館を開設したことに始まり、公営図書館、奨学金支給、学生寮、保育園の開設と活動を広げ、現在もタイのモデル地区として各方面から視察に訪れる場所になっています。

バーンサワイはバンコクから東へ車で7時間ほどかかります。
次の日は、そこから北タイへ車で8時間ほど移動してチェンカーンという町へ。
ここはラオス難民キャンプがあった所で、シャンティも事務所をおいていました。
難民支援の後もここを拠点として、山岳民族など貧しい家庭の生徒のための奨学金支給事業、学生寮建設運営、保育園の開設、移動図書館活動などを行ってきました。
13年前に利用学生の減少に伴い学生寮を閉鎖しましたが、当時のスタッフが今でも建物と農場の管理を行ってくれています。
今回我々の訪問に合わせて、9本の記念植樹を準備して、それぞれの名前のプレートまで作ってくれていました。
さらに次の日は、国内線でバンコクまで飛び、そこから西へ車で3時間走ってカンチャナブリへ。
ここには関係のプラティープ財団が運営する「生きなおしの学校」があります。
親の育児放棄や虐待など、困難な状況にある子供48名が暮らしここから学校に通っています。
夕食をごちそうになり、子供たちがダンスを披露してくれました。
次の日には、こちらでも植樹の用意があり、やはり立派なネームプレートが準備されていました。
そこまでされると、また水やりに来なければならないかと思ってしまいます。
お金だけの支援であれば、活動が終了すれば関係はそこで途絶えてしまいます。そうではなく、活動の理念と哲学で人を育て、人間関係を築いていけば、支援が終わっても活動は継続されていきます。
いずれにせよ、シャンティ40年の活動の歴史が脈々と継続、伝承され、深くタイの人々の心に根付いていることを知ることができました。

歴史的にバーンサワイはカンボジア文化圏、チェンカーンはラオス文化圏であり、ミャンマー国境に近いカンチャナブリはミャンマーの影響を強く受けています。なので、今回はタイに訪問したのですが、同時に4か国に触れた内容となりました。
ただ、タイ国内の大移動で、いささか疲れました。
この3月でシャンティの副会長、理事も退任することになり、最後に関係の活動地を見ておきたいという思いで旅をしました。
それが今回の旅のもう一つの目的、私のシャンティ卒業旅行という意味でした。
会長ご夫妻や、40年来の仲間との「順天老師23回忌墓参とタイ漫遊の旅」はとても内容の濃い旅となりました。

この旅に同行してくれたカミさんに、これまで長年支えてくれた罪滅ぼしが少しはできたのではないかと期待しています。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。