なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ100!

2017年03月26日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
3月26日日曜日。

パンパカパーン、パパパパパパ、パンパカパ―――ン!
サンデーサンサンラジオ、100回目を迎えました!
パチパチパチパチ。
おめでとうございます!ありがとうございます!

イヤー、ここまで続くとは思いませんでしたね。
途中空しくなってやめようかと思ったこともありました。
そんな時に「勝手に休むな!」と𠮟りながら励ましてくれる人がいました。
回を重ねるごとに視聴者も増えて、毎週楽しみに?してくれる人もいるんだなと思って何とか続けてきました。
第1回目が一昨年の4月ですから、約2年間ということになります。
毎週というのは結構厳しいんですよね。
1週間がこんなに短いのかと毎週思いながらやってきました。
日曜日の朝に何を話すか、事前に準備して臨まなければなりません。
出かけることも多いので、旅先からお送りしたこともありました。
実は今日も東京からお送りしています。
昨日は、シャンティ国際ボランティア会の総会があり、1泊しています。
今日はこれから山形最上に戻って法事を5件勤めなければなりません。

昨日の総会では、通常の決算・事業報告等の審議があり、その後、先日亡くなった松永名誉会長の追悼式典、そして役員・スタッフ物故者の慰霊行事がありました。
追悼式では、会を代表して追悼の言葉を述べさせていただきました。
この人と出会って私の人生は決まったんだなと改めて思います。大きな人でした。
その後、朝日新聞前アジア総局長、コンテンツ戦略ディレクター藤谷健氏の「多様なアジアを伝える~隣人を知る、自分を知る」と題しての講演会と続き、当会の今後の活動について勉強させていただきました。
読むこと書くことが、人間の尊厳取り戻す喜びになるという話が印象的でした。
名誉会長の追悼式はこれで終わりにするつもりでしたが、松永老師を慕う人がとても多いことが分かり、そう、少し簡単に考えていました。失礼しました。
ということで、日を改めて個別の偲ぶ会を5月に開催することになりました。

さてさて、おめでたいのか悲しいのか分からない内容になってしまいました。
サンサンラジオはこれからも続けていくつもりです。
KYB(※注)をキーステーションに、全国ネット、そして海外まで届いています。
毎週日曜日の朝5時に放送しますが、都合により時間が前後することもありますのでご了承ください。
もちろん、ブログでいつでも好きな時に読むことができます。
アーカイブス(カテゴリー)からまとめて読むこともできます。
これからも末永くおつき合いいただければ幸いです。
ご意見ご感想をいただけたら励みになり、うれしく思います。
ブログのコメント欄からお願いします。
また、リクエストもお待ちします。
ただし、ここで流すのは中島みゆきだけですので中島みゆきの中からお願いします。
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ!101回目に向けて頑張りまーす。
これからもよろしくお願いしまーす。

※KYB=空気読めない坊さん


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


©遠藤浩信エンドーフォト

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ99

2017年03月18日 06時46分22秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月19日日曜日。彼岸です。

昨日は仙台市若林区のお寺に招かれてお話をさせていただきました。
実は、こちらのお寺さんからは震災の年にも呼ばれていてお邪魔する予定でしたが、その8日前に震災が起きてキャンセルとなったのでした。
テレビの報道を見て、当然そうだろうなと思っていましたが、何と、寺の総代さんから丁寧なお断りの葉書をいただき、いたく恐縮したことを思い出します。
津波は本堂の腰高まで浸水し、お檀家さんも10名亡くなっています。
あれから6年、七回忌となりました。
「大震災と私」というテーマをいただきお話させていただきました。


