世界の経済は冬の時代を迎えている。100年に一度というのだから氷河期かもしれない。
その影響で職を奪われ、住まいを追われ、生きる糧さえ失われつつある人々には真に心が痛む。何とか耐えて欲しいと願うばかりだ。
戦後の日本は、まったく右肩上がりの成長を続け、春を謳歌してきたというべきかもしれない。夏の暑さや秋の寂しさには耐えられたけれども、冬の厳しさには慣れてこなかったか。
しかし、全体的に見れば季節はめぐるのであり、春もあれば冬もあるというのが当然のことなのだろう。
そして、冬はまったく意味のない、苦しみばかりの、不必要な季節なのかといえば、はたしてどうだろうか。
日本の歴史をみても、現在とは比べようもない苦しみの時代があったろう。飢饉があり、疫病が蔓延し、屍が累々とする時代もあった。戦争があり、凶作があり、娘を売りに出すような厳しい時代も、この国にはあった。
そんな時代を私たちの先祖は耐えて生き抜いてきた。だからこそ、私たちは今ここに生きている。
人生行路が荒波であるならば、それに耐える力は自ら身につけていかなければならないものだろう。
また、物のない時代だからこそ、物を活かして使う、生活の知恵も生み出してきただろう。
冬は耐える力を養う季節。また、知恵を磨く季節ともいえよう。
だいたいにして日本人は実にたくさんの物を持っている。
一説によれば、日本人の平均の自己所有物の数は実に7000種類に上るとか。
その数が半分になったとしても充分に生きていけるように思う。
40~50年前の日本人の生活を思い返してみれば、家の中にはほとんど物がなかった。食料も衣料も、半分どころか、十分の一もなかったろう。貧しくはあったけれでもそれで今より不幸だったとは思えない。豊かだったかもしれない。
豊かさの反対は貧しさではない。豊かさの反対は、欲だ。
所得倍増論で日本人は夢を見てきたが、そろそろ覚めてもいいのではないか。
この厳しい時代を生き抜いていくためには、価値観の大きな方向転換をしなければならないのではないか。
乱暴な言い方をすれば、所得半減論ぐらいの発想が必要なのかもしれない。
この冬の時代は、人間にとって最も大事なものは何かを気づかせるチャンスなのだと受けとめたい。