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しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

米百俵 山本有三著 新潮文庫

2014-12-23 | 日本小説
本書「」同様これまた「祖父・小金井良精の記」を読んで読みたくなりました。
(序盤に本書が引用されています。)
小金井良精は本作の主人公小林虎三郎の甥にあたります。

最初に「祖父・小金井良精の記」を読んだ小学・中学生頃は本書を読もうと思っても絶版で入手できず、未読でした。
(図書館でも探したのですが当時の私では見つけられませんでした。)

ただし「米百俵」で名前を知った、山本有三にはその頃はまって「路傍の石」「心に太陽を持て」「生きとし生けるもの」などの少年向きな作品や小品の「無事の人」などを読んでいました。
特に「無事の人」はいまでも名作だと思っております。

なお「真実一路」「女の一生」はちょっと手が出ず未読。

山本有三、日本文学ではどの辺に位置付けられているんでしょう?
純文学…という感じでもないし、大衆文学でもない。
独特ですね。

小泉さんが首相の時に「米百俵の精神で…」なる話が出て2001年の流行語になったときに復刊されたものをブックフで見つけて入手していたのですが未読でした。

なお現在本書はまた絶版のようです、残念。

オリジナルは1943年発刊。

内容(裏表紙記載)
戊辰戦争で焦土と化した城下町・長岡。その窮状を見かねた支藩より見舞いの米百俵が届けられた。だが、配分を心待ちにする藩士が手にしたのは「米を売り学校を立てる」との通達。いきり立つ藩士を前に、大参事小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と論す。「米百俵の精神」を広く知らしめた傑作戯曲。著者の講演も収録。


「祖父・小金井良精の記」で星新一が書いていましたが、太平洋戦争真っただ中の1943年によくまぁ敗戦後の心構えを書いた作品を出せたものです。
そういう意味だけでもすごい作品です。
(解説によると本作に時の政府から圧力がかかった形跡があるようなことを書いていました)

本作「小品」かつ戯曲ですのですらっと読めてしまいましたが…。
私は「名作」と感じました。

司馬遼太郎の「峠」の後に読んだのが大きいのでしょうが、戦いに負けてもとにかく人は生きなければいけないし、それもただ生きるだけでなく「よりよく」生きなければならない….。

河井継之助のように華々しく戦うのは目立ちますが、小林虎三郎のような地道な行き方をする人は実際にはとても大切ですよねぇ。

山本有三の少年向け小説にあるような「きれいごと」的なものも感じますが、真摯さがストレートに伝わってきました。
(とにかく「峠」を読んでから読むのがお薦めです)

戯曲の後に収録の著者の小林虎三郎に関する講演も興味深かったですです。
「河井継之助の名前は有名だが、小林虎三郎は無名で残念」と話しています、戦前からすでにそんな傾向だったんですねぇ。

「小金井良精」の名前も小林虎之助の甥ということでこの講演中たびたび登場します。
良精博士当時はけっこうな有名人だったようですね。

司馬遼太郎も絶対本作読んでいたでしょうに「峠」で小林虎三郎の出番はほんの少ししかありません。
あまり出すと継之助の英雄譚としての物語が成り立たなくなると思ったのでしょうか…残念ですね。

ネット上で見たら「本作が河井継之助を非難している」という評価も見受けましたが、作中直接非難はしていないように思うのですが…。
どうしようもない状況を引き受け文句もいわず最善を尽くす小林虎三郎の姿を穿ちすぎて観るとそういう気分になるんでしょうかねぇ。

そんな姿に感銘を受ける名作と感じました。
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峠 上・中・下 司馬遼太郎著 新潮文庫

2014-12-16 | 日本小説
祖父・小金井良精の記」の序盤に本作からの引用があります。
とくに大きく引用されているのが小林虎之助が火事で焼け出された時のエピソード。
あることで感激した継之助が小金井良精の父小金井儀兵衛のところに駆け込む場面です。

