思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

王室とか天皇家に生まれると特別な人間で、特別扱い。いつまで続く人類の歪み。

2016-12-27 | 恋知(哲学)

  小2のかなちゃんの黒板画(2016.12)いつの間にか描いていたものー本人はいたずら書きのつもりで。白樺教育館・ソクラテス教室



2500年も前に、人間存在の平等を明らかにし、誰もが「天上天下唯我独尊」であるのがほんらいの人間の生であると看破したのがブッダ(ゴータマ・シッダールタ)です。

同じころに同じ印欧語族のアテネで、史上はじめてペリクレスは本格的な民主政を敷きましたが、その中に現れたソクラテスは、「個人の思考する能力」を鍛えることで、善美に憧れ、真実を求める精神に人間の生きる意味を見い出しました→エロースの生。

けれども、いまもなお、王室とか天皇家(天の皇帝というなんとも凄まじい名称)に生まれた人には特別の敬称ををつけ、特別扱いをしています。こどもでも「おかしい」「間違っている」のは分かります。わたしたちは、いつまでこのような歪んだ思想を持ち続けるのでしょうか。同じ人間に上下をつけ、特定の家に生まれた人を敬うというのでは、正当性をもつ倫理(道徳)や論理は成立しようがありません。

差別的制度を維持することを前提にした倫理や論理は色付きであり、透明性を持ちませんので、真善美とは無縁となり進歩もありません。古い制度を補完する理屈の積み上げだけで、健康・健全な人間性の発展がない不幸に沈みます。

こういう簡明な真理を弁えぬ国では、ほんとうの精神の自由や囚われのない心は現実のものとならず、 「差別はいけない」と説いても、国の制度が差別の構造を抱えていたのでは、空語となり、欺瞞にしかならないのは誰にでも分かることです。

わが国の皇室も少しづつでよいので、そのような方向に歩み出し、次第に北欧の旧王室のように、市民社会に溶け込ませていくのがよいのです。各個人を等しく尊重するためには、それ以外の選択肢はないことをよく自覚することが必要です。これは、民主的な公共社会をつくる原理です。その発言や行為から、現天皇の明仁さんもこれに近い考えをもっているのが分かります。

 

武田康弘

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