なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ290 決断は自分の意志で

2020年11月29日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第290回。11月29日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
22日日曜日、お寺カフェ、バイオリンコンサート
23日月曜日、富沢小学校閉校写真展懇談会
24日火曜日、シャンティリモート面談、友人寺院慰労会
25日水曜日、BPキャピタル懇談会
28日土曜日、ニラ小屋飲み会
その他法事が7件。
というような1週間でした。

22日、最上町ハッピーサポーター推進協議会主催の「お寺カフェ」が行われました。2月にブレスレット作りをした2回目の企画です。
今回は、私の法話と盲目のバイオリニスト穴澤雄介さんのコンサートでした。
穴澤雄介さんは、心臓と目に障害をもって生まれました。
目は小学生頃までは見えていました。中学高校と視力が落ちていき失明しました。心臓も3回手術しました。
小学校の時にバイオリンを習い、筑波大学附属盲学校高等部本科音楽科、同専攻科音楽科を卒業しました。
各地での演奏活動の他、作曲、ラジオ出演、講演活動などを行っています。
ブログ執筆、そしてユーチューバーとして毎日投稿するなど、多彩な才能を発揮しています。
YouTubeでは、日替わりでいろんな分野の投稿をされているのですが、「おもしろ福祉」のジャンルでは「全盲の人は何が見えているのか」など、興味ある話も紹介しています。
特に印象に残ったのは、「心のコンパスに従え!」という投稿。
何か始めようとするとき、人に相談すると、たいがいはやめておいた方がいいと言う。賛成して失敗すると責任を感じてしまうから否定的なことを言っておいた方が安全と思う人が多い。
その意見を聞いてその通り何もやらなかったら人生は開けてこない。
心臓が悪いので50m走しかできなかったのだが、2年かけて練習してフルマラソンを完走することができた。なので、何か始める時は「自分の意志だけで決断した方がいい」という話でした。強く同意しました。
その穴澤さん、コンサートの中で次のような話をされました。

父親は、酒と煙草とギャンブルを愛し、母親と離婚、会社を倒産させるなど、世間的にはとんでもない父親で、人から「よくグレなかったな」と言われました。
僕がお腹の中にいたとき母親が風疹に罹り、医者からは障害があるかもしれないと言われたけれど、父親が「心臓が動いているのに止めることはできない」と言ってくれたお蔭で僕は生まれたのです。父親は僕にとっては感謝しかないです。
何年か前に左の人差し指を骨折したことがありました。
バイオリンは4本の弦を4本の指で押さえて弾くので1本の指に包帯グルグルでは弾けないんです。でも、残った3本の指で何とか弾けないかと3本の弦の曲を弾いたりしていましたが、そのうち頑張ると3本の指でも全部弾けるようになりました。それは障害があったからかなと思います。
障害がなかったら、指が1本使えないからもうバイオリンは弾けないと思ったかもしれません。だけど、もともと目に障害があるので、見えない中で何ができるか、どう生きるかを考えるんです。指が1本ダメならばあとの3本でどうするかを考えることができたのだと思います。
だから、障害があることにありがたいと思っています。生まれかわることができたら、もう一度この人生を生きたいと思います。

話を聞いて、何人かのお母さんは涙を拭いていました。
私もある話が頭に浮かびました。
浄土真宗のお坊さんで教育者の東井義雄先生の著書に『おかげさまのどまんなか』という本があるのですが、その中に「目をあけて眠っている人」という一節があります。
盲学校の全盲の6年生がこう言いました。
「先生、そりゃ、見えたらいっぺんお母ちゃんの顔が見たいわ。でももし見えたら、ぼくなんか、あれも見たいこれも見たい言うことになって、気が散って、ダメになってしまうかもわからへん。見えんかて別にどういうこともあらへん。先生、見えんのは不自由やぜ。でもぼく、不幸や思ったこといっぺんもあらへん。先生、不自由と不幸は違うんやな」。
この言葉を聞いて東井先生は、「大好きなお母さんの顔さえ見ることのできない、光のない世界を生きながら、『不幸や思ったこといっぺんもあらへん』と言い切ることのできる、この子の、『しあわせ』の見える目、を思うと、私など、恥ずかしくなってしまいます」と言っています。