星新一の曽祖父に当たる訳で「昭和」までは幕末も以外に近いものだったんですねぇ..。
などと感慨もあり本作を手に取りました。

小学校、中学時代にも読みたくはなったのですが、当時はなんとはなしに読まないで今日まできてしまいました…。

今回は読みたくなった勢いで大人買い(?)して読み出しました。

上巻、下巻はブックオフで購入。
中巻は上巻読了後、存在を知り(上下巻だと思っていた)あわてて職場近くの本屋で購入。

1966年11月から1968年5月まで毎日新聞に連載された作品。
解説にもありますが「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」の間に書かれている作品です。

内容(裏表紙記載)

壮大な野心を藩の運命に賭して幕末の混乱期を生きた英傑の生涯!
幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。藩の持て余し者でもあったこの男、河井継之助は、いくつかの塾に学びながら、詩文、洋学など単なる知識を得るための勉学は一切せず、歴史や世界の動きなど、ものごとの原理を知ろうと努めるのであった。さらに、江戸の学問にあきたらなくなった河井は、備中松山の藩財政を立て直した山田方谷のもとへ留学するため旅に出る。


幕府にも官軍にも与せず小藩の中正独立を守ろうとした男の信念!
旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だった牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。


維新史上もっとも壮烈な北越戦争に散った最後の武士!
開明論者であり、封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩をひきいて官軍と戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きなければならないという強烈な自己規律によって武士道に生きたからであった。西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の蔭にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く力作長編。


一般的に河井継之助といえば「本作」のイメージになるんじゃないかというくらいの有名作かと思いますが…。

坂本竜馬のように「討幕」側にいたわけでもなく、新選組のように強烈に「佐幕」というわけでもない譜代の小藩の藩士として生きた河井継之助の話ですから派手な展開にはならない….。
最後は敗けるのもわかっていますし読んでいてどうも気分が盛り上がりませんでした。

読者サービス用の「お色気場面」など明らかなフィクションを排した「坂の上の雲」以降のノンフィクション風ならいいような気もしますが、本作は「竜馬がゆく」的なお色気場面も結構あるのですが…。
最後は「報われないで終わるのだろうなぁ」と思うとその辺の場面も楽しめませんでした。

「竜馬がゆく」の千葉さな子やお田鶴さんなどの女性はとても魅力的に描かれていましたが本作では作者も迷いがあるのか吉原の小稲太夫や京都のやんごとなき女性や継之助の奥さんなどもどこかおざなりで魅力が薄い….。

主人公の河井継之助のどこか陰がある感じが最初から最後までしました。

司馬遼太郎もなにか迷いがあって、あまり筆がのらなかったのかもしれんませんね。

作者は本作の前に短編で河井継之助を主人公にした「英雄児」なる作品を書いているらしく、そちらでは生まれる場所、活躍する場所を間違えた「英雄」として悲劇的に書いているようです。
河井継之助は長岡を焼土にした大悪人として「墓に鞭うつ人が絶えなかった」というようなエピソードも紹介しているようですが、本作ではその辺省きかなりポジティブに描いています。

そうはいっても下巻では継之助の方針を「根本的にまちがっている」とする藩士を論破できず排除していく姿などを描いておりそれなりにネガティブではあります。

結果的に「中立」を目指した継之助の理想は木端微塵になるわけですが…。
(史実として中立を目指していたかは異論あるようですがすくなくとも本作では)

「祖父小金井良精の記」でも描かれていましたが、長岡の町を焼土にし明治初期の長岡藩士を困窮させた状況を考えると、確かになにか根本的に間違っていたのかもれませんね。

この時代の東国の譜代の小藩としては「何もしない」「何もできない」状況のまま流れに従うのが一番だったような気もします。

なまじ藩政改革をしてお金を捻出し、有り金はたいて最新軍備を固めてしまったがために官軍に協力して会津を討つか、会津と協力して官軍と戦うかしか選択肢がなくなってしまいます。
なにもなければ、なにもできないので流れに任せていればよかったのに…。

継之助の根本的誤算は徳川幕府があまりにも早く政権を放り投げて恭順の意を固めてしまったところなんでしょうか?
譜代の小藩としては「まさか」でしょうから、なかなか流れについていけなかったのではないのでは。

継之助「太平洋戦争のような無謀な戦争に突っ込んでいった人」と思えばネガテイブですし「日露戦争位までの日本のように強い意志をもって富国強兵を進めた人」と思えばポジティブな評価ですし...。
作者もいまいち的が絞れず中途半端だったのかなぁというような感じも受けました。

