ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

三ノ輪・逍遥 4: 竜泉寺界隈・神社

2018-06-21 17:27:13 | 街 探求!

高校同級会・6/4 終章


三ノ輪・逍遥 4:・・のち・飲み会


竜泉寺界隈・神社

樋口一葉館・


平安時代の女流文豪・紫式部や和泉式部など以来の、長い・ながーい・・時間を経ての女流文学者。
ただ・・1年にも満たない竜泉生活であったが、「たけくらべ」の生活情景はほぼ”竜泉風景”である。
吉原や鷲神社のにぎわい、「見返り柳」などの風景描写は・・、「たけくらべ」の文中が使われる。
---・樋口一葉の生活実態のほとんどが本郷周辺だったようで 

---・一葉記念館から国際通りに出て浅草へ向かうと、「おとりさま」こと鷲神社の赤鳥居が見えてくる。
     ...「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」 あまりにも有名な『たけくらべ』の冒頭に登場する、吉原の見返り柳 ---

 

鷲神社


日本の「商業の発祥」といわれる「酉の市」の「おおとり」さま・・
 ---・ 日本の宗教は神仏習合である。仏と神では、どちらが上でどちらが下で、あるいはどちらの方が偉くて偉くないか・・など不謹慎であるが、よくわからない。というより役割が各々あったのではないかとも思える。生きて節目の祝・神社、死して鎮魂の仏閣などの特色は、言わずもがな・・で
今一つの特色は、その公共性の有り様!。維新の前あたりの時期までには、神社が、役場の代わりの機能が確かにあったし、古くは真言宗に見られるのは、仏閣講堂は宿泊所を兼ねていたという布施屋の機能・。そして境内や参詣道はみんなのものであったという事実である。これは為政者へも一般人と共通の認識であり、それが不入特権という形で神社仏閣に与えられていたようである。
この不入特権は、中世に2つの大きな特徴を生み出していく。
一つは、それまでの為政者・豪族の相続が、所有土地の分割相続が限界に達し、分け与える土地が無くなるにしたがって、次男以下を仏閣に隠棲させる方法や完全の家臣化の方法・・、このやり方への不満が「内訌」・戦国化へつながっていくという。
今一つは、中世農村社会でも、生産性の向上は、まず「物々交換」の商業の萌芽を発展させていいて、その場が「公共性の高い」神社の参詣道(=参道)であったり、仏閣の境内だったりしたわけで、そこは「不入特権」があり、為政者から「税」の対象にされてなかったわけで、・・・
そんな折の、「鳳神社」の「酉の市」の発祥・・だから、秋の収穫を終えてに時期に「酉の市」は始まった。


<脱線> ---
・戦国期に、尾張/三河/伊勢/越前などで「一向一揆」が起こった。これは、これらの地方の一向宗(浄土真宗)の寺院で起こった「不入特権」を無視した領主への反抗の戦いであった。浄土真宗の各人の境内で行われる商業活動で上がる利益を、領主・織田信長や家康が欲しがったためである。この境内での商業活動は進化して、信長は「楽市楽座」として発展させ、淨土真宗についての弾圧は,凄惨を極めた。一向一揆の発生の地域特色は海岸線が多いが、商業活動の品目には「農産物」のほか「塩」がおおい。三河一向一揆の頭目には、西尾(煮塩)の吉良家の存在が大きい。敗北で、家康に従順した吉良家の領民の主産物は「塩」であり、後にこの「塩」をめぐって「浅野家」との間の悶着をおこして「忠臣蔵」が起こる。「忠臣蔵」を主君の仇討と捉える反面の裏側の経済の理由を知ると幕藩体制維持の論理と事の良し悪しの是非は、案外深い。---

各地の「門前町」の成り立ちは、この「酉の市」の応用発展であるようだ。

 

吉原神社、吉原大門、見返り柳・・など、





上:吉原大門(おおもん)、中:吉原神社、下:弁天池  コメント割愛

 

 

 


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