「不自由と不幸は違う」、言い換えれば、「自由と幸せは違う」ということになります。
不自由な中に幸せも不幸もあり、自由の中で幸せを感じられない人もいます。
不自由な人を不幸な人と先入観で決めつけていないでしょうか。色眼鏡をかけて人を判断していないでしょうか。
知らないから先入観を持つのであれば知ればいいのです。知ることは色眼鏡を外すことです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ289 できそこないの男

2020年11月22日 05時32分14秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第289回。11月22日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
15日日曜日、十日町公民館講演
17日火曜日、シャンティリモート面談
18日水曜日、葬儀、シャンティ業務執行理事会
その他法事が5件。
というような1週間でした。

久しぶりに福岡伸一博士の『できそこないの男たち』を読みました。何度読んでもおもしろいですね。
専門的なところをすっ飛ばしても、文章が物語のように面白いのでついつい繰り返して読みたくなります。
話は、顕微鏡の発明から精子が発見されたというところから始まります。

男と女はどこから分かれたのか、アダムとイブのように男が先で女はその肋骨の一本から生まれたのか。それとも女が先なのか。
Y染色体の発見、DNA、SRY遺伝子と、性別の決定プロセスが次第に解明されてきた。
そして結論、生命体の基本仕様はすべからく女である。
人間の場合受精から7週目までは、染色体がXXかXYかにかかわらず、全ての受精卵は女の道をたどる。
その時には既にその後女性器となる割れ目が出来上がっている。そのまま進めばそれは女となる。
その時にそれを男に変えるスイッチを入れる遺伝子、それがSRYなのだ。
一旦そのスイッチが入ると、女だった体の設計は男としての仕様にカスタマイズされていく。
まず初めに行われるのは割れ目を閉じることである。
急場しのぎの工事のようにたどたどしく縫い合わされた割れ目の痕跡、それが「蟻の門渡り」と呼ばれる玉袋の裏の縫い目の跡なのだ。
(考えてみれば、男に意味のない乳首が残っているのは、基本設計が女であることの名残なのだと納得することができる。)
いずれにせよ、生命科学の進化によってアダムを生んだのはイブであるということが解明されたのだ。
ではなぜ女は男を生んだのか。
地球に生命が誕生してから10億年後、地球環境がダイナミックに変化していた、その変化に順応しながら生き残っていく子孫をつくるためには、単一の遺伝子よりも多様な遺伝子の方が可能性が高いということに気がついた。その時点まで全ての生命は女だった。
そこで、ある一人の女の遺伝子を別の女に運ぶための「運び屋」として生み出されたのが男だった。
しばらくたって女は、男に遺伝子だけでなく様々なものを運ばせるようになった。遺伝子を運び終わった男にその後も使い道があることに気づいたのである。
家を作らせる、子どもを守らせる、食糧を調達させる、薪を運ばせる、身を飾るためのもの、女を楽しませるものを探してこさせる、という具合に。
やがて男も気がついた。
「それらが余分に得られたときは、こっそりどこか女たちが知らない場所に隠しておけばいいことを。余剰である。余剰は徐々に蓄積されていった。蓄積されるだけでなく、男たちの間で交換された。あるいは貸し借りされた。それを記録する方法が編み出された。時に、余剰は略奪され、蓄積をめぐって闘争が起きた。秩序を守るために男たちの間で取り決めがなされ、それが破られたときの罰則が定められた。余剰を支配するものが世界を支配するものとなるのに時間はそれほど必要ではなかった」。
女が男を運び屋として、あるいは使い走りとして命令に従わせるために、色んな方法を使ってきた。なだめすかしたり、泣いたりわめいたり、あるいはほめたたえたり。それは現在までも変わらない。
そしてもう一つ。生殖行為の際に得られる強烈な快感。そのために男は女に尽くすのだ。

