なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ144

2018年01月28日 04時53分05秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月28日、日曜日。

なめてましたね。
正月からさほどの雪は降らず、天気が良かったり雨が降ったり。
1メートルを超えていた雪が減ってきていました。
「これぐらいだと楽だね」
「でもまだ降るべ」
などとのんきに構えていましたが、甘かった。
甘すぎる。
慣れない関東で20センチ降るのは、それはそれで大変だとは思いますが、雪国でも一気に70センチも80センチも降ると、かなり大変です。
さらに風はあるし冷えるし。
アチコチの水道は凍り、地吹雪で車の運転もままなりません。
それでも朝はどうしても除雪をしなければならないので、完全防備をして玄関から外に出ようとしたとき、外がボンヤリと黄色く見えました。
何だろう、電気か何かついているかなと外に出ると、雪景色全体が黄色いのです。
あ、黄色いゴーグルをしていたことを忘れてました。…汗。
失礼。

さてさて、もう間もなく1月も終わりですよ。
呑んだ他に何したかなあと反省の日々です。
雪かきをして相撲を見て寝て。
暇なうちに読んでおきたい本も色々ありながら、暇なときには読めないのですよ。
ということで、改めて中島みゆきにはまっています。
そういう波があるのですが、このところどっぷりです。
オリジナルCDは全作品持っていますが、ライブ盤のものを買ってみたり、みゆき論の本を読んでみたり、さらに世界が広がっています。
2月23日で66歳になるはずの彼女、雪の札幌に生まれたので「美雪」と命名されました。
デビューから40年が過ぎて、600曲以上の楽曲を作ってきた中島みゆき。いつまで歌を作り続けるのだろうか。
倉本聰は「みゆきにはきっと神様がいるんだ」と言ったとか。
歌の神様が彼女に歌わせているのかもしれません。
ということで、ブログで新カテゴリー「NGOと中島みゆき」をスタートさせました。
NGOは民間の国際協力機関のことで、国内外の様々な支援活動を行う団体の略称です。
私が関わっているシャンティ国際ボランティア会もNGOの一つになります。
そこで、その視点から中島みゆきの歌を聞くと、これはNGOのことを歌っているのではないかと思ってしまう歌がいくつかあります。
もちろん、彼女にその意図はないでしょうが、受け取る聞き方によって、NGOやボランティアの心を歌っていると受け止めることができる歌があると思っていたのです。
ならば、それらを取り上げて、私なりの聞き方を紹介してみようという思いで始めたシリーズです。
こちらもご覧いただければ幸いです。
今のところ、毎週水曜日にUPする予定です。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ143

2018年01月21日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月21日、日曜日。
あー、時間が経つのが早い。特に日曜日が来るのが早すぎる。
気をとりなおしていきましょう。

この冬は、年明け前にたっぷり降ったわりには、正月以降降雪の少ない楽な毎日を過ごしています。
先日は少し残った屋根の雪を下ろしました。
かえって少しだけ残っていると気になるものです。全部スッキリしたい。
まあ、、まだ1月後半ですからこれからまだまだ降るでしょう。

雪と言えばスキーですが、今場所は休場のままです。
おそらく全休になると思います。その気になりません。
数年前にスキーを復活したきっかけは体力の衰えでした。
歩くことがほとんどないので、このままでは足の筋肉がなくなって大変なことになるという不安に駆られました。
ルームウォーカーで歩いてみても楽しくないと長続きしません。
何か楽しく足腰を鍛える方法はないかとふと見上げたら、そこにはスキー場がありました。
「これだ!」なんだ、こんな近くに楽しみがあったじゃないか、ということで20数年ぶりにスキー板を履いたのでした。
何しろ、家を出てから板を履くまでに10分ですから。
しかし、、復活4日目にして転倒。肉離れでその年を棒に振りました。
若い頃には難なく滑っていたので、その感覚を覚えていることがあだになったのですね。
気持ちと体力がかみ合っていませんでした。
いや、だから体力をつけるために始めたのですが、そのためにかえって歩くこともままならなくなってしまうとは。
でもあきらめませんでした。
次の年、ちょうどこの時期大相撲が開幕しているので「赤倉温泉場所」と呼んでいますが、次の場所はちゃんと出場しました。ブログ上で実況中継までやりました。
なんだかんだで3年滑りましたかね。
昨年も、15日間土俵に上がることを目標にしていましたが、幕下の7番にも満たないまま閉幕してしまいました。
今場所もねえ、土俵は見えているのですが、気力が湧かないというか。
心技体がそろわないとスキーはできませんよ。それは相撲か。

相撲と言えば、自分がいなくても連日満員札止めとなるのを見て日馬富士は、寂しさを感じてはいないでしょうか。
自分がいなくても変わらない日常は、自分の存在が否定されたような寂寞の情を禁じ得ないと思うのです。
白鵬は足の指のけがのようですが、いろいろありましたから「気持ちが逃げた」という感じが否めません。
稀勢の里に至っては、若い獣に容赦なく喰らいつかれる手負いの獅子のような状態で、見るのも切ないという感じでした。
それでも出場を続けると覚悟したならば、不様でも8敗するまでは土俵に上がってほしかったと思います。負け続けたまま身を引くのではあまりにもみじめ過ぎます。
誰に何と言われようと、喰いちぎられながらも土俵に立っている、せめて横綱の意地だけでも見せてほしかったなあ。

そうか、そうだよね。
よーし、ワシももう一丁土俵に上がってみるか。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ142

