受験知の勝者や、不必要なことまでなんでも暗記する暗記マンや、事実学に過ぎない学の所持者、「高級」資格者・・・・
わが日本人の知は、人間性が優れていること=豊さやエロースとは異なり、羅列的で無意味・無価値の「捻くれた受験知」「無用の知」「クイズの知」に過ぎず、意味論としての知=本質論とは無縁です。
わたしは長年、成績優秀者や学歴最優秀者と多くと関わってきましたが、そういう人=秀才型の知の持ち主に「意味の豊かな知の持ち主」はいません。
人類学者のモンターギュ(『ネオテニー』の著者)の言う通り、学士・修士・博士と進むほど、知は萎え、使えない頭になっていく。人間力が弱まり、暗記知で誤魔化すニセモノの知者になっていくことを実感します。
ソクラテス的な大元に戻して考える深く強い知は、どこにもなく、受験知・表層知・官僚知・パターン知・情報知しかない《本質的におバカな人》で溢れます。いま、日本で頭がいいとされる高学歴者は、どうもみな本質的な意味で頭が悪いようです。
あなたは、大丈夫ですか?(笑・失礼)。
わたしは、次のようなことを発見したのです。知があるとされる有名人と問答してみると、みな自分は知者だと思っているが、実はほんとうのことは何も分からず、思慮の点では最も劣っていて、その点、かえってつまらない職業と思われている人の方が、9分9厘まで優れていることをーーー
ーーー二千数百年前の古代アテネでソクラテスが見ぬいた真理は、現代もそのまま、否それ以上にアテハマリます。
コパチンスカヤのヴァイオリン、クルレンツィス指揮ムジカエテルナでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏協曲のCDを聴きながら、ふだんわたしが考えていることが浮かんだので、いま書いています。
コパチンスカヤは、野性的で攻撃的!?とか言われるようですが、それは表層の話に過ぎません。
彼女は恐ろしく頭もいいですが、心身と完全に一体化した頭脳です。東大や芸大は出ていませんが(笑笑)、そういうせせこましい知ではなく、はるかに豊かで深い知の持ち主です。知のありようが違います。
21世紀は、知の手段でしかない客観主義の知(ドリルに答えが書いてある知)を超えて、知の目的である主観性の知の時代になる、というのはわたしの考え=思想=判断ですが、彼女の演奏はその最先端で、時代を先取りする芸術家ほんらいの姿を見る思いです。心身が踊りだします。全身に鳥肌が立ちっぱなし。
カップリングされているストラヴィンスキーのバレー・カンカータ「結婚」もまた21世紀の新しい音楽で、クルレンツィス指揮ムジカエテルナもほんとうに見事です。時代は大きく変わっています。ウキウキ、血湧き肉躍る。
いよいよ主観性の豊穣への革命です。世界同時無血革命!(笑)
(※ ただし、21世紀の新たなクラシックの王道を歩む抒情的な天才ーまだ30歳のアリーナ・イブラギモヴァ(デュオのピアノはディべルギアン)は、また異なる別の魅力の世界で、序列化は不可能です。)
無意味ー無価値で、やればやるほど袋小路に入り、ただ自我の拡張=威張りのためにだけ役立ち、自他を深く不幸に陥れ、人生を狭め、セコイ人間にし、社会・公共問題を解決できない無用な知をため込むバカ、本質バカの世界を超えて行かないと、何一つ前進しません。「東大病ー東大教」から快癒しないと、不幸の再生産です。
リコウだとうぬぼれているあなた、大丈夫ですか?
お前はどうなのだ。はい、わたしは、ほんとうのことはメッタに分かるものではないな、という自覚はいつも持っています。
武田康弘
ほんとうに、知識偏重の詰め込み教育は創造性がありませんね。
どうりで、鳩山由紀夫や菅直人、仙谷 由人のような無能がうまれ出てくるわけですね。彼らも暗記だけで試験を突破して、学問のおくにひそむ豊かな人間性の世界に触れなかったのでしょう。