先日15日には、久しぶりに南相馬市小高区を訪ねました。
昨年の7月に避難解除となり、故郷に住むことができるようになりましたが、帰還したのはまだ一割程度です。
区内を車でグルグル回って、改修工事をしているお宅があったり、新築をしている家もあったり、庭先に車があったりするのを見ると、少ないとは言え人の気配が感じられ、以前お邪魔したときの廃墟のイメージとは違っていました。
モノクロームの街に色が戻ったような感じです。
この4月には、小学校、中学校、高校も再開されます。
ただし、小学校は4校が統合され、ぞれでも生徒数は70名ほどです。
しかも、避難先からスクールバスで通ってくる子どもがほとんどのようで、学校が再開されれば子どもたちの姿と声がよみがえり、街がにぎやかになるだろうと期待していた住民には少し残念な状況であるようです。
スクールバスの通学までして小高の学校に通うのはどうしてかと疑問に思いました。
子どもたちのつながりかと思いましたが、既に6年が経っていて、震災前に小高の小学校に通っていた子どもはもういません。
ではなぜ。地元の人の話では、親が通わせたいという思いが強いようでした。
また、兄弟が中学校や高校に通う場合もあるかもしれません。

いずれにせよ、この地区の帰還は緒に就いたばかりという印象です。
放射能という見えない汚染により、故郷を追われた人々。
線量の高いところ低いところで色分けされた地区。
賠償金の額で心が分断された人々。
この国が始まって以来、全く経験したことのなかったことがここで起こっています。
安全を誰が保証してくれるのか。誰を信じればいいのか。放射能のように見えません。
それでも帰りたいと思う人がいます。
困難を承知で、それでも故郷、自分の家に帰りたい、その気持ちは痛いほど分かります。
なので私たちは、戻った人々の傍に寄り添い、どう生きていけばいいのか、共に考えたいと思っています。
手を引っ張るのではありません。立ち上がろうとする時に支えになる手すりや台にでもなれればと思っているのです。

仙台若林区も、南相馬市小高区も、まだまだ被災の真っただ中です。3.11だけが震災ではありません。
7回忌を区切りにしようとするのは、被災地の外の人々の勝手な判断です。
また、ふつふつと怒りが腹の底にたまってきます。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ98

2017年03月12日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月12日日曜日、昨日はいわゆる3.11でした。

各地でいろんな催しが行われたようですね。
私は寺で一人鐘を撞き手を合わせました。
我が同級生の勝明君は、去年に引き続き「忘れ米」を作りました。
去年は、被災地以外の皆さんに、「忘れないでいようね」という願いで、310g入りの米と1gのローソク1本をつけたものを311個作って配りました。
その企画を聞いて「忘れ米」というネーミングと趣意書を提供しました。
「今年もやりたいんだけど、今年は31.1㎏の米袋で被災地に贈りたい」ということで、米袋に張り付けるラベルを作りました。
それにはこう書きました。

……………

言葉を失った
心が痛かった
何度も涙を流した
命が締め付けられた

あの日から6年を迎えます
時間とともに 忘れていくのは 自然なこと

でも 忘れてはいけないこともある
未来のために語り継いでいかなければならないことがある

いや 今も 困難な中に暮らす人がいる
故郷に帰れない人がいる
忘れられることは見捨てられること と感じる人がいる

だから 忘れ米(まい)

忘却の自然に抗いたい
米を噛みしめて 心に刻みたい

米は 俳人の黛まどかさんと一緒に作った
もがみ源流米 「夢まどか」
31.1kg心を込めて詰めました

一つのおにぎりを分け合って食べた あの日の記憶を語り
心に刻み 語りつないでいただければ・・・
それが私の願いです

米提供 農家 奥山勝明

……………
 
米は南相馬に送り、これから大船渡に持って行くようです。
こんな文章を書いておきながらなんですが、この日だけ「忘れない」というのではあまり意味がないと思います。
被災地は毎日が被災地なのですから。
忘れてしまうのは被災地じゃない人たちで、この日だけ思い出して被災地に押しかけて迷惑をかけるのもなんだかなあと思ったり、マスコミが免罪符のようにやおら報道するのもどうかと思います。
でも、「今でも12万人以上が避難生活を…」などというニュースが流れて、被災地の苦労を慮ってくれるきっかけになれば、少しは意味があるかなと思います。

