なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ389 向上の輪

2022年10月30日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第389回。10月30日、日曜日。

新潟十日町に来ています。
昨日今日と、友人の寺の晋山式と退董式に呼ばれてお邪魔しています。
友人は私より一つ上で67歳ですから、引退するにはまだ早いと思うのですが、息子さんに席を譲って自由にしたいとのこと。ミュージシャンでもあるので、やりたいことがあるのでしょう。
彼とはカンボジア難民キャンプのボランティア同期で、1980年8月、同じ飛行機に乗り初めて海外へ飛び立った仲です。
戦場の最前線に向かう志願兵のような覚悟で緊張していたことを覚えています。
一方初めての海外旅行でもあり、ワクワク期待して機体に乗り込んだことも事実です。
ところが、あてがわれたのは安いパキスタン航空の飛行機で、座席も薄く機内食も残念な代物、きれいなスチュワーデス(当時)でもなく、むさ苦しいひげ面のスチュワードでした。
あまり快適ではありませんでした。
ただ、アルコールは好きなだけ飲めたので、手あたり次第いろんなものを飲んだと思います。
到着してすぐ下痢したのはそのせいです。

バンコクから車で5時間ほど東に行くと、サケオという町に難民キャンプはありました。
広大な敷地に仮設として建てられた小屋のような住居に、当時3万人が収容されていました。
初めて難民キャンプという所に足を踏み入れ、恐る恐る難民を見ました。「何を見てるんだ」という視線が責められているように感じ、いたたまれない気持ちになりました。
やせ細って気力のない大人たちに比べ、子供たちは元気に走りまわり笑顔を返してくれます。
そんな子供たちに絵本を見せるというのが我々の移動図書館活動でした。
キャンプの中にできた学校で文字を学んでも読む本がない、そこに、日本のきれいな絵本にカンボジア語の訳文を張り付けた絵本を持ち込むと、みんな目をキラキラ輝かせて手に取り、文字をムシャムシャ食べるように読んでいました。
我々の宿舎はキャンプの近くの村に借りた家で、木の床にゴザを敷いただけの寝床、水道はなくドラム缶に雨水をためてそれを沸かして飲んでいました。
そこで2か月を共にした仲なのです。
以来、ナベちゃんサンちゃんと呼び合って42年が経ちました。
お寺を後継者に任せ、自由に羽を伸ばしてさらに活躍されることを願います。

先週5日間は東京でした。
布教師養成所の講師という任で研修道場に詰めていました。
曹洞宗布教師を目指す若い37名の僧侶が、目をキラキラさせて学ぶ姿は、それを見ているこちらまで気持ちが熱くなります。
机を並べる仲間に刺激され、支えられ、まさに切磋琢磨して学ぼうとしているのです。向上しようというそのベクトルが周りに刺激を与えるのです。
刺激は刺激を呼び、エコーのように増幅されて互いに返ってきます。集団で学ぶことの意味はそこでしょう。オンラインでは体験できないことです。
私も少なからず刺激を受けました。もっともっと学びたいと思いました。
今居る自分の場所で、独りでももちろん学べますが、人間はなかなか怠けやすい、自分に弱い。
林の木が互いに牽制しあって真っすぐ伸びるように、集まることで高く伸びることはあるのです。
時折、向上心のある人の輪に入ることは、自らを更に向上させるために必要だと感じます。
やがて死すべきものの今命あるはありがたし。
命のある間、今よりあと一歩、あるいはあと半歩、向上できるよう、自らを鼓舞していきましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。






サンサンラジオ388 母を慕う

2022年10月23日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第388回。10月23日、日曜日。

未だに涙がこぼれてきません。
感情に蓋をしているとか、我慢しているとかではありません。ショックで穴が空いているというのでもありません。
何故か感情がこみ上げてこないのです。
檀家の葬儀を勤めながら、孫のお別れの言葉に誘われて涙を流すこともあるのに。
フェイスブックなどで友人の投稿を見ても、これまでのように心が動かされることがなくなりました。無味乾燥に感じます。
無感情人間になったのでしょうか。

住職として、これまで数多くの葬儀に携わってきましたが、家族の葬儀がこんなに大変だったのかと改めて知りました。
住職は全てお膳立てが調ったところに呼ばれていくので、その内情を知らなかったのです。
13年前父を送りましたが、その記憶はほとんどありませんでした。13歳若かったので身体的にそれほど大変ではなかったのかと思います。

