win7が先月下旬に再び不安定になり予備機のXPのサメ[トも来年3月までとせまったので思い切ってメインパソコンをMacに変え、今日は初書き込み。
なお、今年も残すところ2か月弱、年末年始は長期の休みとなり間が開いてしまうため、年内の新規活動はありませんので更新も少なくなりますがご容赦を。
さて今日は、最近の世相から以下、雑感。
またか、これでもか、というように食品偽装が相次いで発覚している。
一方で、三重県の米販売業者が外国産米を国産と偽ったり加工米を食用と偽装したり、県内においても、うなぎ販売業者が外国産のうなぎを静岡産として販売したり、偽装を認めた例もあるが、ほとんどは偽装とは認めないで誤表示と主張している。
阪急阪神ホテルの例では、偽装とは「お客様を欺いて不当に利益を得ること」と自ら定義して、意図を持って表示し利益を得ようとしたわけではないので偽装にはあたらない、よって「人的ミス」「誤表示」であるという。一般には責任回避の言い訳と映るだろうが、これはこれで一つの見方・見識であることは確かである。その後、批判を受けて、お客さんから見れば「偽装と受け止められても致し方ない」と釈明したが、要するにこれも立ち位置の違いからくる見解の相違だということをいっているに等しい。
また、偽装問題ではないが、みずほ銀行の反社会的勢力との取引問題でも外部からの隠蔽という指摘に、「連携不足」「単なるミス」「軽率だった」などと釈明するなど責任回避の姿勢が見られるが、これも一つの主張・見識であり、立ち位置による見解の相違と主張しているに等しい。
確かに実社会における言説には数学のように答えが一つというものは少ない。
これが、複数人が異なる主張をすればその人数だけ答えがあると言われる所以である。
はっきり言ってしまえば、裁判所の判決でさえ法的効果の有無に違いがあるだけでしょせん一つの見解にすぎない。
そういう中でも共に合意を見いだすための「議論」が成立するのは、同じ意味地平での言語使用が前提としてあるからだが、これら例のごとく立ち位置や置かれた状況などによって言葉の意味が変わったなら理解や深化を目的とした議論は成立しない。
これが北朝鮮のような暴力を背景とした独裁国家なら議論など不要で独裁者の見解の一言でけりが付くのであろうが一応自由主義的民主主義国家である日本においてはそうはいかない。
ではどうなるかというと、言葉の意味の拡散が止められず、議論は迂遠にして空疎にならざるを得ない。ダブルスピークが日常化していくのである。
「1984」の著者オーウェルは「人も社会もまず言葉から狂っていく。」と述べているが、思考の深化を妨げられた社会は人間社会としては崩壊していく運命しかないということだ。
しかし、現実にはこのような不祥事が繰り返されても社会は崩壊せず、同じような言い訳・ごまかしの連続で終わっていることも確かである。
それは、これら事象がまだ序章にすぎないからだ。現状は、唯一同じ意味言語が通じる部分社会の中にマグマのように押さえ込まれている状況だ。
ただし、そういった特殊言語で共通する組織文化圏内の安定とは裏腹に、ますます自己文化圏の闇に埋没し、人間社会の常識からはずれ、官僚主義的ダブルシンクが組織を覆い、成長・創造・革新からは遠ざかる。
事件が明るみになったときどういう対応をするか、これは単に外部との関わりにとどまらず、内部へのメッセージとして重要である事実を多くは知らないか考えようとしない。想像力の欠如だ。
つまり、くだんの偽装会社も隠蔽会社も、一連の対応は、たとえ外部社会の反発を買っても組織内に対しては当該行為の罪悪感軽減とともに組織内文化は変わらない、変えないという宣言を行っているに等しいのであるが、その是非について考えが及んでいないのである。
魔チて本県であるが、さきの監査結果に見るとおり、「違法」が「不適切」と言い換えられ、まさにダブルスピーク、責任逃れを奨励しているかのようだ。
偽装・隠蔽会社と軌を一にするものといえよう。
実例を一つあげておこう。
知事が県議会で解消実績を自慢した耕作放棄地である。
全国トップクラスの解消実績を誇ったが、これとは印象の異なる現実が先頃農水省から発表され、地元一般紙では伝えていないが、日本農業新聞の東海版が報じたものだ。
「東海4県 耕地面積1400ヘクタール減少」として報じられた内容は、農水省が10月22日に発表した平成25年耕地面積(7月15日現在)のうち、東海4県の動向である。
以下のとおり、耕地面積の減少が一番多いのが静岡県であったのだ。
県名、耕地面積(田畑計)、対前年差
岐阜県 57,400ha ▲200ha
静岡県 69,200ha ▲500ha
愛知県 77,900ha ▲400ha
三重県 60,900ha ▲200ha
それなら耕作放棄地解消実績が高いというのは嘘なのかというとそういうわけではない。
次に示すのは、同じ農水省の発表資料中の耕地の拡張(増加要因)とかい廃(減少要因)の内訳である。
県名、拡張面積(増加要因)、かい廃(減少要因)、差し引き