ここで福岡博士は一つの問題を提起する。
「生殖活動が、なぜあの快感と結びついているのか」ほかの快感とは全く違うあの快感が、なぜ選び取られて今日に至っているのか、と。
そして博士は仮説を提示する。
あの快感はジェットコースターが落下するときの感覚と似ている。「蟻の門渡りあたりから始まり、そのまま尿道と輸精管を突き抜け、身体の中心線に沿ってまっすぐ急上昇してくる感覚」。
その時に人間が感じているのは加速度であり、それを人間のもつ五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)にプラスして第六番目の知覚として「速覚・加速覚」と呼びたい。そしてこの加速覚が快感なのだ。
ではなぜ加速覚は快感なのか。
水の中に住む魚が水を認知できないように、生命を包み運ぶ媒体をその生命は認知することができない。
我々にとっての媒体とは何か、それは時間である。時間とは生命そのもののことである。しかし我々は時間の実在を知覚することはできない。
時間の存在を知るたった一つの行為は時間を追い越すことである。一瞬でも時間を追い越すことができた時私たちは時間の存在を知ることができる。
時間の風圧、それが加速覚である。それが生の実感となり、最上の快感となる。
「生殖行為と快感が結びついたのは進化の必然である。できそこないの生き物である男たちの唯一の生の報償として、射精感が加速覚と結合することが選ばれたのである」。

このところを読んで思い出したことがあります。
中学生の時、親戚の原付バイクを勝手に拝借して広場で初めて運転したときのこと。キーを回してエンジンをかける、その時点から心臓はバクバクし興奮が高まってくる。エンジンの振動が股間から脳まで伝わって顔が紅潮してくる。汗ばむ右手のアクセルをゆっくり手前に回すとバイクは徐々に前に進みだす。やがて加速して風を感じるようになる。その時私は快感のあまり射精してしまった。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。





サンサンラジオ288 未来に悪寒

2020年11月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第288回。11月15日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
10日火曜日、地元同級生そばがきを作って飲む会
12日木曜日、シャンティリモート面談
14日土曜日、高校同級生飲み会
その他法事が3件。
というような1週間でした。

12日朝強い霜が降って、イチョウの葉が色づく前に一気に落ちてしまいました。
地元では昔から「お寺のイチョウが散ると雪が降る」と言われてきたので、もしかしたら今年は間もなく本格的に降るのかもしれません。
昨季は雪のない冬を過ごしたので今季は覚悟していなければなりませんね。

11日、宮城県が女川原発の再稼働を容認するという発表を行いました。
福島原発から何かを学んだのでしょうか。何も学んでいないのでしょうか。
家を追われた人々の苦しみと怒りをどう思っているのでしょうか。
村井知事は「苦渋の選択だった」と述べました。ということは学んで感じてはいたのだと思います。
それでもそれ以上の、苦しみや怒りよりも強く経済が優先されると決断したということなのでしょう。
それは、未来を生きるの子どもたちへ不安や負担を残すことよりも今生きている大人たちを優先したということです。
女川町長も石巻市長も、避難経路の道路整備を要望したとあります。
事故後に避難はできたとして、一旦汚染された故郷を取り戻すことは容易ではありません、そうでしょう。バラバラになった地元のつながりを再構築するのは不可能です。農地は荒れ漁場は汚染され農水産物は何年も売れなくなります。交通事故と比べられるようなものではありません。
いくら経済が疲弊しているからといって、今日のために明日を売るようなことは政治家の役割として間違っています。
万全な安全対策を講じて、そんなのは当たり前です。福島の原発だってそうしていたはずです。それでも事故は起こったのです。絶対安全と言っていたのに。絶対安全はあり得ないということを証明したのです。
非常に残念です。同じ東北で、隣の県で、福島県民の苦しみを無視するような決定は、冒涜と言っても過言ではないでしょう。
ゼロカーボンのベースロード電源という言い方をしますが、今現在稼働している原発は九州の一基だけでもどこも節電を呼び掛けていません。
後は火力発電を再生可能エネルギーにシフトする決断をすればいいだけのことです。それが世界の趨勢でもあります。
原発事故を起こした東北でそれでも原発を再稼働させるという行為は、原爆を落とされた唯一の被爆国が原爆を作るようなものです。オレオレ詐欺にあった被害者が預金通帳に暗証番号を書いておくようなものです。
過ちを繰り返すのはバカです。
過ちから学ばなければ、過ちの経験を無駄にすることです。人の過ちを自分のことだと学ばないから繰り返すのです。人の痛みを痛みとして感じないから同じ目に遭うのです。
あんな大きな苦しみから10年も経たないうちに、痛みを忘れ元の木阿弥に帰してしまう。悲しいことです。

