なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ131

2017年10月29日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月29日日曜日。

政治に関する発言はなるべく避けようと思っていますが、先週の選挙はさほど盛り上がりもなく終わってしまいました。
衆議院の選挙は、この国の最も大きく重要な選挙なのに、投票率が50数パーセントで盛り上がりに欠けるというのは如何なものかと思います。
だいたいにして、何のための解散かも分からないで選挙するわけですから、投票に行く気がしないのも頷けますが。
それにしても自民党は選挙がうまいですね。
長年の経験の蓄積からくる熟練の戦略と戦術、組織の動き、まともに戦ったら他党の勝てる相手ではないでしょう。
だから小党は風というか、イメージ戦略に頼らざるを得ません。
下半身的なスキャンダラスな話題を探してイメージを作っていくという作戦しかないようです。
国民も、それに踊らされているわけですから政治家のせいばかりではありません。
ただ、選挙がうまいことといい政治を行うこととは同じではありません。
選挙がうまいというのは、自分の党の代議士を多く当選させることができるというだけのことです。
それで、そこに寄り掛かる人々が集まってくるのでしょうが、それが全て代議士にふさわしい人ということでもないでしょう。
身体検査も行き届かぬままに当選して、後から足を引っ張る人も出てきたりします。

代議士の先生というのは、一度その座に着いてしまうとなかなか辞められないものでしょう。
「先生、先生!」と迎えられ、下へも置かぬ扱いを受けるわけですから、落選してただの人になってしまうことは、その落差が大きいだけに、その座が長くなればねるほど恐怖に感じることだと思います。
だから何としても当選したい。
当選するためだったら、主義主張を多少曲げても勝てるグループに属したい、てなことも起こるわけです。
「議員にならなければ意見も言えない」などと言いますが、その意見の主張を曲げてまで当選したいというのは何か矛盾しているように思います。
やはりどうも、代議士が代議士でいるための選挙のような気がしてなりません。
だから「今だったら勝てる解散」をしてしまうのでしょう。

比例代表という選挙もよく分かりません。
ようするに、自分がいいなあと思う政策の党に投票して、票の数だけその党の代議士を当選させるというシステムですよね。
議会では数が力となりますから、人物よりも数という考え方です。
つまりそれは、賛成か反対の数の為の代議士ですよね。
だとするならば、代議士などつくらずに、一般社会でよく行われている会議欠席の委任状と同じで、その分の数だけ委任状として党に与えてしまえばいいのではないですか。
そうすれば、何百人もの代議士を減らすことができ、大きな国家予算の削減になるはずです。
顔も経歴も人柄も分からない人が自分の1票で代議士になっていたなんてことは、あまりおもしろいことではありません。

結局、誰のための代議士で、誰のための選挙なのか、ということです。
まあ、国の制度を決めなければならないので代議士が必要であることは当然です。
しかし、この度のように、あまりにもつまらない選挙で、膨大な国家予算を使って何のためにやっているのか分からないと、本当に幻滅してしまいます。
副総理が「北朝鮮のおかげで勝てた」などと口走るわけですから、「え、脅威をあおって北朝鮮を選挙に利用したの?」と思ってしまいます。

自ら風を起こして自ら候補者を吹き飛ばした新党にもあきれてしまいますが、もうこうなったら政権交代などしなくてもいいので、もう少し強い野党を作って、近頃の他の国のような独裁的な政治にならないようにしてもらいたいと思うところです。
今週はつまらない話になってしまいました。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ130

2017年10月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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10月22日日曜日。
今週は東京からお送りします。

先週はハワイにいました。
娘の結婚式で行ってきました。
こんなことでもなければ絶対に行くことはないだろうハワイでした。
結婚する二人にとっては、新婚旅行を兼ねて、親戚や会社関係など煩わしさを避ける意味でも経済的にも有利な方法なのだと思いますが、それについていく家族は大変です。
もう一人の娘と息子夫婦と孫、総勢7名の旅費から滞在費となると結構な出費です。
それでも、せっかく若い二人が決めたことですし、それを尊重し、喜んで出かけることにしました。
ホテルでの挙式は人前結婚式でした。
当初、ハワイでの結婚式だからキリスト教会式なのかと思い、「ハワイにも曹洞宗寺院があるんだけど」と言ってみましたが、娘が「えー⤴?嫁に行く方だし」という反応でしたので讃美歌でも仕方がないと思っていました。
二人は、気を遣って考えて人前結婚式という選択をしたようでした。

