なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ385 天地いっぱい

2022年09月29日 14時42分46秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第385回。10月2日、日曜日。

10月に入りました。本格的な秋ということでしょうか。
田んぼでは今を盛りと稲刈りが行われています。
無事に実りの秋収穫の秋を迎えられることは、農村にとって何よりの安堵と喜びを感じることです。
最上の地酒を創る会の酒米も29日、無事に刈り取りが終わりました。収量は2430㎏でした。
乾燥し、精米所に運ばれ、50%に磨かれて酒蔵に届けられます。
最上の水が米と出会って得も言われぬ甘露水に変わります。今から1月の完成が楽しみです。

昨日は宿用院の開山500年記念法要でした。
宿用院の前身である耕雲寺は、1394年に普済善救禅師によって開かれたとされ、平成5年に600年祭を行いました。
禅師は全国各地を巡錫された人で、禅師が去った耕雲寺はすぐに荒廃してしまいました。
それから数えること129年後の1523年、禅師から数えて7代目にあたる通山長徹大和尚が、禅師の跡を慕って新潟柏崎香積寺からやって来て、耕雲寺を改め宿用院としたとされています。
なので、宿用院の本寺を香積寺としています。昨日は御本寺様においでいただいて導師を勤めていただきました。
経ること現住が40世となりますが、これまでの500年を、開創600年の時にまとめた資料で改めて振り返ってみると、色々なことがあったことが分かります。
1670年ごろ、16世代に平田山から現在地へ移転、その時の再興開基家をめぐる時代背景。
1816年、28世代に本堂再建。
1866年、苦労して再建した伽藍が、50年後に民家405軒、寺社12軒を焼く谷地の大火によって焼失。
明治16年、32世代、その本堂を再建するために、廃仏毀釈で困窮していた慈恩寺の伽藍の半分を買ってきて建てたこと。
明治34年、34世代、大火に遭った梵鐘を再鋳する際、近郷近在の人々が金銀飾り物を競うように炉に投げ入れたこと。
昭和17年、その梵鐘が、戦争によって応召されたこと。昭和37年、38世代にさらに鋳造されたこと等など。
その間に飢饉に見舞われたこともありました。戊辰戦争の影響を受けたこともありました。
歴代の住職と檀家が、苦労しながら、力を合わせてこの寺を維持してきたことが偲ばれます。
昨日はそんな話を交えて法話をさせていただきました。

人は、その時その時で精一杯生きています。
精一杯と言っても、こぶしを握り締めて力の限りということではなく、頑張るとか頑張らないとかにかかわらず、生きている今その瞬間がありのままに精一杯の姿なのだということです。
花も昆虫も鳥も魚も動物も、精一杯でない命はありません。
天地いっぱいの命を輝かせているという言い方の方がいいのでしょう。
人間もその通りです。
生まれたばかりの赤ん坊が「おぎゃあ」と泣くのは、そのままで天地いっぱいの命を輝かせている姿です。
ウソもマコトもありません。善も悪も、キレイもキタナイもありません。あるがままです。
「二見にわたる」という言い方をしますが、ものごとを二つに分けて見ようとする心が人間にはあって、シロクロはっきりさせたがりです。
しかし、それが争いや分断、差別の原因ともなります。
天地いっぱい輝かせている、善悪も浄不浄もない命を、勝手に色分けして優劣をつける見方が分断を生むのです。
お釈迦様はその見方を離れることを教えています。
花は、善悪も浄不浄もなく、ただ咲いているだけです。
「今日の自分は本来の自分ではない」とか、「あの人は本当はすごいんです」とか言いますが、本当の自分は今ここの自分しかありません。
昨日は昨日で精一杯、今日は今日で精一杯。それ以外に本当の自分などないのです。
それは、相手の人々も同じ、今目の前にある存在だけが本物です。
家で横になって尻を掻きながらテレビを観ているのもその時の精一杯です。
「いつまでゴロゴロしているの!」と叱られれば、「今オレは精一杯輝いてゴロゴロしているんだ」と言えばいいし、そう言われれば、「私は今、天地いっぱいの命を輝かせてあなたを叱っているんだ」と言い返せばいいでしょう。
過去を引きずらず、未来に引きずらずに、今を精一杯と受け止めれば、互いにカラッとして応対できるのではないでしょうか。
秋晴れの青空のように、澄んだ目で今を生きようじゃありませんか。
限りある命、くすんだ目で見て過ごしてはもったいないことです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。