葬儀の日はとても暖かい日で、本堂の窓も開けて勤めることができました。
思い出してみれば、父の葬儀の日も11月でしたが小春日和の暖かな日でした。
天気がいいだけでうれしくなりました。
もちろん、その人の人生と天候には何の因果もありません。
天気が良いとか悪いとか、それは勝手な人間の損得勘定です。
それでも遺族としてはうれしかったことは事実です。

コロナによって中止されていた前晩の「念仏」も勤めることができました。
45年前、当寺に梅花講を結成してそれまでの流派の念仏から梅花流に変えたのは母と父でしたから、できれば梅花講の皆さんで勤めて送って欲しいとお願いしました。
未だ感染が収まってはいないので可能な方だけでと思っていましたが、現在の講員のほとんど全て50名ほどが集まってくれました。
葬儀も制限を設けず、時間の許す方には本堂に入って参列いただきました。
そろそろ、コロナ前の形態に戻したいという思いもありました。

人は、家族だけで生きてきたわけではないので、ご縁がありお世話になった方々に、一人ひとりお礼を述べてお別れしたいというのが旅立つ人の願いだと思います。その願いを汲み取って故人になり代わりその場を設けるのが遺族の務めだと思うのです。
全てとは言えないでしょうが、多くの方々に弔問においでいただき、顔を見ていただける方には母の顔を拝んでいただいてお別れすることができました。
「生きている時より美人だ」とお褒めの言葉をいただき、母も喜んで?いたと思います。

先週のブログをご覧になった多くの方からお悔やみのお言葉を頂戴し、恐縮にもありがたく思いました。
こういう時に、お言葉の一つもかけていただくことがこんなにもうれしいのかと思いました。
自分はそういうひと手間に無頓着、不精だったとひとしきり反省。
今後はそのお返しをしていきたいと思います。

子どもの頃、母の日に姉と二人で贈った記憶があるサトウハチローの詩集『おかあさん』が手元にあります。
その中から一篇

 『母を慕う』
 母を慕う
 わが心 すなおなり
 母にそむく
 わが心 いがむなり
 このふたつ
 いつも母の姿につながり
 からみあいて この年までつづきぬ
 あわれにしておかし


さて、今日は郡内寺院の晋山結制があります。
その後法事を1件勤め上京。明日から5日間布教師養成所です。
終ってそのまま新潟へ。友人の寺の400年祭と晋山退董式に呼ばれています。
母との思い出を抱いて出かけてきます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ387 母の死

2022年10月16日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第387回。10月16日、日曜日。

12日、母親が亡くなりました。
娘二人が相次いで里帰り出産することから、母親はお盆前に施設にお願いしていました。
12日夕方4時過ぎ、「病院に搬送したので来て欲しい」との連絡を受け救急室に行ってみると施設の方4人が待っていてくれました。
このところ施設内でコロナ感染が発生し、ホールでみんなと一緒に食事ができなくなり、部屋での介護食事となっていました。
食が細くなり、微熱もありましたが感染症の検査は陰性でした。
時折呼吸が粗くなることもあるので様子を見ていました。お昼ご飯を食べ、午後の巡回の際も気をつけていました。
3回目の巡回の時、様子が変だと思い、病院に救急搬送しました。今心臓マッサージを施していますと。
心臓マッサージって何?何があったの?分からないまま担当医の説明を受けました。
それによると、4時5分から10分頃に搬送されてきた時には既に心配停止状態でした。
すぐに蘇生処置を施しましたが今のところ心臓も呼吸も戻っていません。
20分経過をし、このまま続けても戻る可能性はないと思います。たとえ戻ったとしても、元に戻ることはありません。蘇生処置を停止してもいいでしょうか。
説明は良く分かりました。「了解しました」。
念のためPCR検査をし、死因判断のためCT検査もしてからお会いしていただきます。
その全てが終わり、医師の説明がありました。
コロナ感染はありませんでした。CTの画像を見る限り脳にも肺にも他の臓器にも死因と思われる所見はありませんでした。老衰という他はありません。
ということで、4時45分に死亡確認されました。
何が何だか分からないまま、母は突然に逝ってしまいました。
昨日葬儀を終えました。
母は昭和9年2月7日生まれで、満88歳数え89歳でした。
19歳の時に松林寺17世に嫁ぎ、以来ちょうど70年、この寺で過ごしました。
檀家の皆様、地域の皆様、保育所関係の皆様お一人お一人にお世話になり楽しい人生を送ることができました。
ご縁のあった全ての皆様に、母になり代わり御礼を申し上げます。ありがとうございました。
余りの突然のことで、事実に感情がついてきていません。
泣き虫の私が、まだ1滴の涙も流れてきません。
じっくりと時間をかけて、しっかり受けてめていきたいと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ386 時間をつぶす

