なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ295 下山の道

2021年01月03日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第295回。1月3日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。

28日月曜日、大掃除
31日木曜日、除夜の鐘
1日金曜日、元朝祈祷
その他法事が1件、大晦日と元旦に不幸が2件入りました。
というような1週間でした。

みなさま、あけましておめでとうございます。
昨年は新型コロナに翻弄された1年となりました。
松林寺の大般若会も集中講座も中止を余儀なくされ、寂しい年でした。
今年はワクチンもできて感染が軽減され、少しにぎやかさを取り戻すことができるよう祈ります。
我々の先祖方も、数々の苦難の時代を乗り越えてきたわけですから、我々もこの困難をしっかりと乗り越えて未来への教訓としなければなりません。
コロナ過の事象の中で悲しかったのは、やはり感染者への攻撃で、まるで犯罪者のような視線がありました。
原発の放射能被害と似た現象でした。
なので「一人目になりたくない」という圧迫が、感染そのものよりも強い恐怖を感じました。
流言飛語にまどわされず、物事を「正しく見る」ことがとても大事ですね。
正しく見るためには、偏らずに色んな人の意見を聞くべきだと思います。そして自分で判断する。
自分で考え自分で判断しないから、人の言葉に左右されて右往左往してしまいます。
自分で判断するためには、心を静かにして考えることが必要です。
朝、仏壇の前に座り、線香を真っすぐに立てて、それに合わせるように姿勢を真っすぐにする。
心と体は一如ですから、心を真っすぐにするには体を真っすぐにするのが肝要です。
そして、心の重心を下げる。
頭だけで判断しようとしても蒙昧してしまうことになります。
心を落ち着けて、水面が鎮まるように静かになれば、自然に正しい判断ができるようになるでしょう。

若い頃は、ただおかしく、その場が楽しければいいということもあります。
自分もそうでしたから、それを笑うことはできません。
大人になり落ち着いた時代になれば、喧騒から一歩離れて静かに過ごすことも楽しくなります。
世間に流されず、左右されず、自分との対話を楽しむこともできるはずです。
それぞれの時代の自分を楽しめればいいいいのです。
今年何歳という、等身大の自分を眺め、認め、愛おしみ、自分が心地いい時間を過ごしましょう。
テレビやネットなど、情報があればあるほど、まどわされることにもなりますから、情報から離れる時間も必要ですね。
最近「一人キャンプ」などがブームなのも、そういう時間の過ごし方が求められている証左かと思います。
誰かと一緒でないと不安だというのは、ある意味、子どもっぽいのかもしれません。
やがては一人死んでいくのですから、孤独を見つめ孤独に慣れていくことは、一つの終活だと言えます。
登った山はやがて下らなければなりません。
頂上からすとんと落ちる場合もあるかもしれませんが、静かに緩やかに下ることも下山のあり方です。
「人生下り坂最高」という名言もありました。
ゆっくり景色を眺めながら、楽しんで下ればいいですね。
ぼちぼちと下りに向かっていきましょう。

ある朝、朝のお勤めをしていて「お経に自分が溶けていく」という感覚がありました。
木魚を鳴らし口からお経が声として出ていくのですが、その手の動きと声と体とお経が一体となって混ざり合う、溶け合うような感覚です。
「自分」がそこにないと全ては溶け合っているのかもしれないと思いました。
たとえば坐禅の時は坐禅と溶け合う、車を運転するときには車と溶け合う。
うまく言葉にできませんがそんな感じです。
トランス状態になったことはないですが、おそらくそれとはまったく違うものです。
自分ははっきり見えてますし、心地いい感じです。
「だから何?」と言われてもそれだけのことです。
ただ、もう一度あの感覚を味わいたいと思ってお経を読みますが、それはその時一度きりで、あとはいつものように雑念だらけです。
なかなかねえ、没我の境にはなれません。雑念だらけの人生です。

今年もこんな感じで、その時その時感じたことをお送りしたいと思います。
暇なとき、思い出した時、お立ち寄りいただければ嬉しいです。

疫病終息、万民安寧、諸災消除、諸縁吉祥
今年一年、みなさまに、佳き縁がありますよう祈ります。

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