サンサンラジオ384 十の誓願

2022年09月25日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第384回。9月25日、日曜日。

彼岸に合わせたわけではないと思いますが、急に涼しくなりました。
その直前まで蒸し暑かったのに、寒暖の差に体が驚いています。
心配された台風は当地においてはほとんど被害がありませんでした。
今週は酒米の稲刈りがあります。何とか無事に収穫できますように。

大相撲は本日が千秋楽です。
横綱大関のふがいなさに比べて平幕の力士の活躍が目を引きました。
玉鷲、翔猿、高安、北勝富士、宇良、錦富士、若元春、翠富士などなど。
郷土ゆかりの琴の若も勝ち越しを決めましたが、来場所の三役昇進は微妙な感じです。
来場所も楽しみです。

来月9・10日、川西町高徳寺さんで因脈会が勤修されます。
内容の意味は授戒会とほぼ同じですが、二日間に縮めて勤めることから「因脈会」と呼ばれます。
その説戒の役を頂戴していて、しばらく前からその原稿に頭を痛めています。
色んな本や資料を読み込んだりして勉強にもなりました。
こういう機会をいただかないとまとまって一つのことを学ぶこともなくなりました。
仏教の戒律は、上座部仏教いわゆる小乗仏教と呼ばれる仏教では、僧侶の戒律は250戒とされます。
「戒」とは、僧自らの戒めとして保つもので、「信」と同じと言ってもいいでしょう。
「律」は、僧が集団で生活する中で修行の妨げとなる行為を規制するルールのことです。「随犯随制(ずいぼんずいせい)」と言って、日常の中で実際に起こった不具合を「それはやめましょう」と決めていったというものです。
大乗仏教の大乗菩薩戒は十重四十八軽戒ですが、曹洞宗では「十六条の仏戒」としています。
それは、三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒を合わせての十六条戒です。
これを例えて言うと、三帰戒は樹木の根っこで、三聚浄戒は幹、十重禁戒は枝葉にあてることができます。
根は大地をしっかりととらえ、水や養分を吸い上げ幹を支えます。
幹は枝葉を支え、根が吸い上げた養分を枝葉に届けます。
枝葉は太陽の光を受け、それを栄養に変えて幹と根を育てます。
根と幹と枝葉が一体となって、樹木を成しているのです。
それと同じように、三帰戒つまり帰依仏、帰依法、帰依僧が信としてしっかりとしていなければ、その他の戒は立ち上がっていきません。
逆に言うと、三帰戒が確立していれば、三聚浄戒も十重禁戒もできていると言ってもいいほどです。
この三帰依を戒律の中に含めたことが道元禅師の特色だと言われます。
三聚浄戒とは、摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒の三つですが、訳して言えば、人の道・仏の道を守ることを喜びとし、善い行いをすることを喜びとし、人が喜ぶことを我が喜びとします、ということです。
いわば、戒の理念をまとめたものです。
そこから枝葉のように十重禁戒が伸びていきます。具体的な行動規範です。
それを私は「十の誓願」として展開しました。
十の誓願(仏教徒ですから)
 一、命を傷つけたり無駄にしません 仏教徒ですから
 二、与えられないものを盗んだりしません 仏教徒ですから
 三、道に反する淫らなことはしません 仏教徒ですから
 四、ウソをついたりだましたりしません 仏教徒ですから
 五、酒を呑んで不快な思いをさせません 仏教徒ですから
 六、ひとの過ちを言いふらしたりしません 仏教徒ですから
 七、自慢話と悪口や陰口を言いません 仏教徒ですから
 八、施しを渋ったり惜しんだりしません 仏教徒ですから
 九、怒りで自分を見失ったりしません 仏教徒ですから
 十、仏と仏の教えと仏教徒を信じます 仏教徒ですから
というものです。
「ですから」というのは、「私はイスラム教徒ですからお酒は飲みません、豚肉は食べません」と言う、「私はヒンズー教徒ですから牛肉は食べません」と言う、では仏教徒は何をもって仏教徒だと言えるのかと考えていて、こういう言い方をしてみたものです。
自分は仏教徒であると自覚し、だからこういう生き方をするのだという指針を確立したいものです。
戒律を心で思っているだけでは仏教徒ではありません。
具体的に仏教徒としての行為を為した時が仏教徒なのです。
そして、十重禁戒の実行が信としての三帰戒をさらに確立していくのです。
そのように、十六条戒が大樹となり、その木陰に人や動物や昆虫が集い、心安らぎ、花を愛で、実を楽しんでいくのです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ383 welcome!