再生可能エネルギーはいろんな分野があります。
太陽光発電は田んぼの上でもできます。洋上の風力発電も進んでいます。森林資源は石炭と同じ原料です。山と水の国日本は小水力発電の可能性にあふれています。火山国ということは地熱の国でもあるということで地熱発電が可能です。総合的に日本は再生可能エネルギーの宝庫と言えます。
しかも、電気の供給を大きな会社に依存するのではなく、地元にある小さな電源資源をまとめて地元に供給すれば送電のロスもなく地元の財源をよそに吸い上げられることもありません。
大会社の経営を支えるために原発を動かすような愚かな選択はすべきではありませんでした。

グレタさんがトランプをたしなめたように、大人は子どもたちの未来のための選択と決断をしなければなりません。
子どもたちの未来を奪うような行為には子どもたちがNOを突き付けるべきです。
なのに、この国の10代20代の若者は、政治に口を出すこと意見を言うことを否定しているようです。体制を批判することはバカげているとでもいうように、政府を肯定しています。
そのこと自体を怖ろしいと思います。
この国は、現状を批判しないような子どもを育てる教育してきたということでしょうか。長年かけて。
上を見て顔色をうかがうことを学び、忖度できる人が出世する社会が定着し、それができない人は落ちこぼれ負け犬となり、一部の人だけがいい思いをする世の中に、批判をすること自体がバカげている、お上の決めたことには黙って従う、生活がよくないのは自助努力が足りないのだ、能力のない人間は生きている価値がないから早く消えた方がいい、と思うような若者の国に明るい未来はないと思ってしまうのは私だけでしょうか。
とても強い危機感を感じています。

何を忘れても夕方に酒のコップを持つことだけは忘れない田舎の農家の親父たちと、ほろ酔い泥酔いのつき合いをするのは楽で楽しいことではあるけれど、時折現状に酔いが醒めてしまうような悪寒を感じます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ287 東京から

2020年11月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第287回。11月8日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
1日日曜日、報恩寺慶弔会第2日目
2日月曜日、写経納経式
4日水曜日、湯沢市ローカル電気訪問(もっちい)
5日木曜日、葬儀
7日土曜日、東京、仏教企画鼎談
その他法事が11件。
というような1週間でした。