でもまぁ長年読めなかった作品読めてうれしかったです。

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山椒太夫・高瀬舟 森鴎外著 新潮文庫

2014-12-10 | 日本小説
小学生か中学生頃「祖父・小金井良精の記」を読んだ後に当時未読だった森鴎外の作品を読みたくなり本書を読んだ記憶があります。

今回も「祖父・小金井良精の記」を読んだ後、無性に本書が読みたくなり手に取りました。
(森鴎外の妹小金井喜美子が、星新一の祖母)
実家に帰れば昔読んだものがあるはずですが、地元の公民館でやっていた古本バザーのようなイベントで見つけて無料で入手。

この版は昔読んだものと表紙のデザインが変わっていないのでなんだか嬉しかった。

内容(裏表紙記載)
人買いのために引離された母と姉弟の受難を通して、犠牲の意味を問う『山椒大夫』、弟殺しの罪で島流しにされてゆく男とそれを護送する同心との会話から安楽死の問題をみつめた『高瀬舟』。滞欧生活で学んだことを振返りつつ、思想的な立場を静かに語って鴎外の世界観、人生観をうかがうのに不可欠な『妄想』、ほかに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』など全十二編を収録する。


昔読んだ時は半分以上理解できず、正直「つまらない」と思いながら無理やり読んだ記憶がありますが….。
今回も正直「おもしろくはない」というのが感想(笑)

中学時代と違い一応内容は理解できたつもりですが、どうにも面白さがわからない。
「明治、大正にはこんな話が書かれて読まれたらしい」という程度の評価の作品ならわかるのですが、漱石とならぶ「文豪」森鴎外のかなりポピュラーな作品として読むとどうにも…。
今回読んでみて「夏目漱石」の作家としての「すごさ」がよくわかりました。
漱石の作品は時代を超えて「小説」としての本質的な価値を持ち続けている気がします。

この短編集だけ読んで「文豪」森鴎外を評価するのは非常に乱暴ですが…。
鴎外は良くも悪くも「時代精神」的なものを反映している分「時代を超越できなかったのかなぁ」などと感じました。
(鴎外の神髄は当時不評だった「渋江抽斎」などの史伝にあるという説もあるようですが。)

解説にも書かれていましたが、歴史小説は別として作中の随所にフランス語やドイツ語やらを挟んでいます。
なにやら「俺は教養人なんだぞ」「俺の書くもの批判したかったらこれくらいわかれよ」という嫌味が感じられました、この辺もどうも….。
漱石にはそういう嫌味もあまりないですね。

と、かなりけなしながらも冷静に各編見てみたら歴史・時代小説はそれなりに楽しめた気はします。
(ただ山本周五郎の短編の方が上な気もしたりしましたが....。)

各編紹介・感想など
「杯」
泉で少女たちが大きな銀の杯で水を飲んでいる所へ、一人の少女が来て小さな陶器の杯で飲もうとすると、他の少女たちはその杯を馬鹿にするが…。
少女は「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」と。

「俺はそこらの自然主義文学者と違うんだ」ということなんでしょうか….?
決然たる異端の表明はかっこいいといえばかっこいいですが、小説としては直截すぎるような…。

「普請中」
渡辺参事官は人と会うためホテルに行く、ホテルは普請中。
そこへ待ち合わせ相手のドイツ人の女がやって来て…。

日本も「普請中」だという寓意ももっているようですが、単なる別れ話ですね。

「カズイチカ」
学校卒業後間もない花房医学士は、父親の診療所の手伝いで様々な病人を診る。
色々な病院で診ても原因不明の腹痛の婦人が運ばれて来て…。

ちょっと「ユーモラス」な作品、太宰治辺りが書きそうなイメージ(いい加減です)
小品として素直に楽しめました。

「妄想」
白髪の主人は別荘で生と死について思い、20代の頃のドイツ暮らし時の回想に結びつき…。

いろいろ悩みがあるのでしょうが「俺は色々知ってるんだぞ」と自慢しているだけのような…。

「百物語」
作者の分身的「僕」は知人に誘われ百物語に参加することになる。
その会場で豪遊で有名な飾磨屋と美しい芸者に会い自分と同じ傍観者的なものを感じ…。

飾磨屋のどこか虚ろな存在が不思議で楽しめました。

「興津弥五右衛門の遺書」
興津弥五右衛門は殿様の墓の前で切腹をすることになり、なぜそうなったかの遺書を残す。

鴎外の初めての歴史小説とのこと。
「遺書」の部分の時代感と、その子孫歴代を記していく部分とのギャップで時間と時代の変化を表しているのかなぁと思いました。
思い返してみると結構名作な気がしてきました。

