思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『恋知』 第3章  民主制・公共思想 

2017-11-18 | 恋知(哲学)

恋知』 第3章  民主制・公共思想 


 (1) 恋知=人間のよき生の原理 前章の結語

 

 第2章「恋知とはなにか」で、わたしは、人間のよき生の原理を提示しました。 それは、人の顔色を見て「場」の空気に従うという日本的な生き方、一言では、「集団同調主義」ではなく、その逆に、強い宗教=一神教に帰依するという宗教者としての生き方でもありませんでした。
 周りに合わせることは、「一般的なよい」に従う生き方ですし、一神教に帰依するのは、「絶対的なよい」を求める生き方ですが、
まったく正反対に見えるこの両者は、実は一つメダルの表裏で、一般的なよいに従う生き方が挫折すれば、絶対的なよいを求める心が生まれ、超越神への信仰に向かいます。

 正反対に見える「一般的」と「絶対的」は、共に自分の具体的経験に照らして自分で考える営みとは無縁で、「自分の頭を使って考えない」という点では同じ態度です。

 人生でのヒドイつますきや、あるいは、ロマン世界を現実に求めてしまう心に支配されると、絶対的な正しさを得たいという欲望が生じ、超越神を受け入れやすくします。宗教には関心が薄く科学好きの人は、科学的な真理を絶対と思い込みますが、これも形を変えた「絶対的なよい」を求める生き方です。科学は、認識する対象を狭く限り、できるだけ数量化して事象を表すことで一定の正確さ・客観性を獲得しますが、その方法ゆえに全体的・総合的な判断はできません。総合判断は、「人間のよき生のイメージ」に支えられなければ不可能ですから、主観性の知である恋知(哲学)の営みが必須です。
(注)主観性の知については、第二章の18~20ページをご覧ください。

  「人間のよい生とはなにか」の探求なしには、科学的認識を含む人間のさまざまな営みは宙に浮いてしまいますので、実人生に根が張れません。
 そうだからこそ、ソクラテスは、自然哲学からの180度の転回を果たし、善美に憧れ、真実を求める人間的な生の「問答による探求」に生涯をかけたのでした。自然哲学(自然の研究)を括弧に入れ、まず第一に取り込むべきは、人間の生き方(生の意味と価値の問題)であるとし、その営みをギリシャ語でphilen(恋愛)+sophia(知)=フィロソフィー(恋知)と造語したのです。

 ソクラテスの求めた「正しさ」とは、みなが言うからという「一般的な正しさ」ではなく、また、「絶対的な正しさ」でもありませんでした。それは、善美に憧れ真実を求める生き方がつくる正しさ=深く納得できる見方の提示でした。善美のイデアを神ならぬ人間は知ることができない、ただ、憧れ求めることができるだけだ、と言い、問答的思考法(ディアレクティケー)により、「普遍的な正しさ」=深く納得できる見方と考え方を生みだす努力を続けたのです。誰であれ人間は、絶対の真理を得ることはできないが、真実や善美のイデアに憧れ、探求することは可能で、それが最も優れた人間の生き方であると言いました。

 わたしもその通りと思います。私自身の子どもの頃からの経験と、40年以上にわたる多くのこどもたちとのホンネでの付き合いから、人間のよき生とは、善美に憧れ、心身の内側からの律動(リズム)と和声(ハーモニー)にもとづいて旋律(メロディー)を奏でることにあると思っています。いかに生きるかの探求を中心にしてあらゆる事象を判断する究極の座標軸は、善美に憧れ真実を探求する私の心にある、これは、人間の生の原理中の原理、と確信しています。外に超越的な神=絶対者を置かず、また、周りに合わす集団同調でもない第三の道、それが「恋知」の生です。

 繰り返しますが、集団同調による「一般的正しさ」ではなく、宗教的信念による「絶対的正しさ」でもない、第三の道である善美に憧れて深い納得をもたらす「普遍的正しさ」を求める営み、それが恋知(フィロソフィー)です。

 だいぶ昔のことですが、この三つの「正しさ」を小中学生向けに書いたことがありますが、これは、とても大事な三区分です。「正しさ」というと誤解を生む可能性もあるので、「よさ」と言いかえてもいいと思います。

1.絶対の正しさ   誰がなんと言おうとぼくの考えは絶対なんだ。とか、偉い人(または神様)が言ったことだからゼッタイなんだ。
2.一般的な正しさ   だいたいこんなところが正解だよ、みんなもそう言っているし。とか、千人からアンケートをとった結果このようになりました。
3.普遍的な正しさ  なるほど、そうだなあ、と深く納得する・腑に落ちる。

  哲学(恋知)で言う「正しさ」とは、3の普遍的なよいです。哲学(恋知)では、1の絶対の正しさというものは認めませんし、2の一般的な正しさでは満足しません。
 
3の「正さ」(よい)をつくるためには、疑い、試し、確かめること、自分の頭でよ~く考えたことを他の人に示すこと、これを何度も繰り返す必要があります。だんだんと自他が共に深くナットクする〈考え〉にきたえていく営みを「哲学(恋知)する」と言います。

 また、科学的な真理とは、この3(普遍的な正しさ「よい」)の一部分です。

  最後にオマケですが、この普遍的な「よい」を想い・考えるためにはどうするか、です。まず、遠くを見る習慣をつけること、とくに無定形なもの=青空や雲を見る習慣は一番よい方法です。視線・視点を無限遠にすると、既成の見方への囚われが減り、心の内からの声が聞こえ、イメージが浮かびます。外ではなく内発的に、内から立ち昇る人生のはじまりです。芸を仕込まれた自分ではなく、自身の内なる想いにつき、そこから考えること。それが何より素敵な生き方をつくります。