いわゆるバージンロードというのもありました。
冷たい手から娘の緊張が伝わってきました。
腕を組んで進む一歩一歩は、娘が離れて行く一歩一歩でもありました。
「おとうしゃんだーいしゅき」と言って抱き着いてきた小さなころが思い出されます。
でも不思議と涙は出ませんでした。
娘の緊張をほぐすために笑顔でいました。
笑顔で迎える新郎に娘の手を渡して頭を下げました。
親の手を離れるということですね。
いい人と巡り会って本当に良かったと思います。
娘を、よろしくお願いいたします。

アロハシャツが正装ということもあり、堅苦しくなくシンプルでさわやかな挙式でした。
次の日一日観光もして帰ってきました。
飛行機の移動時間も長く、2歳と1歳の子ども連れは大変でもありましたが、こうやって家族一同で旅行する機会もこんなことがなければないでしょうから、そういう意味で娘には感謝もしています。

娘の名前は霧の衣と書いて「霧衣(きりえ)」と言います。
尊敬する千葉県の老師に付けていただいた名前です。
その元となったのは、道元禅師の言葉をまとめた聞き書き『正法眼蔵随聞記』に出てくる(長円寺本第五)
「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る。よき人に近づけば覚えざるによき人となるなり。」という一節です。
深い霧の中を歩いていると、いつ濡れたとも気づかないうちに衣がしっとりと湿っている。
それと同じように、善き人に近づいていると、いつ変わったかと知らぬ間に自分も善き人となっているものだ。
というような意味でしょう。
次女が生まれたとき、老師は、善き出会いがありますようにと授けてくれたものと感謝をしました。
この度、その名前の通り、素晴らしい人と出会い、伴侶となることができたことは娘にとって何よりもの幸せと思います。
そしてやがて、二人に近づく人々を温かく幸せにする霧の存在に、二人がなってくれることを望みます。
おめでとう。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



三ちゃんのサンデーサンサンラジオ129

2017年10月14日 09時39分10秒 | サンサンラジオ
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10月15日日曜日。

とっぷりと秋の真ん中となってきました。
木々の葉も次第に色づきはじめてきたようです。

 花開必結真実(花開けば必ず真実を結ぶ)
 青葉逢秋即紅(青葉秋に逢うて即ち紅)
時節因縁が到来すれば、結果は自ずからやってくる。という意味の禅語です。

木々の葉の変化は人の一生に似ています。
春に芽吹く新芽は、生まれたばかりのしわくちゃにたたまれた赤ん坊の手のようです。
みずみずしい新緑は、青春と同じに透き通るような美しさです。
夏、キラキラと照り返す濃い青葉は、たくましく成長した成年時代と言えるでしょう。
やがて秋、緑が少しずつ変化をし、黄色や赤に燃えていきます。
冬、風に任せて大地に舞い降り、雪の下で次の命を優しく育む掛け布団となります。

老年はまさに秋の季節。
私にも紅葉が始まりました。
錦とまではいかないまでも美しく染まりたいと思います。
秋になっても青葉でいたいと思うと無理が出てきます。
しわを伸ばしたりたるみを引き締めたり、気持ちは分からないではありませんが、顔は誤魔化せても首や手の老いは隠せませんね。
紅葉でもなく青葉でもない、どっちつかずのまだらな色は決して美しいとは言えないと思います。
アンチエイジングなどという無駄な抵抗はせずに、自然に任せて開き直った方が美しく見えると思うのですが違うでしょうか。
老いが美しくないと思うから老いを敵対視し、老いを嘆くことになります。
「100歳100歳」のキンさんギンさんがいましたが、彼女たちがアンチエイジングしてたとは思えません。
なのに名前の通り輝いていたと思います。
紅葉のように、人生は美しき変化を遂げるのであり、老いは決して敵ではありません。
赤ん坊がハイハイから立ち上がり一人で歩き出すのを「成長」と呼ぶなら、老いの変化も人間一生の成長ととらえることができるでしょう。