岐阜県 18ha 228ha ▲210ha
静岡県 118ha 654ha ▲536ha
愛知県 13ha 390ha ▲377ha
三重県 19ha 291ha ▲272ha
見てのとおり、静岡県は増加要因、減少要因ともに突出して多いことがわかる。
もっとも、かい廃要因としては農地転用による宅地化もあるので、これが突出しているのかと疑う向きもあろうが、そういう訳でもない。
同じ資料から、純粋に荒廃農地(本県が耕作放棄地と称しているもの)が増えていることがわかるのである。
県名、荒廃農地の増
岐阜県 44ha
静岡県 283ha
愛知県 52ha
三重県 9ha
なぜ、このような異常な結果となるかというと、言葉の「定義」の違いである。
さきにこのブログ内で公開した質疑を見てほしい。
「県実績誇張への疑義、公開質問と回答の紹介」(2013/8/14)
静岡県では抜根せずとも草を刈っただけで保全管理として耕地扱い、耕作放棄地(荒廃農地)解消とするよう指示している。
さらに最近ではミツバチが飛んで蜜を採取する範囲の農地を耕作放棄地解消としている。
これで解消(耕地の拡張、増加要因)が増えるのだ。
一方でなぜ荒廃農地(耕地の減少要因)が突出するのかであるが、これは耕作放棄地解消と同時に耕作放棄地が増える、分母と分子が同時に増える仕組みにある。
いわゆる現況未把握地の解消である。
農地はそのすべてが県の調査で現況把握されている訳ではない。
そこで、現況が不明な農地について現地調査して、草が刈ってあれば耕作放棄地の解消実績として解消率の分子に編入し、同時に全体面積の分母にも入れるのである。
これにより、世間にとっては現実には何も変わっていなくても数字上の耕作放棄地解消実績は上がり、県の目標は達成され、役人にとっては成果となるのである。
もちろん一部には真の解消もあるが、これはプロパガンダに利用され誤ったイメージを作り上げられる程度あれば、彼ら役人にとってはよいのだ。
TPPの経済への影響が心配されている中、農業が盛んな道県では行っている影響の独自試算さえ、静岡県は行っていない。
ましてその対策については言わずもがなだ。終始楽観的な内向きの論理で完結し、ごまかしの中で成長を拒絶している。
気がついたときは手遅れ。
楽観的にして安易な言葉の言い換えが拡散し続け、外から大きな波がきたとき、まさに1%が持つその言葉の意味の力によって倍返しを受け、この行政にしてこの現実と気づく日がきっと来るだろう。
すでにこの流れは止められない。明哲なる者は備え行動すべし。
なお、今年も残すところ2か月弱、年末年始は長期の休みとなり間が開いてしまうため、年内の新規活動はありませんので更新も少なくなりますがご容赦を。
さて今日は、最近の世相から以下、雑感。
またか、これでもか、というように食品偽装が相次いで発覚している。
一方で、三重県の米販売業者が外国産米を国産と偽ったり加工米を食用と偽装したり、県内においても、うなぎ販売業者が外国産のうなぎを静岡産として販売したり、偽装を認めた例もあるが、ほとんどは偽装とは認めないで誤表示と主張している。
阪急阪神ホテルの例では、偽装とは「お客様を欺いて不当に利益を得ること」と自ら定義して、意図を持って表示し利益を得ようとしたわけではないので偽装にはあたらない、よって「人的ミス」「誤表示」であるという。一般には責任回避の言い訳と映るだろうが、これはこれで一つの見方・見識であることは確かである。その後、批判を受けて、お客さんから見れば「偽装と受け止められても致し方ない」と釈明したが、要するにこれも立ち位置の違いからくる見解の相違だということをいっているに等しい。
また、偽装問題ではないが、みずほ銀行の反社会的勢力との取引問題でも外部からの隠蔽という指摘に、「連携不足」「単なるミス」「軽率だった」などと釈明するなど責任回避の姿勢が見られるが、これも一つの主張・見識であり、立ち位置による見解の相違と主張しているに等しい。
確かに実社会における言説には数学のように答えが一つというものは少ない。
これが、複数人が異なる主張をすればその人数だけ答えがあると言われる所以である。
はっきり言ってしまえば、裁判所の判決でさえ法的効果の有無に違いがあるだけでしょせん一つの見解にすぎない。
そういう中でも共に合意を見いだすための「議論」が成立するのは、同じ意味地平での言語使用が前提としてあるからだが、これら例のごとく立ち位置や置かれた状況などによって言葉の意味が変わったなら理解や深化を目的とした議論は成立しない。
これが北朝鮮のような暴力を背景とした独裁国家なら議論など不要で独裁者の見解の一言でけりが付くのであろうが一応自由主義的民主主義国家である日本においてはそうはいかない。
ではどうなるかというと、言葉の意味の拡散が止められず、議論は迂遠にして空疎にならざるを得ない。ダブルスピークが日常化していくのである。
「1984」の著者オーウェルは「人も社会もまず言葉から狂っていく。」と述べているが、思考の深化を妨げられた社会は人間社会としては崩壊していく運命しかないということだ。