「護持院原の敵討」
山本三右衛門は、城で宿直をしているところを金目当ての強盗に斬られて「敵討ちをしてほしい」との遺言を残す。
息子と三右衛門の弟は、犯人の顔を知っているという文吉を家来に従え旅に出る…。

「なるほど」という感じでしたが、面白みが今一つ理解できない作品でした。
上でも書きましたが山本周五郎風でもあるように感じました。

「山椒大夫」
筑紫に行ったきり帰らない夫に会いに行くための旅の途中に人買いに騙され母と子はばらばらに売られてしまい…。

安寿と厨子王のお話。
鴎外独自の切り口がどこにあるのか今一つ理解できませんでした。

「二人の友」
小倉で務めている〈私〉へ青年F君が訪ねて来てドイツ語を学びたいと言う。
もう1人、学問上の友達安国寺さんという僧侶がいて…。

エッセイ風なんでしょうが3人の交友関係が楽しめました。

「最後の一句」
廻船業の桂屋太郎兵衛は、罪に問われ斬罪が決まる。
それを知った太郎兵衛の子供たちは嘆願書を書きお奉行様に出そうとするが…。

子供たちの「必死」さと、奉行所役人の「役人根性」の対比の妙を楽しむ作品。
奉行と長女の会話の緊張感がよかったです。
これもよく考えると名作かもしれない。

「高瀬舟」
高瀬川で罪人を遠島まで運ぶ小舟「高瀬舟」で護送役が静かで、やけに落ち着いている罪人喜助の話を聞くが…。

これは昔読んだのをなんとなく覚えていました。
「幸せ」は人それぞれというわかりやすい話ではあるので中学生にも理解しやすかったんだろうなぁ。

最初の方にも書きましたが、どうも私には森鴎外の「偉大さ」は感じ取れませんでしたが、普通に「昔の日本の小説を読む」と思えばそれなりに面白い作品群だとは思いました。

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祖父・小金井良精の記 上・下 星新一著 河出文庫

2014-12-04 | 日本小説
なんとはなしに本書が読みたくなり手に取りました。
小学校頃に入手した新潮社の星新一全集版を

昨年末に実家から持って帰ってきていて「いずれ読もう」と思っていたのですが、夏頃ブックオフで河出文庫版上下各108円で売っているのを見つけて購入しました。

持ち歩きに都合がよいので今回は文庫版で読みました。
河出文庫では本書現在絶版のようで新品で手に入れられないようで残念です。
(ブックオフでばかり買い物している人が言うのもなんですが…。)

本書を最初に読んだのは図書館にあったハードカバー版だった記憶があります。
ショート・ショートの名手星新一 最長の作品なのですが、なんだか情感的な内容がとても好きで、当時文庫で出ていなかった全集版を入手して折に触れ読み返していた記憶があります。
全集版の奥付みたら昭和55年、当時10歳、小5ですねぇ、なつかしい。
当時は密かに「星新一の最高傑作ではないか?」などとも思っていたりもしました。

内容紹介(裏表紙記載)

小金井良精は安政五年(一八五八)、越後長岡藩士として生まれた。戊辰戦争を指揮して新政府軍に敗れた河井継之助や、「米百俵」で名を馳せる小林虎三郎とは姻戚関係にあった。会津への敗走行を経験して維新を迎え、東大医学部の前身に入学、ドイツ留学など、苦学力行して解剖学の草創期を築いた。森鴎外の妹との結婚、アイヌの人骨研究など、前半生を描く。


