なあむ

やどかり和尚の考えたこと

冬の時代

2009年02月23日 22時31分00秒 | 今日のありがとう

世界の経済は冬の時代を迎えている。100年に一度というのだから氷河期かもしれない。J0425269

その影響で職を奪われ、住まいを追われ、生きる糧さえ失われつつある人々には真に心が痛む。何とか耐えて欲しいと願うばかりだ。

戦後の日本は、まったく右肩上がりの成長を続け、春を謳歌してきたというべきかもしれない。夏の暑さや秋の寂しさには耐えられたけれども、冬の厳しさには慣れてこなかったか。

しかし、全体的に見れば季節はめぐるのであり、春もあれば冬もあるというのが当然のことなのだろう。

そして、冬はまったく意味のない、苦しみばかりの、不必要な季節なのかといえば、はたしてどうだろうか。

日本の歴史をみても、現在とは比べようもない苦しみの時代があったろう。飢饉があり、疫病が蔓延し、屍が累々とする時代もあった。戦争があり、凶作があり、娘を売りに出すような厳しい時代も、この国にはあった。

そんな時代を私たちの先祖は耐えて生き抜いてきた。だからこそ、私たちは今ここに生きている。

人生行路が荒波であるならば、それに耐える力は自ら身につけていかなければならないものだろう。

また、物のない時代だからこそ、物を活かして使う、生活の知恵も生み出してきただろう。

冬は耐える力を養う季節。また、知恵を磨く季節ともいえよう。

だいたいにして日本人は実にたくさんの物を持っている。

一説によれば、日本人の平均の自己所有物の数は実に7000種類に上るとか。

その数が半分になったとしても充分に生きていけるように思う。

40~50年前の日本人の生活を思い返してみれば、家の中にはほとんど物がなかった。食料も衣料も、半分どころか、十分の一もなかったろう。貧しくはあったけれでもそれで今より不幸だったとは思えない。豊かだったかもしれない。

豊かさの反対は貧しさではない。豊かさの反対は、欲だ。

所得倍増論で日本人は夢を見てきたが、そろそろ覚めてもいいのではないか。

この厳しい時代を生き抜いていくためには、価値観の大きな方向転換をしなければならないのではないか。

乱暴な言い方をすれば、所得半減論ぐらいの発想が必要なのかもしれない。

この冬の時代は、人間にとって最も大事なものは何かを気づかせるチャンスなのだと受けとめたい。


残念!断念!アレクサンドラ

2009年02月22日 16時41分25秒 | 集中講座

10月、松林寺集中講座に招聘を予定していたラオスの歌姫アレクサンドラは、彼女の都合で断念することになった。

今年は日メコン交流年でラオスが注目されており、10月頃に大きなイベントが入る公算が高いとのこと。本人は山形に来ることを楽しみにしている様子だったが、マネジャーである母親(いわゆるりえママ)が、予定を固定してしまうことに難色を示したとのこと。

こちらもドタキャンになっても困ると思い、早めに断念することにした。

その次の候補として現在あるアーティストにあたっている。ほぼ決定だが、確定するまでいましばらくお待ちいただきたい。


アイヌ語と地名8 小国

2009年02月06日 22時46分31秒 | アイヌ語と地名

最上町は昭和29年に合併してできた町。その前身は東小国村と西小国村の二村だった。

この地は元々小国郷と呼ばれ、「小国駒」の名で名馬産地でもあった。

「小国」の地名は東北各地や九州にも散在する。日本語で読めば、「小さな国」で、大きな町にたいして「こぢんまりした土地」というように考えられるが、果たして、そこに住んでいる人が、自分の住んでいるところを他所と比べて「小さな土地」などと呼ぶだろうか。大きな町の側からの呼び名だと考えても、それを素直にそのまま地名とするだろうか。しかも、「小国郷」は面積としてはかなり大きな土地と言ってもよく、そのままの意味では合わないように思われる。

大友幸男は、「小国」もアイヌ語からの言葉ではないかと推測している。

アイヌ語で読むとすると「オ・クン・イ」で「そこに・我ら・住むところ」となる。山や川の猟場に対して、居住する場所という意味だろうか。

Ph01366j 元々「クニ」はアイヌ語の「クン・イ」(我ら住むところ)からきたと考えられ、「ムラ」は群がる・群れからの言葉だと言われている。

「クニ訛り」や「クニのおふくろ」などという場合は「国」ではなく、生まれた「故郷」という意味に使われる。それが次第に「日本国」の「国」に拡大していったものと考えられている。つまり、自分の住む場所、という意味が「クニ」にはあるようだ。

だとすれば、やはり「小国」はアイヌ語からの呼び名ではないのか。

日本語の漢字になってしまうと、漢字の意味が先行して、その意味が地名の理由にされてしまうことが多い。もちろんそういう場合もあるのだろうが。

しかし、文字をもたなかった人々が古来より住んで、呼び習わしてきた土地の名に思いを馳せると、その生活が垣間見えるようで、想像することが楽しくなる。

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柳家さん喬師匠とアレクサンドラ

2009年02月02日 16時42分40秒 | 集中講座

一昨日、アレクサンドラのコンサートのため新幹線で東京往復した際、車内誌「トランヴェール」2月号をパラパラとめくった。

JR東日本管内の情報誌だ。

Image0001 2月号の特集は「落語で訪ねる江戸・東京」。

落語の舞台となっている江戸の現在を訪ねる、という企画だ。何気なくめくってみると、その案内役となっている落語家がなんと!柳家さん喬師匠ではないか!

師匠には、この秋松林寺集中講座においでいただくことが決まっている。

露の新治師匠から古典落語の名人と紹介いただいていたが、やはりそうだったかと納得した次第。

あまりうれしくて、みんなに見せようと思い隣とその隣の席の分も、トランヴェールを三冊いただいてきてしまった。JRさんすいません。

機会があればご覧いただきたい。

アレクサンドラのコンサートも良かった。私服の彼女には会ったことがあったが、ステージ衣装を身にまとうと、一気にスーパースターの輝きを放ち、別人に見えてくる。

ラオスとタイの若者が虜になるのもうなずける。

集中講座の出演者二人に出会った気がして、10月が益々楽しみになってきた。

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