しかし、現実にはこのような不祥事が繰り返されても社会は崩壊せず、同じような言い訳・ごまかしの連続で終わっていることも確かである。
それは、これら事象がまだ序章にすぎないからだ。現状は、唯一同じ意味言語が通じる部分社会の中にマグマのように押さえ込まれている状況だ。
ただし、そういった特殊言語で共通する組織文化圏内の安定とは裏腹に、ますます自己文化圏の闇に埋没し、人間社会の常識からはずれ、官僚主義的ダブルシンクが組織を覆い、成長・創造・革新からは遠ざかる。
事件が明るみになったときどういう対応をするか、これは単に外部との関わりにとどまらず、内部へのメッセージとして重要である事実を多くは知らないか考えようとしない。想像力の欠如だ。
つまり、くだんの偽装会社も隠蔽会社も、一連の対応は、たとえ外部社会の反発を買っても組織内に対しては当該行為の罪悪感軽減とともに組織内文化は変わらない、変えないという宣言を行っているに等しいのであるが、その是非について考えが及んでいないのである。
魔チて本県であるが、さきの監査結果に見るとおり、「違法」が「不適切」と言い換えられ、まさにダブルスピーク、責任逃れを奨励しているかのようだ。
偽装・隠蔽会社と軌を一にするものといえよう。
実例を一つあげておこう。
知事が県議会で解消実績を自慢した耕作放棄地である。
全国トップクラスの解消実績を誇ったが、これとは印象の異なる現実が先頃農水省から発表され、地元一般紙では伝えていないが、日本農業新聞の東海版が報じたものだ。
「東海4県 耕地面積1400ヘクタール減少」として報じられた内容は、農水省が10月22日に発表した平成25年耕地面積(7月15日現在)のうち、東海4県の動向である。
以下のとおり、耕地面積の減少が一番多いのが静岡県であったのだ。
県名、耕地面積(田畑計)、対前年差
岐阜県 57,400ha ▲200ha
静岡県 69,200ha ▲500ha
愛知県 77,900ha ▲400ha
三重県 60,900ha ▲200ha
それなら耕作放棄地解消実績が高いというのは嘘なのかというとそういうわけではない。
次に示すのは、同じ農水省の発表資料中の耕地の拡張(増加要因)とかい廃(減少要因)の内訳である。
県名、拡張面積(増加要因)、かい廃(減少要因)、差し引き
岐阜県 18ha 228ha ▲210ha
静岡県 118ha 654ha ▲536ha
愛知県 13ha 390ha ▲377ha
三重県 19ha 291ha ▲272ha
見てのとおり、静岡県は増加要因、減少要因ともに突出して多いことがわかる。
もっとも、かい廃要因としては農地転用による宅地化もあるので、これが突出しているのかと疑う向きもあろうが、そういう訳でもない。
同じ資料から、純粋に荒廃農地(本県が耕作放棄地と称しているもの)が増えていることがわかるのである。
県名、荒廃農地の増
岐阜県 44ha
静岡県 283ha
愛知県 52ha
三重県 9ha
なぜ、このような異常な結果となるかというと、言葉の「定義」の違いである。
さきにこのブログ内で公開した質疑を見てほしい。
「県実績誇張への疑義、公開質問と回答の紹介」(2013/8/14)
静岡県では抜根せずとも草を刈っただけで保全管理として耕地扱い、耕作放棄地(荒廃農地)解消とするよう指示している。
さらに最近ではミツバチが飛んで蜜を採取する範囲の農地を耕作放棄地解消としている。
これで解消(耕地の拡張、増加要因)が増えるのだ。
一方でなぜ荒廃農地(耕地の減少要因)が突出するのかであるが、これは耕作放棄地解消と同時に耕作放棄地が増える、分母と分子が同時に増える仕組みにある。
いわゆる現況未把握地の解消である。
農地はそのすべてが県の調査で現況把握されている訳ではない。
そこで、現況が不明な農地について現地調査して、草が刈ってあれば耕作放棄地の解消実績として解消率の分子に編入し、同時に全体面積の分母にも入れるのである。
これにより、世間にとっては現実には何も変わっていなくても数字上の耕作放棄地解消実績は上がり、県の目標は達成され、役人にとっては成果となるのである。
もちろん一部には真の解消もあるが、これはプロパガンダに利用され誤ったイメージを作り上げられる程度あれば、彼ら役人にとってはよいのだ。
TPPの経済への影響が心配されている中、農業が盛んな道県では行っている影響の独自試算さえ、静岡県は行っていない。
ましてその対策については言わずもがなだ。終始楽観的な内向きの論理で完結し、ごまかしの中で成長を拒絶している。
気がついたときは手遅れ。
楽観的にして安易な言葉の言い換えが拡散し続け、外から大きな波がきたとき、まさに1%が持つその言葉の意味の力によって倍返しを受け、この行政にしてこの現実と気づく日がきっと来るだろう。
すでにこの流れは止められない。明哲なる者は備え行動すべし。
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