小金井良精の解剖学の関心は、人類学、考古学の方へも及び、退官後も先住民族、古事記の研究などに尽力し、晩年まで大学に通った。さまざまな出会いも広がり、娘婿星一、考古学者大山柏、政府の黒幕杉山茂丸、そして名もない市井の人々との交情を大切に、戦争へと向かう明治・大正・昭和の歴史を、時代に翻弄されずに誠実に生きた。著者畢生の大河小説。

冒頭部分は長岡藩士である小金井家の歴史をなぞり、幕末・明治初めの長岡藩の様子は親戚の河井継之助を司馬遼太郎の「峠」から、叔父である小林虎三郎を「米百俵」から援用して描いています。
この調子で書いていけば内容紹介にあるように「大河小説」になったのかもしれませんが、
序盤で小金井良精本人による完璧な日記が見つかり「あれこれ調べて足りないところを想像で埋めて適当に仕上げる」ということができなくなった事情が紹介されます。

結果、作者本人が書いていますが「本当の人生」と「書かれた人生」は違う…という当たり前といえば当たり前の事実に直面します。
ましてや「解剖学」というかなり地味な学問で、物凄い世界的な業績をあげた人物というわけでもないのでもともと起伏が激しいわけでもないですし…。

「困った」とは書いていますが、エピソードごとに小編にまとめてつなげていくという、いかにもショート・ショートの名手らしい解決策で描かれていて、いわゆる「大河小説」でなく多量のエッセイ・随想の寄せ集めという感じの作品で情感たっぷりににうまく仕上がっています。
良精の日記が軸ですが、随所に良精の妻にして森鴎外の妹 小金井喜美子の文章も援用しています。
小金井喜美子の文章は小、中学生が面白みわかるにはつらい文章な気がするので当時は流し読みしていたかもしれません。

エピソードごとに時には時代を大きく下ったり、遡ったりして話は進んでいますが、徐々に時代を下って行きラストに至る手際は見事です。
とにかくこう、全編淡々とした展開でショート・ショートで見せる機知あふれる内容とはかなり色合いが異なりますが随所に「星新一」ならではの独特の視線が生かされています。

結果、幕末、明治、大正、昭和(戦前)の日本を生き抜いた、「普通」の「良識的な」中上流階級の人物の伝記としてなんともこう「独特」な作品になっています。

小、中学生時代に何回も読んだはずなのですが今回読んで、嫁姑の問題やら小金井喜美子が育児ノイローゼ気味になったりや、どうやら困り者であった良精の兄との関係など家族関係の問題が目につきました。
この辺は自分が年を取って家族を持ったりして新たに持った視点ですね。

上巻では良精が自分の地位を確立していくまでが中心ですが、後半は交友関係やら、著者 及び著者の父 星一も随所に登場し、星新一の「自分史」のようなものになってきます。

途中、良精の日記と星一、星新一の日記が併記されている部分がありますが、星新一のお坊ちゃんぶりも楽しいのですが、星製薬社長の星一の政治家との付き合いぶりもずいぶん精力的で感心しました。
戦前の企業経営はいろいろ大変だったんでしょうねぇ….。

交友関係では北里柴三郎やら野口英世など有名人物も出て来ますが、人類学に興味を寄せた大山巌の息子公爵:大山柏など比較的無名な人物との交友も楽しめました。
森鴎外の息子で良精と同じ解剖学に進んだ森於兎などのエピソードも興味深かったです。
それに関連した大学の教授選びや教室運営などの話もなかなか生々しくて楽しめました。

北里柴三郎や野口英世は華々しい業績を上げていていわゆる「有名」な人ですが、現実に家族を持って生きるには、良精くらいの方が好きなことしていて幸せそうだよねぇなどという感想も出て来ました。
良精の解剖学的見地の人類学の業績は現代では評価されているんだろうか?
殆ど残っていないのかもしれません….。
(そういう意味では野口英世もですが...)