2022年10月09日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第386回。10月9日、日曜日。

急に寒くなりました。
本堂の気温10度がこんなに寒く感じるんだと、ぬくぬく生活した体には初めて経験したような驚きを感じます。
徐々にこの気温に慣れていかなければなりません。

今年度の酒造りの概要が決まりました。
先月稲刈りした酒米出羽燦燦の数量が2,430㎏。
それを50%に磨き、1,215㎏。
これに水を加えて醸造すると、約2400ℓの原酒ができます。
それに割水、アルコール度数を調整して、720ml瓶に詰めると3,900本ぐらいになるはずです。
今年は、その内の500本程を割水しないで「生原酒」として出してみたいと思います。
11月1日、先行予約販売を開始します。こちらは、生原酒と生酒の2本セットでの販売です。
生原酒はこの先行予約のみの限定販売となります。生原酒を試してみたい方は予約販売を申し込んでください。
仕込みは11月末頃からで、まずは酒母を造り、2週間ほどかけて酛(もと)を育てます。
12月10日頃から、できた酛に米と水を3回に分けて投入する、いわゆる三段仕込みとなります。
そして、1月10日頃搾り、瓶詰めしてそのまま出すのが「生」、湯煎して発酵を止めて出すのが「火入れ」となります。
なので、一般販売は本年同様来年1月20日頃になります。
昨年度は1,058本が5日間で完売してしまい、手に入らない方が多くいました。
また、飲食店と旅館に置いてもらい「飲みたい方は最上町に来て」という計画でしたが、そちらまで回りませんでした。
なので、今年度は多くの方に楽しんでもらいたいと思います。
先行予約の申し込み方法についてはこちらでもお知らせしていきますが、もう少しお待ちください。

今の人たちは、ぼんやりものを考える時間というのがなくなって来ているのではないでしょうか。
誰かのことを慮ったり、過去を振り返ったり、人生を考えたり、物思いに耽る時間がないように思います。
その時間を奪ったのは、おそらくスマホです。
スマホ、それがスマートフォンの略語であれば「スマフォ」のはずですが、何故か「スマホ」といういかにも日本語っぽい略語。
電車の中や、待合室、ラーメンが来るまでの待ち時間にスマホを使っていない人が珍しいほど。
それもきっと、ほとんどは、どうしてもやらなければならない急用の仕事などではなく、単に時間つぶしのゲームか何かでしょう。
スマホは時間つぶしにとってはこれ以上ない最強のツールです。
その中から何か探して遊ぶというよりも、これはどう?これもどう?と、遊びを誘ってきて、選ぶのに頭を悩ませるほどです。
なので、暇つぶしに遊んでいるのか、遊ぶために暇を作っているのか、分からなくなっているのではないでしょうか。
しかもそれは、ほとんど全てが宣伝広告のための誘いであり、広告に遊ばされていると言っても過言ではありません。
そんな状況ですから、スマホを手にすれば、ぼんやり物思いに耽る時間などありようがありません。
それでいいのか、と思います。
深い悲しみの中にあり、一瞬でも忘れられたらどんなに楽か、というような時に、何も考えなくても済むものに没頭するという救いがあるかもしれません。
しかし、それ以外はそれでいいのかと。
哲学も文学も人を思う心も、思索から始まると思います。
ぼんやりする時間、暇な時間が人間を深くしていくのではないかと思うのです。
その大事な時間を「つぶして」しまうことのもったいなさはないのでしょうか。
スマホは、一旦手にしてしまえばなかなか手放せなくなることは自らが実証済みです。
中毒のようなスマホ依存症から抜け出すのはそう簡単ではないでしょう。
解決方法を誰かに期待しても詮無きことです。もうそういう世の中になってしまいました。
自分で何とかしないと、自分自身が薄っぺらな深みのない人間になってしまいます。

坐禅は、「無念無想」などと言いますが、そんなことは無理です。
坐っていても頭の中はすごい勢いで動いています。
次から次へと思いが浮かんできては消えていきます。
それは、頭の中が暇だからです。色んな妄想が自由自在に縦横無尽に往来して留まることがありません。
留まらないことが水の流れのようで、有るとも言え無いとも言えます。
頭の中をゲームなどに支配されて自由を奪われてしまうのはつまらないことです。
時折、頭を暇にして自由に開放することはできるのです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。