西新井大師・・
夢のあと・・・
その鉄道に、駅は一つしかない。・・東武大師駅(東武伊勢崎線に接続)。
その鉄道は、総長1Km。夢のあと・・・。・東武大師線
・・・全線単線である。この路線は、西板線・伊勢崎線西新井駅 - 東上本線上板橋駅・計画のうち、用地確保が完了した用地を使用し、西新井大師(総持寺)参詣者の輸送を目的として1931年に開業した。
夢のあと・・・第二次世界大戦前に完成予定の、西新井駅 - 東上本線上板橋駅間を結ぶ西板線の計画があった。環七通りに沿って計画され、途中に鹿浜、神谷、板橋上宿の各駅が計画された。
しかし・・関東大震災によって計画が頓挫し、やがて大正末期から昭和初期にかけて路線予定地が急速に市街地化してしまい、コスト高騰により実現不可能になる。よって・・廃止。『東武鉄道』は、「発展史唯一の遺憾事」としている。
・・舎人ライナー
夢のさき・・・
・舎人ライナー
・・日暮里・舎人(トネリ)ライナーは、東京都荒川区の日暮里駅と足立区の見沼代親水公園駅を結ぶ、東京都交通局が運営する案内軌条式鉄道(新交通システム)路線である。
・案内軌条式鉄道とは、よく分からないが、線路が1本のところを見ると、「ゆりかもめ」と同じモノレール型のようである。
・この地区は、従来都バスしかなく、通勤通学の時間帯は、異常といえる混雑が続いていた。バスの増発では、慢性的な渋滞が解消できる見通しが立たず、それで発案された新交通システムのようである。バスの代わりと言えば、それまでだが、”片側閉じ”の交通網は、どう見ても採算性をよくしない。少し延長すれば、武蔵野線か埼玉高速鉄道と繋がる位置にある。JRや隣接自治体との協議を待ちたいところ・・
西新井大師・・
・大師線大師駅から歩いて1分・
・舎人ライナー西大師駅から歩いて20分・
ここに、西新井大師はあります。
足が痛い、軽い肺炎、歯が痛い、鼻腔炎・・・とうとう自分まで捻挫。年の暮れは、家族は病気のてんこ盛り。捻挫が病気か怪我かは知らないが、大宮氷川神社の初詣は、人出が多すぎて、厄払いも充分な時間がとれていない。・・そこで、病気治癒の薬師がよかろうと言うことで、車で、西新井大師へ。
ルートは至って簡単。県道1号線(地元では第二産業道路)をひたすら都内へ直進でよい。だが、鳩ヶ谷を過ぎるところから、信号は多くなり、前に進まなくなる。県境を越して都内に入ると(谷在家あたり)道の名前は、同じルートながら尾久橋通りと変わる。道の真ん中に、舎人ライナーが高架上を走る。この辺りから舎人。そのライナーの西大師駅の所を左に2000Mいくと、そこが西新井大師。・・・到着。
・・反省。このルートは、極めて分かりやすいが、時間のロスが多い。かって、都内へ、休日の土日出勤の時使ったルートは、まずR122に出て、川口ジャンクションの所を、首都高の下で走り、尾久橋通りに出て、橋を越してから明治通りに抜けていた。この方が20分は早い。
駐車場 30分¥500 ・・・参考:大宮駅近在20分¥200
1月11日(土) ・・・ 寺は、みんなのもの ・・この思想は、寺というものの創設以来の考え方 ただし境内は参詣客のもので寺の管理 寺の参道は ”みんなのもの” この思想のもとに 、「楽市楽座」は寺や神社の参道で発生した。以来神社や寺は、商業・工業との関係が深い。室町時代、寺で手工業が行われていたという記録が論文に出ていた。人気の初詣の場所の出店の風景 ・・・参道の”出店”は、もう7割り方店じまいで、青いビニールシートを被せている。祭りのあと・・・の風景。
「病退散で、ことしも、つつがないように・・・」とお祈りして。・・・”つつがないように”って、ツツガムシが付かないようにっていう旅の安全のおまじない、なんて変な知識を思い出す。そうか・・・生活するってのも、人生の旅路って事か、と納得する。