ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

R254・武蔵嵐山・本多静六

2016-02-16 09:58:24 | 建造物

R254・武蔵嵐山・本多静六

むかし・むかし・
免許とりたての頃の話。
三桁国道が好きで、よくドライブに出かけていました。 ・・・よくある話です。
R254もその一つで、嵐山、小川町、東秩父村・あるいは寄居にはよく出かけていました。
山が残る、”里山”っぽい風景がきっと好きなんですね。



R254のメインの景観地の一つ、「武蔵嵐山郷」の名づけ親であり、公園の造園に深く関わった「本多静六」さんの展示会が、県立歴史博物館で開催されております。
・本多静六 -菖蒲町に生まれ。日本で最初の林学博士。各地の公園設計者。資産家。
●期間:平成28年1月19日(火)~4月24日(日):●会場:常設展示室 第9室

この人は、じつに逸話の多い人で、かつ魅力にあふれる人です。
まず若い頃、一身奮起し向学に燃え勉学に勤しむわけですが、「勤労を疎かぬせず」を哲学として、農繁期には農業に従事し、冬場の農閑期に東京に出て勉学に励みます。
そんな訳ですから、同輩の徒より勉強時間が不足し、それでも何とか「東京山林学校」に入学します。入学したときの成績は”ビリ”だったそうです。「東京山林学校」は、本多静六が在学中に、東京帝国大学農学部山林科に昇格します。本多静六は、帝大農学部山林科を卒業する時点では首席だったそうです。
この方は質実な倹約家で、講演会に呼ばれるごとに、「収入の四分の一を先行きの備えに回しなさい」と説いたそうです。自らも言行一致で蓄えたそうです。それが超長期投資法で、林学を学ぶために和歌山の山林王に寄宿したときのヒントの投資が、のちに巨額の富を生み出したそうです。巨額の富は、子息に相続せずに一切を寄付したと言われています。

逸話は、まだまだこんなものではないので、少し深掘りして、人柄を味わうのも悪く無いと思います。

本多静六は林学博士ですが、各地の公園の造園にも深く関わり、およそ埼玉の、自然林の残る公園、氷川神社・大宮公園、武蔵嵐山郷、羊山公園などなどで、他の地区でも、彼の関わった公園は、東京の日比谷公園、明治神宮の森をはじめ、大沼公園(北海道)や鶴ヶ城公園(福島県)など百をくだらないと言われています。

個人的な好みの問題かもしれませんが、洋式公園よりも、自然林の残る公園のほうが馴染みます。


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