 また、心身も内側からを心がけることが必要です。体の中から、中心から外へという動きが大切。固くなり伸び伸びとした動きが減ると、思考も形式的になり言語にとらわれてイメージが豊かに広がりません。心も身体もこわばれば、思考は紋切型になり、有用な価値ある考えを生み出すことに失敗します。内から、内発的にです。

 


(2)ペリクレスとソクラテス


  では、以上の簡明な「人間の生の原理」を踏まえて、第3章ではわたしたちの近代市民社会を支える民主制と公共思想について記します。

  民主制の最初は、古代の大帝国ペルシャを打ち破ったギリシャ都市連合の中心であったアテネで、その最高実力者・ペリクレスの施政にあります。彼は、人々の「自由な気風」こそを第一として民主政治を宣言しました(最初の民主制は紀元前508年だが、ペリクレスにより強まる)。

 有名なペリクレスの演説(紀元前443年・52歳)から一部を記します。


「我らの政体は、他国を追随するものではない。人の理想を追うのではなく、人をして我が範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し、多数者の公平を守ることを旨とし、民主政治と呼ばれる。・・・・・
 我らはあくまで自由に公共につくす道をもち、また、生活において他人の猜疑心を恐れることなく、各々が自由な生活を享受する。・・・・

 また、戦いの訓練においても我らは、敵側よりも優れている。我らは、何人にもポリスを開放し、決して遠方の国の人々を追うことはない。
敵に見られては損をするという考えをもっていないので、学問・知識を人に拒んだことはない。なぜなら、我らが力と頼むのは、戦いの仕掛けや虚構ではなく、事を成さんとする我ら自身の敢然たる意欲をおいて他にはないからである。

 教育においても同様。彼らは、幼くして厳格な訓練を始めて、勇気の涵養に努めるが、我らは、自由な気風に育ちながら、彼らと対等な陣を備えて、危険にたじろぐことがない。ともあれ、過酷な訓練ではなく、自由の気風により、規律の強要によらず、勇気の気質の涵養による・・ここに我らの利点がある。

 我らは、質朴たる「美」を愛し、軟弱に堕することなき「知」を愛する。我らは、富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また、身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。

 我らは、国政の進むべき道に十分な判断をもつように心得る。我らのみは、公私領域の活動に関与せぬ者を閑を楽しむ者と言わず、ただ無益な人間と見なす。そして、我ら市民は、決議を求められれば判断を下しうるのはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。・・・

 また、我らは「徳」の心得においても一般とは異なる考えをもつ。我らのいう徳とは、人から受けるものではなく、人に施すものであり、これによって友を得る。・・これに反して、他人に仰いだ恩を返す者は、積極性を欠く。相手をよろこばせるためではなく、義理の負い目を払うに過ぎない。こうして我らのみが、利害損得にとらわれずに、自由人たる信念をもって、結果を恐れずに人を助ける。・・・・

 我らポリスの一人ひとりの市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己の知性の円熟を期することができる・・・・
 我らは、今日の世界のみならず、遠き末世に至るまで、世人の称賛の的となるであろう。」

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 若きソクラテスは、この民主政治を宣言したペリクレスの愛人で才色兼備のアスパシア(自然哲学発祥の地・ミレトスの出身)が開いていたサロンに出入りしていたと伝えられています(ペリクレスの演説はソクラテスが26歳の時)。ソクラテスの師は、他にはプラトンの主著の一つ『饗宴』で、「愛」について教えを受けたというディオティマで、二人とも女性でした。

 「恋知」(philosophia)がソクラテスによる造語(それ以前は自然哲学)であったのと同じく、その少し前に生まれた「民主政治」もギリシャ語による造語です。demos(人々)+cracy(支配する)→デモクラシーで、両者は共に古代アテネの都市国家で生まれ、ほんらいは相互補完的な関係にあります。民主制と恋知(哲学)とは支え合うことで発展し現実性を持つのですが、ペリクレス死後に民主制が堕落して愚衆政治となったアテネでは、ソクラテスを刑死させるという愚を犯しました。 
 近現代史では、民主的なワイマール憲法下からヒトラーが誕生しましたが、世界で最も「理論哲学」が盛んだったドイツは、あっけなく堕ちたのです。20世紀最高の哲学者と言われたハイデガーは自らナチに入り、学生らにも入党を勧めたのでした。壮大な体系・難解な理屈の山・堅固な理論的構築物としての「哲学」は人間に有用な思考をさせず、かえって問題の所在を見えずらくさせてしまう証左です。
 人生や社会のさまざまな出来事の意味と価値をふつうのことばで考察する「恋知」の活動(子どもほど得意)が活発にならないと、民主制(市民主権による自治政治)をほんとうに機能させ発展させることは出来ません。

 ※ハイデガーは1966年に『シュピーゲル対話』で「哲学」の敗北宣言をしました。  彼は「従来の哲学の役目は、諸科学が果たし、サイバネティクスが哲学の座を占める。」  「われわれ人間は、何百年後かに現れる究極の神への心構えを準備するだけだ。」と  言いました。大学内哲学=専門知としての哲学はすでに命を終えています。

 それにしても、必然の神・アナンケを打ち破ったのが恋愛の神・エロースであったというギリシャ神話(「饗宴」の中でアガトンが語る)は、とても示唆に富むエピソードです。規律・掟を絶対とする「厳禁の精神」と人間味に溢れる「恋知と民主制の精神」とは対極です。

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つづく。

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