被災地の住職さんが言っていました。
「3月に入るとお檀家さんの7回忌法要が毎日びっしり入っているよ」。
合同供養というのもあるのだと思いますが、家族は自分の家族の法事をキチンと努めたいという思いがあるのです。
命日の前にという思いがあるからどんどん前に詰まってくるのでしょう。
同時に何万人が亡くなろうと、自分の親は自分の親、自分の子どもは自分の子どもであって、誰とも同じではない。誰とも比べられない。
孫であったり、おじいちゃんおばあちゃんであったり、兄弟、友人であったり、かけがえのないという意味では、いつ、どんな亡くなり方をしたかは関係がない、そんな問題ではありません。
親を亡くした喪失感、子どもを失った喪失感は、個人個人、一人ひとりの問題であって共有できるものではありません。
数万人の喪失感が同じ日に重なっているというだけのことです。
亡くなられた方々の菩提寺の和尚さん方は、それぞれお一人お一人に寄り添って、丁寧に読経してくださったことと思います。

6年、7回忌。これが「もういいだろう」などという被災地以外の人々の勝手な心の区切りにならないことを願うばかりです。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



三ちゃんのサンデーサンサンラジオ97

2017年03月05日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

今日は3月5日、もう3月ですね。
2月はあっという間に過ぎるので、なんだか損したような気分になります。

60歳になってから、朝のルーティーンが少しずつ増えてきています。
だいたい、毎日の起床時間は5時半。
顔を洗い、歯を磨いて、体重を測ります。
少し減量を意識しています。

メールをチェックしたりして、本堂へ。
6時から朝課ですが、時間の余裕によって、その前後に少し坐ります。
坐禅というほどの時間ではありませんが、足を組んだまま朝課を勤め、終わるとそのまま少し坐ります。
朝課では東日本大震災の復興祈願と物故者供養をいたします。
朝課終わって、そのまま本堂で四股を踏みます。
右、左、と25回ずつ計50回の四股です。
足腰の筋力維持、股関節のストレッチにいいと思います。

終わって内仏の読経。
我が家系の先祖供養をするのですが、母親の両親、連れ合いの母親の戒名も読み上げます。
そして、さらに、私がお世話になった方、友人、どうしても供養しないではいられない方の戒名も、月命日に読み上げるようになってきました。
それが、このところ急に増えてしまっているのです。
今年に入ってから、続けて二人大事な人を見送りました。
私がここにこうしているのは、もちろん先祖からの縦のつながりの結果です。
なので、先祖供養は当然なのですが、そればかりではなく、社会の縁として、その人がいなければ今の自分はないという人も当然あるわけです。
命のつながりを縦の糸として、社会のつながりを横の糸として、人生の織物が織りなされているわけですから、同じように感謝の供養をしないではいられないのです。
それを「私の過去帳」と呼んでいます。
我が家の過去帳プラスの自分にとっての過去帳です。
この歳になって、それがどんどん増えていくのは仕方のないことですから、しっかりと自分の中で受け止めていこうとしています。

そんなこんなで、朝の動きが流れとして形になってきました。
なぜこんなことを、などという理屈は考えないようにしています。
決められたこと、自分が決めたことに身を任せていれば、それはそれで楽なのです。
ですから、修行道場はある意味とても楽なところだとも言えます。
朝起きてから寝るまでの間、ほとんど自分で判断することもなく、決まっていることにただ身を任せていればいいだけなのですから。
もちろん体が慣れるまでには苦痛を感じます。
例えば事細かに決められた食事作法は、最初は誰しも覚えられず、ゴツゴツと怒られながら、全神経を集中して器を扱わなければなりません。
もう食事などしたくない、何よりも食事の時間が嫌だというような思いにもなります。
しかし、それも1カ月もすれば、ボンヤリしながらでも手は勝手に動くようになるし、食事は待ち遠しい時間となってきます。
要するに、修行道場は、生活の作法を体で覚える、身につけるということなのですね。
なので、身についてしまえば、何の苦痛もないし、頭を使うこともなければ、ある意味ただボンヤリ時間を費やしてしまうことにもなりかねません。
もちろんそんなに単純ではないのですが、要するに、決められたことのあることの良さを感じるという話です。
もしかしたら、これからもまだまだルーティーンの動きが増えるかもしれません。
身を任せる時間が増えるわけですから、それは楽しみでもあります。
さあ、3月もしっかり生きましょう!


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



©遠藤浩信エンドーフォト