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やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ341 ボランティアは触媒

2021年11月28日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第341回。11月28日、日曜日。

24日、夜半から雨が霙となり、やがて大粒の雨雪となりました。
気温は低くないので、初雪は間もなく雨に戻るのだろうと思っていましたが、予想に反して次第に本格的な雪と変じました。
境内も野山も雪景色と一変しました。
鶴楯に桜を植える準備として、伐採木を片づける作業をもう一日残していましたが、こうなっては今年度はここまでです。

先週お知らせしたとおり、25日は東京帝国ホテルでシャンティ国際ボランティア会の読売国際協力賞授賞式でした。
選考委員会の方々、政府関係者、関係団体代表の方々等々、コロナ過で人数限定ではありましたが、あたたかい雰囲気の中開催されました。
実はこの賞、これまでも何度か(7度だとか)候補に挙がって最終選考までいったという情報は耳にしていました。
昨日、選考委員の方からもそう聞きました。特に海外支局の記者から強い推薦が上がっていたとも聞きました。
しかし、受賞までは至らなく、今回ようやくの受賞となったものです。
皆さん口々に「40周年という記念の年に受賞できて良かったですね」と言っていただきました。

当会は、カンボジア難民キャンプでの活動のスタートから、「ボランティアは触媒であるべき」という理念をもっていました。
「ボランティアは『触媒』なのです。触媒は、化学反応においてそれ自体に変化を生じることがないのです。でも、触媒が存在しない限り、化学反応はほとんど生じないのです。」
「難民を救うことができるのは難民自身なのです。」
活動の内容は当初から絵本を中心とした子どもたちの教育支援で、難民キャンプの中で移動図書館車を走らせました。
そこから図書館建設、学校建設へと発展していきました。
教育支援は時間がかかります。
現地に絵本を届けるだけならば物の支援です。
絵本を教育支援に結びつけていくためには、絵本を読むことの喜びを伝える指導者の存在が欠かせません。
絵本を手にしたことのない大人たちを絵本の指導者にするためには、研修が不可欠です。
そこで長年かけて図書館員の研修プログラムを繰り返してきたのです。
しかし、こういう支援活動はお金が集まりにくいという課題があります。
学校を建てるというような成果が形として見えにくいのです。
しかも時間がかかり、同じことの繰り返しでもあります。
それでもそれを続けてきたからこそ、多くの子どもたちが教育意欲に目覚めてきたことも事実です。

当会は、タイ、バンコクのスラムに子ども図書館を建てました。
スラムには貧困のため学校に通えない子どもたちが大勢います。
4歳の時に図書館に出会ったオラタイさんにとって、図書館はオアシスでした。
オラタイさんは学校に通わせてもらっていましたが、そのために両親は朝早くから夜遅くまで働き、夫婦げんかも絶えませんでした。その度に彼女は図書館に逃げ込み、本を読み漁りました。
そこには、世界中のいろんな分野の図書がありました。オラタイさんは、図書館にある1万冊の本を全部読んだと聞きました。
そして彼女は、タイの名門チュラロンコン大学に首席に近い成績で合格し、1年生の時には倍率100倍の外交官試験に合格、国費留学生としてロシアに学び、外交官として在モスクワ、タイ大使館に勤務しました。
彼女はこう話しています。
「小さな図書館との出会いがなければいまの私はありませんでした。図書館は、誰でも学びたければ、学ぶ機会を与えてくれます」と。

もう一つこんなこともありました。
カンボジア難民キャンプでのことです。
当会の移動図書館活動の中で、おやつを配り始めるとほとんどの子どもが席を立って行きましたが、一人の少女は絵本を読み続けていました。
スタッフが「絵本とおやつとどっちがいいの」と聞くと、少女ははにかみながら「絵本」と答えました。
「どうして?」と聞くと、「おやつは食べてしまえばなくなるけど、絵本は何度でも楽しめるから」と答えたのです。

私たちは、1冊の本は子どもの人生を変える力があると信じています。
子どもたちが人生を切り開くのは、子どもたち自身の力です。
私たちはその手助けをしたいと思っています。触媒になりたいと願っています。
同じ地面に立ち、地べたに座って、そばに居ることで、その人自身が立ち上がる意欲を湧き上がらせるのを待つのです。
そんな愚直な活動が、人の目に留まり今回ご褒美をいただいたのだと思います。
宣伝も金集めもヘタクソな当会が40年活動を続けてこられたことを不思議に思います。
しかし、誰かがちゃんと見ていてくれることを信じてこれからも活動を続けてまいります。
これまで力を貸してくれた多くの皆様に心より感謝を申し上げます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ340 フラッシュバック