2018年01月14日 04時33分32秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月14日、日曜日。

正月行事がもう一つありました。
今晩小正月行事の「おさいど」です。
正式な言葉は「お柴灯」で、密教系の祈祷として行われたものが冬の行事となりました。
私の子どものころは、冬の一大行事でした。
寺の行事というよりも集落全体の行事で、午前中に子どもたちがそりを引いて一軒一軒家を周りわらを集めて歩きます。
午後になると、男たちが寺の裏の雪原に大勢集まって、5メートルもあるだろう巨大なわらの塔をつくります。
夕方、ほとんどの家のみんなが、手に手にお札やお守り、習字の紙など持って集まります。
子どもの多い時代で、それはそれは賑やかなものでした。
頃合いを見て読経が始まりわらに火をつけます。
お札お守りはわらの間に突き刺してあります。
火はたちまち燃え上がり、わらの塔が真っ赤な炎の塔となります。
習字の紙の端に火をつけて上昇気流で舞い上がり、高くまで上がると字が上手になるといういわれで、みんな必死で飛ばしていました。
この火にあたると風邪をひかないということで、腹や背中を向けて魚をあぶるように火にあたったものでした。
餅を持ってきて焼いて食べる者、キセルに火をつけて風邪薬のように飲む者もいました。
子どもたちははしゃぎまわり、若者たちはそれぞれほほを染めて異性と語り合ったり、お祭りのように出会いの場ともなっていました。

しだいに、子どもの数が減り、わらを集めることも人を集めることも大変になり、いつの間にかなくなってしまいました。
今は、隣組単位やそれぞれの家で小さくやっているようです。
下小路のおさいどは来週21日に行われます。
寺では、今晩寺だけのおさいどです。
16日の小正月の前晩行事として行ってきたものですから一般家庭では15日の夜なのですが、寺ではその前日ということで、14日の夜に行っています。
小さなわらの塔を建て、位牌やお札、戒名を書いた書き物など、お炊き上げ供養の意味もあります。
今年は雪が多いので、その場所をつくるだけでも大変ですが、天気もそれほど悪くないようですから静かに勤められそうです。
雪の中で火を見つめるのは、体が温まるだけでなく心の中にも火が灯るような気がします。
宗教心の火なのか、思い出の火なのか、何とも言えませんが、わびしさも含みながら心に何か残るのは確かなようです。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ141

2018年01月07日 04時53分07秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月7日、日曜日。

明けましておめでとうございます。
平成30年最初のサンサンラジオです。
昨年は義父が他界したので賀状は失礼させていただきました。
正月の行事もほぼ終了し、平常の日々に戻りつつありますが、年末から年始にかけてお世話になった方の訃報が続き、弔問の予定が入っています。
出会いと別れの損益分岐点を越したのかもしれません。
これまで出会った分の別れが、今後益々増えていくことでしょう。

誕生。それは人生最初で最大の出会いです。
以来私たちは、空気を吸うように数々の出会いを重ねてきました。
出会いそのものが人生だとも言えます。
人間ばかりではありません。犬や猫とも出会い、音楽や本や教えとも出会ってきました。
今ここにある私は、これまでの全ての出会いの結果です。
しかし、「会えば別るる世のならい」で、出会えば必ず別れなければなりません。
他人が別れていく場合もあれば、自分の方からサヨナラを言う場合もあります。

ある年齢までは当然、プラスというか、出会いの連続なわけで、いつのころからか引き算が始まり、貯金を取り崩すように、出会いの数より別れの数の方が多くなっていくのでしょう。
でも、誰かとの別れという前に、体の細胞が日々生滅を繰り返しているのですから、自分自身の命は誕生のその瞬間をピークに別れに向かっている、ということもできます。
そう、出会いそのものが人生であるとともに、別れの連続も人生なのです。
それは当たり前のことであって、別に驚くようなことでもありません。
別れることが人生だと観ずれば、他人の死も自分の死も怖れることはありません。
もちろん、自分の死も家族の死も、目の前に迫ってくれば不安になりますし、右往左往します。苦しみや悲しみに押しつぶされそうになるかもしれません。
しかし、一方で、「すべてはうつりゆくものだ」と冷静に覚めているのがいいでしょう。
悲しみながら、悲しみを受け止めている自分でありたいと思います。

正月三が日祈祷したお札を、4日地元の100軒近くの檀家さんに一軒一軒歩いて配りました。
一人暮らしの老人宅や、いろいろな苦労を抱えている家庭、地元だけに家々にその内情が知られます。
どのような思いで暮らしているのだろうかと、思いを馳せながら歩きます。
生きるということは、なかなか大変なことです。
大変なことが、生きるということでもあります。

ドイツ生まれの上智大学名誉教授アルフォンス・デーケン先生は、「死の哲学」「死生学」の権威で、死と向き合う時のユーモアの有効性を説いています。私も講演を聞いたことがあり「にもかかわらず笑う」というお話に感銘を受けたことを覚えています。
この世から苦しみも悲しみも消えることはありませんが、どんな時にも「にもかかわらず笑う」ということを心がけたいと思います。
死を前にして「にもかかわらず笑う」。
苦しみのどん底にあって「にもかかわらず笑う」。
震災に遭って「にもかかわらず笑う」。
それは、普段からそう心がけないとできないでしょう。
生きているかぎり悲しみも苦しみも当たり前のことです。
とりたてて「悲しい」「大変だ」と口にする必要もありません。

今年、皆さんが、にもかかわらず笑っていることを祈ります。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。