4日、西の山がうっすらと白くなり、初冠雪があったようです。
でも次の日にはなくなってしまいました。

久しぶりに、今朝は東京からお送りしています。
東京に来たのは何ヵ月ぶりでしょう。2月以来ですかね。
この件については後程触れます。

1日、新庄市報恩寺様の慶弔会は無事に終わりました。
先代様を立派に送り、新命様も立派に晋山の儀式を務められました。
新命様の息子さんが首座和尚を務めたのですが、前日まで剃髪に抵抗されていたようです。
大学3年生ですから、親も厳しく言いにくい気持ちはあるでしょう。本人としても自ら望んだという訳でもないのでしょうから、抵抗する気持ちも分かります。
ただ、一生涯に一度の関門なので、集まった和尚さんたちはやきもきしていました。「結局後から自分が後悔するだろう」と思うからです。
私が首座を務めたのは中学3年生でした。全国一斉実力テストか何かの直前で、ほとんど暗記もできていませんし、それを理由に頭を剃るつもりもありませんでした。
親にも反抗しており、何とか切り抜けられると思っていました。
当日朝、お世話をしてくれる役の和尚さんから、いきなり「剃るぞ」と言われて、抵抗することは叶わないと諦めました。
剃って首座法戦式に臨んでみると、覚悟というのか、向き合い方が違ってくるので、それが態度にも現れると思います。
後からになると、あの時剃ってくれた和尚さんに感謝こそすれ、恨みに思うようなことは毛ほどもありません。
自分にもそんな経験があったので、剃ってくれればいいがなと思っていました。
次の朝お寺に集まった和尚さんたちは、「首座の頭どうなった?」という話題でした。
「夜に剃ったらしいよ」「それは良かったね」とみんな喜んでいました。
髪はすぐに伸びます。一生のことと一瞬のことを比べれば当然の結果なのですが、それでも若い者にとって頭を剃るというのは大きなハードルであることは間違いありません。
だからこその剃髪なのです。一つ一つの覚悟を超えながら一人前の和尚になっていくのです。
この度の慶弔会もいい法要となりました。

最上町の地域新電力を目指す仲間で、秋田県湯沢市にある「ローカル電気」さんに視察に行きました。
2016年に立ち上がった地域電力で、エネルギーの地産地消を目指すという理念も我々と一緒です。
ということで、参考にさせてもらおうと、24項目の質問を持って話を聞きに行ったのでした。
県や自治体とも強力にタッグを組んで秋田市も含む広範囲な地域に展開しているのと、9割の電力を水力発電から得ているという特徴もあり、我々が企図しているものとは規模が違うことが分かりました。
また、手続きや経常の業務もなかなか面倒くさい大変な事柄が多いと実感しました。果たして我々にできるのか、もっともっと勉強して総合的に考えてみる必要があります。
それが分かっただけでも行った甲斐はありました。

さて、昨日の鼎談ですが、仏教企画という会社の「曹洞禅グラフ」という季刊誌の特集記事という内容の企画でした。
私の他の御二方は、アンコールワット研究の第一人者で元上智大学学長の石沢良昭先生、もう一人はNHK報道記者でニュースウオッチ9のメインキャスターの有馬嘉男さんです。
一見何の関連もないような3人ですが、実は一人の人でつながっています。それはシャンティ国際ボランティア会の創立者である有馬実成師です。
嘉男さんは実成師の長男であり、石沢先生はカンボジア難民支援時代、カンボジアの文献に詳しいということで実成師と交流があったのです。そのつながりで私も御二方を存じていました。
そんな3人が顔を突き合わせてどんな話になるのかと、不安と期待をもって臨みました。
「コロナ禍の世相を見る」「コロナ禍のいま日本仏教は何を担い得るのか」というテーマでそれぞれの立場から発言しました。
その端々にやはり実成師の言葉や行動、思想がにじみ出てきて、改めて偉大な人だったなあと感じます。
有馬嘉男さんは今やNHKの顔ですが、やはり「言えることと言えないことのある」苦労がありそうです。
色んな話が聞けて、いい機会をいただきました。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ286 雪待月に

2020年11月01日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第286回。11月1日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
25日日曜日、松林寺臨時役員会、葬儀
28日水曜日、酒米田んぼのソーラーシェアリング調査
29日木曜日、もっちい例会
30日金曜日、新庄報恩寺慶弔会取材
31日土曜日、報恩寺慶弔会第1日目
その他法事が10件。
というような1週間でした。

11月ですよ。光陰は矢のように過ぎていきます。
決して後戻りはしません。過去にとどまっている時間はないのです。
常に顔を前に向けて、雨風も吹雪も真正面から受けていきましょう。どんとこい!です。

