なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ399 死をデザイン

2023年01月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第399回。令和5年1月8日、日曜日。

喪中ということで静かな正月を過ごしました。
松林寺、宿用院の新年会もなく、松飾りもなく、供え餅もなく、年賀状もない正月でした。
もちろん、三が日の三朝祈祷、元日の合同祈祷は滞りなく勤めました。
年末に集まった子どもたち家族も、30日にはそれぞれの実家や家に雲散して、初めてのカミさんと二人だけの正月でした。
そのお陰で、三日間じっくり駅伝を観て過ごすことができました。
一日の実業団、二日三日の箱根。
わが母校駒大の活躍もあり、目が離せませんでした。
四日には、地元百軒のお札配り、五日には他地区役員さんへお札配布の依頼、六日は寒念仏を勤め、昨日は七草がゆを食べて一区切りというところでしょうか。

昨年は戦争が始まったり、そのために物価が高騰したり、コロナが長引いたり、各地で災害が発生したりで、なかなか厳しい年となりました。
その影響を受けて苦しい状況が続いている家庭もあるでしょう。何とか耐えて乗り越えて欲しいと願います。
エネルギー供給が制限されて寒さの中で冬を過ごしているウクライナの人々に、使い捨てカイロを送ろうと立ち上がった人がいます。
原発事故で福島から山形へ避難して11年間米沢で過ごしてきた方のようです。
「山形で多くの人に助けられた。今は困っているウクライナを助けたい。支援すべきは武器ではなくカイロだ」と支援を呼びかけています。
自分が苦しい体験をした人は、他の人の苦しみに共感する感受性が敏感になった。
人の暖かさを知った人は、その温もりを他の人にも分けたいと思う自らの慈悲心に気がついた。そういうことなのだろうと思います。

私自身のことを振り返れば、正月早々転んで頭を打ち、一時記憶が飛んだということから始まった一年でした。
4月末にも後ろ向きに倒れ、首と背中の筋肉が硬直してしばらく痛みに耐える日常を余儀なくされました。
二度あることはと三度目を心配しましたが、さすがにそれはなく無事でしたが、8月末には突然に喉が痛み出し、こちらもしばらく苦しむことになりました。
年齢による衰えがじわりじわりと忍び寄ってきていることを自覚させられました。
8月と9月、半月ほどの間に孫が二人誕生しました。
そして、10月、母親が突然他界しました。
命は足し引き出来るものではありませんが、+1の年でした。
正月前に、3組の子ども夫婦5人の孫、と家族が集合したとき、「歳徳大善神」をお迎えする年越し恒例のお参りをして、仏壇にもみんなで手を合わせました。
母の位牌と写真に対峙して、この家族の全員集合を一番喜んでくれているのは母親だなと肌で感じました。写真が微笑んでいるように見えました。
コロナで新しいひ孫二人と対面することは叶いませんでしたが、生まれてくれたこと自体が何よりのひいばあさん孝行であり、喜こばせてくれたことだったと思います。
そんな中、年末に私がコロナに感染しました。流行り物をもらった感じです。
その後遺症でもあるのか、単に加齢のせいか、疲れやすくなり、風邪をひきやすくなった気がします。
飲酒の量もガクンと落ちました。
だいたいにして、飲みたいという気持ちが極端に弱くなりました。
年が改まり、「新酒を楽しむ会」を企画していますが、さほど飲めないと思います。

「枯れ」の季節に入ったことを自覚しています。
これまでに充分楽しく生きてきたので、いつ散っても悔いはありません。
もしもの時のことは既に書き遺しています。
葬儀のやり様や予算案、香典の配分方法、本人の言葉で会葬の謝礼文も書いています。
それが今年中かどうかは分かりません。
ただ、準備を整えておけば、思いを遺す事はありません。
なるべく痛くなく、苦しまないで逝きたいだけです。
それが明日であってもいいように今日を生きるだけです。
死因はおそらく脳内出血か心筋梗塞かでしょう。痛いのでしょうね。
ガンならば準備ができて伝えたい思いを言い遺す事もできるのでありがたいと思います。
禅僧の慣わしとして、書初めに「遺偈」を書くとされていますが、遺偈は遺さないことにしました。
元々漢詩が得意ではないし、ありのままに格好をつけずに逝けばいいと思ってのことです。
代わりに「勧酒」の詩を掲げるように書き遺してあります。
自分の死に様を考えデザインするのは楽しいことでもあります。
何せ、最期のイベントですから。自らプロデュースしたいと思っています。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

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