2021年11月21日 04時57分19秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第340回。11月21日、日曜日。

寺のイチョウが散ると雪が降る、という謂れは各地にあるようで、当地もその御多分に漏れません。
残りはもう4分の1ぐらいでしょうか。
間もなくだろうということでタイヤを替えました。

うれしいニュースです。
シャンティ国際ボランティア会が第28回読売国際協力賞を受賞しました。
副賞が500万の大きな賞です。
40年間にわたる、絵本を中心とした教育支援活動が評価されてのことです。
25日、帝国ホテルで授賞式があり、出席してきます。

学生時代のことを思い出していました。
思い出なんて何の役にも立たないと思っていますが、必要があって時系列でたどってみました。
大学と教化研修所を合わせて7年間東京に居ました。
アパートとアルバイトとつき合っていた女性と、組み合わせながら紙に書き落としてみました。
アパートは、学生時代池袋に1年、経堂で1年、引越ししてもう1か所経堂で2年住みました。
当然その当時は、四畳半一間だけ共同トイレ家賃1万5千円の部屋ですが、それなりに快適に過ごしたと思います。
引越しすれば好きな街に住めるという期待から不動産屋巡りなどに凝ったこともありました。
友だちの家へ泊まり歩いたりもしましたね。ウチにもいっぱい来ました。
固定も携帯も電話というものがない中でどうやって連絡をとっていたんだろう。
いやいや、連絡などせずに突然やって来るのでした。留守の時は置手紙などして。
彼女との待ち合わせで、何時間も待ったり、腹が立って途中で帰ったり、不便というか気が長かった時代だと思います。
アルバイトも色々やりました。
夏休みは岩井海岸の牛乳屋に3年務めました。
レストランのウエイター、小料理屋の洗い場、お歳暮の配達、日給の夜勤工場などなど。
遊ぶ金欲しさでいろんなことをやりました。
そこでの人々との記憶があります。顔も思い出します。
仕事の内容よりも人間関係が重要だったと思います。
瞬時に連絡がとれない時代には、待つという忍耐力と相手を慮る想像力が必要不可欠でしたから、その分会えた喜びは大きかったと言えます。
実際に顔を合わせて話す以外にコミュニケーションがとれない時代の方が人間力はあったでしょう。
便利なものを手にしてからは不便に戻れませんが、不便であることは決して不自由ではないと知っておいた方がいいです。
大学を卒業してから世田谷の上馬に住みました。この部屋にはトイレがついていました。
教化研修所ではアルバイトもできなかったので割と真面目に、研修所に通っていました。
カンボジア難民キャンプに行ったり、ボランティア活動に目覚めたりして充実した時間を過ごしました。
その間もチラチラと女性の顔が浮かびますが、その話はここでは止めておきましょう。
40年以上も前のことがフラッシュバックして、記憶を呼び戻します。
もちろん、思い出したくない不行跡もあります。
若気の至りなどと言い訳のできない慚愧があります。

最上の地酒「山と水と、」の仕込みはこれからですが、先立ってPV(プロモーションビデオ)ができました。
酒造りを盛り上げて販売につなげたいという意図で作ったものです。
最上町の美しい写真を構成して映像に編集してもらいました。
編集作業をしてくれたのは、永平寺の修行仲間である大分の和尚さん、甲斐之彦さんです。
彼の作品は、SNSなどで拝見していて、その腕前は知っていました。
是非にとお願いして快く引き受けてもらいました。
それから苦節?数か月。
試作の作品も素晴らしいと思いましたが、繰り返し見れば見るほど欲が出て来て、何度も何度も手直し修正をお願いして、ようやく発表するまでに仕上がりました。
視聴した人の評価も上々のようです。
酒のためのPVだけではなく、町のイメージアップにも使ってもらえたらうれしいですね。
先行予約販売の分はお陰様で完売となりました。
1月21日に一般販売開始の予定です。
どうぞお楽しみに。

山と水と、PV

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ339 喜びを他人に任せてはならない

2021年11月14日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第339回。11月14日、日曜日。