先週は色々ありました。
松林寺本堂の雨漏りが広がっていて、応急処置では追いつかないような状況になってきました。
当初10年計画で積み立てをして、その後に葺き替え工事を計画していましたが、10年待っていられないと判断しました。
急遽臨時役員会を開いて、来年工事の計画を提案し承認を得ました。正式には来春の檀家総会の決議をもって進めることになります。

酒米を植える予定の田んぼにソーラーシェアリングの太陽光パネルを設置できないか検討を始めました。
棚田状態の田んぼなので条件は良好です。田んぼの所有者奥山勝明君も乗り気になってきました。
問題は資金計画ですが、まずは設計図と見積もりがなければ話が進まないということで、ソーラーワールド社に現地を調査してもらいました。
エネルギーの地産地消を図りながら収穫した米で造る酒は、「山と水と、太陽と」で、さらに意味を持つと思われます。

新庄の報恩寺様では、今日明日の土日の両日に本葬と晋山結制が行われます。
一昨年12月、享年99歳で遷化された先代方丈様は開山第2世でした。
この地区は「昭和開墾」と言って、昭和2年に開墾が始まり5年かけて77家族が入植してきました。
しかし、土地はそれまで放牧をしていた荒れ地で、水はなく酸性の土壌のためなかなか作物が育たず皆難儀をしたと聞いています。
その後昭和9年には大凶作があり、戦争もあって、子どもを亡くす家も少なくはなかったのです。
そんな苦労を見るにつけ、霊を慰め心を癒したいと思った先代方丈様は、新寺建立を発願されました。
しかし、人々の暮らしは厳しく、また、各地からの入植家族のため、宗教宗派もバラバラで、話をまとめるのに苦労されたようです。
それでもあきらめず、話し合い、説得を続け、ついに昭和26年、仮本堂の建立を成し遂げたのでした。
以来67年間の長きにわたり、伽藍の整備、そして布教に尽力された、一生涯を報恩寺に奉げてこられた人生でした。
事実上、先住様が報恩寺を開かれたのですが、こういう場合曹洞宗では、謙遜して、自分の師匠に「開山」を譲るというのが習わしです。
それで、師匠である真室川正源寺閑雲旭處大和尚を報恩寺開山とし、自らは第2世となっているのです。
その本葬が昨日行われ、本日は第3世住職の晋山結制の法要が行われます。
コロナ過で、この法要が実施できるのかどうか、ずいぶん悩まれたようですが、万全の対策を講じ、参列者の人数も制限して、何とか実施にこぎつけたのでした。
久しぶりに、法要解説の役をいただいています。檀家さんに法要の意味を理解してもらいながら、参列したことを喜んでもらえるよう、解説の原稿を整えました。
最後まで無事円成できますように祈ります。

先日、役場の職員と話をしていた時、「すごいことに気づいたんだ」というのです。だいぶ酔ってました。
何をいきなり言うのかと思ったら、私の著書『やるきがあるのか』を持っていて、何度か読んでいると、その中で、「和尚が永平寺に修行に行った日にちと時間覚えてる?」と。「う~ん」。
「それが何と!3月11日の2時なんだよ!震災の日時じゃないですか!すごいでしょ!その時から震災とつながっていたんだよ」と興奮して言うのです。
「本あるよね。確認してみて」。本はそれはあります。
そうだったかなというぐらいしか記憶はないので、改めて読んでみました。確かに冒頭にそう書いてあります。
「へえ」と思いながら読み進めていくと、止まらなくなって最後まで読んでしまいました。
自分の書いた文章ですが、改めて読み返してみるとけっこうおもしろいですね。
脚色なしのすべて事実ですが、物語としてもおもしろいと思いました。
お手持ちでしたらもう一度読んでみてください。お持ちでなかったら、寺には腐るほどあります。連絡ください。

今月はいろんな予定が入っています。
今までおとなしくしていた分、少し羽を伸ばしたいと思います。
11月は霜月、雪待月という言い方もあります。
待ってもいないけど、今月中に初雪が降るかもしれません、その備えだけはしておきましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。