2022年09月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第383回。9月18日、日曜日。

世の中は連休中のようですね。
台風が近づいているようです。刈り入れ直前の稲に被害がなければいいがと気にかかっています。

唐突ですが、私のお気に入りの石鹸はカネヨの「レモン石鹸」です。
そう、あの学校の手洗い場にミカンのネットに入っていたアレです。
きっかけは、布教の旅で泊まった宿の風呂場で使ったことでした。
最初、さすがに躊躇しました「これで体洗うの?」。
それ以外石鹸らしきものはなく、それは体を洗うために用意されているものなのだろうと使うことにしました。
使ってみると、泡立ちが良く、なのに泡切れも良く、香りが良い。
はまってしまいました。あれから何年かこればかり使っています。
ボディソープなどで嫌いなのは泡切れが良くないヤツ。
シャワーで何度流してもいつまでもヌルヌルするようなのは気持ちがスッキリしません。
私にとって、泡立ち以上に大事なのが泡切れです。
その点レモン石鹼は、どちらもいいのです。しかも値段が安い!
ネットで取り寄せていますが、一袋8個入って260円。1個32.5円!
ネットでも「手洗い用」とあります。体洗い用とは書いていません。
しかし、もちろんシャンプーは必要ないので、頭からつま先までこれ一つで間に合っています。
「顔がつらないか?」などと心配されますが、元々脂っぽいのでちょうどいいのだと思います。
脂性の人は使ってみてください。一度使ったらとりこになると思いますよ。

15日木曜日、最上の地酒を創る会、今年度第1回目の全体会議を開きました。
酒米出羽燦燦の作付面積は4反5畝。収量予測は36俵、2160㎏。50%精米して、昨年の3倍強の2500ℓの製造を目指します。
今年は生原酒(火入れも割水もしない搾ったそのまま)も造ることになり、生酒との2本セットで先行予約販売限定で販売します。
予約受付は11月1日から、最上町の酒販店、およびFAX・ネットで受付いたします。
値段等、詳細が決まりましたら広報する予定です。
今年は、飲食店や温泉旅館にも置いてもらえるよう手配します。
飲みたければ最上町へ、買いたければ最上町へという当初の計画でしたが、昨年度はどんな酒ができるのか分からず試験製造のような量しか造りませんでした。
その結果、あっという間に完売してしまい、店への営業もできなかったのです。
今年はある程度余裕があると思うので、多くの人に楽しんでもらえるよう営業にも力を入れるつもりです。
なにしろ、昨年の味が良かったので、「また飲みたい」というリピーターが買い求めてくれるはずです。
昨年味わえなかった方も、ぜひ今年はどうぞ。
お申し込みをお待ちしています。welcome!

3週間前に長女に第1子が誕生しましたが、木曜日15日には次女の第2子が無事誕生しました。
こちらも男児で、「陽向(ひなた)」と命名されました。5人目の孫です。
おぼろげな眼差しで、小さな掌を動かして、何かをつかもうとしています。
それは、希望か、夢か、幸せか。
自由に腕を動かして自分でつかめるよう、大人は環境を調えなくてはなりません。
与えるよりも邪魔をしないこと。
転ばないよりも立ち上がる勇気と方法を。
人を信頼できる信念を。
虚空の中からつかみ取れたらいいですね。
ただ現実の社会はきれいな物ばかりではありません。
見たくないものも目に入り、つかみたくないものをつかまされたりすることもあるでしょう。
それでも、初めてつかんだ指の温もり、初めて見えた人を信じてその温かさを覚えていれば、その中から大事なものを見失うことはないように思います。
あなたの命の使い方を決めるのはあなた自身です。
思わず掲示板に、中島みゆきの『誕生』の一節を書きました。

 わたしいつでも あなたに言う
 生まれてくれて welcome!


welcome!welcome!
わずかの間共に生きていきましょう!