昨日13日は花の鶴楯を創る会の作業日でした。
遅れていた森林組合による伐採がようやく入り、山の裾野に桜を10本植える作業と、参道の急な部分に階段を設置しました。
23日にもう一度作業して、間もなく雪が降るので今年度の活動は終了です。
来年度以降も伐採と植樹を継続して、やがて桜の山となり地元の心のシンボルになることを夢見ています。

木曜日悲報が飛び込んできました。
河北町の和田酒造の社長が9日に亡くなったとのこと。
河北町の寺に居た時に親交があり、いろんな場でお話をさせていただき、毎年の蔵開きにもお邪魔させていただきました。
温厚篤実な人格で、町民に限らず誰からも信頼され親しまれていました。河北町の町長へ押されたことも一度や二度ではありませんでした。その度に「蔵を守るため」という理由で辞退されたと聞いています。
最上の地酒造りをこの蔵に依頼したのは、そんな和田多聞社長の人柄に惚れていたからというのが大きな理由です。
11日の夕方のニュースでは、東北清酒鑑評会でこの蔵の代表銘柄「月山丸」が評価員特別賞を受賞されたという報道があり、その中のインタビューで「受賞の知らせを受けた時に社長はまだ家に居て、大変喜んでいた」と語った茂樹専務の大粒の涙がとても印象的で感銘を受けました。
今後茂樹さんがこの蔵を切り盛りしていくことになると思われますが、先代にたがわず実直な性格なので、きっと変わらない酒の味を引き継いでくれることと信じます。
「山と水と、」の完成を祝う会には多聞社長にもおいでいただいて、喜びを分かち合うことをとても楽しみにしていました。それができないことが何より残念至極、痛恨の極みです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

人は本当に死ぬのですね。
まさかと思っていた人も次から次へとこの世を去っていきます。
愛する人も、かけがえのない人も、延命の願いも空しくあっけなく亡くなっていきます。
誰にも死を止めることはできません。
こんなつらい別れをするなら出会わなければよかった。その願いも叶わないことです。
人が一人では生きていけない以上、必ず誰かと出会わなければならない運命です。
嫌いな人もいれば、好きな人もいます。
嫌いな人ばかりではなく、好きな人とも別れなければならない。それは出会うことの喜びとのセットなのです。
別れのない出会いはありません。
常にその覚悟はしていなければならないのに、出会いながら別れは避けたいというのが人情です。
必ず別れはやって来るのであるならば、出会っている今こそ、その出会いの喜びを最大限に謳歌すべきでしょう。
別れがどんなにつらくても、それ以上の喜びを感じることがあったならば、やがて悲しみも受け入れることができるように思います。
いや、喜びと悲しみを比べたり、プラス・マイナス計算するようなことではありません。
喜びは厳然とした喜びであり、悲しみは厳然たる悲しみです。
ただ、今を喜ばずに悲しみばかりを待つようなことはもったいないと思うことです。
数ある人の中で、この人とせっかく出会ったのですから、その出会いの中から得られる喜びは充分に味わっていきたいと思います。
喜びを、相手や他人に任せてはなりません。
自らの人生を喜ぶのは自分自身ですから、自分から積極的に喜ぼうとしなければ喜びは得られるものではないでしょう。

こういう話をするとき、必ず頭に浮かぶのは、アフガン難民キャンプで聞いた人身売買によって臓器移植のためだけに生かされている子どもたちのことです。
「自分の命を自分でどうにもできない境遇の人はどうするのだ」。
「家畜のように生かされているだけの人に喜びなどあるというのか」。
そのように常に自分に問いかけてきます。
悲しい現実の中に生きている人は確かにいて、自分の力ではどうにもならないことを知っています。
それを忘れたふりするわけではありません。
しかし、だからこそ、自分で喜びを作れる境遇にいる人は、そうしないではいけないと思うことです。

自分自身もやがて死ぬのです。
別れたくない人の元から、自ら去っていきます。
蓮の葉の上の露のような命です。
いつ死ぬかも分からない命が、今ここにあることはむしろ奇跡のようなことで、決して当たり前のことではありません。
奇跡の一日を無駄に過ごしていいはずがありません。
あなたの今日一日が、喜び多い一日でありますように。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ338 やめるのは簡単 継続は難しい

2021年11月07日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第338回。11月7日、日曜日。

11月に入り、雪囲いも始まりました。
昨日6日は先住の祥月命日で、子ども孫も来てくれて家族で勤めました。併せて年に一度の永代供養のお参りもお勤めいたします。永代供養塔には、先達として先住のお骨の一部も納めてあるからです。

