思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「日本人には道徳はない。ただ目上の者に従うだけである」(「日本を知れ」)

2007-07-19 | 恋知(哲学)

人は、陰謀を廻らせることがあります。陰謀とは言わずとも騙したり欺いたりすることはあるでしょう。また、いまの自分の立場を守るためによくないと思う事をすることもあります。自我の満足のために他者を手段として利用することもあります。また人は、人の不幸を期待することもできます。わざと人に害を与えることもできます。人を振り回して悦に入ることもできます。

人間は自由に選択できる可能性を持っているからこそ、道徳・倫理が問題となるわけです。昨日のブログに書いたように、自他のよろこびを広げるための道徳は、エロースを肯定する生への愛を条件とします。外からの要請ではなく、自分の心の内側からよろこびを生み出そうとするのは、生への愛がなければ不可能です。生を否定する想念は、外なる規範に従い形式的に生きるロボットもどきの生しかつくりません。

形式的な生=社会人としての仮面を被って生き、内容の生=実存として生きることが少なければ、人は根源的不幸に沈むしかありません。教育によって「正解」を導く技術だけを仕込まれた人間は、大人になれば「成功」を導く技術だけを仕込まれた人間になる他はなく、なぜ?どうして?(内容)を問うことの出来ない外的人間に陥ります。現代では、哲学までも自分の頭で考えることではなく、本の理解と情報知に過ぎませんし、芸術もパターン化し、パッチワークに過ぎないものが主流です。命の内なる躍動とパワーが外的価値によって抑圧・消去されてしまうために、内的世界のよろこびの開発が制限されるのです。

自分で自分の生の意味と価値をつくり、それに責任を負うのが道徳であり、ほんらい道徳の価値は、自分の生の内側から生きるパワーを湧出させるところにあります。混沌とした不定形な人間(己)の生に意味と方向を与えることを使命とし、外なる価値に屈することのない内的充実を創造するのが道徳です。その意味で道徳とは、人間が人間として生きる上で何よりも大事なものと言えます。

序列主義・形式主義は最も反・道徳的な意識です。外的価値に従い、権力にへつらい、権威への従順を示すことは、何よりもひどい反道徳的態度です。道徳とは、個人としての人間の尊厳を守るものであり、道徳的精神とは、自分の自由を行使しその結果に責任を負う「自立した精神」の別名です。自他のよろこびをつくり出そうとするプラスのエネルギーがうむ営みは、型はまりの固い精神、上位者に従う上意下達の精神とは無縁です。自分の存在を自分の決断―自由と責任で価値あるものとし輝かせるのが道徳です。

どうも、今もなお、「日本人には道徳は存在しない。ただ目上の者に従うだけである」(「日本を知れ」六十数年前のアメリカ映画)から抜けられないようです。安倍首相の言う道徳教育が、ナショナリズムを植えつける反道徳教育でしかないことは、火を見るより明らかでしょう。


武田康弘



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