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ382 軍配の行方

2022年09月11日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第382回。9月11日、日曜日。

今週もあっという間に経ってしまいました。
つるべ落としのような1週間です。

7~8日、友人の父親の49日納骨法要で上京しました。
以前から感じていたことでしたが、東京の人はどうしてこんなに足が速いのか。
置いてきぼり感の距離が以前より広がったと感じました。年齢に比例するのでしょう。
都会は、電車の乗り継ぎにも距離があり、階段の上り下りはあり、田舎の人よりずっとずっと歩いていますね。
田舎で歩いている人はほとんど見かけません。
コンビニに行くのも車、病院に行くのも送迎付きのところもあります。
小学生中学生は統合により送迎バスになりました。
不便なだけに歩かなくて済むという感じです。
このままで大丈夫なのだろうかと我ながら心配になります。
都会より田舎の人の方が平均寿命が高いように感じていますが、それは今の80代90代の人たちが体を使い鍛えてきたからであって、60代以下の人たちの寿命はきっと低下するだろうと思います。
ただ違うのは、やはり都会に暮らす人たちの方がストレスは多いのではないかと感じることです。
人の多さ、騒音、目に映るものの数、スピード、それらはストレスを招くのではないかと思われます。
運動量とストレスと、果たしてどちらに軍配が上がるのか、今後の推移が気になるところです。

友人の妻女がファイナンシャルプランナーをやっていて、道々その話をしていました。
いわゆる資産運用のお手伝いをするという仕事です。
彼曰く「金持ちはどこまでも金持ちになり、貧乏人はいつまでも貧乏人のままだよ」。
資産運用は、余裕のある資産があるからできるのであり、簡単に言えば、高額の貯金をしていれば利息も大きくなるのと同じで、投資する額が大きければ大きいほど運用の利益は大きくなります。
もちろん、リスクはありますが、リスクを考えてもできる余裕があるということでもあります。
一方、毎日食べるのに精一杯の人に余裕のある資産などあろうはずがありません。
彼の言うように、生活に余裕のない人に金持ちになる可能性は限りなく少なく、金持ちの人がもっと金持ちになる可能性は限りなく高い、ということなのでしょう。
それが今この国の現実のように見えます。
贈賄だの収賄だのという話は貧乏人には縁のない話です。
逆に、金のために人を殺めてしまったり、金に目がくらんでしまう事件の多いことの原因が、格差による焦りにあるようにも感じます。格差はどんどん広がっているのだと思います。
「一億総中流」と言われた時代がありましたが懐かしい響きです。
みんなが同じレベルだと思える時焦りは感じません。取り残されるという恐れが焦りとなります。
「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし」と言われる通り、豊かな人のおごりがこの国を悪い方向に傾けているように思えてなりません。
道元禅師の言葉「布施というはむさぼらざるなり、むさぼらずというは、よのなかにいうへつらわざるなり」。
政治家のむさぼりとへつらいは目に余るものがあります。おごりのなせる業でしょう。

今日から大相撲が始まります。
佐渡ケ嶽部屋の後援会に入っているので、部屋の力士の活躍が気になります。
先場所は部屋でコロナ感染者が出たために全力士が途中休場になってしまいました。
それにより負け越しても現状維持の救済処置がとられたようで、大きく番付を下げることはありませんでした。
相撲の世界は実に厳しく、全て成績によって浮き沈みが決まります。へつらいはありません。
あの体で裸同然でぶつかり合うのですから、当然ケガも多く、それによって相撲人生から脱落する力士がなんと多いことか。
そんな中で、大けがで大関から序二段まで落ちながら、くさらず諦めず力をつけて横綱まで上り詰めた照ノ富士、そして宇良。
彼らの心の強さと努力には敬意を表すばかりです。
他の格闘技のように体重のクラス分けがない相撲界。それでも、必ず大きい方が勝つとは限らないのが相撲の面白いところ。
今場所の幕ノ内で最も軽量なのが照強の107㎏、最重量が逸ノ城の212㎏。その差何と105㎏。
照強からすれば、自分の倍近い相手とぶつかるわけなのでまともに当たっては勝ち目はありません。小兵力士には技で勝負する以外ありません。
この二人、番付が離れているので今場所当たる可能性は低いですが、どうしても小さい力士の方にひいき目になるのは判官びいきということなのでしょう。
全ての取り組みにどちらに軍配が上がるのか目が離せません。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ381 今週の出会い