コロナが下火になった途端、冬眠から醒めたように、バタバタといろんな用事が動き出しています。
地酒造り、地域新電力立ち上げ、花の鶴楯整備、一気に動いてきました。
忙しさに慣れていないような状態になっているので、落ち度がないか不安です。
浮足立たないように、一歩ずつ足下を確かめながら歩を進めていきたいと思います。

歩を進めると言えば、散歩の際にNHKらじるらじるで聴き逃しサービスを聴くのを日課としていますが、曜日によっていろんなジャンルを聞いています。
今お気に入りタグに入っているのは、「朗読」「新日曜名作座」「宗教の時間」「文芸選評」「浪曲十八番」「真打競演」「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」「ジャズ・トゥナイト」「高橋源一郎の飛ぶ教室」です。
朗読は毎日15分、一つの作品を連続してやりますが、今は岡本綺堂作「半七捕物帳」シリーズをやっています。江戸のシャーロックホームズと言われた推理小説です。
今週の真打競演は、特番で先日亡くなった人間国宝柳家小三治師匠を偲んで「ありがとう小三治さん」でした。
生前に師匠の落語をあまり聴くことはありませんでしたが、抜けた感じがいいですね。聴いていて疲れるような落語ではいけないでしょう。
その点小三治師匠の落語は全く楽な落語だったと思います。

落語と言えば、しばらく談志師匠を聴いていました。
志ん朝師匠と合わせてこの3人は同世代です。
一番上が談志師匠、二つ下に志ん朝師匠、その一つ下が小三治師匠という順です。みんな亡くなってしまいました。
そこで談志ですが、実は私はあまり好きではありませんでした。
噺のネタの途中で余計な話を入れるので、せっかく噺の中に入っているのに現実に引き戻されるような、嫌な感じを持っていました。
知識が口から飛び出してきて仕様がないということなのかと思いますが、小三治師匠の落語とは真反対のような力の抜けない落語だと思って敬遠していました。
しかし、最近何の気なしに一つ聴いて、その流れでYouTubeで連続して聴いてみると、やっぱりうまいんですね。特に若い頃の落語には、言うだけのことはあるなと納得させられました。
それにつけても、他の人の落語を聴けば聴くほど、志ん朝師匠はうまかったと思います。
登場人物の演じ分け、雰囲気の作り方、一人で演じているのに、そこにはっきりと何人かの人が見えるというのはすごいことだと思います。
「文七元結」では、本当に夫婦がそこで喧嘩しているのが見えるのです。
「火事息子」では、へっついの脇でうなだれる息子を叱る父親の涙が見えるのです。
落語ってすごいですね。
ああ、志ん朝が聴きたくなりました。

落語ですが、集中講座を2年休んでしまって、生の落語をしばらく聴いていません。欠乏症になってきました。
次は、露の新治師匠の番ですが2年待たせてしまいました。その次は柳家さん喬師匠と、交互にお願いしてきましたが、前回の六華亭遊花師匠がとても面白かったので、遊花師匠を加えて3人のローテーションにしようかと思っています。
私の知る限り、今、江戸古典落語をしっかり聴くならさん喬師匠が一番でしょう。「芝浜」ならば志ん朝師匠よりもいいと私は思います。
新治師匠はやはり上方落語の面白みがありますね。語りがおかしい。毎回たっぷりと笑かしてくれます。楽な落語だと思います。
いやー、待ち遠しくなってきました。
来年は何が何でも開催したいと思っていますので、ぜひみんなで楽しみましょう。

人は楽なことにはすぐ慣れてしまって、今まで恒例でやってきたことも簡単にやめてしまうということがあります。
特にこのコロナの影響で2年休んでしまって、この際やめてしまおう、などと思っていることもあるのでしょう。
確かに、人が集まって何かをやるというのは面倒なことだし、時間もお金もかかることです。
やめようと誰かが発言すれば楽な方に同調してしまう弱さもあります。
やめるのは簡単です。継続するのは難しい。
しかし、ちょっとの決意で実行するからこそ、人と結びつき共感することができるわけで、多少の苦労があるからこそ味わえる喜びは確かにあると思います。一人で共感はできません。
必要があってこれまでの集中講座の中から写真を探していました。
みんな本当に楽しそうに、心から笑っている顔ばかりです。
これをやめるわけにはいきません。決意を新たにしました。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。