とにかく静かに淡々と「普通の人」小金井良精が生きている姿と星新一の自分史がラッピングしたなんとも「ノスタルジック」な展開の後に、良精のこれ以上はないだろうという大往生で物語は幕を閉じます。

「激しい」生涯ではなく、激しい感動は出てこな作ですが、作品とともに長々つきあった「普通の人」良精の死に哀しさのようなものをしみじみと感じました。

今回読み返してみて、正直「星新一の最高傑作」とも「伝記文学史上に残る名作」とも思いませんでしたが、淡々と一生懸命生きた人物の記録として、心に残る名作だと思いました。
大河ドラマ向きではないですが、小金井喜美子を主人公にして朝の連ドラならけっこういけそうな作品な気がします。

このまま埋もれ去るのは惜しいかとも思いますので是非新潮文庫辺りに入れて長く販売してもらいたいものです…。


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聖少女 倉橋由美子著 新潮文庫

2014-11-08 | 日本小説
まだSFに戻る気がせず...。

長い間積読していた本書を手に取りました。
本作を最初に買ったのは古本屋で新潮社の純文学シリーズのハードカバー版のもの、確か赤い箱に入っていました…。
大学生のときだから25年位前、でも10年位前に文庫本を古本屋でみつけて購入

家のスペースの関係もありハードカバー版はブックオフに売却しました。
(それでも読んでいなかった…)

「倉橋由美子」の名前を知ったのは大学時代(20年位前)に一般教養の授業で映像制作があり後輩が倉橋由美子訳の「ぼくを探して」の絵をそのまま撮ってナレーションを入れて映像化したのを見て、そのあと後輩と話したら「倉橋由美子も知らないんですかー」とバカにされたときです。
「何をー」と思いそれ以降古本屋で倉橋作品を見つけるたびに買っていたのですが….。
結局今まで本書含み一冊も読んでいませんでした…。

なお本書は1965年発刊の作品です。

内容(裏表紙記載)
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが・・・・・・。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「聖性」と「悪」という、愛の二つの貌が残酷なまでに浮かび上がる。美しく危険な物語。

手持ちの倉橋由美子作品の中でも今回本書を手に取ったのは、松岡正剛の千夜千冊に紹介されていたためでもありました。
松岡氏は「村上春樹や吉本ばななや江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。」と書いています。

吉本ばなな、江国香織は読んだことはありませんが(読書の幅せまいなぁ)、本作読んでみて「村上春樹の一部の作品は本作が母型になっているのかなぁ?」などという気はしました。
学生運動の描写も入っていて感じ的には「ノルウェイの森」に一番近いような…。

逆に1962年刊のバージェスの「時計じかけのオレンジ」が「K」の若い時の行動の母型になっているようにも感じたりしました。
まぁ何を母型にしていても作品自体がいいか悪いかですね。

で、本作読んでのとりあえずの感想は「名作だ…と思う」です。

ちなみにタイトルは「聖少女」ですがヒロイン未紀は22才ですので今日的には「少女」じゃないですかねぇ(笑)また性的描写もありますが、淡々と描かれているのでエロチックさはあまり感じません。

「ノルウェイの森」のようにエンターテインメント的な余分な部分はなく、当時の学生運動関係の用語やらが「飾り」的に用いられている部分はありますが、それ以外は無駄なく「小説」としての骨組みを組み立てた感じでページ数も少ない作品なわけなのですが...その骨組みが、なんとも複雑で私ごときではとても「パッと」理解できない。

読んでいると時間も空間もゆがみ出し、何が本当で何が嘘だかわからなくなっていきます。

途中から未紀が「嘘をついている」のはなんとなくわかってきて、話として「落ち着くかなー」と思わせますが、そこで著者の分身的な存在のY.Kなる「作家」の女性が出てきて話はどんどん混乱していきます。
(この辺メタフィクション的)

ラストはノルウェイの森的に(私はそう感じた)Kが混乱しながらも未紀と結ばれることで終わる感じですが…。
それは小説内での事実なのか、虚構なのかわからない....。

表面的にはKの青年時代(未紀の少女時代も)が終わり、落ち着くという「時計じかけのオレンジ」完全版のラスト的なのですが果たして.....。

日常性と虚構のあいまいさを描いて「現実とはなんだろう?」という疑いなど感じさせる作品で、とにかく「名作」と感じましたが、私ごときが一読したくらいでは理解しきれませんでした。
機会を見て他の倉橋作品も読んで、再読したいところですが、いつになることやら…。

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