2022年09月04日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第380回。9月4日、日曜日。

加速度的に経つのが早くなる「時」。
もう日曜日です。そして9月です。
毎年のことですが、今年も三重県の東正寺様から新米が届きました。
日曜学校の子どもたちと田植え稲刈りした貴重なお米です。謹んでいただきます。
鳥取からは梨が届きました。こちらも梅翁寺様が毎年送ってくださいます。梨は好物ですので楽しんでいただきます。
一気に秋が来たような感じです。

2日金曜日、同志社大学の学生がいらっしゃいました。初対面です。
彼、星山君は、7年前佐賀県の中学校の生徒会長でした。
東日本大震災からの5年目を期に「震災を忘れない」という意図の展示会を企画しました。
震災関係の本や資料を漁る中で『ご先祖様も被災した』という本に出てくる「まけない!タオル」を読んだそうで、「資料をいただけませんか」と手紙が来ました。もちろん喜んでいくつか見繕って送りました。企画は成功したようです。
そういうご縁でした。
以来、そのことはすっかり忘れていましたが、先月また手紙をいただいて、「大学に入ったら東北を巡ってみたい、その際三部さんの寺にも訪ねてみたいと思っていましたがコロナになり断念していました。4年生になりこれがラストチャンスだと意を決して出かけることにしました。お邪魔していいでしょうか」という内容でした。
それはもちろんいいに決まっています。
わざわざ京都から訪ねて来てくれるのです。うれしいじゃないですか。
宮城、岩手を回って、秋田から列車を乗り継いで立小路駅にさわやかな青年が降り立ちました。
「青春18きっぷ」で旅してるようです。
本尊様へのお供え物も準備して、若いけれどもしっかりしています。
奈良の薬師寺、唐招提寺様へ時折奉仕として出仕しているようで、仏教の知識も常識も備えていました。
このブログも覗いてくれているようで、私のことも良く知っていてくれました。
「ずっとお会いしたかった」などと言われれば、うれしくてべらべらしゃべってしまいました。
同じ方向を向いていることが分かるので、話はどんどん充実、深くまで入っていきました。
こんな若者と出会えて語り合うことができることは真に有難いことです。
これをしてみたい、あれをやってみたい、という思いはあっても、実際に行動に移すのはまた別のハードルだと言ってもいいでしょう。
星山君にとっては、中学生の時の思い切って手紙を書くという行為が色んな出会いにつながったと思います。
「三部さんに会いたいと思わなければ今回の旅をしたいとも思わなかったでしょう」と。
その一本の手紙から私も貴重な出会いをいただきました。
青年はさわやかな笑顔を残して車上の人となりました。

更に昨日は、宮城県白石市から農事組合の方々15人ほどが寺にやってきました。
縁あって、最上町で活動している人の話を聴きたいという視察の一つとのこと。
酒造りの話を中心に映像を見ながら話をさせていただきました。
活発に質問も出て、和やかな会となりました。
「山と水と、」を100本、予約の予約をいただきました。
こちらも今後縁がつながればいいですね。

29日、私にとっては4番目の孫となる長女の子が生まれました。
予定日より10日ほど遅れましたが無事にこの世に誕生してくれました。
昨日退院して寺にやってきました。
男児だと分かっていたので二人で名前を考えていたようです。
なので、生まれる前から「照(てる)くん」と呼んでいました。
「光に照らされる人生を歩んでもらいたい想い、みんなを明るく照らしてくれる存在になってもらいたいという想いです」と、込める想いを親は語っています。
その通りに、既に生まれただけで、周りを明るく照らしてくれています。
孫を迎える前にと、ジジババは念のためPCR検査を受けました。
お陰様で陰性判定でホッとしました。
ただ、カミさんはその副反応が出て体がダルイようです。
私と言えば、4回ともそれらしい反応はほとんどありませんでした。それは効いてないのじゃないかという噂もありますが、ニブイということもあるかもしれません。
そんな私をも蚊は刺して、「喰われた」と言うとカミさんは「あんたをよく喰うね。マズそうだと思わないのかな」と、蚊よりも鋭く刺してきます。
「おそらく、全体は見えてないんじゃないか」と思いながら何も言い返せませんでした。
まあ、蚊も含めて、色んな出会いがあった1週間でした。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。