檀家のおばあちゃんに声をかけました。
「鈴木さん」「……」、「鈴木さん」「……」、「鈴木さーん」「うーん?」
ようやく気がつきこう言いました、
「最近耳が十日町」、「ふふふ」
「ついでに目はかすみ町」、「うまいこと言うね」
ということで、気に入ったのでその続きを付け足しました。
「耳は十日町、目はかすみ町。腰は大曲、足は足摺岬。体のアチコチ小姓町。頭の中は大歩危小歩危でさっきのことも稚内。だけど、あなたを見ると心はいつも若葉町」。
老いを笑ってしまえれば楽しくなります。
これは老人にしかできません。
美しく染まって生きましょう。
染まるまで生きられたことを感謝しましょう。
老いは怖くない、老いは楽しいと若い者に知らせてあげましょう。
突然の嵐が吹いた後は、落ちた場所で次の命を育みましょう。
散った後も役に立てるのです。嬉しいことじゃないですか。
「青春」に対して秋は「白秋」というのが決まりですが、白よりも赤の方がいいので「紅秋」と呼びたいと思います。
「われら紅秋!」
「紅秋とは何だ!」
「これが紅秋だ!」
「飛び出せ!紅秋」
「燃えろ!紅秋」


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ128

2017年10月08日 04時52分55秒 | サンサンラジオ
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10月8日日曜日。

9月の初めにもちょっと触れましたが、9月の新学期に子どもたちの自殺が増える傾向にあるということで、関連の情報が流れていました。
今年はどうだったのか、気になっています。
クラスの中で仲間外れになる、無視されるというのは、子どもにとって世界の終りのような恐怖を感じることではないかと想像されます。
大人とは違う、思春期には思春期なりの悩みや苦しみがあるでしょう。
大人もみんな経験してきたことながら、今は正確に思い出すことができません。
もし今思春期の真っただ中で苦しんでいるのなら、申し上げたい。
今はとても苦しく、生きていることが辛いと感じていても、大人になればそのことを忘れてしまうことでもあるんだということ。
今の苦しみが一生涯続くということもないんだということ。
今は将来を考えることができないのだとしても、何とか耐えて、生き延びていけば、大人になって笑って振り返ることもできるかもしれないんだということ。
徒党を組みたがるのは、自分の判断や自分の意思を誰かに委ねたい自信のなさから生まれるものと思います。
横断歩道をみんなで渡れば怖くない的な無責任さです。
前を歩く誰かの判断あるいは集団心理で、自分の意志と反してとんでもないところに向かってしまうこともあるでしょう。
それは自分の意思を誤魔化すことにもなり、やがて自分を苦しめるだけです。
それならば一人の方がいいです。
でも、自分の意志というものが自分で分からないというのも思春期の心の状態かもしれませんね。
悩むのは思春期の証明みたいなものですから、大いに悩んだらいいと思います。
悩みこそが大人の入り口で、悩みが大きいほど大きな大人になれるでしょう。

人間は結局一人なのです。
絆だつながりだというのは、逆に言えば一人ひとりバラバラだからこそ、どこかでつながっていようねという意味だし、付かず離れずというのが大人の人間関係、「人の間」ということでしょう。
そこには、折り合いや妥協がつきもので、結局は「自分が大事」というのが基本です。
みんながそうだからこそ、相手を尊重しなければならないのですが、自分が大事と相手の尊重の間でせめぎ合いをしたりするのです。
多くの人と関係を築けば築くほど、折り合いや妥協が必要なわけで、そればかりでは疲れてしまいます。
だから、そういう人は自分が妥協するのではなく、相手に妥協させる人でもあります。
当然嫌われもするでしょうが、それを怖く思わない人です。
そういう人もいれば、ごく限られた人とだけ関係をもち、なるべく妥協もせず嫌われもせずに生きていこうとする人もいます。
どちらも自分に合った楽な生き方をしているのであり、誰かに批判される筋合いではありません。
人は一人でも生きていけます。
無理に好かれる必要はありません。
あなたが嫌いな人はきっとあなたをも嫌いです。
嫌いな人から嫌われるのは怖いことではありません。
静かに離れて行ってくれることを願うだけです。

