ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

初詣  峯ヶ岡八幡神社

2015-01-04 15:45:31 | 日記

初詣


峯ヶ岡八幡神社
天慶年間(938~947)に清和源氏の祖、源経基の創建と伝えられ、かつては、足立郡谷古田領三十二ヶ村・川口市新郷、安行の一部、草加市の西部・総鎮守の古社

  

1月2日
大宮氷川神社が、恐らく今年も、初詣客200万人を超すだろうと言うことで、避けてみた。昨年は、三の鳥居と楼門の間で、参詣の波に合流しが、遅々たる流れで、拝殿まで約20mに三十分を要し、賽銭箱まで五m先しかたどり着けなかった。礼拝も流れに押される有り様、・・・・・
今年は、その轍を踏むまいと、峯八幡へやって来たわけで ・・・


八幡神社と言えば、神の使いが、”鳩”か”鶴”の訳だが、峯八幡には見当たらない。通例地籍名に鳩か鶴の文字があるのだが。眷属としては、狛犬が鳥居近くに、神社を守っている。調べて見ると、新羅三郎義光が、当社に戦勝祈願したとき、二羽の鳩が銀杏の木に止まり、御幣となって戦勝を祈願したとあります。その銀杏の木は、今は600年経ち、大銀杏となって、御神木になっています。 ・・・この八幡宮は、鳩と言うことになります。 ぬぬ! 新羅三郎の生きた時代+600年 ・・・今は ??? 計算が合いません。銀杏の木も代替わりしたとすれば、”鳩”の謂われのある銀杏とは別物! ・・これは、後世の誰かが、銀杏の年代を詐称したとしか思えません


御神体
御神体は、僧形八幡坐像の法体で、創建の源経基とあります。神社の由緒からはここまでです。


源経基
峯八幡から車で2,3分の安行原の地籍、密蔵院の裏手に小高い小山があり、その小山は川口で標高の一番高いところだそうです。その小山に、小さな神社、九重神社というのがあります。この神社の言い伝えに・・・昔、三室の豪族・武芝が、都からやって来た源経基の不当な税に抗議して経基と対立したとき、武芝を応援に来た平将門がこのこ山に陣を敷いたとあります。・・・ここで、将門記の物語の一端に触れました。平将門が、時の政府の手先の源経基と対立したきっかけです。
武蔵武芝は、氷川神社の宮司と別当を兼ねていたと言われています。平将門は、その後政府との対立が激化して滅んでいきます。将門の行状を読むと、ほとんど悪行とは思えません。やや粗暴なところがあったにしても、任侠の心を持ち、家臣友人を信愛し、女性にもてたと言われています。東男の代表みたいな人物で、たまたま関東に住む機会があって、将門を知ると、教科書に載っていた”悪い将門像”と違った風景が見えてきます。知れば知るほど、心象は”将門ファン”になっていく、・・・この後は、将門記をお読み下さい。