ただ、大人も年齢を重ねていくと、折り合いや妥協など、煩わしいことからは遠ざかりたくなります。
人間関係のしがらみに左右されるよりも、一人気ままに自由であることの方を優先したくなります。
仲間だとかグループみたいなものは、どうでもよくなります。
孤独であることを怖いと思っていたことが嘘のように、孤独を快感と思うことがあります。
それは一人死んでいくことの準備なのかもしれません。
それほど好きな人もいませんし、必要な時にだけ会えば十分な人ばかりです。
それで何の不都合もありません。
親が全てであった赤ん坊のころ、親を離れ仲間グループが全てになりそこから離れることを何よりの怖さだと感じていた青春時代、そして、次第に一人に慣れていく、それは自然の流れなのかとも思います。
山を見、風を聞き、孤独に耐え孤独を楽しみながら、たまに顔を見せる人との会話を楽しむ。それもいいじゃないですか。
そんな良寛さんのような心境の年齢になってきました。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ127

2017年10月01日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

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お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月1日日曜日。

もう10月ですよ。
朝晩はめっきり肌寒くというか、本当に寒くなりました。
ストーブが頭に浮かんだり、庭木のことが気になったりしています。
まだ冬支度は早いはずですが、気温に応じて頭が自動的に考えてしまうことなのでしょう。

世界の情勢も国内の情勢もよろしくありませんね。
国政に、落ち着いた安定を望む気持ちはあるのですが、安定に乗じて何をやってもいいというような勘違いをされてしまわれるのは困ります。
ある程度の反対勢力があり、緊張感とバランスを保ちながらより良き道を選択する政治が望まれます。
北の動きについても気になることがあります。
他国の意見を全く聞かず、どんどん軍備増強を進めるのには困ったものですが、かといって、その国を戦争でつぶしてしまえというような空気には怖さを感じます。
戦争になれば、互いの兵士が犠牲になるばかりか、かの国だけではなく近隣諸国にも火の粉が及び、一般市民が巻き添えを食うことも避けられないと思われます。
もちろん、最も多くの死者を出すのはかの国となるでしょう。
そのことを、何となく「しかたない」あるいは、「当然だ」「やってしまえ」的な雰囲気になってきていることに寒気がするのです。
それとも、かの国の人々の死はとるに足らないものという考えなのでしょうか。
また、「斬首作戦」などという恐ろし気な言葉がテレビの報道番組で平気で使われています。
この作戦、これまでイラクのフセイン大統領、アルカイダのビンラディンに対してとられた作戦だと聞きました。
果たしてその作戦の後、平和で安定した社会が構築されたでしょうか。
むしろISなどの台頭を促し、かえって複雑な情勢を生んできたのではないでしょうか。

首謀者一人の命を奪うことで多くの人の命が助かるならばその方がいい、それが正義だというような響きに聞こえす。
しかし、「斬首」とは文字通り首を切る、命を奪うことで、人を殺すことを何の違和感もなく、正義の如くに語られること自体に異常さを感じます。
「殺すなかれ、殺させるなかれ」の仏教徒として疑義を感じざるを得ません。
どんな極悪非道の人だとしても、その命を奪うということには仏教徒として異を唱えていかなければならないと思います。
少なくとも、嬉々として賛成するような考え方には与(くみ)したくありません。
ああ言えばこう言う、というような子どもの喧嘩ではないのですから、もっと冷静に、智慧を使った解決方法を探るべきですし、そのようにアドバイスする人がいて欲しいと思います。
そのあたりが仏教徒の出番かと思うのですが、特にその業界からは何の発言もないようです。

一人一人の心の静けさを目指す社会、慈悲心で包まれるような社会の実現を願います。
それは、一人から始めなければ動き出しません。
相手の荒々しい心に対抗して自分も攻撃的になれば、荒々しい心だけが広まってしまいます。
攻撃的な人に対して慈悲心をもって向かう人になりたいと思います。
慈悲の社会化を目指します。
そんな為政者の出現を待望します。

(追加)
あ、そうか、慈悲心の大きい人は政治家になれないのか。
しかたないですね。
一般市民が何とかするしかありません。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。